第百二十六話~阿波三好家お家騒動~
第百二十六話~阿波三好家お家騒動~
安土城の築城と観音寺城の改修だが、予定以上に順調な進捗であった。
その理由の一つに、義頼や丹羽長秀がある方法を導入していたことにある。それは、羽柴秀吉が、昔清州城で石垣修理の際に行ったというやり方であった。
これは、石山本願寺の戦のあとで羽柴秀吉から義頼が聞いた話である。その旨を聞き及んだ義頼は、驚きをあらわにした。それというのも、その方法と義頼が鉄砲をより効率よく運用させる為に考え実行したことが似ていたからであった。
羽柴秀吉が、石垣修理を行った際には、幾つかの組に分けて行わせている。そのお陰で劇的に修理が進み、織田信長から誉めの言葉と褒美を貰ったとのことであった。
「何と! 奇妙な偶然というか何というか」
「藤吉郎(羽柴秀吉)殿、確かに」
「しかし、あの考えがまさか戦で生かせるとは。流石のわしも考えつかなかった、のう半兵衛」
「はっ」
半兵衛こと竹中重治は、織田家上洛の頃に織田信長から羽柴秀吉へと与力として付けられた元斎藤家家臣である。今となっては、羽柴秀吉の与力というより彼の直臣といった雰囲気であった。
ただその彼も、羽柴秀吉が石垣修理を行った頃は与力ではない。竹中重治が、与力となったあとで聞かされそして知った件である。彼も羽柴秀吉から聞いた後はその効率の良さから、なにかと使っていたのだ。
「ところで右少将(六角義頼)殿」
「何か?」
「貴公の考案したその運用方法だが、拙者も使っていいかのう」
「構いません。その代わりという訳ではないのですが、藤吉郎殿が清州で行ったというそのやり方を某も行いたいのですが構いませんか?」
「どうぞどうぞ。では、交換ということで」
「そうですな。交換ということに致しましょう」
そのような経緯のあと、義頼はすぐにでも丹羽長秀へ話を持ち掛ける。しかし彼も話を聞いた当初は難色を示したが、それでも義頼が勧めてくるので試しに行ってみたところ思いの外効率が良いことが分かる。そこで丹羽長秀も、最終的には導入を同意したのであった。
さて順調に安土城築城と観音寺城の改修を進めている織田家だが、しかしてその周りには武田家や越後上杉家、毛利家や阿波三好家などといった決して侮ることなど出来はしない相手が犇めいている。ゆえに油断はできないのだが、幸いなことにそのいずれの家とも今の織田家は干戈を交えていなかった。
しかしそれは、それぞれの家が抱える問題も絡みあってのことである。まず武田家だが、先の上洛戦において被った損害に対する後片付けがある。しかも、武田信玄が亡くなったことによって嫌でも生じた家督継承の件があったからだ。
次に越後上杉家であるが、こちらは越後上杉家の問題というより対立している北條家に原因がある。彼の家が上野国へと出張った為に今は矛先を西へ、即ち織田家へと向ける余裕がなかったのだ。
さらに毛利家であるが、こちらの家は数年前に亡くなった毛利元就の遺言を国是としている。その為、今以上には領土的な野心を打ち出してはいない。それゆえの平穏であった。
最期に阿波三好家だが、こちらはいささか深刻である。というのも、ついに家中の不和が本格化してしまったのだ。阿波三好家において筆頭家臣となる篠原長房と、彼の弟となる篠原自遁との対立に端を発していたこの不和である。その不和も、織田家と石山本願寺が天王寺で干戈を交えた頃には阿波三好家中の主導権争いも絡みあうようになっていた。
そのような事情も相まって、阿波三好家当主の三好長治を補佐してきた篠原長房も例外ではない。彼は、失脚にほぼ等しいまでの状態に陥ってしまう。しかし、粛清や暗殺を免れている辺りは流石といえた。
とはいうものの、嘗て誇った権勢などは見る影もなくなり、尾羽打ち枯らすといった状態にある。するとそのことに悲観したのかそれとも別の思惑でもあったのか、篠原長房は居城である上桜城に半ば隠棲してしまったのだ。
そんな状態を、今や政敵となってしまった彼の弟となる篠原自遁が見逃す筈もない。落ちた犬など棒で叩けとばかりにつけ込み、すかさず主君である三好長治に讒言を行っていたのだ。
しかもそれは篠原長房にしてみれば間が悪いことに、彼へ主君の三好長治が疑いの目を向けていた時分と重なってしまう。そもそも疑いの目を向けていただけに、三好長治は篠原自遁の讒言を信じてしまう。ついには、篠原長房を討つ覚悟まで決めたのだった。
三好長治は、篠原長房が出仕しなくなった頃から傍に置き始めた実の弟である十河存保を大将に任じて、追討の命を出そうとまでしている。だがここで、一人の男が篠原長房の運命を変えることとなった。
「殿! 右京進(篠原長房)殿は、決して謀反など起こす筈もありませぬ! 短慮など起こしになりませんよう、伏してお願い申し上げます!」
そう三好長治に意見をしているのは、赤沢宗伝であった。
彼は三好長治の命を受けて行った安宅信康追討の戦で勝利したばかりか、淡路国を阿波三好家へ取り戻す戦功を上げている。それに彼自身、三好長治の父親である三好実休の姪を妻に向かえている。そのような関係から、当主の三好長治といえども胡乱な扱いをする訳にはいかなかった。
「そうは言うが、宗伝。長房は、自らの城に籠っておる。それに自遁からも進言されておる以上、謀反を疑っても仕方がなかろうが」
「それが、そもそもの間違いなのです殿。こちらをご覧ください」
そういいつつ、赤沢宗伝は懐より書状を一通差し出す。三好長治は訝しげな顔をしながらも、書状を広げて目を通した。初めは胡散臭げに呼んでいたのだが、それも書状の後半部分に差し掛かった頃には顔色も蒼褪め、書状を持つ手も震えていた。
「……これは……真か!」
「無論にございます。拙者も、はじめは兄弟争いが原因と思っていました。しかし、それにしてはどうにもおかしい。そこで密かに調べましたところ……」
「は、母上が自遁と通じていたとそう言うのか! 宗伝!!」
「御意」
三好長治の母親だが、小少将という。初め彼女は三好実休の妻として、三好家に輿入れした。その小少将が、三好長治と十河存保を生んだ経緯については前述の通りである。しかしてその母親が、よりにもよって篠原自遁と通じていたなど、三好長治は夢にも思っていなかったのだ。
因みにこれは、十河存保も同じ思いである。彼も篠原長房と篠原自遁の諍いは、飽くまで兄弟のいさかいが主な原因だと考えていたのだ。
「こ、これが事実だというのならば自遁の進言も……いやそれよりも前からあった家中での不穏な話なども……」
「申し上げたくはございませんが、肥前守(篠原自遁)殿と小少将様の策謀でありましょう」
声は抑えられているが、それでもはっきりという赤沢宗伝の言葉に、立ち上がっていた三好長治は腰から崩れるように座り込んでしまう。主のその様子に思わず駆け寄った赤座宗伝であったが、当の三好長治から仕草で押し留められていた。
「大丈夫だ。と、取り敢えず宗伝。まずは、ことの真相を確かめたい。この一件は、俺自身の命で調べさせる。但し、密かにとなるが」
「はっ。して、右京進殿の居城である上桜城攻めについてですが、いかがなさいますか?」
「馬鹿なことを聞くな! このような状況で長房を攻めるなど、する訳はなかろうが!」
当然といえば当然の判断である。だがまだ若い三好長治であるから、事実を知っても一度決めたら強引にでも話を進めるかも知れないと警戒していた赤沢宗伝としては朗報と思える言葉であった。
だが万が一、赤沢宗伝が懸念した通り三好長治が強引に話を進めるつもりであったならば、彼はそれこそ命を賭しても諫めるつもりであった。しかし、そのような事態には陥らず済んだことに赤沢宗伝は胸を撫で下ろしていた。
「御英断にございます、殿」
「ふん。下がれ、宗伝」
「御意」
赤沢宗伝を下がらせた三好長治は、新開道善を呼び出す。彼と三好長治は義理の兄弟に当たり、新開道善の妻は三好実休の娘であったのだ。その彼を動かし、三好長治は念入りに、そして注意に注意を重ねた上で調べさせる。三好長治に命じられた新開道善も、内容が内容だけに慎重に慎重を重ねるように調べていった。
因みに、弟の十河存保へは知らせていない。もし彼へ知らせるとするならば、それは新開道善から報告があってからにしようと三好長治が考えていたからであった。
「殿。漸く調べが完了致しました」
時間を掛け、兎にも角にも公にならないようにと動いていた新開道善であったが、彼の調査も漸く終わりを迎える。すると彼は、間を開けずして三好長治へと報告していた。
「そうか……してどうであった」
「残念ながら、殿が申した通りにございました」
覚悟はしていたとはいえ、新開道善の言葉に三好長治は衝撃を覚えた。
まぁ、実の母親が重臣とはいえ家臣と情を通じ、それを諫めようとした篠原長房という当時では最も三好長治が信を置いていた重臣を罠にはめたという事実を知れば押して知るべしであった。
もし知らなかったのならば、このような思いはしなかったであろう。しかし神の悪戯か悪魔の奸計か、事実を知ってしまった以上は当主として動かざるを得なくなってしまった。
「それで殿、いかがなさいますか?」
「……母上には寺へ入って貰う」
体裁的には、父親の菩提を弔い落飾して貰うのだ。
とはいえ、父親が死亡してから既に十年以上の時がたっているので、今更の感がある。だが、当時であれば三好長治もそして十河存保も十才位の子供である。そのことを理由に小少将が髪を下ろさなかったとすれば、決して不可能ではないのだ。
かなり強引な論法なのは、間違いないのだが。
「それで、殿。肥前守殿につきましては?」
「密かに主君たる俺の母と情をかわしただけではなく、主を騙したのだ。無論、死罪と打ち首に決まっている。だが、出来れば母上の件は内々にしたい」
「となりますれば、ここは虚偽を進言して兄を討たせようとした旨を強調して切腹とさせれば宜しいかと」
「やはり、そうなるか……事実を覆い隠すとすれば、致し方ないな。存保にも、その線で話を付けるしかない。それと念を押しておくが、この一件は他言無用。よいな!」
「御意」
この後、三好長治は十河存保に仔細を話すと、彼も兄同様に衝撃を受けた。
だが、他ならぬ目の前の兄が拳を震わせながらも耐えている。その事実に、彼は少し落ち着きを取り戻した。
「しょ、承知しました。兄上……いや殿の思し召しに従います」
考えを合わせたあと、彼らは静かに動き始めた。
先ず母親となる小少将を密かに確保すると、有無を言わさずに山奥の古寺へ入れる。事実上の、閉門であった。そして篠原自遁に対しては、家中をいたずらに不安に貶めた旨と主君へ讒言した件を理由に蟄居閉門処分を命じたのである。いずれ、彼に対して三好長治は切腹を命じていた。
全ての件を片付けた三好長治は、赤沢宗伝を召し出すと自らの代理とする。そして、彼を上桜城へと派遣していた。赤沢宗伝の訪問を受けた篠原長房であったが、最初は城から出る事を拒否する。しかし、赤沢宗伝の説得もあり最後には、三好長治の居城となる勝瑞城へ赴く事に同意していた。
それから数日後、赤沢宗伝と共に上桜城を出立した篠原長房は、およそ数ヵ月ぶりに三好長治と謁見する。その場には三好長治の他に、十河存保と新開道善が同席していた。
「すまん。長房」
開口一番、挨拶もそこそこに三好長治は、篠原長房へと謝った。
この事は十河存保以外には知らされていなかった為、十河存保を除く者たちは揃って目を白黒とさせる。だが三好長治はそんな周りの状況など頓着せず、話を進めていた。
「こたびの件であるが、俺も調べた」
「……では、自遁や小少将様のことは」
「当然、知っておる。だからこそ母上を尼に、そして自遁は蟄居閉門とした。しかし、暫く時を空けたあと、自遁は切腹させる」
「そうですか……ありがとうございます、殿」
下手をすれば打ち首すらあり得る弟が、切腹を賜る。即ち武士として死ねるということであり、弟の最低の矜持は守られることに他ならない。篠原長房の礼は、その旨に対してのものであった。
「そこでだ。長房には、再度出仕を命じる」
「……いえ、殿。拙者は隠居致します」
『何!?』
篠原長房の口から唐突に出た隠居という言葉に、彼を除く全員の言葉が揃う。そのことに微苦笑を篠原長房は浮かべたが、すぐに表情を戻すと言葉を続けた。
「こたびの件で、拙者に不満を持つ者が家中に多い旨を痛感致しました。このままでは、いずれ家を割りかねません。そこで今後は、相談役として殿をお支えしていきたいと存じます」
昨今の阿波三好家の情勢を考えれば、今まで政戦の両方で家を支え続けた篠原長房の抜ける穴は大きい。できるならば避けたかったので、三好長治は彼を再び出仕させようとしたのである。だが、篠原長房の言葉も理解できる。もし、彼に友好的な者が多いのであれば、赤沢宗伝のような家臣が多数出てくる筈である。だが実際には赤沢宗伝ぐらいしかおらず、結果として篠原長房は命を落としかねたのだ。
しかし相談役となれば、話が変わってくる。要は御伽衆として実権のない形であれば、敵をあまり作るとは思えない。その上、傍に仕えているという点では変わりがない。篠原長房という重臣が抜けた穴をある程度は小さくするには、都合がいいといえるかも知れなかった。
何より篠原長房が隠居し、そして兄を嵌めようとした篠原自遁が切腹となればどちらに対しても戒めたかのように家中からは見える。こたびの件を端として家中に広がった不安を押さえる答えとしては、悪い話ではなかった。
「……分かった。長房の隠居を認める。その方が家督を譲る息子の長重だが、代わりに俺の傍へ仕えて貰う」
篠原長房の息子である篠原長重は、新開道善と同じく三好実休の娘を妻としている義理の兄弟に当たる。その意味でも、三好長治の傍にあるのは問題なかった。
「長重も喜びましょう。殿、息子ともども宜しくお願いします」
「うむ」
ここに漸く、阿波三好家のお家騒動は一応の終結を見る。それは、織田家と石山本願寺が本格的にぶつかった【天王寺の戦い】が終わった翌月の話であった。
ご一読いただき、ありがとうございました。




