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第百四話~井伊家旅立ち~




第百四話~井伊家旅立ち~



 徳川家康とくがわいえやすとの謁見を終えて浜松城を出た井伊直虎いいなおとらであったが、彼女は本拠地である井伊谷城には戻らずに、そのまま井伊家の菩提寺でもある龍潭寺へと赴いていた。

 その龍潭寺だが、行基ぎょうきが開いたとされる寺である。 その頃は龍潭寺と言う名ではなく、地蔵寺という名であったと言う。 それから後、井伊家の初代当主とされる井伊共保いいともやすが井伊谷に本拠を構えた訳だが、その彼も当然だが亡くなってしまう。 すると地蔵寺へと葬られるのだが、その際に彼の法号から自浄寺と改められたのだ。

 それから時が進み、今度は井伊直虎の曾祖父の代の話である。 井伊直平いいなおひらと名乗っていた当時の井伊家当代は、自浄寺に黙宗瑞淵もくしゅうたんえんと言う名の僧を招いている。 その時、自浄寺は龍泰寺と改められていた。

 その後、時は下り井伊直虎の父親である井伊直盛いいなおもりが井伊家当主の頃の話である。 彼は【桶狭間の戦い】に従軍しているのだが、その際に不幸にも命を落としてしまう。 すると当然ながら井伊直盛の遺骸は、井伊家菩提寺である龍泰寺へ葬られる事となった。

 その際に龍泰寺は、彼の法号に因んでまたしても改められる事となる。 その改められた名が、龍潭寺であった。

 その龍潭寺で住職を務めているのが、大叔父の南渓瑞聞なんけいずいもんである。 井伊直虎は、その大叔父へ今回の一件について相談する為に赴いたという訳であった。

 因みに南渓瑞聞は、井伊直平が招いた黙宗瑞淵の弟子にあたる。 彼は後に出家し、黙宗瑞淵の跡を継いで龍潭寺の住職となったのであった。

 それはそれとして、龍潭寺へと赴いた井伊直虎の願いは直ぐに叶えられている。 しかし、いざとなると逡巡してしまいなかなか言い出せない。 するとその様子を察した南渓瑞聞は、優しく諭す様に言葉を促す。 そこで漸く腹が決まったのか、井伊直虎は口を開いたのであった。  


「……実は大叔父上に相談したい事があり、まかり越しました」

「拙僧に相談? 宜しい、言ってみなさい次郎法師(井伊直虎)殿」


 井伊直虎は、それでも少し躊躇った後でゆっくりと徳川家康に呼び出された一連の事を告げる。 それは姪孫てっそんとなる彼女の婚儀話であり、かねてより彼女を可愛がっていた南渓瑞聞は喜びを表した。 彼女が井伊家の為にと女の身でありながら頑張っている事は知っていたからこそ喜びであったのだが、しかして話の終わりの方で語った徳川家康の素振りに南渓瑞聞は眉を寄せた。


「そうか。 徳川様の目がのう」

「はい。 ですが、ただの取り越し苦労かも知れません。 ですが私には、どうにも気になったのです。 そこでご相談をと思いまして……して大叔父上は、如何いかが思われますか?」


 井伊直虎からの問いに、南渓瑞聞は腕を組んだ。

 実のところ、南渓瑞聞には心当たりが無い訳ではない。 と言うのも彼は徳川家がと言うより徳川家康が、井伊谷を押さえておきたいと漏らしていたという話を伝え聞いていたからだ。 しかしこれは、裏が取れていない話である。 ゆえに南渓瑞聞は、この一件について口に出して伝えるべきかどうかを躊躇う。 しかしながら、僧であるとは言え彼もまた井伊家の者である。 何と言っても事は井伊家に関する話であり、いささか逡巡した後であったが南渓瑞聞は井伊直虎へ伝えると決断したのだった。


「……よいか次郎法師殿。 今から伝える事はあくまで伝聞だ、その事を心に留めて聞いて欲しい」

「何でしょうか、叔父上」

「実はな、徳川様だが井伊谷を徳川家で押さえておきたいらしい」


 南渓瑞聞の言葉に、井伊直虎は目を白黒させた。

 何度も言っている通り、現在井伊家は徳川家家臣である。 即ちそれは、井伊谷が徳川家の領地であるという事だ。 それであるにも拘らず、井伊谷を徳川家で押さえておきたいと言う。 既に領地である場所を押さえておきたいとの言葉は、全く理解しがたいものだった。


「えっと、大叔父上。 押さえるも何も、井伊家は徳川家の家臣ですが」

「どうやらそういう事では無いらしい。 出来うる事なら、三河の者に預けておきたいと考えておられる様だ」

「それはつまり……井伊家の排除ですか?」

「そこまで考えているのかは、徳川様では無い拙僧には分からぬが…………」


 その後、部屋の中には、暫くのあいだ重苦しい沈黙が横たわった。

 話の流れから察するに、徳川家康が井伊家を井伊谷から移動させたいと考えているのは明白である。 南渓瑞聞は明言を避けだが、それはつまり井伊家の排除に他ならなかった。

 だが、落ち度も何もない井伊家に対してその様な事をすれば徳川家としても外聞も悪い。 これがもし先の戦で武田家の者に井伊谷が落とされていれば、まだ違ったかも知れない。 しかし義頼の救援が間に合ったおかげで井伊谷は落ちておらず、理由には成り得なかった。

 何より、もしこの様な状況下で井伊家の領地替えなどが強行されれば、徳川家康及び徳川家が遠江衆より信を失う事は間違いないだろう。 だが今回降って湧いたかの如く持ち上がった六角家と井伊家の婚儀にかこつけてとなれば、話は変わって来る。 あくまで現当主が嫁に行く以上は、致し方ない仕儀であると言えなくもないからだった。

 そこまで井伊直虎の考えが至った頃、まるで見透かしたかの様に南渓瑞聞が問い掛けてくる。 目を瞑り考えにふけっていた井伊直虎は、ゆっくりと目を見開くと大叔父へ己の考えを伝えたのであった。 


「……左衛門佐(六角義頼ろっかくよしより)様と私の婚儀、受け入れる方向で話を進めたいと考えます」

「ふむ、そうか。 それで、井伊家の者達はどうなされるかな?」

「無論、話します。 そして同行希望者は、連れて行きます。 但し、誰も付いてこないかもしれませんが」


 此度こたびの様な事情があるとは言え、やはり井伊谷は井伊家の本貫地である。 そこより離れたくないと考える家臣は、決して少なくは無いだろうと彼女が考えたからであった。


「その場合は、どうする気か?」

「私と虎松だけで、六角家へ輿入れ致します」


 井伊直虎が言う虎松とらまつとは彼女の養子であり次代の井伊家当主候補である。 しかし彼がその立場になるには、紆余曲折の末であった。

 元々井伊直虎には井伊直親いいなおちかと言う親同士が決めた婚約者がいたのだが、彼は幼少の頃に今川家が仕掛けたとも井伊家重臣の小野政直おのまさなおが仕掛けたとも言われる身に覚えのない容疑で父親の井伊直満いいなおみつ今川義元いまがわよしもとの命で誅殺されてしまう。 すると連座で討たれてしまいかねないと、井伊直満の家臣の手によって彼は信濃国へと落ち延びていた。

 後に帰参が叶い井伊家の当主となったのだが、この一件が契機となって井伊直虎との婚約関係は解消されていたのである。 そこで井伊直親は、井伊谷帰参後に井伊家重臣である奥山朝利おくやまともとしの娘を正室とする。 この正室との間にできた子が、虎松であった。

 しかし虎松が成人する前に井伊直親は、【桶狭間の戦い】以降に今川家より離反した徳川家との内通を疑われてしまう。 だが親戚で今川家家臣でもあった新野親矩にいのちかのりが取り成したことで陳謝をする機会に恵まれたのだが、実はこれが今川義元の策であった。

 井伊直親は駿府の今川館に向かうが、その途中の掛川で今川義元より密命を受けた今川家重臣の朝比奈泰朝あさひなやすともに討たれてしまうのである。 これにより、井伊家は存続の危機となる。 そこで彼女は大叔父の南渓瑞聞を後ろ盾として、女性の身でありながら井伊直虎が井伊家当主となったのだ。

 彼女は井伊家当主となると、直後に虎松を養子に迎える。 こうして虎松は井伊直虎の義息となり、次代の井伊家当主候補となったのだ。

 なお井伊直親に徳川家内通の疑いありと今川家に報告したのは、井伊家家臣の小野道好おのみちよしと言われている。 彼は小野政直の嫡男であり、もし井伊直満の誅殺が小野政直の進言によるものならば、結果的だが親子揃って小野の者に命を奪われたという事になるのであった。

 さて、話を戻す。

 井伊直虎の本音を言えば、井伊家累代の土地である井伊谷を手放すなど業腹である。 しかし前述した通り、この婚姻は織田信長が仲人となっている。 その事実と、織田家と徳川家の力関係を考えれば断るなどまず無理である。 しかも前述した通り、徳川家康も井伊谷を欲している。 この状況下では、この事態を回避するなど土台無理な話であった。

 それならばと、彼女は前向きに考える事にしたのである。 だが、ここで虎松を残しては亡き者にされかねない。 故に井伊直虎は、最悪の場合己と虎松だけでも義頼の元へ向かう決断をしたのだった。


「そうか……そうだな。 それしか、ないであろう」

「はい。 ところで、大叔父上は如何いかがなさいますか?」

「拙僧は龍潭寺の住職でもあるし、何よりこの寺は井伊家の菩提寺である。 拙僧ぐらいは残り、井伊家累代の供養を行わなければなりますまい」

「……かたじけない事にございます」


 こうして相談を終えた井伊直虎は、南渓瑞聞と共に龍潭寺を出て井伊谷城へと向かった。

 南渓瑞聞が付いて来たのは、この話が井伊家の行く末を決めると言っても差し支えないからである。 やがて井伊谷城に到着した井伊直虎は家臣を集めると、自分の傍らに大叔父を座らせた上で徳川家康に呼び出された一件や南渓瑞聞と相談した話をした。

 その説明を聞き、井伊家重臣の一人である菅沼忠久すがぬまただひさが思わず立ち上がり誰何する。 井伊直虎は頷く事で肯定としつつ、言葉をつむいだ。


「忠久。 確実かと問われれば、そうであるとは言いづらい。 しかし……徳川殿の様子と大叔父上の話から考えるにあながち的外れと言う訳でもないでしょう」


 最後まで言い切らない井伊直虎の話を聞き、逆に菅沼忠久以下の家臣達は真実味を感じた。

 とは言え、嘗て井伊直虎らの訴えを聞き入れて佞臣に乗っ取られているに等しかった井伊家を手助けをしたのは、他ならない徳川家康である。 そんな徳川家康が井伊谷から井伊家の排除に動いているとは、井伊家家臣一同正直信じられなかった。


「あの大殿(徳川家康)が……」

「あの方とて、お家大事は私達と変わるところは無い。 その事を考えてみれば、別段不思議ではないがな」


 菅沼忠久が未だ信じられないといった風に呟いた言葉に、小さく苦笑を浮かべながら南渓瑞聞が口を開く。 彼の言った通り、お家大事は徳川家であろうが井伊家であろうが変わらない。 そして家を残す為ならば、非情にも成れると言うのもまた同じであった。


「それは、その通りです。 しかし!」

「止めよ、忠久」

「ですが平右衛門(近藤康用こんどうやすもち)殿!」

「いいか。 まだ、殿の話は終わっておらん。 それを聞いてからでも、遅くは無かろう」

「……分かりました」


 井伊家家臣長老格となる近藤康用に諭された菅沼忠久は、やや不満げにしながらも彼の言葉を受け入れる。 取りあえず腰を下ろすと、彼は井伊直虎の方へ視線を向けた。

 その井伊直虎はと言うと、微苦笑を浮かべている。 しかしすぐに表情を引き締めると、話を続けた。


「私としては、この婚儀話は受けるつもりだ。 弾正大弼(織田信長)様がいわば仲人となっておられるらしい。 ならば断れる類の話では無いし、何よりあちらから望まれての事です」

「では殿、我らは如何いかがしたらよいと?」


 井伊直虎の言葉に鈴木重好すずきしげよしが尋ねた。

 彼は嘗て井伊家の重臣に名を連ねた鈴木重時すずきしげときの嫡子である。 そして若いながらも、父親同様に井伊家の重臣の一人として名を馳せている人物であった。


「うむ。 それに関してなのだが、もしそなた達が良ければ私と一緒に行かぬか? 無論、この地に残るというならば徳川殿にはよしなにと口添えしておく」

「殿。 虎松様はどうなさるのか?」

「無論、私と共に連れていく。 まだ元服を迎えておらぬあの子を置いていくなど出来ぬし、何より……な」


 敢えて明言こそ避けた井伊直虎だったが、彼女から「虎松をこの地に残してはどの様な扱いを受けるか分からない」そんな言葉が聞こえてきそうな雰囲気である。 そして彼女の飲み込んだ言葉は、井伊家家臣をしてあり得ると思わせるに足る現状であるのだ。

 それであるならば、井伊家家臣として取るべき行動は一つである。 彼らはお互いに頷きあうと、次々に井伊直虎に虎松に付いていくことを明言し始めた。 しかしながら全員が全員、彼女に付いていく事を言い出した訳ではない。 井伊直虎が南渓瑞聞に語った様に、井伊谷に残ると言い出す者も居たのである。 そんな彼らの筆頭と言うべき男が、近藤康用だった。


「拙者は残りましょう」

「平右衛門殿! 本気ですか!!」

「うむ。 わしもいい歳だ。 これを機に息子に家督を譲り、隠居する。 何よりこの体では、もう役に立てる事はあるまいて」


 近藤康用は長年の戦場生活がたたり、最早歩行も困難となっていたのである。 実際、義頼が救援に駆け付けた井伊家と山県昌景やまがたまさかげとの戦の時でさえ、彼は人に手伝って貰わねば馬にすら乗れなくなっていたのだ。

 そんな近藤康用の言葉を聞き、井伊直虎は微かに表情を歪める。 それは、老臣である彼にしかできない役目を井伊直虎が考えていたからであった。


「そうですか……康用には家中の重しとなって貰いたかったのですが」

「殿。 お言葉は嬉しいですが、老兵は黙って去りまする。 拙者はこの井伊谷に残り、南渓瑞聞殿と共に先祖と井伊家累代の供養をしたいと思います」

「……」


 穏やかな中にも明確な決意を感じさせる言葉を聞いた井伊直虎は、言葉を紡ぐ事はできない。 ゆえに暫くの間、部屋は静かになる。 程なくして南渓瑞聞がその静けさを破り、自分に近藤康用の事は任せろと言い放つ。 大叔父からこう言われてしまった以上、彼女としては任せるしかなかった。

 井伊直虎は頭を下げて、南渓瑞聞へ後事を任せる。 すると、近藤康用の他にも幾人か居た井伊谷への残留を希望する者たちが現れ始める。 そこで彼らの事も纏めて井伊直虎は、南渓瑞聞に任せる事にしたのであった。

 なお井伊谷に残留した者達だが、後に徳川家から勧誘されている。 しかし、誰一人として徳川家の禄を食む決断をしなかったと言う。

 兎にも角にも家中の意を取り纏めた井伊直虎は、数日後に徳川家へ使者を派遣する。 井伊家からの使者を迎えた徳川家康は、井伊家が六角家との婚儀話を了承した旨を聞いて内心非常に喜ぶ。 そして井伊家の使者に祝いの言葉を述べると、急遽用意した祝いの品を持たせて使者を戻していた。

 井伊家の同意さえ得られれば、後は話を進めるだけである。 織田家にしろ徳川家にしろ乗り気の話であった事もあり、両家の動きはとても早い。 何せ井伊家の同意を得られてから半月も経たないうちに、日程まで決まっていたのだったから相当なものであった。


「義頼、向こうの了承は得られたぞ。 それからついでという訳でもないだろうが、井伊家の家臣の大半も共に来るらしい」

「は? 井伊家の家臣? 大半? 何ゆえにそんな事に?」

「そんな事は知らぬ。 その方が聞けば良かろう」

「はぁ」

「それと当然だが、女地頭が連れて来る家臣の面倒はその方が見ろ」

「それは無論です」


 織田信長の前から辞した義頼だったが、岐阜城の廊下で声を掛けられる。 声を掛けて来たのは、秀吉であった。


「これはきのし……いや羽柴殿でしたな」

「おう。 流石は六角殿、耳が早い」


 実は秀吉、泉南(和泉国南部)に領地を得ると改名をしていた。

 織田家の家中で秀吉よりも先達であり、かつ重臣として名を馳せている丹羽長秀にわながひで柴田勝家しばたかついえから名をそれぞれ一字貰ったのである。

 無論、勝手に名乗った訳ではない。 丹羽長秀には自ら赴き相談している。 しかし柴田勝家は、東濃で戦をしている。 故に相談はできなかったが、書状で知らせて許可を求めていた。 後に丹羽長秀と柴田勝家の両名から名より一字を貰う許可を得た秀吉は、織田信長にも話を通し許可を得る事にする。 間もなく織田信長からも許諾を得た秀吉は姓を木下から羽柴へと変更したのであった。

 因みにこの条件だと織田家家臣筆頭となる佐久間信盛さくまのぶもりも該当するのだが、彼は先の武田家との戦で失態を演じた事もあってか羽柴秀吉はしばひでよしは候補として上げていなかったのである。

 それはそれとして、話し掛けられた以上は何か用があるのだろうと義頼は彼に水を向ける。 すると「これはしたり」とばかりに自分の頭に手を置きながら、羽柴秀吉は口を開いていた。


「聞き申したぞ。 何と女地頭殿を側室に迎えられるとか」

「羽柴殿、耳が早い」

「何の何の。 しかし貴公は堅物かと思っていたのですが、あの女地頭殿を落とされるとは中々どうして」

「ははは。 同じ様な事を殿にも言われました」

「おお。 流石は殿ですな」


 おどけて言った彼の言葉に、義頼と言った本人の羽柴秀吉が声を揃えて笑い声を上げたのだった。



 羽柴秀吉と別れた義頼は、一度岐阜城下の六角屋敷に戻り着替えるとすぐに出発する。 やがて無事に多聞山城に到着すると、家臣達に織田信長から聞かされた井伊直虎輿入れの了承及び、井伊家家臣団の移動を告げていた。

 井伊直虎の側室入りは既に聞いていた事であるし、何より織田信長が実質仲人になっている様な物である。 今更誰からも、反対の声が上がる筈もない。 しかし、井伊家家臣の移動に関しては流石に声が上がった。


「……井伊家で何かが起きた、そんな感じが致しますな」

「まぁ、そうなのだがな。 とは言え、今から反故ほごにも出来ぬしそもそもからしてするつもりもない。 それよりも祐光、次郎法師殿は妊娠している。 移動は、慎重に慎重を期する必要がある……らしいぞ」

「そうなのですか?」

「犬の話では、な。 何ゆえそうなのか詳しくは分からんが、こういう事には女の言う事に従った方がいいと思う。 どうせ、我ら男には分からん話だ」 

『確かに』


 沼田祐光ぬまたすけみつだけではなく本多正信ほんだまさのぶ馬淵建綱まぶちたてつな、更には山内一豊やまうちかずとよ寺村重友てらむらしげともなどこの場に居る六角家の家臣達は揃って頷いていた。

 何はともあれ、井伊家の者達の受け入れ準備である。 井伊直虎だけならばそう時間が掛かる物ではないが、彼女の他に井伊家の家臣達も居るとなれば話は違ってくる。 人数が多くなれば、それ相応に煩雑はんざつになってしまうのだ。

 そんな忙しさの中、本多正信が義頼にある報告を持って来る。 それは、丹後一色家についての報告であった。


「何? 公方(足利義昭)様を巡って、一色家が割れているだと?」

「はい。 どうも、父親と嫡男で意見の相違がある様です」


 丹後一色家当主である一色義道いっしきよしみちが織田信長からの書状を受けていたにも拘らず足利義昭あしかがよしあきを受け入れていた。 ゆえに義頼は、一色家の家中で意見が統一されているのだとばかり思い込んでいたのである。 だが実際はそうでは無く、父親と息子で対立していると言うのだ。


「して、具体的には?」

「当主の一色義道と弟の吉原義清よしはらよしきよは公方様を受け入れましたが、嫡子の一色義定いっしきよしさだは反対だった様にございます」

「つまり父親と彼の弟は公方様側、息子は織田家側という事か」

「はっ。 して息子の義定なのですが、彼は考えを共にする一部の一色家臣を伴って家を出た様にございます。 恐らくでございますが行き先「殿(織田信長)の元か」は……御意」


 少し考えた後、義頼は本多正信に命じて丹後一色家に関する報告を纏めさせる。 やがて出来上がった報告書を義頼は、伊賀衆の竹島景雄たけしまかげおに持たせて急ぎ岐阜の織田信長の元へと走らせたのであった。


井伊家、殆どそっくり引っ越しです。

残った者達も、徳川家には仕官しません。


ご一読いただき、ありがとうございました。

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