表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
108/284

第百五話~武田の撤退と織田の飛将~


第百五話~武田の撤退と織田の飛将~



 義頼と井伊直虎いいなおとらの婚姻が本決まりとなった井伊谷では、井伊谷衆の大半の者達が出立の準備に追われていた。 

 六角家との婚姻が正式な物となった事で、本貫地であった井伊谷を事実上手放す事になる井伊家と、井伊家が旅立った後に井伊谷を所管する事となる徳川家との間で井伊谷の扱いについての話し合いが持たれている。 これは、井伊谷を出て行くとは言え放っておく訳にはいかない井伊家が申し出があったからである。 徳川家としても今後の統治を潤滑に進める上で必要な措置として考慮した徳川家の思惑とも相まっていた。

 その席で喧喧囂囂(けんけんごうごう)とまでは言わないまでも相当な激論が交わされており、その結果井伊谷は井伊家より委託された徳川家が所管する事で決着が付く。 あくまで所管であり、井伊家より委託された徳川家が責任を持つという物であった。

 これにより井伊谷は、事実上徳川家の所領であったとしても、彼の家が得手勝手えてかってには差配できない様にしたのである。 そしてこれこそが、井伊家が徳川家に対して行う、せめてもの意趣返しであった。

 徳川家康とくがわいえやす及び徳川家としては、井伊家から譲渡なり放棄なりと言う形が望ましかったのであるが、だからと言って話し合いにあまり時間を掛ける訳にもいかない。 何せ既に井伊直虎の輿入れは、決まった事だからだ。 已むに已まれない事情があるならばまだしも、井伊谷の扱いにについての話し合いで仲人を務めた織田信長おだのぶながの面子を潰す訳にもいかない。 その為、徳川家は仕方無く井伊家よりの委託という形を受け入れたのだ。

 そんな井伊谷には、鳥居忠広とりいただひろが数十名の兵と共に在する事になる。 彼は井伊直虎ら井伊家の者が去った後の治安維持などの為に、先に井伊谷へと入っていたからだ。

 また徳川家康は、六角家に向かう井伊家の護衛として天野康景あまのやすかげに兵を五百程付けて同行させる予定である。 彼と兵は尾張国と三河国の国境まで井伊家を護衛して、そこに向かえに来る筈の義頼の家臣へ引き渡すのが役目であった。


「これは……撤退するいい好機かも知れぬ」

「うむ。 曽根殿、確かに」


 六角家と井伊家の結び付きに伴う情勢の変化を知った二俣城で、二人ほどほくそ笑んでいる者が居る。 彼らは、信玄に「我が両目」とまで称された武藤昌幸むとうまさゆき曽根昌世そねまさただであった。

 その二人が何ゆえに撤退の好機と見ているのか、それは徳川家の動きにある。 織田信長が仲人を務めた形となっている為か徳川家の注意が薄れ、武田家への対応が幾分か疎かになっている様な節を感じられたからだ。

 

「急ぎ四郎(武田勝頼たけだかつより)様と刑部少輔(武田信廉たけだのぶかど)様に、撤退を進言しようではないか」

「おう」


 武藤昌幸と曽根昌世は、すぐに武田勝頼と武田信廉に面会を求める。 程なく面会が叶うと二人は、井伊直虎の側室入りの話と共に撤退の進言を行ったのであった。


「……あー、つまり二人は、この隙に撤退をしろとそう言いたいのだな」

『御意』

「どうした物か、のう勝頼」


 武藤昌幸と曽根昌世から進言を受けた武田信廉は、ためすかの様に甥へと話を振る。 本来であれは、武田信玄の後継者である武田勝頼の方が主座となる。 しかし今は味方の混乱を避ける為、武田信廉が武田信玄たけだしんげんの代わりを務めている。 それ故に、武田信廉が武田勝頼へ意見を求めると言う方となってしまうのだ。


「……お……父上。 此処は二人の言う通り撤退に入りましょう。 このままずるずると二俣に居ても、何れ農繁期となれば兵より不満が出ましょう」

「ふむ、それもそうだな。 不満が出る前に撤収に入るとするか。 多少はまだ雪が残っているかも知れぬが、通れ無い事もなかろう」

「はい。 時間は余計に掛かるとは思いますが」


 武田信廉に問われた武藤昌幸が返答すると、武田勝頼と武田信廉は頷く。 それから、宣言するかの様に口を開いた。


「よし。 ならば撤収に入る。 密かに、そして素早く用意を整えよ」

『はっ』


 しかしこの撤収により、武田家の警戒もいささか疎かになる。 するとその隙を突かれた形で、武田信玄死亡の情報が敵へと漏れてしまった。

 この情報を手に入れたのは、伊賀衆の高羽左兵衛たかばさへえと甲賀衆の土山盛綱つちやまもりつなである。 伊賀衆と甲賀衆は上手く連携しながら武田勢に紛れこんでいたのだが、撤退と言う事もあり武田勢の気が緩んだ僅かの隙を付いて情報を得たと言う訳である。 そこで情報を得た彼らは、即座に千賀地則直ちがちのりただ望月吉棟もちづきよしむねに報告した。


『そうかっ! 掴んだか!!』

「はい。 武田信玄の死亡、先ず間違いありません」

「よしっ。 我らは急ぎ殿に報せる。 その方らは引き続き武田勢に潜り、情報収集に努めよ」

『はっ』


 義頼へ報告する為に多聞山城へと訪れた千賀地則直と望月吉棟は、本多正信ほんだまさのぶと面会した。

 そこで二人は、武田信玄死亡の情報と武田勢撤退の報せを告げる。 報告を受けた本多正信は、少し考える素振りをした後で千賀地則直と望月吉棟を下がらせた。


「………ああ、ご苦労であった。 引き続き、武田の動きを見張ってくれ」

「はっ」


 二人が部屋から消えた後も暫く考えていた正信であったが、一つ首を振ると義頼の元へと向かう。 朝の早い時間であったが、義頼はすぐに面会した。

 そこで本多正信より、武田信玄死亡の報告を受ける。 同時に、武田勢撤退の報告も受けていた。 


「撤退だと? 今更になってか」

「はっ。 それ故、信玄公死亡の情報を手に入れられました」

「しかし、何で今更になって撤退なのだ?」


 義頼の疑問も最もであった。

 と言うのも、別に今でなくても武田勢が撤退できる時期はあった筈なのだ。 例を上げるとすれば、織田信長の撤収時がある。 彼が浜松城から岐阜城へ退去する時期に合わせて、武田勢も引いてもよかったからである。 しかし、その際には撤退していない。 そして、今になって撤退すると言う。 何ともちぐはぐと言うか、場当たり的にも見えてしまったのだ。

 

「それにつきましては、二つ程考えられます」

「二つか。 言ってみよ、正信」

「はっ。 一つは遺命。 亡き信玄公から、今際の際に死亡した後についてまでの命があったとすれば、考えられなくもありません」

「なるほど……して、今一つは何だ?」

「此方も推測の域を出ませんが、次郎法師(井伊直虎)殿の側室入りの件を利用された可能性にございます」

「なっ、何だとっ! どういう事だそれは!!」


 本多正信の胸倉を掴むかの勢いで、義頼が詰め寄った。

 詰め寄られた本多正信であったが、彼は落ち着き払った表情をしている。 そんな彼の態度に、井伊直虎の結婚を利用されたかもと言う指摘に驚き、そして頭に上ってしまった血が急速に下がっていくのを義頼は自らの事ながら感じていた。


「……すまぬ、正信」

「いえ。 お気になされますな。 して殿。 次郎法師殿の事についてですが、話が大きくなってしまった事が拙者が「利用されたのでは?」と疑った理由です」

「話が大きくなった、それが原因だと?」

「はい。 弾正大弼(織田信長)様が仲人の様な事をした関係で、六角家にしろ徳川家にしろ今回の話は断れなくなってしまいました。 そして徳川家ですが、殿の許へ移動する途中で次郎法師殿に何かあっても困ります」

「つまり、どうやっても徳川家は此度の婚儀に注視せざるを得ないと言う事か……なるほどな。 だがしかし、まさかその様な事になっていたとは」

「「月に叢雲、花に風」の例えもございます。 ですが、これは武田にとっても同じ事です」


 確かに、井伊直虎が義頼の側室へ入る事が武田勢撤退の切欠になっている。 だが同時にその撤退が原因となり、義頼の配下である伊賀衆と甲賀衆が信玄死亡の情報を掴んだのだ。

 その意味でも、本多正信の言葉はあながち間違いでは無かった 


「まぁ、そうと言えるかも知れぬか……よし! 岐阜へは、俺が赴く」

「殿、井伊殿の事を放っておかれるのですか」

「まさか。 まだ次郎法師殿が、井伊谷を出たという報告は無いのでそこまで心配する事もないだろう。 それに船と馬を使えば、かなり時間を短縮出来る。 何より、岐阜へは向わねばならんのだしな」


 それでなくとも、義頼が本気で馬を扱えば六角家で彼に長時間追随できる者はいない。 ましてや今の愛馬は、信長より褒美として与えられた名馬大芦毛である。 その意味でも、義頼に追随するなど無理であった。


「それはそうかも知れませんが……」

「それにな正信。 内容が内容だけに、殿へ直接会って伝えた方がいいと俺は思っているのだ」

「……分かりました。 必要な物は、追っ付け持って行きます」

「うむ。 頼んだぞ」


 こうして義頼は、千賀地則直と望月吉棟の提出した報告書を持って急遽多聞山城を出立した。

 先ず大津に向かい、そこで堅田衆の船に乗ると琵琶湖を進む。 朝妻湊で下船すると、そのまま街道を岐阜へ向けて東進した。

 だが正にこの頃、義頼が向かっている岐阜城では織田信長がある男と面会していた。


「面を上げよ」

「はっ」


 声を掛けられた男は、ゆっくりと顔を上げる。 その者の顔は、丹後一色家嫡男である一色義定いっしきよしさだに間違いは無かった。


「しかして義定とやら。 ようも一色の分際で、この信長の前に顔を出せたのう」


 剣呑な雰囲気を醸し出しながら、織田信長が一色義定に言葉を掛ける。 その迫力に彼は一瞬腰が引けてしまったが、それでも自らに気合を入れ直すと彼は織田信長へ言上した。


「ご、ご非難はご尤もにございます。 ですが弾正大弼(織田信長)様、どうか願いをお聞き遂げいただきたい。 もし叶うのであるならばこの一色義定、喜んで織田家へ従いまする」

「ほう……」


 平伏する一色義定の頭を見つつ、織田信長は片眉を上げながら思案した。

 足利義昭あしかがよしあきの対応について一色家が親子で割れている事は、義頼からの報告を受けて知っている。 その上、平伏している一色義定の言によれば他にも父親の専横が目立つらしい。 これが嘘か真かは分からないが、織田信長にとってそんな事はどうでもよかった。

 此処で重要なのは、一色義定の存在が実に利用しやすいと言う事にある。 父親の専横を取り除き丹後一色家を救うというのは、丹後国を侵攻するに当たって十分な大義名分となり得るからだ。

 しかも、一色義定は織田家に従うと言っている。 ならば丹後国に対して織田家が、同国守護を務める一色家から戦後は好きに沙汰出来るという委任状を得たに等しい。 無論ある程度は勘案しなければならないのだろうが、逆に言えばある程度でいいという事でもあるのだ。


「……いいだろう、義定。 文句が無い訳ではないが、俺が文句を言うのはそちではなく父親の方だ」

「ではっ!」

「その方の願い、聞き届けよう。 だが、裏切れば容赦はせぬぞ」

「無論にございます、弾正大弼様。 丹後一色家、子々孫々に至るまで織田家と共にありましょう」


 その一方、朝妻湊で下船した義頼だが、疾風はやてと名付けた大芦毛を駆り街道をひた走る。 やがて到着した岐阜の六角屋敷に疾風を預けると、身嗜みを整えてから信長へ謁見を申し出た。

 一色義定との面会後、義頼に使いを出そうと考えていた織田信長であったが、当の義頼から面会を申し込まれた事を知って思わず面を喰らう。 しかし呼び出す手間が省けたので、すぐに許可をした。


「さて、先ずはそちらの用件を聞こう。 何があった、義頼」

「……詳細はこれにてお確かめを」


 織田信長の言葉に義頼は一瞬眉を顰めたが、すぐに表情を取り繕うと千賀地則直と望月吉棟が本多正信へと提出した報告書を差し出す。 彼は義頼の差し出した書状を読み進めるうちに、何とも言えない表情へと変わっていった。


「おい、義頼。 これは真か?」

「少なくとも、報告は本物でございます」

「そうか……」


 そういった織田信長の気持ちだが、分からないでも無い。

 自分が仲人をしたと言っていい井伊直虎の側室入りを武田家に利用された、しかしそれ故に知りたかった武田信玄の生死に関する情報が手に入ったのである。 喜んでいいやら嘆いていいやら、何とも判断しづらかったのだ。


「して、如何なさいますか?」

「……義頼。 この報が届いてから、どれくらい時間が経ったのだ」

「数日ぐらいかと」

「ならば、既に撤収の用意が整っていても別段おかしくは無いのう……ならば、今年中は出て来んな」

「恐らくは」


 武田信玄は死亡したのだ。

 何より武田家は、遠江国と三河国と美濃国の三方へ兵を出している。 少なくとも今年の収穫を手にする事が出来なければ、再びの遠征など兵農分離を推し進めていない武田家の軍制では厳しかった。


「義頼。 その知らせを、家康と勝家に齎せ。 よいな」

「承知致しました」

「さて、それとは別にその方には一つ仕事を与える。 おい、義定を連れて来い」

「はっ」


 織田信長の言葉を聞いて、小姓の一人が部屋から出ていく。 その小姓を少し目で追った後で義頼は、訝しげな顔をしながらも尋ねていた。


「殿。 義定とは?」

「以前、その方が俺に知らせて来た丹後一色家の事は覚えておろう」

「はい」

「その一色の嫡男だ」

「と言う事は、五郎(一色義定)殿ですか」

「そう言う事になるな」


 やがて小姓に先導された一色義定が、部屋に入って来る。 彼は着座すると、織田信長へ頭を下げた。


「お呼びとお聞きしましたが」

「うむ。 丹後侵攻において、そなたと共に行く者を紹介しておこうと思ってな」

「と言われますと、此方の御人が?」

「そうだ。 義頼」

「はっ。 お初にお目に掛かる五郎殿、六角左衛門佐義頼にございます」

「おお! そなたが、織田の飛将殿か!!」

「え?」


 一色義定の口から出た言葉を聞き、今度は義頼が面を喰らう。 すると、織田信長が噴き出したかと思うと、直後には大笑いへと変貌していた。


「ぷっ……はははは。 これはいい! 義頼は織田の李広か!」


 李広とは、中国前漢の将である。

 彼は馬術と弓が特に優れた将であったが、同時に近接戦も強いと言われている。 前漢の皇帝である文帝に従い狩りに出た時などは、猛獣をたった一人でしかも接近戦で倒したという逸話を持っている。 また兵を率いては、対立していた匈奴からは飛将軍と怖れられた名将でもあった。

 そして義頼もまた、馬術と弓術を最も得意としながら近接戦もこなす男である。 その意味でも飛将、若しくは李広と称されても不思議はないとも言えた。

 因みに飛将の名は、三国志に登場する呂布りょふに付けられた異名でもあった。 

 

「いや。 某など、まだまだです。 李広や呂布に並び称されるほどの者ではありません」

「良いではないか、義頼。 黙って受け取っていればよかろう。 それに秀吉の与力としている半兵衛(竹中重治たけなかしげはる)も、今孔明と称されているらしいからな。 奇しくも織田家には、智の臥龍と武の飛将が揃ったという訳か」 


 織田信長は相も変わらず笑いながら、称賛は素直に受けておけと義頼に諭していた。

 そして義頼も人中の呂布とまで称された武将である呂布に付けられた異名で呼ばれる事に、内心では喜んでいる。 そして同時に、照れくさくもあった。 


「は、はぁ。 分かりました」

「おい、しっかりせい! 義頼、折角の飛将の名が泣くぞ」

「ははっ!」


 義頼が畏まって返答すると、その姿を見て織田信長が今一度弾けた様に笑いだす。 一しきり笑っていたのだが、やがて彼は表情を引き締めると話を丹後国侵攻へと戻した。

織田信長想定している兵力であるが、義頼を実質の大将とする。 名目上は一色義定であるが、彼はそもそも兵力を殆ど持っていない。 神輿とする以外、使い道がないのだ。 それから丹羽長秀にわながひで三淵藤英みつぶちふじひで長岡藤孝ながおかふじたか兄弟を筆頭とした元幕臣の者達も同行させる気であった。

 因みに長岡藤孝であるが、以前は細川藤孝ほそかわふじたかを名乗っている。 彼は恩賞として勝龍寺城とその周辺の土地を賜った際、土地の名にならい姓を細川から長岡へと変更していたのであった。

 何であれこうして一応は父親の一色義道いっしきよしみちの思惑通りとなった現状に、一色義定は安堵している。 しかし同時に父親や叔父、更には一色家家臣を攻めなければならないという現実が彼の前に横たわったと言う事であり、平伏しながらも内心では懊悩おうのうしていたのだ。

 当然ながら役者ですらない一色義定であり、隠そうとしても完全には隠しきれていない。 だが織田信長は全く頓着などせず、今度は義頼へと話し掛けていた。


「そなたは、義定と共に藤孝などの元幕臣を率いて雪解けを待ち丹後に攻め入れ。 また長秀には、若狭衆を率いさせる。 それと、但馬の堯熙も動かす」

『御意』


 義頼と一色義定が畏まって返答する。 そんな彼らを見ながら織田信長はにやりと人の悪そうな笑みを浮かべたかと思うと、最後の最後で言葉を続けた。


「女地頭の側室入りの後でな」

「と、殿っ!」


 思わず狼狽うろたえた義頼を見て、またしても大笑いした織田信長であった。


井伊直虎の輿入れと並行して、武田戦の決着をつけます。

同時に、丹後国についても動いていますが。


ご一読いただき、ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ