第百十七話~新流派、六角流!?~
第百十七話~新流派、六角流!?~
丹後国攻めに対する論功行賞も終わり、戦に参画した将たちが織田信長の屋敷から退去する中、義頼と丹羽長秀、杉谷善住坊は屋敷に留まっていた。 さて、何ゆえに彼らが残ったのか。その理由は、丹後国攻めで義頼が初めて使用した銃槍に関する報告を行う為であった。
それから待つこと暫し、小姓から織田信長の来訪が告げられる。義頼と丹羽長秀と杉谷善住坊は平伏して、部屋に入って来るのを待つ。程なくして部屋に入った織田信長であったが、彼は睨むでもなくただ眺めるように三人を見降ろしてからゆっくり上座に腰を降ろした。
「顔を上げよ」
『はっ』
義頼と丹羽長秀はすぐに、杉谷善住坊は一瞬だけ遅れて頭を上げていた。
「さて早速だが、まずそこの坊主。名は何だ」
「は、ははっ。杉谷善住坊と申します」
「そうか。分かった」
「はっ」
再び平伏して畏まる杉谷善住坊を見た織田信長は、次に視線を丹羽長秀へと向ける。するとその視線を受けた彼は、口を開いた。
「左衛門佐(六角義頼)殿考案の新装備ですが、十分使用に耐えうると思われます」
「そうか。義頼、確か銃槍とか申したな」
「は。火縄銃の先に槍の穂先を取り付けましたので、銃槍と名付けました」
「であるか。では、移動するぞ」
そういった織田信長の声には、喜色が間違いなく帯びている。義頼も丹羽長秀も、そして杉谷善住坊もそのような印象を抱いた。しかしてその印象は、間違いではなかった。
実際、織田信長は、この新装備の実践を楽しんでいたのである。そのような主君の様子に対して、義頼も丹羽長秀も取り分けて反応を示さない。織田家重臣でもある二人の態度に、杉谷善住坊はいささか驚きをみせる。しかし、義頼と丹羽長秀は、やはり一言も発することはなかった。
やがて彼らは、織田信長が急遽用意させた臨時の射撃場へと到着する。そこには、標的となる藁で出来た二つの案山子が立っていた。その二体の案山子は、距離を置いて置かれている。一体はおよそ通常の火縄銃が持つ有効射程距離ぐらいの位置であり、もう一体は火縄銃を放つ杉谷善住坊のすぐ近くにあった。
「では、始めよ」
「はっ」
その射撃場に到着してから少しの間でその場の様子を確認した杉谷善住坊へ、織田信長から声が掛かる。すると杉谷善住坊が、すぐに銃槍を取り付け始めた。予想していたよりも早い取り付け時間に、織田信長は内心で感心する。やがて銃槍を取り付け終えた杉谷善住坊は、即座にすぐ近くの案山子を突き刺す。直後、火縄銃に取り付けられた銃槍は、案山子を完全に貫き反対側から穂先を覗かせていた。
「ふむ。ところで義頼、何ゆえに着脱式としているのだ?」
「一つは、輸送の為にございます。外せばその分だけ軽くなりますし、また比較的安全に運べます」
「そうか。して一つと言うことは、他にも理由があるのか?」
「はっ。ただいま見られましたように、銃槍は比較的簡単に取り付けが可能です。それは即ち、同じ機能を持った他の火縄銃にも取り付けが容易であるということに他なりません」
「なるほどのう……いいだろう、義頼。その銃槍だったか、使ってみようではないか」
少し考えたあとで織田信長は、銃槍を使用する決断をした。
こうして、織田家でも銃槍を採用していくことになった。その後、彼らは射撃場から出ると織田信長の屋敷へと戻る。それから屋敷を出ようとしたのだが、その前に義頼は呼び止められていた。
「殿。何用でしょうか」
「堅田衆と六角水軍の者を九鬼に派遣させよ」
「は? 堅田衆と六角水軍ですか? それは構いませんが、彼らは九鬼水軍と違い海上に関しては慣れておりませぬが」
「そのようなことなど分かっている。何もあ奴らに、水軍として活動しろといっているのではない」
水軍として活動しないにも関わらず、織田信長は堅田衆と六角水軍を派遣しろという言葉に義頼は眉を寄せる。少し思案したあとに理由が思い付いた義頼は、その考えを口にする。その考えとは、大型船建造の為であった。
村上水軍との戦で敗れ、和泉灘(大阪湾)を取られたことで石山本願寺に対する補給を容易にしている。その補給を断ち切る為には、和泉灘を取り返す必要があった。その戦における決戦兵器と考えられている、義頼と滝川一益がほぼ同時期に考案した鉄で覆われた船、つまり鉄甲船であった。
この鉄甲船だが、同時に織田水軍の旗艦となる船であることから、それにふさわしく大型の船を想定されている。そして堅田衆と六角水軍には、嘗て織田信長の命で大型船を建造したことがあった。
「なるほど……大型船建造の指導ですか」
「そうだ。漸く思い至ったか。では、しかと申しつけたぞ」
「承知致しました」
その後、義頼は岐阜城下にある六角屋敷へと戻ると、九鬼に派遣する人選を考える。思案の結果、堅田衆からは居初又次郎を、六角水軍からは駒井重勝を派遣することにした。
両名に対して認めた書状を、鵜飼孫六に持たせて出立させる。ここで漸く一息ついた義頼だったが、そこに小姓が現れて杉谷善住坊と彼と同じく六角家の鉄砲奉行を務めている城戸弥左衛門が義頼の元を訪れるとあることを告げた。
「新流派を興す?」
「はっ」
実は丹後国での戦が終わってから間もなく、杉谷善住坊は新たに流派を興す決断していたのである。彼はその旨を同僚の城戸弥左衛門に告げると、彼もまた賛同の意を示す。その後、杉谷善住坊は共に知らせ来たのであった。
そして、告げられた義頼も新たに流派を興すという彼らの邪魔する気はない。無論、六角家家臣としての仕事に差し支えがない範囲ではある。その条件さえ守られるならばと釘を刺したが、基本的には祝福していた。
「となると、杉谷流といったところか。中々、良いではないか」
しかし義頼の言葉に、他でもない杉谷善住坊が異論を唱えた。
「いえ! それはなりません!! 拙僧が全て考えたのならば、それもいいでしょう。しかし、そうではありません。それであるにも関わらず我が名を付けるなど、できませぬ」
「それは、どういうことだ。そなたが興すのであろう? ならば、そなたの名を付けるのが適切ではないか」
「いえ。拙者が興そうと考えている流派の元となるのは、殿にございます」
「わしだと!?」
まさか杉谷善住坊が興す流派に、自身が関係しているなど夢にも思っていなかった義頼である。それが、自身が中心だといわれたのだから驚くのは当然といえる。その心情を表すように、義頼は目をまん丸にしていた。
「はい。ゆえに、流派の名は六角流と致したく存じます」
「はあっ?」
自身が中心だといわれて驚いた時以上に驚いた義頼は、素っ頓狂な言葉を上げていた。そんな義頼とは裏腹に、新流派を興す提案した杉谷善住坊と彼と同行していた木戸弥左衛門は「さもありなん」という顔をしていた。
「……あー。その、何だ。本気でいっているのか?」
「無論です」
きっぱりと、そしてはっきりと言う杉谷善住坊の態度と表情を見れば、彼が本気であることが容易に確認できる。それは、城戸弥左衛門も同様である。そんな二人に対して義頼は、一つ溜め息をつくと言葉を続けていた。
「そなたらが、わしを中心であるとしているのは正直にいえば嬉しい。だが残念なことに、砲術も槍術も印可など持っておらん。弓や馬術ならば別であるが、銃や槍では新流派など興すなどできはしないだろう」
「それは、重々承知しております。その解決策も、勿論あります」
「解決策か……一応、聞いておこう」
「はっ。まず、殿が新たな流派の始祖という形を取ります。その後、殿の考えを汲み、拙僧が開祖になったと致します」
とてもいい笑顔で、杉谷善住坊は自分の考えを披露する。その彼を口上の間、義頼はじっと見つめていた。やがて彼の口上も終わると、部屋の中を少しの間沈黙が支配する。やがて溜息を一つついた義頼は、杉谷善住坊と城戸弥左衛門に対して念を押すかの様に問い掛けていた。
「……もう一度聞く。杉谷善住坊、並びに城戸弥左衛門。そなたら、本気か?」
「勿論にございます、殿。この事を受け入れていただけないのであれば、新流派など興しません」
力強くそしてしっかりと答える杉谷善住坊と、彼の後ろで頻りに首を縦に振っている城戸弥左衛門を見て義頼も翻意にすることは諦める。その後、彼は小さく「好きにしろ」と二人へ伝えるだけであったという。ここに、義頼が始祖となった六角流砲術という新たな流派が勃興したのであった。
なお、このやりとりについてのちに義頼から兄である六角承禎へ伝えられている。彼は詳細が記された書状に目を通した際、大笑いしていたと文献に残されていた。
さて話を戻す
義頼たち丹波国討伐軍が岐阜へ戻ってから数日後、一色義俊が稲富直秀や息子で砲術家の稲富祐直などといった一色義俊に始めから付き従った者たちを引き連れて丹後国へと出立した。
それから更に一週間弱ののち、軍勢の再編を終えた義頼や長岡藤孝も岐阜を出立した。軍勢を率いている彼らが、一色義俊より一週間ほど遅れた理由は単純である。一つは軍勢を再編していた為である。そしてもう一つは、数の大小であった。
そもそも一色義俊は、丹後一色家を脱出してきたのである。そんな彼が引き連れてきた者など大した数ではなかった。それに引き換え長岡藤孝は、一顧の家の長である。ましてや軍勢も率いているのだから、時間が掛かるのも当然であった。
その長岡藤孝であるが、彼は一まず居城となる勝龍寺城へ戻る。その後、褒美としていただいた丹後国の領地へと向かう手筈となっている。そして義頼だが、彼は近江国と伊賀国、そして大和国を経由してから丹波国へ向かう予定であった。
義頼はそれぞれの領地に到着すると軍勢を解散させつつ、同時に領主や代官としての仕事もこなしていく。やがて京近くの淀城を経由して丹波国へと入ると、仮の住居である内藤氏の居館へと到着していた。
因みに義頼だが、何れはこの丹波国内に築城する予定である。既に許可は織田信長より得ているので、問題とはならない。そして居城の候補地であるが、丹波国府の辺りを考えていた。
それは兎も角、内藤家の居館へと到着した義頼は、波多野秀治ら丹波衆を労うと、彼らを解散させた。その後、改めて有力な丹波衆や家臣たちを集めて話し合う。それから義頼は、丹後国への侵攻が控えていた為に積極的に手を出していなかった丹波国内の内政に着手した。
丹波国で以前より産出していた栗や茶や黒豆は無論のことであるが、他に丹波の地に合う物品がないかを模索していく。これは食物だけではなく、木綿や麻といった物なども対象としていた。特に木綿については、火縄銃の火縄にも使用する物である。他にも衣服などへ応用出来る為、鉄砲と並び力を入れていたのだ。
また丹波国は、古来より焼き物が盛んな地でもある。そこで伊賀国や甲賀郡と同様に、焼き物の奨励にも力を入れていく。同時に丹波国内でも植林も行い、山が荒れることを防がせていた。
これら内政だが、大和国でもやはり行っている。但し、彼の地ではまず鍛冶を行うなどしており、内容に若干の違いはあった。
このように新たに拝領した領地も含めて多少の問題があっても何とか行っていた内政の裏で、義頼には一つの問題が残っていた。その問題とは、蘭奢待の切り取りであった。交渉を始めてよりある程度の時が経っているのだが、いまだに朝廷より勅許が降りないのである。以前、六角承禎がいったように朝廷の感触が決して悪い訳ではない。それであるにも関わらず、蘭奢待切り取りの勅が下りないのだ。
蘭奢待を保管する東大寺側に関しては、半ば諦めもあるのか切り取りに対して何もいってきてはいない。しかし朝廷の勅許が出ていない為、脅されても屈しない覚悟は決めている様子であった。
このように中々に進まない現状であるが、義頼としては手を打ってある以上は潮目が変わるのを待つしかない。彼は京での進捗を気にしつつも、自らを落ち着けるという意味合いからか家族相手に茶を点てていた。
茶室に居るのは、義頼の他にお犬の方とお圓の方、そして虎松である。流石に幼い鶴松丸は、囲炉裏などが危ないということもありこの場には居なかった。
「……あなた。何か気に掛けていることでもあるのですか?」
「お犬、どうしてそう思った」
「いつもとは違うと感じたからです。ですが、どこがと聞かれると、答えられませんが」
お犬の方は、六角家に嫁いで以来幾度となく義頼の茶を飲んでいる。義頼の茶に限定されるが、彼女は平素の時とそれ以外の時に義頼が点てる茶の微妙な味の違いが分かる様なっていたのだ。
因みにお犬の方は義頼から作法も習っており、彼女もいわば弟子の一人であった。
「いつもと違う……か。お前ぐらいだな、そんなことが分かるのは」
義頼とお犬の方の言葉を聞き、お圓の方と虎松は茶を飲むが二人には違いなど分からない。虎松は首を傾げ、お圓の方は大きな感心と僅かな悔しさを感じていた。その時、廊下に気配を感じた義頼がそちらに視線を向ける。それとほぼ同じくして、襖越しに声が掛けられた。
「殿。お寛ぎのところ、申し訳ありません。太閤殿下がお越しです」
「太閤殿下だと? うーむ。何であろうか」
近衛前久の急な来訪を聞き、義頼は首を傾げつつも襖を開ける。そこには、片膝をついた小姓の水口正家が控えていた。急に襖をあけられたからか、彼は小さく驚く様子を見せる。だが義頼を見ると、数度小さく息継ぎをして自らを落ち着かせていた。
「……殿」
「何だ、正家」
「実は太閤殿下より伝言があります」
「伝言?」
「はい。殿下がおっしゃられるには、「懸念が解消出来る筈」とのことです」
取り次いだ水口正家へ言ったらしい近衛前久の言葉に、思わず眉を寄せる。それから義頼は、お犬の方たちへ下がるように伝えつつ水口正家に対しては近衛前久を客間へ通すようにと命じていた。
それから暫くのち、義頼は近衛前久を通した客間を訪れる。すると彼は、その客間でゆるりと義頼を待っていた。
「太閤殿下、お待たせ致しました」
「何。大して待っておらぬ」
「……して御用件は何でしょうか」
下座へと座った義頼は、居住まいを正してから来訪の用件を窺う。義頼の所作を見て少し感心したように頷いた近衛前久は、一つ咳払いをすると口を開いた。
「他でもない。貴公が頭を悩ませているであろう朝廷の態度に対して、助言をしようと思って参じたまで」
「助言……ですか。それは真に有り難いですが、太閤殿下には朝廷側の態度の理由が分かるのですか?」
「うむ。それは、他でもないこの丹波が原因よ」
「は? この、丹波がですか!?」
近衛前久の口から出たまさかの言葉に、思わず義頼は声を上げつつ腰を浮かせる。すると近衛前久から、落ち着くようにと促された。
「落ち着かれよ。無論、理由は話す。といっても、この名を出せば察しはつくと思う。山国荘である」
「……あっ! しまった、それがあったか……」
山国荘とは、朝廷が丹波国桑田郡に持っている禁裏御料である。しかしながらこの禁裏御料にて、ある問題が過去に発生していた。それというのも、丹波国人である宇津氏が四十年程前に彼の地へ進出したのである。力で同地を押さえられたことで、朝廷は宇津氏に禁裏御料地を横領された形となっていたのだ。
勿論、朝廷も手をこまねいていた訳ではない。勅命を出して、宇津氏へ返還するように命じている。また当時丹波国内に影響力を持っていた三好家や内藤家を動かし、禁裏御料の回復を命じていた。
すると宇津氏も不利だと感じたのか、一度は矛を収め兵も引きあげている。しかし、数年後には再び山国荘を横領していた。その後は勅命すらも無視し、横領を続けている。これには三好家や内藤家も看過できず、朝廷の意向に従って兵を繰り出している。しかし両家をしても、彼の地を取り戻せなかったという経緯を持つ地でもあったのだ。
「朝廷としては、丹波へ織田家の力が及んだ今を好機として取り返しておきたいとのお考えです」
「そうでしたか……山国荘を。太閤殿下、御助言を感謝致します」
「何。我も世話を受けている身である。少しでも役に立てばと思うたまでゆえ、お気になされまするな」
「ありがとうございます」
「ではの」
館から辞去する近衛前久を見送ってから、義頼は自らの部屋に戻る。それから、沼田祐光を呼び出した。
実は沼田祐光もまた、一向に蘭奢待切り取りの許可を出さない朝廷の態度に首を傾げていた人物である。彼をしても、その理由が分からなかったのだ。何せ蘭奢待の切り取りは、織田家が強引にことを起こした訳ではないのである。朝廷に伺いを立てており、むしろ筋を通していたといえた。
また蘭奢待の切り取りに対して、実際に管理している東大寺側にも織田家は理不尽なことをしていない。しかしながら、朝廷が一向に首を縦に振らないので、話が進展しなかった。だからこそ、理由が分からなかったのである。しかし沼田祐光は、義頼から近衛前久に齎された話を聞くとはたと膝を叩いていた。
「山国荘ですか! これはしたり」
「太閤殿下にいわれるまでは、思いもよらなかった。兎に角、わしは京と岐阜へ向かう。殿と兄上や定秀たち、さらには松井殿には話しておかなければならないだろうからな」
「承知致しました」
義頼が織田信長や京の六角承禎などへ話を通す理由は、山国荘の一件は事が事だけに織田家と朝廷の外交関係にまで及びかねないからである。義頼が独断で朝廷へ山国荘を献上すればいい、という訳にはいかない話なのだ。
「……となりますと……殿、上様にはこのようにお伝え下さい」
「何だ?」
「お耳を……」
沼田祐光から耳打ちされた内容に、義頼は眉を顰めた。
「それは、実行せねばならぬか?」
「実行された方が、他の方からの風当たりも良くなりましょう」
「風当たりか……分かった。やろう」
難しい顔をしたままであったが、それでも義頼は沼田祐光の提案を採用した。
それから義頼は、あとのことを沼田祐光に任せるとその日のうちに館を発つ。供に藍母衣衆の柳生宗厳などの護衛を連れて京へ、そして岐阜へと向かうのであった。
ご一読いただき、ありがとうございました。




