第百十二話~新装備~
第百十二話~新装備~
丹波国より北上して丹後国へと入った義頼は、建部山城近くにまで進撃する。そこで、城に籠る一色義道に対して、いわば軍事的な示威活動を行うと近隣の福井城へと入った。
この福井城だが、福井藤吉郎という丹後国人の居城である。彼は織田家に援助を求めた一色義定を名目上の大将とする軍勢が迫ると、抵抗することなく降伏して城を明け渡している。そのまま彼は、一色義定の配下として織田勢の一員となっていた。
なお福井城だが、この城は宮津街道(京街道)近くに建てられた城である。同時にこの城は、建部山城の支城としての役目も持つ城でもある。そんな福井城に義頼が入ったことは、一色勢からすれば中々に圧力となっていた。
また若狭国側から攻め入った丹羽長秀の軍勢だが、こちらは神明山城へ入城している。さらに西の但馬国からは、山名堯熙と山名豊国が攻め込み、中山城へ入っている。最後に海上では、奈佐日本之介が率いる但馬水軍と一部の丹後水軍が睨み合っていた。
さて福井城へと入った義頼だが、彼はじっと建部山城を見上げていたのである。建部山城は福井城から見るとより高位な場所に建築されているからであり、必然的に視線をやや上に向けながら眺めることになっていたのだ。
「……ふむ。城の守りは堅いか。はてさて、どうする祐光」
義頼は、傍らに控える沼田祐光に尋ねる。やや後方から建部山城を眺めていた沼田祐光であるが、彼は小さく首を振っていた。
「殿。攻めも勿論大事にございますが、今は他のことを気に掛けるべきかと存じます」
「他のことのう……それは、夜討ちに朝駆けか?」
「はい」
「まぁ、そうだな。我が方の兵数は、一色勢と比べるのも馬鹿馬鹿しいぐらいに隔絶している。だからこそ、油断して目も当てられない結果など御免被るということだな」
「御意。それと、情報収集の為に伊賀衆と甲賀衆を送り込みましょう。彼らが集める情報が手に入ってからでも、攻めに移るのは遅くありませぬ」
「分かった。先ずは警戒、それからということで良いな」
「はっ」
義頼はそう沼田祐光に答えると、取りあえず旗下の兵を休ませることにした。無論、警戒を密にして建部山城からの奇襲に対処させた上である。それから念の為にと義頼は、丹羽長秀と山名堯熙と山名豊国に対して使者を送っていた。
義頼からの使者に丹羽長秀は「相変わらずよな」と内心で思いつつも、了承した旨を伝える。その一方で但馬勢を率いる山名堯熙と山名豊国は、正に沼田祐光が危惧した通りの状態となっていた。有り体にいえば、兵力差に油断していたのだ。
しかし、そこに義頼からの書状を携えた使者が到着した訳である。しかも書状には、しっかりと警戒を行うようにと書かれており、完全に釘を刺された形といえる。これには、山名尭照も気を引き締めるより他はかった。
「……夜討ち、朝駆けか……確かにその通りだな。どうも兵力差から油断しすぎでいたようだ」
「いかがした」
ほんのつい先ほどまで浮かれていたといっていいぐらいであった山名堯熙の雰囲気が変わり、真剣な表情すら浮かべている。そんな劇的といっていい程の変化を目の当たりにした山名豊国は、義頼が率いている本隊に何かがあったのかと心配し彼へと尋ねる。すると問われた山名堯煕は、浮かべた真剣な表情を崩すことなく、山名豊国に対して手にしていた義頼からの書状を差し出していた。
山名堯熙より書状を受け取った山名豊国は、広げて記されている内容を確認する。おおよそ目を通すと、山名尭煕へ言葉を返していた。
「なるほど……いちいちご尤もだな。ここは素早く、迅速に警戒を敷こうぞ」
「うむ」
山名豊国の言葉に山名堯煕は頷くと、急いで家臣を呼び出して周辺の警戒網を構築させた。
すると、その夜のことである。建部山城から、夜陰に乗じて一色家の兵が出撃する。正に、義頼や沼田祐光が心配したことが現実となった瞬間であった。
さて建部山城の兵を率いているのは、由利助之進という一色家家臣である。首尾よく城を出た由利助之進率いる一色勢は、尾根伝いに進軍する。やがて到着した建部山城の出城で、暫しの休息を取っていた。
彼らは日の出直後の頃あいに山を下り、逆落としの勢いに任せて福井城へ攻め掛かり、城に入ってまだ間もないこともあって油断しているであろう織田勢を急襲するつもりであった。しかしてその目論見は、街道に出たところで潰えることとなる。その理由は、しっかりとした陣を築いた上に全く油断なく待ち構えていた義頼の軍勢のせいであった。
「ば、馬鹿な! 何ゆえ敵に覚られているのだ!!」
油断どころか万全の態勢を取っている敵に対し、由利助之進は驚愕していたのであった。
義頼が一色勢を待ち構えていたのには、当然だが理由がある。それは、建部山城の様子を探る為にはなった伊賀衆と甲賀衆の手柄であった。沼田祐光の進言を受けて義頼が派遣した彼ら忍び衆は、やがて建部山城近くまで辿り着くことに成功する。そこで夜を待ち城内へと侵入するつもりであったのだが、忍び衆が建部山城へと侵入する直前に城から出陣を開始する一色勢を見付けたのだ。
忍びこむ者たちを率いていた伊賀衆の中林忠昭は、この一色勢の動きに対して即座に義頼へ人を派遣して敵勢の出陣を報告する。その報を受けて義頼は、一色義定を呼び出すと敵勢の動きから予測される一色勢の進撃経路を聞き出している。そして彼からの情報をもとに素早く軍勢を動かし、軍勢を展開したのである。すると一色義定が予想した通り、一色勢がやって来たのであった。
「放てー!」
号令一下、六角家の鉄砲衆の持つ鉄砲が火を吹いた。
鉄砲衆から放たれた鉛玉が、無慈悲に一色勢へと襲いくる。だが由利助之進は怯むことなく、弾雨の中を突き進んだ。
火縄銃は、敵が近付けば意味を成すことが難しくなる。弾丸の装填に時間が掛かる為、それは致し方がないことであった。その為、鉄砲衆には大体槍衆などが共に居るのが普通となる。しかし理由は分からないが、由利助之進から見える範囲に敵の槍衆などは見受けられないのである。もしかしたら隠れているのかも知れないが、そのようなことをする意味を由利助之進は見いだせなかった。
ゆえに彼は、突撃を仕掛けたのである。だがその突撃の為に、彼ら一色勢は六角家の新装備最初の餌食となるはめとなった。
『構え!』
突撃してくる一色勢を前にして、六角家鉄砲奉行の杉谷善住坊と城戸弥左衛門の声が重なる。するとその指示に従い、鉄砲衆は手にしている火縄銃を構えていた。
その様子に由利助之進は、違和感を覚える。普通ならばすぐに引くなり、近づいてくる敵勢足止めの為に槍衆などが迎撃に出たりするものだからである。だが敵の鉄砲衆は、引くでもなくましてや新たな兵が出て来る様子もないのだ。
そこに答えはなかったが、今さら止まることなどできない。どのみちこのまま近づかなければ、またしても鉛玉を食らうことになる。ならば、このまま突撃するのが最適解である筈だった。
果たして間近まで迫った一色勢がそれぞれに得物を振りかざして六角家鉄砲衆に肉薄した正にその時、再び杉谷善住坊と城戸弥左衛門の声が響いた。
『突け!!』
次の瞬間、肉薄していた一色家の兵士の体に深々と何かが刺さっていく。彼らは、始め理解出来なかった。やがて彼らは、緩々と視線を自身の体に突き刺さった何かへ向ける。そこで彼らが見たもの、それは……
『や……槍?』
それが、体に何かを突き立てられている一色勢から出た言葉である。そしてそれは、自身が攻撃されたことを認識する言葉でもあった。一様に彼らが漏らしたように、槍が突き立てられていたのである。しかもその槍は、火縄銃に取り付けられている。訳も分からないうちに彼らは、吐血したのであった。
さて、ここで話は数年前まで遡る。
当時より義頼は、かねて考えていたことがある。それは、火縄銃についてであった。
彼は元服後に長光寺城主となっているが、城主に就任して間もなくから火縄銃を揃え始めている。これは、当時筆頭家臣であった蒲生定秀の勧めもあったからであった。
しかしてその火縄銃だが、近接戦を苦手とする弱点を持っている。いや、苦手などではない。敵に接近されると、ほぼ何もできないといっても過言ではない。その状況下でもしできることがあるとすれば、せいぜい逃走に移るか火縄銃で殴り掛かるぐらいであった。
そこで義頼は、その弱点を克服出来ないかと模索していたのである。だが答えが出ぬまま、六角家は織田家へと降伏することとなってしまった。幸いして命こそ永らえることはできたが、代わりに六角家の領地は殆ど織田家に接収されてしまう。彼に残されたのは、本貫地となる佐々木荘だけとなる。その為、経済的にも困窮した義頼はその件について棚上げす……いや棚上げするよりなかった。
一時は鉄砲衆による火縄銃の運用すらも諦めかけたほどであったのだが、寸でのところで義頼は褒美として甲賀郡を与えられている。その後、新たに手柄を立て伊賀国の阿拝郡をも褒美とし賜ったことで、どうにか経済的に余裕が生じる。そこで彼は、漸く火縄銃の部隊運用について再開することができたのであった。
同時に義頼は、嘗て棚上げせざるを得なかった火縄銃の弱点を克服する件についても再度模索を始めたのである。暫く暗中模索を続けた義頼らであったが、中々に答えが得られなかった。
そんな日々にあって、義頼は気分転換も兼ねた弓術の修練をしていたのだが、その時にふと気付いたことがあった。ゆえに弓を引き、矢を放とうとした彼は、突然その行動を取りやめる。それから義頼は、手にしている弓をじっと見詰め出していた。
「殿、いかがなされました?」
義頼の脇に控えて修練の手伝いをしていた水口正家が、主の様子に気付き声を掛ける。しかし義頼は、水口正家に答えることもせずじっと手にした弓を見つめ続けている。ここは邪魔をするところではないと判断した水口正家もまた、身動ぎすることなく黙って控える選択した。
「……そうか。弓も火縄銃も、何かを飛ばすという意味では同じ性質を持った武器だ。ならば、弓で行えることは火縄銃でも可能ではないのか?」
弓と火縄銃を併用して運用する義頼であったが、それぞれがあまりにも構造が違う為、全く同列に考えていなかった。しかし途中の工程は兎も角として得られる答え、即ち遠距離から敵を攻撃するという結果に弓と火縄銃の差はない。ならば、弓で行う近接での対処もやはり可能ではないのかと唐突に考え付いたのだ。
何ゆえに義頼がそのようなことを思いつけたのかというと、それは槍の一種に弭槍と呼ばれる物があるからだ。これは弓の弭(弓弭とも言う)と呼ばれる個所に、袋穂状の形態をしたかぶせ槍穂と呼ばれる穂先を取り付けた物である。弓衆が敵と近接戦になってしまった場合における一種の緊急避難的側面を持つ武器であるのだが、和弓が大きく長いこともあり十分槍としての機能を持たせることができる代物であった。
そして義頼が注目したのは、この穂先を弭槍に取り付けるという手順にある。火縄銃にこの弭槍のごとく槍の穂先でも取り付ければ、短槍として扱えるのではと考え付いたのだ。思いついたが吉日とばかりに急遽弓の修練を取りやめた義頼は、杉谷善住坊と城戸弥左衛門を呼び出すと二人に相談した。
主より相談された二人は、高価な火縄銃を放り出さずにかつ近接戦もが出来る可能性があるという考え方そのものには驚きを表しつつも同調した。しかし、彼らが首を縦に振ることはなかった。
「なぜだ? 善住坊、何か問題でもあるのか?」
「第一に、それでは玉込めが出来なくなります。第二に、槍の穂先が敵に刺さってしまった場合、穂先が抜けてしまいかねません」
義頼が考えたやり方、それは銃口に槍の穂先を差し込むという物である。しかしこれでは指摘された通り、取り付けた穂先を一度外さねばならなくなる。そうしなければ、弾丸を装填することができない。何せ火縄銃は、先込め式の鉄砲なのだ。
またもう一点の指摘についても、通常の槍の様に刃の部分が確りと固定された物ではないということが問題であった。折角取り付けた穂先がなくなれば、それは棒と何ら変わらない。それでは、意味がないのだ。
「むぅ……言われてみればそうだな。流石は、六角家きっての銃名人だ」
相談した二人に比べれば、銃に関して義頼は素人までとはいわないが熟達しているなどとは到底いい難い。ましてや佐々木流砲術の印可持ちの杉谷善住坊とでは、比べられる筈もなかった。
「いえ、殿。考え方としては、決して悪い物ではないと思います。今あげた二点さえ解決出来れば、多少は重くなるという問題を考慮しても実践するべきだと愚考致します」
「ええ。その点に関しましては、拙僧も城戸殿と同じにございます」
だが、問題を指摘した二人は否定ではなくむしろ肯定したのである。彼らは、義頼の考えに反対している訳ではない。あくまで義頼の考えた方法だと、問題が発生してしまうという点を指摘しているに過ぎなかったのだ。
つまり彼らは、提案された考え自体には同調しているのである。何といっても、自分たちでは思いも付けなかった方法だったからだ。
「ふむ……ならば槍としての使い方も考慮しつつ、銃としての機能を損ねない方法を考えなければならないという訳か」
『はっ』
二人からの指摘に、義頼は考える。しかしてその答えだが、意外なことに身近にあった。そして、その答えであるが、これもまた弭槍であった。
弭槍は穂先を付けた後、その穂先を弦によって固定している。だからこそ、槍として使えるといえる。そして穂先が抜けてしまう可能性が問題であるならば、弭槍と同様に固定してしまえばそれで済む話であったのだ。
同時にこの答えは、もう一点の指摘に対する答えにも繋がっていたのである。火縄銃が銃口より弾丸を飛ばす武器である以上、銃口に差し込みその上で穂先を固定するという訳にはいかない。ならばどのように固定するか、それは自ずと答えが出る話であった。
「……ああ、そうか。筒(銃身)に固定出来ればいいのか。そうすれば取り付けた穂先が抜けることもなく、また筒先(銃口)が塞がれるということもない」
『おおっ! なるほどっ!!』
義頼の口から出た言葉に、杉谷善住坊も城戸弥左衛門も思わず手を打った。確かに、彼のいう通りである。義頼のいったことが実行されれば、先ほど上げた二つの問題は解決するのだ。
「とはいえ……ここからは試行錯誤だな。火縄銃に槍の穂先を取り付けても使用に差し支えがなく、しかも外れ難い上手い手を考えなければ」
「拙者もそう思います。そこで殿、北畠殿に助言を求めてはいかがでしょう」
かつて義頼は、織田信長の長男と次男と三男が元服すると北畠具教を含む北畠一族についての処遇を任されていた。そしてその北畠具教だが、彼は剣豪としても名高い男でもある。彼ならば「その辺りにも詳しいのでは?」と、杉谷善住坊は考えたのだ。
「なるほど。中納言(北畠具教)殿なら、詳しいかも知れんな」
『はっ』
義頼は早速、北畠具教に書状を出してこれから訪問したい旨を伝える。北畠具教としても別段断る理由もないので、義理の弟でもある彼の訪問を快く応じることにしたのであった。
ご一読いただき、ありがとうございました。




