第百二十一話~諭し~
第百二十一話~諭し~
生まれた長女との会合という用件を済ませた義頼が近江国に戻って程なくした頃、家臣である本多正信と沼田祐光と三雲賢持の三人が訪れてきた。
六角家重臣でもある三人が揃って訪問してきたことに義頼は眉を顰める。しかし会わないという選択もなく、三人を迎え入れていた。
「……して、どうしたと言うのだ。三人が雁首揃えているばかりでなく、難しい顔までをしおって」
義頼が漏らした通り、三人は揃いも揃って難しい顔をしていた。
彼らは参謀であり、いわば義頼の軍師である。そんな三人が、揃いも揃って難しい表情をしながら義頼の前に座っているのだから、気にならない筈もなかった。しかし彼らは、中々に口を開こうとしない。このままでは埒が明かないと義頼は、一つ息を吐くと本多正信へと水を向けていた。
「何か言いたいことがあるのだろう。正信」
「……はっ。実は、厄介な事態が発生致しました」
「厄介な事態だと? 何だそれは」
「はい。その……石山本願寺と越後上杉家が和解致しました」
「な、何っ! それは真の話であるか!!」
『御意』
三人が揃って返事をする中、驚愕の表情を浮かべている。しかし、義頼が驚くのも無理は無かった。
織田家と越後上杉家は、同盟関係と言っていい間柄である。その越後上杉家が織田家と対立している石山本願寺と和解したということは、即ち織田家と越後上杉家で結ばれていた同盟関係が解消されたということに他ならないのだ。
「そうか……上杉があの本願寺と和解か。となれば、本願寺は動くか?」
「恐らくは」
「また、面倒なことだな」
「はっ。それと今一つ。中国の毛利家、甲斐の武田家、阿波三好家、雑賀衆なども動いているとの報告が」
本多正信に続いて三雲賢持から齎された言葉に、義頼は目を丸くする。同時に彼は、よく似た状況を思い出した。それというのも義頼は、既に二度程この状況にとてもよく似た事態を経験しているからだった。
「ちょ、ちょっと待て祐光! 今の情勢、後ろに居るのはまさか!!」
「ご推察の通りかと。殿の命によって彼のお方へと付けた者たちからも、各地域へ使者が出たとの報告が上がっています」
そう。
今現在の状況は、嘗て足利義昭が御内書を使い構築した織田家包囲網とそっくりなのである。「二度あることは三度ある」ではないが、こうして三度訪れた織田家を取り巻く状況に義頼は驚きと幾許かの感嘆を滲ませていた。
「そうか、公方(足利義昭)様か。執念というか何と言うか……」
『確かに』
義頼の漏らした言葉に、思わずといった感じて三人は同調した。
「今さら愚痴を漏らしても始まらぬ、何はともあれ報告だ。祐光と賢持は、殿(織田信長)へと奏上する報告を作成せよ」
『はっ』
「正信は、引き続いて情報を集めよ!」
「御意」
間もなく三人が部屋から出ていくと、義頼は瞑目する。それから暫くのち、彼は立ち上がると庭へと通じる障子を明けた。そこには秋の気配を感じさせる草花が、咲き始めている。そんな草花を少し眺めながら、義頼は独白した。
「今度は越後の龍とまで謡われた上杉謙信か、それとも中国の雄たる毛利家が誇る吉川と小早川の両川か? もしくは、武田の虎の後継者か。どの相手にせよ、一筋縄ではいかぬ……か」
明けて翌日、義頼は丹羽長秀の元へ向かい齎された報告を告げる。そして情報が纏まり次第、自らが岐阜の織田信長へ知らせる旨を伝えた。
「……そうであるな。事がことだ。右少将(六角義頼)殿が知らせた方が良かろう」
「そのつもりです。それから某の代りにですが、義定を残していきます。何かあった場合は、あ奴に話して下さい」
「中務大輔(大原義定)殿か。承知した」
それから数日もたたない内に、沼田祐光と三雲賢持の手により纏められた情報が報告として上がって来た。すると義頼は改めて丹羽長秀と大原義定に会って、明日には出立する旨を両名に伝える。その翌日、愛馬の疾風に乗ると護衛の藍母衣衆と共に六角館を出立した。
途中に休憩を挟みつつも街道を進んだ義頼の一行は、その日の夕刻前に岐阜城下にある六角屋敷へと到着する。そこで疾風を預け身嗜みを整えると、即座に織田信長の館へと向かった。
訪問に関しては事前に連絡していたこともあり、義頼はすぐに主との面会が叶う。まず挨拶を済ませると、早速報告書を提出した。
義頼から提出された報告書を手に取った織田信長は、書の隅々にまで目を通す。やがてゆっくりと顔を上げると、鋭い視線を向けながら義頼へと尋ねていた。
「……これに書かれていること、嘘偽りはないのだな?」
「無論にございます」
「そうか。しかし、公方も懲りぬことよ。とはいえ、放置も出来ぬ。取り敢えず義頼、越前の長政と淀城の直政に連絡しておけ。それと信盛に和泉の光秀と秀吉、あと河内の義継と……確か昭高が動けるようになったのであったな、あ奴らにも本願寺が動く可能性が高い故に兵を集めておけと伝えろ」
「承知致しました」
去年の末に起きた咲岩(三好康長)との戦で重症を負った畠山昭高であったが、彼は何とか命を取り留めていた。彼とのことは、足利義昭がまだ近江国に居た頃からの知り合いであった間柄でもある。そこで義頼は、彼の治療を曲直瀬道三に頼んだのである。曲直瀬道三もこの依頼に答えて、畠山昭高の治療を行ったのだ。
そのお陰で彼は一命をとりとめたという訳であるが、怪我はことの他重く完治とまではいかなかったのである。何せ怪我の影響で、畠山昭高の右足があまり動かなくなってしまったぐらいである。だがそれでも歩けはするし、戦場にも出られる。命の危険すらあり得た状態にまで陥った事を考えれば、奇跡的な回復であった。
「それと、その方も近江衆と大和衆と丹波衆に招集を掛けておけ」
「はっ。して、五郎左(丹羽長秀)殿はいかがなさいますか?」
「長秀には、そのまま安土城建築の総指揮だと伝えればよい」
「御意」
織田信長の館を辞した義頼は、同行していた伊賀衆と甲賀衆を信長が上げた各将に対して派遣した。そして本人はというと、翌日には岐阜を発ち近江国へと入ったのである。観音寺城下の六角館に戻ってきた義頼は、丹羽長秀や自らの家臣を集める。また彼らとは別に、蒲生賢秀や蒲生頼秀の親子や目賀田貞政を呼び寄せていた。
また彼らが揃うまでの間に義頼は、旅塵にまみれた着物を着替えている。程なくして全員が揃うと、義頼は彼らの待つ部屋へと入室した。
「右少将殿、早速だが殿は何と?」
「殿は、畿内の諸将及び越前の備前守(浅井長政)殿に警告を発しました。また畿内の将、及び某には兵の招集を命じております」
「拙者には?」
「五郎左殿には、安土城建築に励む様にとの命にございます。それから某の代理として、義定がその任に当たります」
「そうであるか。相分かった、殿の御指示は承った。とはいうものの、拙者も若狭衆には声を掛けておこう。いつでも動けるようにと」
若狭国は間に越前国を挟むが、殆ど一向宗の国と言っていい加賀国が近い。また、海路を使えば直接向かうこともできる。その地理的条件を考えれば、若狭国主である丹羽長秀が警戒するのも当然だった。
「そうですな。事の次第によっては、某や五郎左殿にも声が掛かるかもしれません。正信たちは、どう思う?」
「……恐らくはその通りになるかと思います。丹羽様の軍勢の出番がなければ、それがよいと大殿(織田信長)はお考えではないかと」
義頼が自らの参謀らに声を掛けると、参謀筆頭格の本多正信が答える。その脇では、沼田祐光と三雲賢持もまた頷いて彼の意見を肯定していた。
「確かに。拙者が安土城築城の指揮より離れずに済む、というのが一番理想だな」
「はい。では五郎左殿、某は兵を集めます」
「うむ。拙者は、粛々と城作りに邁進する。無論、若狭衆を動かせる手筈も整えておく」
義頼は丹羽長秀の言葉に頷くと、視線を大原義定らへと向けた。
「聞いての通りだ。俺は、長光寺城に移動して兵を集結させる。安土城築城の普請奉行の代理だが、義定がやれ」
「はっ」
「それと、貞政は義定の補佐をせよ。また観音寺城に関しては、賢秀と道意に任せる。それから頼秀、その方は俺と共に来い」
『御意!』
義頼が長光寺城に移動して兵を集める理由は、至極簡単である。観音寺城が改修中の為、集合地点としては適さないと考えたからだ。間もなく長光寺城へ移動してそこを拠点とした義頼は、即座に近江衆と大和衆と丹波衆を集める。しかしそのさなか、彼の元に更なる報告が届けられた。
「加賀で、侵攻の動きがあります。狙いは越前かと」
「越前か……」
「はっ。また大坂の石山本願寺ですが、こちらも動く可能性が非常に高いかと」
「もう動くというのか。去年の末近くまで、本願寺は兵糧攻めにされていたというのにか……そうか、毛利か」
義頼が見当をつけると、報告を持って来た本多正信が頷いた。
彼が指摘した通り、石山本願寺は毛利から多大な援助を得て急速に力を盛り返している。だからこそ顕如は、再度織田家に戦いを挑む決断をしたのだ。
「はい。やはり和泉灘(大阪湾の古称)を織田側が押さえねば、石山本願寺を締め上げるのは難しいと考えます」
「……そうかも知れんな。兎も角、殿へ知らせる。正信、急ぎ使者を出せ」
「はっ」
その後、本多正信の命を受けた多羅尾光俊が、書状に纏められた報告を持って岐阜へと向かう。やがて到着した多羅尾光俊が織田信長と面会して、書状を渡す。やがて書状を読み終えると、塙直政に明智光秀、並びに佐久間信盛と羽柴秀吉へ出陣を命じた。
既に軍勢を整えていた明智光秀と羽柴秀吉は、援軍として淀城へ向かう。また栗太郡より出陣した佐久間信盛と息子の佐久間信栄もまた、天王寺砦へと入っていた。
その一方で淀城にて塙直政と合流した明智光秀と羽柴秀吉の両名は、すぐに出陣した。時を置かずして、天王寺砦に入っていた佐久間信盛の息子である佐久間信栄を天王寺砦に残して出陣する。彼らは本願寺の木津砦近くにて合流すると砦を取り囲んだ。
そんな織田勢の動きに対し顕如は、即座に出陣させる。彼が狙いをつけたのは、織田勢大将の塙直政であった。
「狙いは敵大将が命、門徒たちよ進めぃ!」
下間頼照と息子の下間仲孝に率いられた石山本願寺勢、約一万余の兵が石山間本願寺より打って出る。彼らは一丸となって、木津砦を包囲する織田勢へと攻め寄せていた。
「備中守(塙直政)様! 本願寺勢が打って出てきました!!」
「何っ! ちっ、急ぎ迎撃しろ!!」
「はっ」
機先を制された塙直政であったが、彼は即座に迎撃を命じている。しかし、本願寺勢の勢いは凄まじいものがある。彼らは雑賀衆の鉄砲隊に銃撃させて織田勢をひるませると、そこに付け入る様に一斉に突撃させた。
兵の数としては五分か若干多いぐらいの織田勢だったが、結果として局地的に兵数を逆転されてしまった為に兵を分断されてしまう。そこに再び雑賀衆の鉄砲から襲われたことで混乱が生じ、織田勢の指揮系統までもが分断されてしまった。
しかし彼らとて、幾多の戦を経験した猛者である。指揮系統が分断されたと分かると、偶々近くに居た明智光秀と羽柴秀吉と佐久間信盛の三人は即座に纏まり天王寺砦へと撤退に入った。
殿は「引き佐久間」の異名を持つ佐久間信盛が務め、明智光秀と羽柴秀吉が兵を指揮して撤退に入る。途中で幾許かの兵が脱落したが、軍勢自体を崩壊させる事なく三人は天王寺砦に逃げおうせていた。
そして塙直政はというと、彼は引いた三人とは異なり逆に敵へ突撃を行おうとしていた。
「なりませぬ。備中守殿!」
「止めるな、主税助(岩成友通)殿! このような無様な姿、どうして殿にお見せ出来ようか!!」
塙直政がそう言った直後、岩成友通の怒声が当たりに響いた。
「戯けっ! 大将たる者が、何をほざくか!! 勝ち負けは兵家の常ぞ。そして負けた時にどのような進退を見せるかこそ、将の真価が問われるのだ!」
「ち、主税助殿……」
「良いか! 将たる者、勝ちを拾うもさることだが、何より一人でも多く兵を生きて帰らせることを考えよ!!」
「…………」
「分かったのか! 備中守!!」
再度、岩成友通から出た怒声に気圧されたのか、塙直政は頻りに頷く。そんな彼を見て一つ頷くと、岩成友通は振り返った。
「ど、どこに行く」
「知れたことよ。軍勢が引く為には、殿が必要なのはいうまでもなかろう」
「ま、まさかそなたが!」
「当たり前だ。大将たるそなたが引かなければ、速やかに軍勢全てを引かせるなど到底かなわぬ。ならば拙者が残るのが、至極妥当というものだ」
ここから挽回させるなどまず不可能な状況に置いて、大将を引かせるとなれば誰かが残らねばならない。ましてや大将を討たれては、敵に勢いを付けさせる事にも繋がってしまう。負け戦が濃厚な状況である以上、それだけは何としても避けなければならなかった。
「……主税助殿……」
何とも申し訳ないといった表情をしている塙直政に、岩成友通は小さく笑みを浮かべた。
「そうですな……もし拙者に申し訳ないとお思いならば、まだ幼い息子をお願いしたい。無論、我が子に会う為にも死ぬ気などないがな」
実は岩成友通、織田家に降伏したあとに子を一人もうけていた。
老いて、という程ではないが、それでも相応に歳を重ねていた岩成友通に出来た初めての嫡子である。彼はそんな息子を、溺愛と言っていいぐらいに可愛がっていたのだ。
「分かり申した! もしもの場合には、必ずや御子息をお守り致す」
「お願い致す、備中守殿」
岩成友通は透明といっていいぐらいの笑みを浮かべると、一つ頭を下げる。そして踵を返すと、近隣に居た者達に声を掛けながら歩んでいく。そんな岩成友通の背に対して塙直政は一つ頭を下げると、彼もまた踵を返した。
「撤収する! 駿河守(佐久間信栄)殿のいる天王寺砦まで疾く駆け抜けよ!」
こうして岩成友通に諭された塙直政は撤退中に怪我を負ったが、一族の者達の命を掛けた懸命な働きもあり致命傷を受けることなく天王寺砦まで撤収したのであった。
そして少数の兵と共に殿として残った岩成友通はというと、彼は八面六臂の働きをしている。それを証明するかのように彼の鎧には幾つもの傷が付いていたが、まるでそんな物など存在しないかのように一向宗門徒を血祭りに上げていた。
だが如何せん、多勢に無勢である。ついに岩成友通は、門徒衆によって致命傷を与えられてしまった。
「び、備中守殿。我が息子、お頼み申しましたぞ……うぐっ!!」
動きの止まった岩成友通に、幾人もの門徒衆が攻撃を仕掛ける。ここに彼は絶命したが、それまでの間に殿として率いた味方の兵の数倍に及ぶ一向宗門徒を道連れにした壮絶な最期であった。
義昭の誘いに乗らなかった友通でしたが……
ご一読いただき、ありがとうございました。




