第百十四話~支城落城~
第百十四話~支城落城~
攻め寄せてきた織田勢を奇襲するべく送り出した由利助之進が率いる軍勢による戦の詳細については、同日の昼過ぎ頃に建部山城で篭城する一色義道の元へも届いた。
だが、その報告は曖昧である。とはいえ戦場は混乱しており、しかも由利助之進と共に行動した一色家の将は悉く討ち取られているか織田家の捕虜となっている。そのような事態では、詳細な報告の作成などできる筈もない。その為、義道の元へ届いた最初の報告は、地の利を生かしてひたすら敵勢から隠れつつ逃げ遂せた兵からの情報だけであった。
「負けた……のか。それも、惨敗とは」
奇襲を仕掛けた由利助之進以下、殆どの将兵は建部山城へ戻れていない。元々決死隊としての意味もあった奇襲とはいえ、これは想定を超える被害である。軍勢として考えた場合、間違いなく全滅として判断に足る報告であった。するとその報告の内容を知った弟の吉原義清が、兄の一色義道へ訪ねる。彼は弟の言葉に対して少し考えてから、やがてゆっくりと頭を振った。
「兄上。幾ら兵の数が違うとはいえ、ここまで一方的とは思わなんだ。尾張兵は柔弱と聞いていたが、所詮は噂だけだったのか?」
「そうかも知れぬし、違うかもしれん。あるいは、もしかしたら尾張者など軍勢にいないやも知れぬ。ただ、若狭と丹波の者たちがいたのは間違いないようだが」
「若狭衆と丹波衆が居るのですか。ならば、彼の軍勢が手強いのも分かります」
嘗て丹後一色家は、若狭武田家の兵に散々苦労させられたという苦い経験を持っている。また丹波衆の手強さは、隣国であるがゆえに理解できたのだった。
「となりますと、兄上。身辺にはお気を付け下さい。こたびの結果と相手の兵数の多さなどから、よからぬことを考える者も出るかもしれません」
「よからぬ考え……か」
「はい。兄上や拙者の身柄と引き換えに保身に走るとか考える輩が出てもおかしくはありません」
「確かに、あり得るか。ただ、今さらなのだがな。相手が降伏勧告をしてこないのも、攻める気が満々だからであろう」
「たとえ、そうであったとしてもです兄上。彼らにとってお家大事、命大事でしょうから」
「分かった、義清に任せる」
「はっ」
こうして建部山城で内と外への警戒を強め始めた頃、義頼たちが拠点としている福井城でも軍議が行われていた。
「さて五郎(一色義定)殿。こたびの一色勢が移動した道筋についてなのですが、おおよそでも分かりますかな?」
「うむ。見当は付けられます。そもそも建部山城は、そなたたちが知っての通り、東と西に支城ともいえる砦がある。そして距離や方向を考えれば、襲撃をしてきた軍勢は、西側の支城を経由したのだと思われる」
「そう、ですか。してその道筋ですが、分かりますかな?」
「ふむ……筆を所望する」
一色義定は筆を受け取ると、極近隣の地図に大体の道を記していく。そんな彼の手によって書かれた道は、ほぼ正確といってよかった。何せ幼少の頃から、幾度となく過ごした城である。その頃には、城内でよく遊んでいた。ゆえに彼も、ほぼ把握していたのだ。
無論、多少のずれはあるのは否めない。しかしそれは、許容範囲のずれでしかなかった。
「おおよそだが、こんなところだろう。よろしいかな、左衛門佐(六角義頼)殿」
「なるほど……では与一郎(長岡藤孝)殿たちは、西側の支城を攻めて貰いたい。そして五郎左(丹羽長秀殿には東側の支城をお願いする」
「ふむ……それは構わぬが、左衛門佐殿はいかがするのか?」
丹羽長秀からの問い掛けを聞いた義頼は、即座に答えていた。
「某は正面から攻める。それから、中山城に入っている但馬勢にも動いて貰う。旗下の兵と但馬勢による攻めを行い、敵の注意を我らに引き付けるつもりです」
義頼の兵と山名堯熙の兵は、正面から攻めていわば囮となる。しかし囮とはいっても、義頼が率いるのは主力なので兵数はかなり多くなる。下手をすれば、城の大手門を破りかねないだけの数が揃っているのもまた事実であった。
「左衛門佐殿、あいわかった。我らの力を見せようぞ」
『応っ!』
義頼からの要請に、長岡藤孝は力強く返答する。そんな彼の言葉に続くように頷き返したのは、彼の兄となる三淵藤英や他にも京極高吉などといった元幕臣たちであった。
それから義頼は、一色義定からも同意を得ている。幾ら神輿とはいえ、丹後国攻めの大将は一色義定である。しかしその彼に断りを入れなくとも、軍勢の実権を握っているのは義頼なのだ。ゆえに、彼が命じれば、問題なく兵を動かせる。しかし通すべき筋というものがあるので、義頼は敢えて彼へ尋ねたのだった。
「まず東と西の支城を落とし、建部山城を裸にするという貴殿の意見に異論はない」
「では、早速にでも行動を起こしましょう」
「うむっ!」
その後、一色義定の号令と共に、織田家の軍勢が動き始めた。
出陣の用意を調えつつ、義頼は中山城へ書状を持たせた使者を派遣する。中山城にて義頼からの書状を受け取った山名堯熙は、了承するとすぐに出撃の準備を調え始めた。やがて、福井城に入っている義頼の軍勢と中山城に入っている山名堯熙の軍勢が出撃の用意を調え終える。すると義頼は、目立つように旗下の軍勢を動かした。これは、中山城から出陣した但馬勢も同様である。義頼の動きに合わせるかのように、あからさまな動きであった。
当然だがこの動きに、建部山城の一色勢は警戒の色を一層強める。するとこの隙を突くように丹羽長秀と長岡藤孝は、夜陰に紛れるかのように兵を移動させていた。
明けて翌日、義頼は建部山城の大手門を攻め始める。その先鋒は、木俣守勝と伊奈忠家が務めていた。
さてこの木俣守勝だが、元々は徳川家の者である。その木俣氏は、楠木正成の孫に当たる楠正勝を祖とする一族である。楠正勝は南北に分かれていた朝廷が足利義満によって統一された際、南朝の軍勢を率いる大将であった。
だが南北朝の統一を快くは思っておらず、京へと戻った後亀山天皇には同道しなかったとされている。その後、隠棲したのだが、【応永の乱】が起きると、乱の首謀者であった大内義弘に同調して室町幕府に反旗を翻した。
しかし【応永の乱】も幕府方の勝利で終わり、楠正勝は伊勢へと逃れるもその途中で戦の最中にて負った傷が元となり、亡くなってしまう。だが彼の嫡子となる楠木正盛が無事に伊勢国まで辿り着き、北畠家の庇護を受けて名を楠木正顕と改名する。こうして彼は伊勢国へ腰を据え、伊勢楠氏の初代となった。その伊勢楠氏の庶流が、木俣氏である。木俣氏は天文年間に三河国へ移り、当時の当代は父親の木俣守時であった。
三河国に腰を据えた木俣守時が仕えたのが、松平家である。しかし、のちに木俣守勝が元服した頃に木俣一族にて起きた内訌に巻き込まれると彼はやむなく出奔した。牢人となった木俣守勝は、本多正信や岸教明などが、織田家中で頭角を現し始めた六角家に仕えているということを知る。そこで彼は、元徳川家臣たちのつてを頼り六角家へと仕官したのであった。
その木俣守勝と伊奈忠家だが、彼らは必死に建部山城の大手門へ攻め寄せている。何せこの戦は、両者に取り六角家に仕官してから最初の戦だからである。だからこそこの大手門への戦がたとえ囮であったとしても、無様な姿を晒す訳にはいかなかった。それは山名堯熙も同じであり、彼もまた以前の織田家による但馬攻めから見て最初の戦となる。そのような背景もあって、彼らは簡単に負ける訳にはいかなかったのだ。
こうした彼らによる必死の働きは、必然的に一色勢の注目を集めることとなる。奇しくも敵の目を集めることに成功したのを見て長岡藤孝と丹羽長秀は、ほぼ同時に建部山城の東と西にある支城へ攻め寄せたのであった。
西に向かった長岡藤孝は、運よく敵へ見つかることもなく支城の近くへと到達する。そのまま彼は、一気に城へと攻め寄せたのであった。一方で城を守っているのは、井上佐渡守という将である。彼も油断などはしていなかったが、あまりにも唐突に鬨の声が挙がったことで自然と気が引き締まった。その時、息せき切って味方の兵が現れる。井上佐渡守は、即座に兵へ誰何していた。
「何事だ!」
「て、敵襲にございます」
「なにっ! 相手は誰だ!?」
「恐らくですが、旗印から長岡藤孝と思われます。他にも、平四つ目結や丸に二つ引などといった旗印が見受けられます」
「何だとっ!」
兵より報告を聞いた井上佐渡守は、その兵に案内させて確認に赴く。そんな彼の目へ最初
に飛び込んできた旗印は、九曜紋である。この旗の持ち主は、長岡藤孝であった。そして他にも、報告通りの旗が翻っていた。
「三淵に京極、そして細川、いや長岡か……中々の顔ぶれだ」
攻め寄せてきている敵勢を見て、彼は体を震わせた。
それでなくても井上佐渡守は、援軍として大手門が攻められている建部山城へ兵を回している。つまり、城を守る兵はそう多くはないのだ。その事実に考えが到達すると、彼の両肩に圧し掛かってくる。しかし、ここで無様に負ける訳にはいかない。もし大した損害を与えないまま敵兵がこの城を抜いてしまえば、その分だけ建部山城へかかる負担は大きくなってしまう。そうはさせない為にも、奮闘する外なかったからだ。
「殿。いかがなさいますか?」
「このままでは、どのみち勝てん。ならば相手に爪痕を残すまで!」
「しからばっ!」
「打って出る! 者ども、続け! 一人でも多く、敵勢を道連れとするのだ!!」
『御意!』
こうした城内の動きに、長岡藤孝たちは敏感に感知する。その直後、彼は自身が率いる全将兵に対して警戒するようにとの伝令を出していた。すると、まるで呼吸を合わせたかのように攻めていた城の門が開く。するとそこには、井上佐渡守に率いられた城の兵が武器を構えていた。
「迎え撃て!」
「突撃ー!」
『おおー』
長岡藤孝の兵と井上佐渡守の兵が出す鬨の声が重なった……かと思った瞬間には、前線で衝突が始まっていた。勢いは死出への片道手形を手にしている支城の兵の方が上であるが、いかんせん兵数が違いすぎる。四分の一刻も持たぬうちに、一色勢は支城内へと逆に押し込まれていた。
「押せ! 押し包め!!」
長岡藤孝の発破に答えるかのように、旗下の兵が支城内へと雪崩れ込んでいく。こうなっては、もう決着はついたと断言しても問題はなかった。しかし長岡藤孝は、油断することなく味方に発破を掛け続ける。そして彼の目は、厳しく城へと向けられていた。
その時、長岡藤孝の居る本陣の陣幕が切り裂かれる。何ごとかと見れば、そこには幾許かの兵が存在していた。
「待たせたかのう」
そうのたまわったのは、井上佐渡守他数名である。彼らは戦場での混乱を利用して、間道を使い藤孝の居る本陣へと向かったのだ。地の利を利用した、地元ならではのやり方である。
しかし狙われた筈の長岡藤孝に驚いた様子はなく、むしろ落ち着いていた。
「何、大したことはない井上殿」
「ふむ……読まれたか、流石よの」
小さく笑みを浮かべた井上佐渡守は、刀を抜き放ち構える。すると呼応するかのように、長岡藤孝もまた刀を抜いていた。
『手出し無用っ!』
両者の口から同じ言葉が発せられたかと思うと、二人は肉薄して凌ぎを削った……かと思うと即座に離れる。僅か数瞬の間だけでも睨み合ったあと、井上佐渡守が動く。彼は、踏み込みながらも刀を振り下ろしていた。
しかし長岡藤孝は最小の動きで刃筋から逃れると、横薙ぎに払う。まさかの反撃に井上佐渡守は、強引に体を捩じることで何とか避ける。しかし、彼が身に着けていた鎧には大きく刀傷が残されてしまった。
「ほう。一撃で決まるかと思ったが、なかなかどうして上手くはいかぬものだ」
予想とは違う結果であるにも関わらず、長岡藤孝は不敵な笑みを浮かべると手にしている刀を構える。そして井上佐渡守も慌てて刀を構えたが、その表情には相対する男程には余裕はなかった。
「流石は剣聖塚原卜伝の弟子ということか」
「今ので分かったであろう。無駄に命を散らすことはない、降伏せよ」
しかしながら井上佐渡守は、ゆっくりと頭を振る。
「出来ぬ相談よ。丹後国人の為にもの」
「そうか……ならば、引導を渡してやろう」
「行くぞ、長岡殿!」
切り込んだ佐渡守の目に写った一瞬の光、それは長岡藤孝が手にしていた刀が反射した陽光である。そしてその光こそが、彼の目にした最後の情景であった。
ここに建部山城の西支城城代、井上佐渡守は長岡藤孝自らの手によって引導を渡される。 すると、支城の城兵達も流石に降伏したのであった。
その一方で、建部山城の東支城の方では篭城戦が展開されていた。
しかしながら、こちらの兵も建部山城へ援軍を出している。その為、東支城の城代大江越中守も、篭城戦をしたところでどこからも援軍がくることもないことは十分に承知していた。
それでも彼は、戦という混乱の中で敵大将が負傷、若しくは死亡するという一縷の望みを掛けて希望の見えない戦を展開する。しかし、相手は丹羽長秀である。無謀な戦を仕掛けるなどする筈もなく、彼は兵数が劣っている越中守に対しても慎重に城攻めを行っていた。
この盤石といえる攻めには、大江越中守の方が痺れを切らしてしまう。彼は日暮れ時の微妙な時間を狙って、支城から打って出る。しかし丹羽長秀率いる若狭衆に押し包まれるかのごとく囲まれると、大江越中守は誰とも分からない兵に討ち取られたのであった。
建部山城を東西から支えているといって過言ではない支城が落ちたという知らせは、間を開ける事なく義頼と一色義定へと報告された。
「支城が落ちたか……して城主は?」
「西の支城を守っていた井上佐渡守、東の支城を守っていた大江越中守は共に討ち死にしたとのよしにございます」
「佐渡と越中が……」
両者の死を報告されて、一色義定の顔は蒼ざめる。そんな彼を横目で見てから、義頼は甲賀衆の青木筑後守へ指示を出していた。
「忠家と守勝。それから、右衛門佐(山名堯熙)殿に伝えよ。「間もなく日も暮れる。建部山城の大手門攻めは、一旦仕舞いにする」と」
「はっ」
義頼から指示を受けた青木筑後守は、前線へと赴くと伊奈忠家と木俣守勝へ指示を伝えた。
「……あい分かった、そう左衛門佐殿へお伝え下され」
「はっ」
この場にて最も上位となる山名堯熙が、青木筑後守へ返答した。
彼が消えると、伊奈忠家と木俣守勝に対して義頼からの指示を伝えたのである。その指示を聞いた後、大手門攻めを行っていた伊奈忠家と木俣守勝は、門を落とすことなく撤退したのであった。
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