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第九話~終結~


第九話~終結~



 浅井長政あざいながまさがおのれの床几しょうぎに鬱憤をぶつけていた頃とほぼ同時刻、瀬田川の対岸にある山岡家の居城の瀬田城に入っている義頼に余裕があったのかというとそうではなかった。

 その理由は、義頼が相対している浅井勢ではなく布施家にある。 六角家に対して蜂起した布施三河守と布施公保ふせきみやすの父親である布施公雄ふせきみおは合流を果たすと、揃って布施山城に籠城したのだ。

 その布施家に対して六角家は、前当主であった六角義治ろっかくよしはるを総大将とした軍勢を派遣している。 しかしながら、その布施家討伐軍の戦況があまりかんばしくないのだ。

 幾ら布施山城に籠ったとはいえ、敵より遥かに多い兵を連れて行きながら未だに決着がついていないのである。 時には撃退すらされているとの甲賀衆からの報告に、義頼は一瞬呆気にとられたぐらいであった。


「もしかして、義治は戦下手なのか?」

「いかがなされました? 殿」


 六角義治のあまりの不甲斐なさに不遜ともいえる考えを声に出していた義頼は、傍らに居た本多正信ほんだまさのぶから声を掛けられ我に返る。 一瞬だけ彼に視線を向けたあと、軽く頭を振っていた。

 その仕草は、まるで自分の考えを振り払うかのようであった。


「いや、布施家との戦の推移が気になったのだ。 ところで正信、何か布施家に対する策はないか?」


 誤魔化した訳ではないが、義頼は有効な手はないかと尋ねる。 だが本多正信は、切って捨てるかのように義頼へ答えた。


「策がない訳ではありませんが、あまりお勧めしません。 布施家討伐の大将は、あくまで右衛門督(六角義治)様です。 下手に口を出して、不興を買うことはないでしょう」

「……そう、だな。 横紙破りなど、やられた方は気分が悪いか……」

「はい。 それにどの道、浅井家と連絡が取れる状況にない布施家です。 一戦一戦での勝利は得られるかもしれませんが、兵力差からいって最終的には負けるでしょう。 しかし、それも殿が浅井家の軍勢をここで抑えきってのことです。 彼の者が率いる軍勢が瀬田川を越えれば、最悪観音寺城まで攻められまするぞ」


 本多正信の忠告とも窘めともとれる言葉に、義頼は唸る。 実際問題として、彼の言葉通りになることもあり得るのだ。

 例え瀬田川を越えた浅井家の軍勢が観音寺城まで攻めなかったとしても、浅井家の軍勢と布施山城の兵が合流されては布施氏との戦いはかなり厳しい物になるのは必定といえる。

 そうなってしまえば、義治率いる六角家の軍勢と行動を共にしている国人衆がどう動くかが分からない。 そのような事態にならない為にも義頼はここで踏ん張り、浅井家の侵攻を食い止めなければならなかった。


「むぅ。 正信の言う意味も分かる。 分かるのだが、やはりもどかしい。 くそっ! 長政め! 本当に忌々しいわっ!!」


 奇しくも瀬田川を挟んで対峙する両軍の大将が、同じような言葉を吐いたのは奇妙な偶然であった。



その頃、矢島御所に住まう足利義秋あしかがよしあきは、家臣の一人である細川藤孝ほそかわふじたかに対して愚痴をこぼしていた。 彼からすれば、次期将軍である自分のすぐ近くで戦を起こされている事が腹立たしく、そして鬱陶うっとうしいのである。 足利義秋は、まるで自分がないがしろにでもされているかのように捉えていたのだ。


「ですが左馬頭(足利義秋)様。 六角家と浅井家の戦にございますれば」

「それがそもそも間違いであろう。 六角家は、いずれ将軍となる余を支援する家ぞ。 その家に対して、北近江の国人風情である浅井が戦を仕掛けるなど不遜以外の何物でもないわ」


 足利義秋の言わんとすることも分からないでもない。 だが、今は戦国の世である。 強い者だけが、生き残ることができる時代なのだ。

 室町幕府三代将軍であった足利義満あしかがよしみつの頃の様な世であればまだしも、今の世でそんな戯言など通じはしない。 とはいえ主の望みであるし、足利義秋が戦に対して嫌気がしているのも分かる。 そこで細川藤孝は、思案を巡らしたのであった。


「…………ならばこう致しましょう。 戦の仲介をするのです」

「仲介? 余がか?」

「はい。 とは申しましても、実際には拙者たちが動きます。 あくまで左馬頭様のお名前で戦に介入し、そして停戦へ導いたとするのです。 実際、御先代(足利義輝あしかがよしてる)様も各地の大名の戦に介入しておりました」

「そういえば……そんな話を聞いたことはあるな」

「故に御先代様に倣い、後の将軍として停戦させるというのも悪くはないかと」

「うむ。 流石は藤孝だ、そのように行おう。 では頼むぞ」

「御意」


 先程までとは違い、気分が良くなった様子の足利義秋を見て細川藤孝は平伏しながら苦笑する。 しかし顔を上げた彼の表情は神妙そのものであり、苦笑した様子など微塵も感じられなかった。

 そのまま部屋を出た細川藤孝は、兄の三淵藤英みつぶちふじひで仁木義政にっきよしまさらなどといった者たちを集める。 そこで彼らに対して、六角家と浅井家の戦を早急に終わらせる事を足利義秋が望んでいる旨を告げた。


「なるほど。 御先代様もなされておられたことですな。 権威を高めると言う意味でも、行うべきであるかと思います」


 そう言ったのは、和田惟政わだこれまさだ。

 彼は御供衆おともしゅうとして、今は亡き足利義輝が将軍位にあった頃から幕政にも関わってきた人物である。 当然ながら足利義輝が行ってきたことも、そしてその行為が持つ意味も知っていたので、即座に賛成したのだ。

 彼の言葉を聞いた細川藤孝は、頷くと他の者たちも見る。 確認の為であったが、視線を向けられた者たちから誰として反対意見などは出ない。 結局、和田惟政の意見が彼らの総意となっていた。


「では六角家に対しては、仁木殿にお願いしたい」

「任せておいてもらおう」


 彼は六角氏の出であるし、過去に何度なく六角家には派遣されている。 その意味でも、彼以上の適任者などいはしなかった。


「それから浅井家ですが、長門守殿にお願いしたい」

「拙者ですか……分かり申した」


 藤孝が浅井家の使者としてお願いした長門守とは、京極高吉きょうごくたかよしのことである。 彼は姓が示す通り京極家の出であり、その京極家は元々北近江を本貫地としていた家であった。 つまり元をたどれば、浅井家の主家筋の家の出となる。 その彼も最近まで京にいたのだが、足利義秋が矢島御所に移って間もなくした頃に近江国へと現れたのだ。

 それに、彼の妻は浅井長政の姉に当たる人物である。 つまり浅井長政からすれば義理の兄に当たる人物であり、そうそう願いを無下にできる相手でもないのだ。 

 こうしてそれぞれの家に対する使者に任命された二人は、矢島御所を出立する。 仁木義政は観音寺城に六角高定を尋ね、京極高吉は浅井家の陣を訪れたのであった。


「停戦……ですか」

「うむ。 左馬頭様もそれを望んでおられる。 どうであろう中務大輔(六角高定)殿」


 観音寺城にて仁木義政と面会した六角高定と六角承禎は、彼から停戦してはとの提案を受けていた。

 実のところ、この提案は悪い話でもない。 何といってもこの提案を受けることで、謀反した布施家に対応を集中出来るのがいいのだ。 それに、提案しているのは足利義秋である。 相手の顔を立てることができるので、六角家にとり一石二鳥とも言えた。


「……拙者としては受けてもいいと思いますが、父上はどう思います?」

「そうよな…………確認するが義政、浅井はこの話を受けるのか?」


 六角承禎と仁木義政は、いとこ同士の関係となる。 そのような関係もあり、二人の話し方はざっくばらんである。 これは、義頼と六角義治と六角高定が公的以外の場所では親密に話すのと同じ理由だった。


「浅井家には、長門守殿が向かっている。 彼次第としか、今のところはいえぬな」

「ふむ。 ならば、義政。 長政が受けるのであれば、此方こちらとしても吝かではない。 それが答えだ」  

「なるほど。 浅井家次第という訳か」

「そう言うことだな」

「分かった。 取りあえずは矢島に戻る、長門守殿とも話さねばならぬからな」


 そう言うと、仁木義政は二人の前から辞した。

 すると六角承禎は、少し考えてから立ち上がる。 それから、六角義治のところへ向かうと告げた。 いきなりのことに六角高定は、目を瞬かせる。 そんな息子の仕草に六角承禎は、小さく笑みを浮かべていた。 

 

「その様子では、わしの言葉の意味を分かっておらんな」

「はぁ」


 実際問題として、六角高定は分かっていない。 何故なにゆえに父親の六角承禎が兄である六角義治の元に向かう必要があるのか、てんで見当がつかないからだった。


「いいか、高定。 義治は布施家討伐の総大将に任じられていながら、軍功らしい軍功を挙げておらん。 その状態では、例え停戦や和睦の話があろうとも嫌がるかも知れん」

「……つまり、父上が説得すると?」

「そうだ。 義治のことはわしに任せろ、お主は義頼へ繋ぎを付けておけ」

「しかし父上、義頼も断るということはありませんか?」

「全くない! とはいわぬが、義頼の近くには定秀もおるし正信と言う知恵者も家臣になったと聞く。 先ず大丈夫であろう」

「分かりました」


 こうして六角承禎は義治の元へ行き、観音寺城に残った六角高定は義頼へこの話を連絡した。

 布施家討伐の総大将として六角承禎と顔を合わせた六角義治であったが、予測通り非常に停戦や和睦の話を嫌がる。 しかし六角承禎は、先ずは浅井との戦を終わらせる事が優先だとして説得をする。 それでも六角義治は嫌がったが、何も布施家討伐自体を止めるのではないと言って説得を強めた。

 確かに足利義秋が言い出したのは六角家と浅井家の戦の介入であり、布施家の謀反に対しては何もいっていないのである。 父である六角承禎からの言葉で漸くその事実に気付いた六角義治は、浅井家の対応が分かるまでであればという条件で承禎の説得を受け入れた。

 また義頼だが、こちらは一も二もなく賛成している。 彼としては浅井家との戦などとっとと終わらせて、布施家の謀反に対応したいのだ。 既に占領されている高島郡などは惜しいが、先ずは六角家中を纏めておきたい。 内憂外患ないゆうがいかんでは、いつ六角家の終焉が訪れてもおかしくはない。 その意味でも、一刻も早く六角義治と共に布施家の謀反を治めたかったのだ。


「和睦か……領内がこうもごたごたしていては、それも致し方なしだな」

「ですな」


 賛成した義頼に、蒲生定秀が追随する。 その後ろでは、本多正信も頷いていた。

 その一方で浅井長政だが、実はこの話自体浅井家にとっても有り難かったのである。 というのも、堅田衆と六角水軍を使うと言う正信の策が効果を露わしていたからである。 先ず堅田衆であるが、彼らは義頼からの要請を了承して浅井家の兵糧輸送をあまり受けなかった。

 浅井家からの荷全てを断った訳ではないが、輜重の一端として当てにしていた堅田衆が非協力的と言うのは軍勢を率いる浅井長政にとって実に痛い。 水上が使えない為に、大量輸送が難しくなってしまったのだ。

 その上、六角水軍による陸上輸送に対する嫌がらせも地味に利いてきている。 今日明日きょうあすにでも食料等がなくなるというほど逼迫ひっぱくしている訳ではないが、このまま対陣を続ければそう遠くないうちに兵糧が不足し始めるのはほぼ間違いなかった。

 こうして双方の思惑は一致を見、六角家と浅井家との間で和睦交渉が始まる。 実際に対戦しているということもあって、六角家の使者は義頼が代表を務めていた。

 その後、六角家と浅井家の両家を仲介すると言う意味で足利義秋から派遣された畠山秋高はたけやまあきたかと共に義頼は瀬田川を渡る。

 それも、僅かな手勢と共に。

 そのまま浅井の陣に到着した義頼は、おそれた様子など微塵も見せる事無く浅井長政の元まで進むと、実に三年振りとなる対面をしていた。


「お久しぶりにございますな、備前守(浅井長政)殿」

「そうですな、侍従(六角義頼)殿。 してそちらが、左馬頭(足利義秋)様御家中の方ですかな?」


 浅井長政は義頼と共に現れた畠山秋高に視線を向けながら、問い掛けた。 


「お初にお目に掛かる、備前守殿。 拙者は、畠山左衛門督秋高と申す。 左馬頭様の名代としてこの場に臨席させていただいた」

「そうですか。 左馬頭様の御厚意、感謝致しますとお伝え下さい」

「戻りましたら伝えます。 では、始めると致しましょう」


 畠山秋高の言葉に、義頼と浅井長政が頷く。 此処ここに、此度の浅井家侵攻により勃発した戦における停戦交渉が、始まった。

 だがこの停戦交渉は、のっけから紛糾する。 浅井家としては、征服した地は自らのものであると主張した。 しかし六角家として、その様な条件をただ粛々と呑める訳などない。 その結果、喧々諤々の応酬が行われることとなったのだ。


「……いい加減にしていただきたい。 そちらは負けたのではないですかな」


 ついに痺れを切らしたのか、遠藤直経えんどうなおつねが事実という名の現実を六角家に突き付ける。 だがこの言葉を浅井家から引き出す事、実はこれこそが本多正信の狙いであった。

 

「負けてなどおりません」

「ほう? 此処まで攻められておきながらですか」

「確かに、瀬田川の対岸まで攻められました。 ですが、まだまだこれからでございましょう。 これから反撃に移ろうとしていたところにございますれば」

「それならば、何故なにゆえに移りませなんだ」

「無論、足利家の顔を立ててでございます。 このまま決裂となれば、早速にでも反撃を行いましょう。 では、これ「お待ち下され!」に……何か喜右衛門尉(遠藤直経)殿」


 微かに笑みすら浮かべている本多正信の表情と彼の言動に遠藤直経は、とても嫌な考えに付き当たる。 即ち、浅井家の輜重について見抜いているのではないかということにであった。

 そう考えてみると、義頼も含め六角家側が強気な態度も分からないでもない。 確かに六角家としても、湖西全てを手放せというのがきついことなのは分かる。 しかし現実として、六角家は浅井家に押されたのだ。 ましてや国内で、此方がそそのかしたとはいえ布施家の謀反も起きている。 その事態をかんがみれば、屈辱であろうとも受け入れる筈であった。

 だが、実際はそうなっていない。 となれば残っているのは、此方の弱点を掴んでいるということだけであった。

 実は浅井家の兵糧だが、かなり不味いところまで落ちてきている。 既に将兵に対する支給を、ある程度制限しているのだ。

 このままでは、士気も下がり六角家と戦を続けること自体も難しくなる。 そうなれば、今まで征服した土地すら手放さなくてはならなくなるのは必定であった。


「……少し時間が欲しいのですが左衛門督様、宜しいですか?」

「いいでしょう。 少し休憩と致しましょう」


 遠藤直経の申し出を了承した畠山秋高の言葉で、暫くの休憩となる。 その途端、遠藤直経は主君の浅井長政と共に陣の外れまで移動した。


「何だ直経」

「殿。 致し方ありません、折衷案を出そうかと思います」

「折衷案だと? その理由は何だ」

「殿も分かっておいででしょう。 兵糧です」

「む……しかしだな…………いや仕方が無いか」


 浅井長政も現状については把握している。 だからこそ彼は、遠藤直経の指摘に反論しなかったのだ。


「はい。 このままでは、浅井家の内側から崩壊しかねません。 その前に、少しでも優位な形で湖西を押さえておくべきです。 今後の為にも」


 今回は無理であったが、次であれば何とかなるかもしれない。 もし次が駄目であったとしても、更にその次もあり得る。 その為にも折角得た湖西の足場を、ある程度は確保しておきたかったのだ。


「今後の為……か。 分かった。 条件はそなたに任せる」

「御意」


 その後、再開した交渉で遠藤直経は、六角家へ新たな提案をする。 その内容は未だ抵抗を続けている朽木家、及び六角家の領地に近い永田家と横山家はそのまま六角家に所属させ残りの四家は浅井家にと言うものであった。

 その提案を聞いて、義頼は考える。 確かに全てを取り返せれば、六角家としては最善である。 しかしそれは到底無理な話であることは、幾ら何でも分かっていた。


「ふむ……いいだろう備前守殿、喜右衛門尉殿。 その提案、六角家当主の代理人として受けようではないか」

 

 こうして兎にも角にも停戦の条件が整うと、六角家と浅井家は誓詞と共に和睦の調印を行う。 公式な文書を両家でかわすと、浅井長政は直ぐに陣を引き払う準備に入ってしまう。 そして用意が整うと、尻に帆がついてるかのようにさっさと領内への撤収を始めたのであった。

 その一方で義頼は、新たに決まった浅井家との国境近くに留まると、浅井家の軍勢を注視する。 やがて浅井長政が、軍勢と共により深くまで浅井領内に戻ったことを確認すると朽木家と永田家と横山家の当主を呼びつけて警戒を密にするようにと申し渡したのである。


「いいな。 三家で協力し、浅井家に対応するのだ。 決して油断などするな!」

『はっ!』

「それから、万が一を考えて定秀と景隆。 あと、駒井親子も残していく。 何度も念を押すが、三家ともども決して敵を侮るでないぞ!」

『御意!』


 その後、義頼は先程名を挙げた四人の将を呼び出すと彼らを言い含める。 すると定秀と駒井親子は了承したが、山岡景隆は承服しなかった。


「侍従様。 城には弟の景佐かげすけを残します。 ですから拙者も、布施家攻めに帯同させて下さい」


 義頼は一瞬迷ったが、結局了承した。

 明けて翌日、義頼は山岡家の軍勢を吸収してから軍勢と共に瀬田城を出立する。 その行軍中に義頼は、軍勢を本隊と兵数の少ない別動隊の二つに分けさせた。 別動隊は、寺村重友に率いさせて長光寺城に戻し念の為に城を守らせる。 そして義頼自身は、六角義治の軍勢と合流すると布施山城から見て東にある山の南側に陣を敷いた。

 同時に、後藤高治ごとうたかはるに対して書状を送る。 未だ日和見を続けている後藤家に、合力を促す為であった。


「この書状を持って、高治の元へ行け」

「はっ」


 義頼からの書状をうやうやしく受け取った男の名は、山内一豊やまうちかずとよと言う。

 彼は元々、尾張出身であった。 だが一豊の兄と父が、織田信長おだのぶながとの戦いにより相次いで死亡してしまう。 その上、山内家が仕えていた織田信賢おだのぶかたも織田信長との争いに敗れていずこかに逐電してしまったのだ。

 こうして仕えていた主家が滅び父と兄が鬼籍に入ってしまった山内一豊は、新たな仕官先を求めて尾張国から美濃国へと移動する。 そこから更に近江国へと流れ、そこで山岡景隆に仕えたのであった。

 こうして彼が山岡家に仕官してから少し経った頃、山岡家の家督を継いだ山岡景隆の意向で彼の長男である山岡景宗やまおかかげむねが義頼に出仕することとなる。 その際、彼は山岡景隆の推挙を受ける。 その後、義頼の家臣となったのがこの山内一豊であった。

 このような経緯を経て義頼の家臣となっていた彼は、書状をもって本陣を出立すると後藤館に向かう。 彼と面会し書状を受け取った後藤高治は、一読した後で味方する旨を使者である山内一豊に伝える。 それから自ら一筆認めると、そちらにも味方する旨を記したのであった。

 後藤家の参陣という吉報を持って本陣に戻って来た山内一豊は、義頼へ嬉しそうに渡された書状と共に後藤高治の返事を伝える。 後藤家が味方する旨を取り付けた義頼は、義治の陣まで赴き布施山城を二方面から同時に攻めることを提案する。 勝利という形を切望している義治は、一も二も無く賛成した。

 やがて、義頼と六角義治は布施山城の周りに改めて布陣する。 城の大手門側には布施家討伐の総大将である六角義治が陣を張り、搦め手門側には義頼とそれと軍勢を率いて現れた後藤高治が陣を敷いた。

 因みにこの布陣に際して、六角義治はほぼ満遍なく兵を配置している。 その陣立てを伝え聞いた義頼は、甥に敢えて逃げ道を残すようにと進言している。 しかし、彼は聞き入れなかった。


「冗談では無い。 逃げ道などもっての外だ」

「しかしそれでは、敵が必死となる。 いらぬ犠牲が出るかもしれないではないか」

「やかましい、義頼! 大将は俺だぞ!」


 これは駄目だなと思った義頼は、これ以上いうことを止める。 それから一つ頭を下げると、軍勢を調える為に自らの陣へ戻ったのであった。

 それから数日後、いよいよ義頼と義治は布施山城に攻めに取り掛かる。 しかし、布施山城に籠る布施三河守と布施公雄には成す術がなかった。 何といっても頼みの綱であった浅井長政は、既に六角領内にいないのである。 となれば、彼らに残された選択など殆どなかった。 そんな布施三河守と布施公雄の脳裏に直ぐに浮かぶのは、降伏か城を枕に討ち死にの未来しかない。 もしくは、打って出るかの三つぐらいであった。

 幾ら兵を挙げたとはいえ、助かるならばと考えた二人は降伏を申し入れる為に軍使の派遣を考える。 だがその矢先、義頼と六角義治の総攻めが始まると両者の腹は決まった。


「もはや打つ手などない。 だが公保が離反したお陰で、皮肉にも家が滅びることもない」

「はっ」

「何とも皮肉だな、公雄。 浅井と通じたわしらは死に、反対した公保が生き残るとは」

「公保が侍従様の元へ走ったと聞いた時は罵倒しましたが、今となっては最善の策となってしまいました」

「そうだな。 今後の布施一族の事は、あ奴に任せるとしよう。 そして我らは、布施一族の名誉の為に全てを懸けるぞ」

『はっ』


 布施三河守の言葉に、彼と布施公雄に最後まで付き従った者達が、声を揃えて返事をする。 謀反を起こした事実は最早もはや拭いようもないが、潔い最期を見せれば布施家の名誉を汚すことにはならないのだ。


「いいか皆の衆! 最後の一華、咲かせに参るぞ!」

『おうっ!!』


 この攻撃は布施家の名誉と誇りを懸けて行った特攻であり、それに従う兵も死を覚悟した者たちだけで構成されていた。

 そのせいかそれとも別の要因があったのかは定かではないが、この最後の特攻で六角義治の副将を務めていた三雲定持みくもさだもちの嫡子に当たる三雲賢持みくもかたもちが戦の最中さなかで重症を負ってしまう。 一時は生死のさかい彷徨さまようほどの手傷を負ったのであるが、彼はどうにか命だけは取り留めていた。

 しかしながら、三雲賢持はこの怪我が元で嫡男の地位を弟の三雲成持みくもしげもちへ譲らざるを得なくなる。 強いてあげればその出来事が、最後の突撃の行った布施三河守や布施公雄が手にした最大の戦功といえた。

 しかし命を懸けた特攻であったとはいえ、所詮は多勢に無勢でしかない。 結局彼らは、鎮圧されてしまう。 しかも布施山城は、布施家の将兵がほぼ全軍で打って出たことも相まってあっけなく義頼の先鋒を任されていた山内一豊によって占拠されていた。

 こうして一月近く行われた布施山城の攻防は、それまでの日々とはうって変わって城攻めを始めたその日の夕刻頃には大勢が決まったのであった。



 捕縛された布施三河守と布施公雄であったが、彼らは布施山城の本丸で義頼と六角義治二人の前に引き出される。 両腕を後ろ手に縛られた姿で現れた彼らに対して義頼は、直ぐに縄を解かせた。

 総大将である六角義治も反対しなかった為、つつがなく義頼の命は履行される。 縄を解かれた二人は、縛られていた手首などをさすり感触を確かめていた。

 やがて、自分の体に異常が無い事を確認すると彼らは居住まいを正す。 そんな布施三河守と布施公雄に対して、六角義治は問い掛けたのであった。


「両名とも、何か言い残すことはあるか?」

「ありませぬ。 早々に討たれよ」

「同じく」


 そう六角義治に言葉を返した二人は、口をつぐみ押し黙る。 その後は、おどそうがすかそうが口を開かない。 そんな彼らを見て義頼は、六角義治に提案をした。


「右衛門督(六角義治)殿。 ここは、三河守と淡路守(布施公雄)の気持ちを汲んでやるのが武士の情けと思うのだがいかがか?」

「……分かった、侍従のいう通りにしよう。 それと、処分は任せる」

「承知した」


 六角義治に返事をすると、義頼は二人に言い放った。


「布施三河守並びに布施淡路守。 貴公らに切腹を命じる」


 義頼の下知を受けた布施三河守と布施公雄は、黙って頭を下げる。 その二日後、布施山城直下の西にある寺で義頼や六角義治、更には布施公保の見聞を受けながら布施三河守と布施公雄は見事に腹を切ったのであった。

 この両者の切腹を持って、布施家が浅井長政までも引き込んだ謀反は一応の終焉を迎える。 その後、今回の騒動についての沙汰が観音寺城で発表された。

 まず布施家だが、領地半分を罰として没収されることとなる。 だが義頼の執り成しもあって、布施家にそれ以上の沙汰は無い。 それから家督の相続も行われ、布施宗家の家督は、布施公保が継ぐことで決まったのである。

 またこの戦が切欠となって、布施家と後藤家が義頼の家臣に加わる。 そして最後に義頼にも褒美が与えられ、彼の領地が加増されたのであった。


ご一読いただき、ありがとうございました。

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