第百六話~武田の撤退と井伊家到着~
第百六話~武田の撤退と井伊家到着~
出立の用意が整い、井伊直虎を筆頭とする井伊家家臣団は、いよいよ故郷である井伊谷を出立した。 するとまるでその事に連動していたかの如く、遠江国にある二俣城と亀井戸城と匂坂城で籠っていた武田勢がついに撤退へと入る。 そんな武田勢の様子を浜松城で聞き及んだ徳川家康と佐久間信盛、そして水野信元は彼らの手際の良さに感心すらしていた。
「……見事な物だ」
「佐久間殿も、そう思われますか」
「うむ、徳川殿。 「引き佐久間」などと呼ばれているわしの目から見ても、隙は殆ど見付けられん。 あの軍勢に手を出せば、間違いなく手痛いしっぺ返しを喰らうだろう」
今日より二日前の事だが、浜松城へ義頼からの書状が届いている。 そこには武田信玄の死亡確定はもとより、今回の婚姻を契機とした武田勢の撤退を知らされている。 彼らははじめ武田勢の撤退に合わせての追撃を考えていたのだが、目の当たりにした敵の隙のなさに考えを改めたのだ。
確かに兵数的には五分か、若しくは味方の方が若干多いと思われる。 しかし【欠下城外の戦い】や【三方ヶ原の戦い】を経験した彼らにとって、多少兵数の利が有ろうと勝てるとは思えなかった。 故に徳川家康は追撃を諦め、徳川家領内より武田勢の主力が消える事で良しとした。 そんな徳川家当主の言葉を聞いた佐久間信盛と水野信元の二人もまた、その考えに賛同していた。
さてこの武田勢だが、これを契機として奥三河でも動きがでる。 徳川家康からの知らせで武田勢の撤退を聞いた奥平定能は、千載一遇の好機とばかりに武田勢の排除を目的として動き始めたのである。 徳川家への再属を決めた奥平定能は、まず長篠城主の菅沼正貞に話を持ち掛けた。
そもそも菅沼正貞が徳川家より離れ武田家に臣従すると言う判断を行ったのは、彼自身の後見人でありしかも家中を牛耳っている彼の叔父となる菅沼満直の存在が大きい。 彼が積極的に菅沼家家中の意見を武田家の臣従へと誘導した結果、彼は武田勢に付く決断を余儀なくされたのだ。
そして、奥平家でも似た様な経緯で武田家への臣従している。 奥平定能の父親にあたる奥平貞勝が奥平家の当主であった息子を差し置き、半ば彼の独断で家中の意見を取り纏め武田家へ臣従したのである。 そんなある意味で似たもの同士とも言える彼ならば同意するだろうと考え、味方に引き込もうと動いたのだった。
話を持ち掛けられた菅沼正貞も、元々は徳川家への従属を貫くつもりであった。 その為、一も二も無く話に乗って来たのである。 奥平定能と菅沼正貞は密かに話し合い、奥平家と菅沼家それぞれの家の主として力を取り戻す機会を探っていた。
そんな彼らの元に届いたのが、今回の武田勢撤退である。 二人は「これを待っていた!」とばかりに撤退の日に合わせて行動を起こしたのであった。
「何のつもりだ! 定能!!」
「父上。 奥平家は、徳川家へ再属致します。 その為には、武田に懸想を見せる父上が居てはいささか不味うございます」
「くっ!」
「それ故に父上には、城より退去していただく。 捕らえろ」
奥平定能は、嫡子の奥平貞昌と弟の奥平貞治と示し合わせて、自分の弟に当たるが奥平家当主である兄の奥平定能ではなく父親の奥平貞勝に従う奥平常勝を拘束すると、纏めて彼らを亀山城から放逐した。
一方で長篠城主の菅沼正貞だが、彼は奥平定能と時を同じくして行動へ移っている。 亀山城より追放された奥平貞勝と奥平常勝と同様に武田家への同調を崩そうとしない叔父の菅沼満直を捕えるべく、同じ一族である菅沼貞俊と彼の息子になる菅沼貞重と共に行動を起こしたのだ。
菅沼貞俊とは、叔父の菅沼満直とは真逆で菅沼正貞に徳川への忠誠を貫く事を強く勧めた男である。 しかし家中は、菅沼満直の動きで武田臣従へと靡いていた。 その決定に不服であった菅沼貞俊は、出仕を止めて隠棲していたのである。 そこで菅沼正貞は、菅沼満直を捕えるに当たり彼らの力を借りる事にしたのであった。
賛同を得られた菅沼正貞は、菅沼貞俊と菅沼貞重親子の他にも菅沼満直の専横に不服を抱いていた菅沼家家臣達も引き込んだ上で、柿本城から戻っていた叔父を急襲する。 完全に不意を突かれた菅沼満直は、抵抗する間もあればこそ捕えられてしまった。
「何をしているのか分かっているのか! 新九郎(菅沼正貞)殿」
「無論だ」
「わしを捕えるという事は、武田を敵に回すという事だぞ!!」
何も菅沼満直とて、好きで武田の調略に乗った訳ではない。 長篠菅沼家が生き残る唯一の道と信じたからこそ、家中の意見を武田家へ属する事に傾かせたのである。 しかしながら菅沼正貞の行動は、そんな彼の考えをぶち壊してしまうのだ。
確かに武田家の軍勢がすぐ近くにいると言うならば、その考えも分からないでもない。 しかし、武田勢は引き上げを始めている。 その様な状況下で何時までも武田家を頼るなど、菅沼正貞からすれば愚策としか思えない。 武田家に幾ら力があっても、助けて欲しい時にあてにならない勢力など頼むに足ると値できないのだ。
それに何と言っても、武田信玄が死亡している。 彼の後継者が誰になるかは分からない事も、武田家を頼れない不安要素と言えた。
「叔父上、信玄坊主は死亡。 その影響もあって 此処暫くは、武田とて領外に手出しが出来るとは思えない。 そうは思わぬか? それに何より、叔父上の様な者が居ては家中も纏まらん」
「……そこで、拙者を討つか?」
「徳川家へ再属するに当たり、旗幟を鮮明にする。 その意味でも叔父上は邪魔だ、連れて行け」
「はっ」
菅沼正貞に命じられた兵が、菅沼満直を引っ立てていく。 その際にも菅沼満直の口から「今からでも遅くは無い」とか「考え直せ新九郎!」とか聞こえて来たが、菅沼正貞は聞くに値せずと無視をした。
そしてその日のうちに彼は、いみじくも叔父へ言った様に旗幟を鮮明にするとして叔父を討ったのである。 そんな奥平家と長篠菅沼家の動きに驚いたのが、菅沼一族の惣領で田峰城主の菅沼定忠である。 彼にとって奥平定能と菅沼正貞の行動など、寝耳に水でしかない。 そこで菅沼定忠は家臣を集め、今後の対応を協議しようとしたがそれが叶う事は無かった。
何と彼の叔父に当たる菅沼定直が、同じく田峯菅沼家重臣の今泉道善らと共に行動を起こしたからである。 元々彼らは、菅沼家が武田家へ付く事を反対していた者達であった。 だが当主の菅沼定忠が武田家へ付くと決めた為に、不承不承ながらに従ったという経緯がある。 しかし武田信玄の死亡が判明したばかりか、奥平定能と菅沼正貞からの勧誘を受けた事で彼らも奥平家と長篠菅沼家に同調したのだ。
菅沼定直と今泉道善は兵を率いて菅沼定忠を捕えるべく行動を移したが、寸でのところで気付かれて逃げられてしまう。 何ゆえに菅沼定忠が気付けたのかと言うと、田峯菅沼家主席家老の地位にある城所道寿の存在のせいである。 偶々、城所道寿が菅沼定直らの行動に気付き、慌てて主君の元へと向かい進言したからだった。
「どうした、道寿。 その様に慌てて」
「こ、これが落ち着いていられしょうか! 弥三右衛門様、謀反にございます」
「な、何だとっ!」
城所道寿からの報せを受けた菅沼定忠は、はじめ呆気にとられた。
その後、叔父の行動に腸が煮えくりかえるほどの怒りを覚えたが、此処で死んでは元も子もないと考えを切り替える。 彼は危機を知らせてくれた城所道寿と共に城から辛くも脱出すると、武田家の庇護を頼み飯田城を目指して落ち延びていった。
菅沼定直に取って菅沼定忠と城所道寿を逃したのは痛恨の事態であったが、その事以外は思惑通りに事が進んだ事で菅沼定直らの目的だった家中の掌握には成功する。 すると即座に奥平定能へ書状を送り、事の経緯を知らせたのだった。 程なくして田峰城の定直から届いた書状には、菅沼定直と今泉道善が田峰菅沼家を掌握した事と菅沼定忠と城所道寿を逃してしまった旨が書かれていた。
「刑部少輔(菅沼定忠)殿を捕らえそこなったか……」
「兄上、少々不味いのではないか?」
無表情で書状を読む奥平定能に、弟の奥平貞治が心配気に尋ねる。 しかし問われた奥平定能は、取り分け何でも無いという表情をしながら弟へ返答した。
「まぁ、問題は無かろう。 刑部少輔殿は既に城に居らぬ様だし、なにより家中自体は掌握しているのだから」
「そう……ですな」
まるで自身を納得させるかの様であったが、取り敢えず奥平貞治は兄の言葉に同意した。
何はともあれ、奥三河で特に強い影響力を持つ山家三方衆は再び徳川家の旗の元に集う事になる。 すると彼らに追随するかの様に、武田家の侵攻に合わせて武田家へと鞍替えしていた奥三河の国人達の中から徳川家に再属する者達が出始めるのだった。
武田勢が遠江国から撤退に入ってから遅れる事二日、東濃へ攻め込んでいた秋山虎繁の下へも知らせが届く。 しかしながら彼の撤退の準備は、既に終わりを見せていた。 そして明後日はいよいよ撤退というその日の夜、彼の元に想定していなかった奥三河の情報が飛び込んでくる。 それは勿論、山家三方衆が武田家より離れ徳川家に再属したという物である。 この知らせを受けた秋山虎繁は、驚きのあまり目を丸くしていた。
それと言うのも、この知らせが事実ならば、最悪の場合は退路を断たれてしまうからである。 それを防ぐには、迅速な行動以外にあり得なかった。 丁度その時、秋山虎繁の配下である伊那衆の中核を務める座光寺為清が声を掛けてくる。 元々、彼が書状を取り次いだのである。 その為、そのまま彼は残っていたのだ。 だからこそ驚きの色を隠せない秋山虎繁に、声を掛けたのである。 すると秋山虎繁は、黙って座光寺為清に書状を差し出した。 書状を受け取ると、彼は読み始める。 順に読み進めていくうちに、彼の表情もまた強張って行った。
「こ、この事が真ならば、最悪退路を断たれますぞ!」
「そうだ。 そこで、撤退を一日前倒しする。 明後日では無く、明日の夜に撤退だ。 兵には身軽に引く為に、物資は置いて行けと伝えよ」
「御意」
その頃、秋山虎繁率いる兵と対峙している柴田勝家はと言うと、義頼から届いた武田勢撤収の報せに遠江国の徳川家康や佐久間信盛達と違って座して待つという判断はしなかった。
彼は水晶山に配置していた河尻秀隆に命じて、密かに下山させ合流を果たす。 それから柴田勝家は、自身が率いる本隊を二つに分ける。 そのうちの一隊は、遠山利景に預ける事とした。
遠山利景だが、彼は以前秋山虎繁が東濃に侵攻した際に遠山景任を守って討たれた遠山景行の二男にあたる人物である。 この戦においては、兄の遠山景玄もまた討ち取られているのだ。
その為、兄の嫡子である遠山一行が急遽家督を継いでいる。 しかし遠山一行はまだ幼かったので、出家していた遠山利景が甥を後見する為に還俗したという経緯があった。
つまり彼に取り、秋山虎繁は父と兄の仇である。 その仇を晴らす機会を与えると言う意味も込めて、柴田勝家は彼に兵を預ける判断をしたのだ。
また、苗木城主の遠山友忠にも出陣を命じている。 柴田勝家はこれらの軍勢を持って、秋山虎繁を討つつもりであった。
「いよいよ反撃に出るぞ利家、長近、秀隆」
「はっ。 楽しみにございます」
「しかり」
「うむ」
いよいよ撤退に入るであろう秋山虎繁の軍勢を討つ前祝いとして、柴田勝家は旗下の兵達へ酒を振る舞っている。 そして当然だが本人も飲んでおり、彼は本陣で前田利家と金森長近、そして河尻秀隆を相手にして酒を飲んでいた。
その席で笑みを浮かべながら柴田勝家は、前田利家に突出しすぎない様にと釘を刺している。 彼は自身の武に頼り過ぎるきらいがあり、気づくと敵中に取り残され掛けると言った事がしばしば見られる。 年齢を重ねる事で少しずつ改善している様だが、それでもその様な事態に陥る事はまだある。 それを戒める為に、柴田勝家は苦言を呈しているのだった。
そして言われた前田利家も、柴田勝家が心配のあまり注意しているのに気付いている。 それでもいささか煩わしいと思えてしまうのは、しょうがないと言えた。 誰であっても、苦言は耳に痛い。 それが心配の上でだと分かっていても、耳に痛いものは痛いのだ。
そこで前田利家は、間髪入れずに答える事で話を終わらせようとする。 そんな彼の行動を見て柴田勝家は小さく苦笑を浮かべつつ、杯の中にあった酒を呷る。 そして二人に続く様に、金森長近と河尻秀隆も杯を呷ったのであった。
今更言うまでもないが、明日には出陣を控えている彼らが深酒などする筈もない。 柴田勝家も前田利家も、それから金森長近と河尻秀隆も適当なところで切り上げると眠りに入っていた。 それから、どれくらい時間が経ったであろう。 かなり夜も更けた頃に柴田勝家は、中村文荷斎によって起こされた。
深夜と言っていい時間であり、そんな時間に叩き起こされた柴田勝家は、多少気分を害してしまう。 しかし中村文荷斎の様子に、何かあったと判断し即座に問い掛けていた。
「どうした文荷斎、こんな夜更けに」
「それどころではありません、殿! 虎繁が夜陰に乗じて、撤退に入ったよしにございます!!」
「な、何っ! どういう事だ、文荷斎!」
「そのままの意味にございます。 念の為にと巡回をさせていた部隊より急使があり、それで判明いたしました」
「くそっ、完全に裏をかかれた! 皆を叩き起こせ、追撃するぞ!!」
「御意」
柴田勝家は、即座に追撃を行う決断した。
しかし、言うは優しいのだが、実際に行うとなれば相応の時間が掛かってしまう。 事実、将兵が揃うまでに更なる時が必要となってしまった。
その間、柴田勝家は内心じりじりとしながらそれでも表面上は騒ぎたてるでもなく待ち続ける。 「掛かれ柴田」などと称される猛将であっても、彼自身は猪武者などでは決してない。 焦ったところでどうにもならない事など、今まで経験した数々の戦を考えれば分かり切った事であった。
それでも、やはり苛立ちはある。 そんな気持ちを表したかの様に、彼は組んだ腕を指で叩いていた。 やがて中村文荷斎が現れると、柴田勝家へ将兵が揃った旨を伝える。 すると彼は一つ頷くと、出陣の下知を出したのである。 こうして柴田勝家の率いる軍勢は、夜の帳が覆う道を進んで行くのであった。
遠江国と東濃、そして奥三河で織田・徳川連合軍と武田勢との戦が起こっている最中、美濃国岐阜へついに井伊家の一団が到着したのである。 彼らは尾張国の国境で義頼の名代として迎えに来ていた伊奈忠家と藤堂虎高に先導されて、岐阜城下にある六角屋敷へと招かれたのである。 いよいよ到着した一行は、無事に屋敷の門を潜ったのだった。
すると六角屋敷の玄関では、義頼自らが出迎えていたのである。 その事に驚き、菅沼忠久を筆頭とする井伊家家臣らは慌てて畏まってしまう。 そんな家臣達を尻目に、井伊直虎は義頼に近づくと小さく頭を下げていた。
「お言葉に甘え、井伊家家臣達と共に参りました。 四郎五郎(六角義頼)様、これから宜しくお願いします」
彼女の言った四郎五郎とは、義頼の通称だ。
元々、彼の通称は五郎であったが、六角家の家督を継いだ折に五郎から四郎五郎へと改名している。 その理由だが、四郎とは歴代の六角当主が通称に使用しているからである。 そこで、その前例にあやかり自身の元々の通称であった五郎の前に四郎の通称を置いたのであった。
それは兎も角、義頼は井伊直虎へ歓迎する旨を伝える。 そして彼は、自身の陰に佇んでいたお犬の方を紹介する。 まさか当主の義頼ばかりか、正室のお犬の方も出迎えに出ていたと聞き、井伊直虎も驚きを隠せない。 そんな井伊直虎へお犬の方は、微笑みながら挨拶をした。
「そなたが次郎法師殿ですか。 会えるのを楽しみしておりましたよ」
「こ、これはお犬の方様」
「慌てずに、次郎法師殿。 お腹のお子が驚いてしまいますよ」
「……圓、そうお呼び下さい。 四郎五郎様、お犬の方様」
彼女が述べた圓と言う名は、もし井伊直虎が次郎法師と名付けられなかった場合に付けられた筈の姫としての名である。 これは、実父の井伊直盛が死した後に剃髪した実母より聞いた話であり間違いは無かった。
「そうか。 相分かった。 では改めて……歓迎するぞ圓、井伊家の者達よ」
『はっ(はい)』
ここに井伊家、及び井伊家家臣団は六角家家臣として新たな出発を切る事となったのであった。
井伊直虎の女性名ですが、祐圓尼から取りました。
祐の字を使わなかったのは、文献によっては母親剃髪後の名と被るからです。
(祐椿尼、若しくは友椿尼)
ご一読いただき、ありがとうございました。




