第百二十二話~弓対銃~
第百二十二話~弓対銃~
塙直政敗れるの報は、すぐに織田信長へと届けられた。
同時に天王寺砦より、救援要請も岐阜へ届く。 ほぼ同時に届いた二つの書状を握りしめた信長は、怒りをあらわにしつつも側近の堀秀政へと命じた。
「出陣する!」
「はっ」
「それから、長光寺城に居る義頼にも出陣の用意をしろと伝えよ!!」
「御意!」
秀政は出陣の手筈を整える一方で、義頼には黒母衣衆の平井九右衛門を派遣した。
彼は弓の名手であり、信長が三河国の梅ヶ坪城を攻めた際はその腕を持って敵味方より賞された男である。 そういった経緯からか、自分より年下だが同じく弓の名手である義頼とは近しい関係を持っていたのだ。
信長からの使者として長光寺城を訪れた九右衛門に、義頼は上座を譲る。 そして下座に移動すると、彼は平伏した。
「殿よりの命にございます。 「六角右近衛少将義頼、即座に出陣の用意を整えよ」」
「御意」
最も出陣の用意は、既に整っていた。
元々何時出陣がかかって良い体勢であったし、何より畿内での戦の報せは義頼にも届いている。 この様な情勢下で、出陣の準備を怠る訳が無かったのだ。
九右衛門は口上を述べると上座から下座へ、義頼は下座から上座へと両者は入れ替わる。 上座に腰を降ろした義頼は、久右衛門にこれからの動向を尋ねた。
「貴殿は、岐阜に戻られるのか?」
「いえ。 殿からは、此方で待てと言われております。 態々岐阜に戻って来るなど、時間の無駄だとおっしゃられまして」
義頼は兵を率いて大坂へと向かう信長に、長光寺城下で合流する手筈となっている。 ならば信長の言う通り、岐阜に戻るより長光寺城で待っていた方が合理的だし万が一にもすれ違う事も無い。
それに九右衛門に任せる弓衆にしても、合流する時点で長光寺城で一泊するのは間違いない。 そこで再編して、彼に兵を任せれば済む話だった。
「殿らしいですな」
「確かに」
義頼と久右衛門は、一しきり笑いあったのであった。
それから数日も経ずして信長は、岐阜を出立した。
時間も無く多数は集められなかったが、義頼の軍勢が居るので問題ないと判断したのである。 岐阜へ残した秀政に、「遅れて来た者は順次畿内へ向かわせろ」と命じた信長は、佐和山城にて一泊する。 翌日早朝には出立し、長光寺城下へと到着した。
そこは義頼が長光寺城主時代に居館を置いた場所であり、元々は西宿城という城跡である。 嘗て義頼は、当時廃城となっていた西宿城を改修して居館としていたのだ。 古いとはいえ、元は城である。 軍勢が駐留するには、丁度良かった。
「殿、お待ちしておりました」
「うむ。 軍勢は整っているな」
「はい。 今すぐにでも出陣出来ますが」
「出立は明日の早朝だ、途中の瀬田で一泊した後に若江城に向かうぞ」
「御意」
その後、瀬田城で一泊すると若江城に入った。 そこで城主の三好義継に迎えられた信長は、若江城で三日だけ待つ。 その間に若江城には、信長の後を追って滝川一益、蜂屋頼隆、安藤守就、稲葉一鉄、氏家卜全が到着。 また畠山昭高も、居城の高屋城から兵を率いて若江城へと到着した。
すると信長は、守就と頼隆に木津砦方面の守備を命じる。 それから義継と昭高の兵も加えると、石山本願寺勢に囲まれている天王寺砦救出へと向かう事にした。
「先鋒は義頼と一益だ」
『はっ』
「第二陣として義継、昭高、一鉄、卜全が仕掛けよ」
『御意』
信長より先陣を任された義頼と一益だが、彼らは二手に分ける。 兵数が多い義頼が本隊となり、兵数の少ない一益が別動隊となった。
すると義頼は、正面から堂々と進軍する。 そして一益の別動隊であるが、義頼の軍勢と石山本願寺勢がぶつかる戦場を迂回する様に行軍した。
さて義頼の軍勢が堂々と進軍したのは彼らが主力であるという事もあるが、それより何より一益の軍勢を隠蔽する囮としての意味合いがある。 要は、敵の目を引き付けるのだ。
その様な事とは露知らず、石山本願寺勢を率いる下間頼照は、門徒を二つに分ける。 一隊は息子の下間仲孝に任せて、天王寺砦から織田勢が打って出て来ない様に牽制させる。 そして自らは、残りの門徒や雑賀衆を率いて義頼の先鋒と対峙した。
それから束の間、静かに時が流れる。 やがてほぼ同時に、両軍勢はぶつかった。
石山本願寺勢には雑賀衆が居る様に、義頼の軍勢にも鉄砲衆は居る。 その鉄砲衆の技量という意味では、恐らく雑賀衆の方が上である。 しかし義頼は、その不利を弓衆で補っていた。
またそればかりではなく、彼は鉄砲衆の運用も変えていた。
始め号令に合わせて一斉に火縄銃を放っていたのだが、思ったより火縄銃を撃つ間隔が短くならない。 そこで杉谷善住坊や城戸弥左衛門らと話し合い試行錯誤した結果、鉄砲衆を幾つかの組みに分ける事にしたのである。 そこで各組ごとに、最も撃ち易い時機を見計らって火縄銃を撃つ様にしたのだ。
すると、一回に放つ銃弾は少ないが相対する敵には、連射に近い状態で銃撃する事が可能となったのである。 この様に義頼は、弓と運用を変えた火縄銃を併用する事で殆ど間断なく矢玉を敵勢に浴びせる事を可能としたのであった。
幾ら弓と火縄銃を併用しているとはいえ、この射撃は尋常ではない。 火縄銃こそ味方の雑賀衆の方が上と思えるが、それでも隔絶しているとまでは言いきれそうにない。 その上、まるで火縄銃の射撃の間を埋めるかの様に矢が降り注いでいる。 射撃という観点だけで言えば、織田家先鋒の義頼の軍勢は石山本願寺勢の雑賀衆を上回っていた。
「な、何だ! この尋常ではない射撃の密度は!」
今までに感じた事のない濃密とも言える状況に、雑賀衆を味方とした事で射撃に慣れていた頼照も思わずうろたえてしまう。 そんな彼の元に、更なる報せが届けられた。
「筑後法橋(下間頼照)様、敵襲にございます!」
「分かっておるわ! 今、対峙しているではないか!!」
「そうではありません! 横撃を喰らったのです!」
「な、何だとっ!!」
戦場を迂回した一益は、石山本願寺勢の中程と頼照の居る敵本陣との中間辺りに出る。 少しの間戦場を眺めたかと思うと、彼は腕を振りあげそして振り下ろした。
「突撃ー! 敵勢の横腹を付き抜け、分断するぞっ!」
『応っ!!』
義頼と一益の目的は、飽くまで敵勢の混乱にある。 敵大将への攻撃は、第二陣の義継達に任せる事にしていたのだ。
この一益の攻撃だが、予期せぬ横撃だったらしく石山本願寺勢には動揺が広がっていく。 この後はそのまま駆け抜け、更に敵の混乱を助長するだけである。 その間に義頼の主力も、そして義継達の第二陣も石山本願寺勢と肉薄出来るのだ。
そうなれば、天王寺砦に籠る織田勢も打って出る可能性が高い。 天王寺砦に対する牽制の役目を持った石山本願寺勢も存在してはいるが、味方が劣勢となればそれほど問題はないと義頼もそして参謀の沼田祐光と三雲賢持は判断していた。
「上手く行きそうだ。 のう、一豊」
「そう、ですな」
義頼の軍勢の先鋒を担っていた重虎は、近くで槍を振るっている山内一豊へ声を掛けた。
「流石は殿だ」
「しかり」
「さて、我らの役目は敵の混乱。 このまま、押し続ける!」
「はっ」
この戦場の情勢は、天王寺砦に籠る塙直政達からも見て取れた。
そして旗印を見れば、味方の援軍である事は分かる。 すると直政は、少しの間考えてから砦から打って出ると決断した。
「備中守(塙直政)殿! 本気か!?」
「無論だ、駿河守(佐久間信栄)殿。 今こそ、援軍と共に本願寺勢を蹴散らすのだ!」
最も直政は、内心で「主税助(岩成友通)殿の仇を討つ為にも!」とも続けていたのだが彼もそこまでは言葉にはしていない。 そんな内心を知ってか知らずか、直政に賛同した者が居た。
「……良いだろう、打って出ようではないか」
「父上!」
「このまま籠っていてもどうにもならん。 ならばこの好機を、無駄にする必要はない」
「いや、それはそうかも知れませんが……」
「あははは。 それは面白い、やりましょう半羽介(佐久間信盛)殿」
「乗るか、藤吉郎(羽柴秀吉)!」
「無論っ!!」
一応天王寺砦に籠る彼らの大将は、未だに直政である。 その直政と信盛、そして秀吉が賛成した事で彼らの行動は決まったと言ってよかった。
「では、参りましょうか各々方」
『応っ!!』
「お、応!」
明智光秀の言葉に、直政と信盛と秀吉が同意の声を上げる。 そして一瞬遅れて信栄が賛同すると、彼らは打って出るべく部屋から出ていった。
押されていると思える状況に、下間仲孝は父親の援軍に行くかそれとも撤退するかの決断に迫られていた。 しかしてその時、天王寺砦の門が開かれる。 その直後、天王寺砦の織田勢が一斉に打って出て来た。
「なっ! しまった!」
戦場が気になり、天王寺砦の織田勢に対する注意がそれて居た事に後悔する。 そして彼は、一瞬迷った後で石山本願寺まで撤収する事を決断した。
「引けっ! 本願寺まで!!」
「しかし筑後法橋様が!」
「父上なら、きっと脱出してくれる。 大丈夫だ!」
仲孝の言葉は、同時に自分へ言い聞かせる様でもあった。 それから仲考の方を見ると、まるで振り切るかの様に視線を切った。
此処に天王寺砦と対峙していた仲孝の軍勢は、急ぎ石山本願寺へと撤収したのである。
この戦況に、雑賀衆を率いていた鈴木重秀は顔を顰めていた。
「どうした孫一(鈴木重秀)」
「聞くまでもないだろう源左衛門(佐武義昌)」
「まぁ、な」
雑賀衆の副将を務めている義昌の目から見ても、間違いなく味方が押されている。 更に遠目にだが、敵の第二陣とも言うべき軍勢も頼照の本陣を目指していると思われた。 掲げる旗印からその軍勢の構成が三好家や畠山家、それから稲葉家や氏家家なのは間違いなかった。
「恐らくあれは、織田勢の第二陣だろうな」
「ああ。 それで孫一、どうする」
「あ奴らが到着する前に、敵先鋒を混乱させる」
「どうやってだ?」
「我らは雑賀鉄砲衆! なれば、こうするのみよ!」
そう言うと重秀は、愛銃の愛山護法を構えたのであった。
全体的には押し気味なところにきて天王寺砦に籠っていた織田勢が出陣し、更には義継率いる軍勢が敵本陣目掛けて突撃している。 この状況に、義頼はほくそ笑んだ。
「これなら勝ちは間もなくか……いや、油断は不味いな。 戦場では何が起きる……っく!」
「か分からない」と独白を続けようとしたその時、義頼の背中に何か冷たい物が走り抜ける。 すると義頼は、己の勘に従い愛馬の疾風から転げ落ちる様に降りた。
その次の瞬間、彼の居た場所を何かが貫く。 幸い馬を狙った物ではなかったので疾風には当たらなかったが、果たしてそれは重秀の放った銃弾であった。
何とこの乱戦の中で、義頼を狙撃したのである。 重秀の思惑としては誰かは分からぬが先鋒大将を撃ち、出来れば討つ事で織田勢の混乱を狙ったのだ。
「やってくれたな! 雑賀衆!!」
かろうじて虎口から逃れた義頼だったが、矢が切り裂く音とは全く違う音に己が狙撃されたと確信する。 流れ弾とも考えられなくもない状況なのだが、何故か彼は狙撃されたと確信していた。
「殿!」
「ご無事ですか!!」
慌てて祐光や賢持、それから藤堂高虎達馬廻り衆や柳生宗厳達藍母衣、そして蒲生頼秀などが駆け寄る。 しかし義頼はそんな彼らに頓着せず、流れる様な動作で愛弓の雷上動を構えた。
そんな彼の様子に、頼秀達はそれ以上声を掛けるのが憚った。
「喰らえ!」
一種の緊張感の様な物が漂う中、数瞬だけ戦場を見回した義頼はやがてある方向へ狙いを定めると次々に矢を放つ。 彼から都合三本連射された矢は狙撃をした者、即ち重秀へと襲いかかった。
義頼の放った最初の矢は、何となく感じた手応えの無さに続けて銃撃を行おうとしていた重秀の火縄銃に当たる。 まさか矢が飛んで来るとは思ってもみなかっただけに彼は驚き、不覚にも引き金を引いてしまった。
だが、それだけでは終わらない。 義頼の放った二本目の矢は重秀の鎧の隙間に当たる。 その矢は、彼の鎖骨の下辺りに突き刺さったのだ。
「……グハッ!」
「孫一!!」
しかしてそこに、三本目の矢が到来した。
「ガッ!!」
偶然かそれとも狙ったのかは分からないが、放たれた最後の一矢は彼の眉間に刺さる。 重秀は頭に雑賀鉢兜を被っていたのだが、義頼の矢はそれすらも貫いたのだ。
「孫一! 孫一ー!!」
重秀の肩を揺するが、反応を返さない。 彼は間違いなく、絶命していた。 重秀が亡くなった事を確認した義昌は、思わず流れていた涙を拭う。 それから脇差を抜くと、重秀の首を取った。
「お前の遺体は持っていけぬ。 だが、織田に首は渡さん!」
その後、重秀の首と彼の愛銃を持つと、義昌は雑賀衆に撤退を命じた。
「撤収! 石山本願寺まで、引けー!!」
義昌は、死亡した重秀の副将としてこの戦場に居た。 その彼が撤収を命じている以上、雑賀衆に否など無い。 こうして雑賀衆もまた、仲孝に続いて本願寺へ引いたのである。
そんな雑賀衆の様子をじっと見ていた義頼だったが、やがて口角を上げつつも静かに、だがたった一言だけ漏らしていた。
「手応え、あり!」
雑賀孫一の一人と目される鈴木重秀、涅槃へと旅立ちました。
ご一読いただき、ありがとうございました。




