第百十九話~蘭奢待切り取り~
感想でご指摘がありましたので、活動報告に百十九話までの義頼の領地関連を載せています。
ご一読いただき、ありがとうございました。
第百十九話~蘭奢待切り取り~
織田信長からの命を受けて丹波国へと戻った義頼は、沼田祐光や馬廻衆に藍母衣衆を率いて宇津頼重の居城である宇津城を訪れる。すると一行は、その城下にある宇津家の館で義頼達は出迎えられた。
彼らは織田信長からの使者でもあるので、宇津頼重としても疎かには出来ない。一まず館内の部屋に通したのち、義頼と馬廻衆所属の田原武久、並びに藍母衣衆から沼田光友は客間へと通される。客間の上座へと通された義頼は、そこで織田信長からの書状を渡した。
書状を受け取った宇津頼重は、つぶさに目を通す。最後まで読み終えると、視線を義頼へと向けていた。
「山国荘との交換……にございますか」
「うむ」
義頼からの短い返事を聞いた宇津頼重は、そこで思案を巡らせた。
山国荘を手放すのは、正直に言えば惜しいのである。しかし織田家の旗下となっている現状で、織田家当主たる織田信長が表だって出てきた以上これまでのような対応をしていては悪手であることもまた理解できる。何より下手に逆らえば、問答無用で鏖殺されかねない。それは、火を見るより明らかであった。
「……左衛門佐(六角義頼)様、承知致しました。弾正大弼(織田信長)様の命に従いましょう」
「おおっ! そうか!!」
「はっ」
宇津頼重は暫く考えた上で、織田信長の命を受け入れる判断をした。
交換される土地の近隣にある森家と佐々家、そして不破家が煩わしいと言えば煩わしいといえる。だが、織田家公認の交換である以上は、自身が一方的に損をする訳ではない。それならば、了承しておく方がましというものだからだ。
ここに六角家と宇津家の土地交換は成立し、一度は山国荘が義頼の領地となる。部屋を辞した義頼は、即座に書状を主君へと出した。やがて届いた書状に目を通した織田信長は、義頼へ返書を認めると数百の兵を引き連れて岐阜を出立する。途中の大垣城と観音寺城下の六角館、さらには佐久間信盛の居城で宿泊をする。その後、京に入ると、相国寺に向かいそこで宿泊した。
その相国寺には、宇津頼重の元から京へ戻っていた義頼の他に松井友閑や蒲生定秀などといった蘭奢待切り取りの交渉を行っていた者たちが揃っている。そして、彼らだけではない。六角承禎もまた、相国寺を訪れていた。
「さて……まずは兵部卿(六角承禎)殿、力を貸していただき感謝する」
「何の弾正大弼殿。弟の頼みを聞いただけのことにございますれば、お気になされぬように」
「で、あるか」
そういうと織田信長は、義頼らへ視線を向けていた。
「その方らも認識していることであるが、山国荘を朝廷へとお返しする。さすれば、蘭奢待切り取りに関して許しも出よう」
『はっ』
「なお、今回の蘭奢待の件でだが、事態が遅延したことに対する責任等の追及は行わぬ」
『御意!』
この言葉に、六角承禎を除く者たちは一様に安堵していた。
そんな彼らを一瞥した織田信長は、踵を返して部屋から退出する。その後、相国寺を出ると、義頼と六角承禎を伴って御所へと赴く。そこで織田信長は、山国荘を献上する旨を伝えたのであった。
織田信長から出たまさかの申し出に、朝廷も喜びをあらわにする。宇津頼重による山国荘の横領は、長きに渡って朝廷の懸念だったのである。その山国荘が禁裏御料として復活するのだから、彼らの喜びも当然と言えた。
その後、御所を辞した織田信長の一行は相国寺へと戻る。全員が寺に入ると間もなく、義頼は織田信長の元を訪れていた。それは、上洛の一行に建部隆勝が加わっていたからである。彼は、織田信長が観音寺城下にある六角館に宿泊した際に呼び出され、そして命により急遽一行に加わった人物であった。
「隆勝が同行している理由は、他でもない蘭奢待の件に関してよ」
「蘭奢待ですか?」
「そうだ。義頼、そなた隆勝は香道家としてかなりの者だと以前に申していたな」
「はい。私見ではございますが、某など足元にも及ばない当代一だと思っております」
「そう、それが理由だ。当代一かは兎も角、名は知られておるのだろう? そのような男が蘭奢待切り取りに関わっているとなれば、さらに箔が付くという物だ」
つまり織田信長は、香道家としても名が知られている建部隆勝の名声をもこの蘭奢待切り取りに利用しようと考えたのだ。そして命じられた建部隆勝としても、蘭奢待という至宝をこの目で見、また聞ける好機を棒に振るなど到底出来る訳がない。だからこそ彼は、一も二もなく織田信長の命に従い同行したのだ。
そして義頼も、師の志野省巴より香道を伝えられた者である。織田信長に同道した建部隆勝の気持ちも理解できたし、納得もできたのであった。
「なるほど。そういうことでしたか」
「うむ。そういうことだ」
その二日後、朝廷より勧修寺晴右が相国寺へと差し向けられる。彼は天皇からの勅使として、織田信長の元を訪れていた。
「織田弾正大弼信長。こたびの働き、真にあっ晴れである。今上様も、ことの他お喜びであった。そこで、そなたには褒美として従三位参議へと任じる。また、かねてより奏上のあった蘭奢待の切り取りも許可する」
「はっ」
「東大寺には勅使として飛鳥井雅教殿と日野輝資殿が向かっておられる。南都東大寺も、程なく了承するであろう」
「承知致しました」
その後、勅使が相国寺を去ると、義頼が呼び出される。勅使の件で何かあったのかと訝しがりながら現れた義頼は、織田信長から伝えられた言葉を聞いて目を丸くした。
「そ、某に官位でございますか!?」
「うむ。朝廷は山国荘の一件で、その方が領地を交換し、その上で献上した旨を知っていたようだな。そこで、その旨を評して正五位下右近衛少将の官位を与えるとのことだ。因みに断るな、蘭奢待の切り取りにも関わりかねん」
織田信長は、あまり面白くなさそうな表情を隠そうともせずに義頼へ釘を刺した。
その気持ちは、義頼にも分かる。これが織田信長より奏上された結果に齎された官位であるならば、何も問題とならない。その場合、実際に官位を与えるのは織田信長となるからだ。しかし今回の場合は、奏上した訳ではない。あくまで朝廷が、独断で行った事案なのだ。しかも蘭奢待と織田信長の昇進も絡めることで、簡単に断れない状況を作り出している。その上で朝廷は、彼を通して義頼へ官位を与えたのであった。
「……その、殿。申し訳ありません」
主の表情から、状況を理解した義頼が謝罪する。すると織田信長は、そんな彼を一瞥してから間もなく苦笑の表情を浮かべた。
「まぁよい。今回の件は、仕方がなかったこととしておく。ここで断ると、そのあとの調整が面倒だからな」
「……はい」
「義頼。俺がいいといっているのだ、もう気にするな」
「承知致しました」
勧修寺晴右が相国寺を訪れてから三日後、織田信長の元へ東大寺が蘭奢待の切り取りを了承したとの知らせが入る。すると明くる日、一行は宿としていた相国寺を出立した。
大和国へ向かうのは、織田信長と義頼と松井友閑の他、淀城(淀古城)に居た塙直政と上洛の途中で合流した佐久間信盛と建部隆勝、さらに岐阜より同行している菅屋長頼に武井夕庵、丹羽長秀と蜂屋頼隆であった。
また、一行には四千程の兵が付き従っている。内訳は織田信長が岐阜から連れて来た兵と佐久間信盛の兵、それから山城国内に居た織田家の兵と丹波国より連れて来た義頼の兵であった。
特に義頼の兵は多く、凡そ半分の二千となっている。織田信長は、京で義頼と合流した際、その旨を尋ねていた。
「義頼。そなた何ゆえに、それだけの兵を連れて来た」
「殿。幾ら織田家領内の移動とはいえ、ある程度の兵はお連れ下さい。我らのような家臣ならばまだしも、殿は織田家の当主なのですから」
「……ふん。自由に動くもままならぬか、窮屈なことよの」
義頼の言に対して、織田信長は不満を呈する。しかし、彼の申していることも理解出来ない訳ではないのでそれ以上は言葉を続けなかった。
兎にも角にも、四千程の兵を引き連れて大和国に入った織田信長は、多聞山城へと入る。すると連れて来た兵に対し、東大寺に対する乱暴狼藉や放火を固く禁じる命を出す。そればかりか、同様の書状を東大寺へも出していた。
それは即ち、大和国を押さえている義頼にも出たと同じである。そこで彼は、筒井順慶や松永久通などといった大和国人に対しても命を守るようにと厳命していた。
明けて翌日、織田信長は東大寺へ自身が向かわず代わりに使者を立てる。その理由は、彼が「自分が倉に立ち入るのは畏れ多い」としたからであった。その言葉が本心なのかどうか、それは分からない。だが使者の言葉を受けて得心した東大寺大僧正は、一つ頷くと自ら東大寺より多聞山城へ蘭奢待を運んで来た。
やがて、東大寺からの一行が城に到着すると、織田信長は蘭奢待を多聞山城の御成りの間に安置する。そして、東大寺の大僧正が立ち会いの元で大和国へ同行させた九人へ閲覧を許した。
蘭奢待拝謁の名誉を賜った九人は、御成りの間の上座へ安置されている香木をじっと見つめる。その中でも特に義頼と建部隆勝は、それこそ食い入るように見つめている。そんな二人の様子を見て小さく笑みを浮かべてから織田信長は、古来よりの作法に従って凡そ一寸八分程蘭奢待を切り取ったのであった。
こうして大和国での最大の目的を果たした織田信長だったが、すぐには出立しない。それはもう一つ、こなしておきたい用件があったからである。それはなにかというと、多聞山城の見聞であった。
「さて義頼、案内せい」
『はっ』
織田信長は、義頼と道意(松永久秀)、それから丹羽長秀を伴って多聞山城を見聞する。基本的に説明は、道意より教わった義頼が織田信長へと行っていた。
三人を引き連れて織田信長は、くまなくじっくりと城内を巡っていく。特に天守閣などは、実に念入りに細かく義頼へ尋ね説明させていた。
因みに道意が同行したのは、義頼が万が一説明出来なかった場合を考えてのことである。しかし幸いにもそれは取り越し苦労で終わり、彼の出番が訪れるような事態にはならなかったのであった。
また多聞山城を見聞するに当たって織田信長が丹羽長秀も同行させている理由だが、それは彼に新たな城の総奉行を任せるつもりだったからである。何も知らずに築城へ関わらせるよりは、ある程度でも自身の意向を理解した上で任せた方がいいと判断したからであった。
「……ふむ、なるほど……良く分かった。新たな城を建てる際、生かせるところは存分に生かすとする。長秀も、よいな」
「はい。岐阜へと戻ったあとは、城の縄張りを行う者とも話し合いたいと思います」
「それで良い」
「ところで、殿。城の縄張りですが、誰が行うのですか?」
「ん? いってなかったか? 義頼だ」
「……某がですか?」
目を瞬かせながら、思わず織田信長へ問い掛けていた。
それでなくても義頼は、観音寺城の改築を命じられている。今回の織田信長による多聞山城の検分が終わり次第取りかかろうと考えていた彼にとって、正に寝耳に水であった。
「そうだ。何の為に、その方へ城を預けたと思っていたのだ?」
主から意外そうに問い掛けられた義頼は、何かを諦めたかの様に小さく息を吐くと顔を上げた。
「承知致しました。縄張りの件、お任せ下さい」
「うむ。それともう一つ、新築する城の普請奉行も任せる」
まさか追加で任命されるとは思ってもいなかった義頼は、一瞬でも呆気に取られてしまう。それから力なく頭を下げて、彼は拝命した。そこで織田信長は満足そうに頷くと、部屋を出ていく。項垂れたまま部屋に残された義頼に、やはり部屋に残っていた丹羽長秀が肩へ手を置いた。
「左衛門……ではなかったな。右少将(六角義頼)殿、拙者も手伝うので安心なされよ」
「……ありがとうございます、五郎左(丹羽長秀)殿」
「殿。拙者も、誠心誠意お助け致しますぞ」
同情した様な目をした道意からも、丹羽長秀と同様の言葉が伝えられた。
彼は義頼の家臣である為、手伝うのは当然なのだが、彼から同情の籠っている目をして言われた義頼はなぜか少し悲しくなっていた。
しかし、小さく首を二度三度と振って気分を切り替える。それから、道意へ言葉を返した。
「頼むぞ、道意」
「お任せ下さい」
それから数日後、織田信長は連れて来ていた将兵と共に多聞山城を出立する。大和国へ向かった時と同様に途中で一泊してから京へと戻ると、再び相国寺に入ったのだ。そこで、公家の対応など諸々の案件を処理する。思いの外多かった為、織田信長は暫く京で滞在して政務を行うのであった。




