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第百三話~第二子~


第百三話~第二子~



 大和国鎮定の為に大和国国人衆に対して様々な手を打つ傍らで義頼は、本多正信ほんだまさのぶ岸教明きしのりあきの推薦を受けて仕官した伊奈忠次いなただつぐに命じて領内の開墾などにも力を入れている。 同時に彼は、道意どういこと松永久秀まつながひさひでを伴い多聞山城をつぶさに調べていたのであった。

 そんな義頼が今見聞しているのは、多聞山城本丸の南東に建つやぐらである。 この櫓はいわゆる望楼ぼうろう型であり、しかも四階建てであった。

 因みに、後に天守と言われる様になるこの櫓だが、これ自体が多聞山城が最初という訳ではない。 尾張国の楽田城や摂津国の伊丹城、また義頼のお膝元でもある近江国の鎌刃城にもあったとされている。 ただ珍しい事は間違いなく、実は義頼も現物を見るのは初めてだった。

 さて、話を戻す。

 暫く天守を眺めていた義頼だったが、そこで視線を切ると土塁の上に立つ長屋状の建物に目を向ける。 それは白壁によって造られており、その中は見た目と同様に長屋の様な形式となっている建物であった。


「道意(松永久秀)。 してあの建物だが、何と言うのだ?」

「はっ。 多聞櫓と申します」

「そうか」


 なお白壁となっている建物は、何も多聞櫓だけでは無い。 そればかりか多聞山城の壁は、基本的に白壁によって構成されていたのだ。 また建物の屋根にも、大抵瓦が葺いてある。 それだけではなく城には豪華な庭などもあり、最早城と言うよりおもむきとしては京にある寺社仏閣に近い構造となっている。 いや規模などを考えれば、寺社仏閣を凌ぐ豪壮さを持っている城であった。

 その上、天守を含む幾つかの櫓を繋ぐ様に多聞櫓を配している。 また適所に堀や堀切が拵えており、防御も確りと考えられた建築様式をしていた。


「豪壮にして堅固……か。 観音寺城もこの様に作っておれば、そう易々とは落ちなかったのだろうな」


 観音寺城が、近江国人に対する政治的配慮などを優先させた城である事は前述している。 その為に、防御がいささかおろそかになった事は否めなかったのだ。 しかしながら多聞山城は、規模こそ観音寺城より小さいのだが、ある意味観音寺城では仕方無く諦めた感のある防御にも十分配慮されている様に義頼には見受けられたのだ。


「左衛門佐(六角義頼ろっかくよしより)様、何か言われましたか?」

「ん? いや、何でも無い。 それよりも道意には、この城についてたっぷりと教授して貰うぞ」


 どうも義頼が小さく呟いたが為に、案内していた道意までは聞こえなかった様である。 その事を認識すると、すぐに話を切り替え、それ以上は問われない様にした。 するとその意図を感じ取ったのか、道意は直ぐに了承の返事をしている。 その返事にうなずき返したのを確認すると、道意は引き続き多聞山城についての説明を行うのであった。

 この様なやり取りを行いながらも義頼は、織田信長おだのぶながへの報告や観音寺城改修の参考とするべく多聞山城の構造について調べていく。 義頼自身、それなりに城郭の建築等をこなしていたので完全な素人と言う訳ではない。 しかしながら道意の知識と経験は、それを遥かに凌ぐものである。 その為か義頼は、真剣に道意からの指導を受けていた。

 その様な真剣さからかそれとも降伏して間もないからかは分からないが、道意も真摯に城郭建築のいろはを伝授して行く。 彼らは祖父と孫と言ってもいいぐらい年が離れていたが、こうして義頼と道意は城郭建築において図らずも師匠と弟子の様な関係となっていたのであった。

 こうして自らの領地を治める傍ら道意より城郭建築の教授を受けるなどしていた義頼であったが、そんな彼の元へある報告が舞い込んで来る。 それは甲賀衆筆頭である望月吉棟もちづきよしむねが齎した物であり、その内容に義頼は思わず目を見張っていた。


「こ、これは真か! 吉棟!!」

「はっ。 嘘偽りはございません。 井伊殿、ご懐妊にとの事にございます。 そして井伊殿のお腹の子の父親は、恐ら「時期的に考えて、俺だな」く……可能性はありましょ「可能性だと!! 馬鹿な事言うな、吉棟! 次郎法師(井伊直虎いいなおとら)殿のお腹に居るのは俺の子に間違いないわっ!!」う……も、申し訳ございません!」


 義頼の浮かべた怒りの表情に、望月吉棟は思わず謝罪をする。 それぐらい、義頼は怒りの表情を浮かべていたのである。 しかし何故なにゆえにそこまで怒りを表したのかと言うと、それは望月吉棟が井伊直虎を疑う様な素振りを見せたからであった。

 と言うのも義頼が、彼女のお腹の中に居る赤子の父親が自分である事に疑いの念は持っていない。 井伊直虎と肌を重ね、そして彼女の心根を知り信ずるに値すると確信していたからであった。

 

「そ、それでは如何いかがなさいます?」

「……吉棟。 この事は他言無用、俺に任せろ」

「承知致しました」


 望月吉棟が消えると、義頼はゆっくりと立ち上がった。

 彼の向かった先は、正室であるお犬の方の部屋である。 程なくして義頼が彼女の部屋に到着すると、そこには家臣の妻達が集っていたのである。 いきなりの訪問に少し驚いたお犬の方であったが、そこは如才なく夫を迎えるとやんわりと尋ねていた。 

 すると義頼は、お犬の方と二人だけで話がしたいと告げる。 そんな義頼の言葉を聞いて、お犬の方とおしゃべりに興じていた家臣の妻達はお互いに頷きあう。 すると代表する形で馬淵建綱まぶちたてつなの妻が義頼とお犬の方に対して頭を下げると、女性達を連れて部屋から出て行った。

 やがて部屋には、義頼とお犬だけが残る事になる。 すると暫く逡巡していた義頼だったが、やがて意を決するとゆっくりと話しを始めた。


「お犬。 俺に子が出来た」

「は?……えーっと、どの様な意味でしょうか」

「意味も何も、そのままの意味だ」


 義頼の口から出たいきなりの言葉に、お犬の方は目を丸くしながら問い返す。 しかし真面目な表情で返してきた言葉に、嘘や冗談では無い事を察した。 彼女は居住まいを正すと、改めてどういう事なのかと尋ねる。 その言葉に確りと頷いてから義頼は、事の経緯について説明を始めた。

 それは言うまでもなく、徳川家援軍の折に井伊谷での出来事である。 その説明の間、お犬の方は目を瞑りながらじっと義頼の言葉に耳を傾けていた。 やがて話も終わるが、そこで言葉は途切れてしまう。 そして部屋の中には、奇妙な緊張感と静けさが漂っていた。


「あなた……お話は分かりました。 して、如何なさるおつもりなのですか?」

「俺は……次郎法師殿を側室に迎えるつもりだ」


 実は義頼、今回判明した子供の件が有る無いは別にして井伊直虎に対して迷っているところがあった。

 彼女は女性でありながらも、井伊家の当主である。 そんな彼女を、果たして側室として迎えていいのかどうかと考えていたのだ。 しかしながら今回の妊娠発覚で、義頼の腹は決まったと言っていい。 一人の男として、我が子を成してくれた女性を捨て置くなど出来る筈もなかったからだ。

 義頼はそんな自らの気持ちも込めつつ、お犬の方にはっきりと自分の気持ちを告げたのである。 そんな義頼の目を、お犬の方はじっと見続ける。 やがて一つ目を瞑ると、彼女は義頼の方へとにじり寄った。


「目をお瞑り下さい」

「え? 何だいきなり」

「いいからお瞑り下さい」

「分かった」


 お犬の方の言葉に従い、義頼は目を瞑った。

 最も義頼は、お犬の方に井伊直虎の件を告げるに当たって彼女の言葉は全て受け止める気でいた。 彼女を抱いた事に後ろめたさを感じてはいない義頼だが、罵倒され平手で思いっきり打たれるぐらいは覚悟していたのである。 しかし義頼を襲ったのは、罵倒でもなくまた平手打ちでもない。 ただ小さく、叩かれただけである。 いや叩かれたと言うより触れた、若しくはなでたと表現した方がいいぐらいであった。

 そんな妻の行動に、義頼は眉を寄せつつも目を開く。 すると彼の目の前にいるお犬の方は、いっそ優し気と言っていい目で義頼を見ていた。


「もし次郎法師様を捨てるなどとおっしゃられたら、私はあなたを力いっぱい打ち捨てたでしょう。 そして絶縁状を叩きつけて、岐阜へ帰らせていただいたと思います」

「では!」

「あなた、私も戦国の女です。 側室の一人や二人で目くじらを立てたりは致しません。 それにお家の為に男として振る舞い、また母として嘗ての婚約者の子を育てていると言う次郎法師様に私も会いたくなりました」


 こうして正室のお犬の方の許諾きょだくを得た翌々日、義頼は多聞山城を出立すると岐阜城に向かった。

 その理由は、側室を迎える理由を織田信長へ伝える為である。 やはり主君の同腹妹を妻としている身としては、一言断りをしておこうと考えたからであった。

 途中の観音寺城下にある六角館で一泊した義頼は、翌日の夕刻には岐阜城下の六角屋敷に到着する。 しかしながら時間も遅かった事もあり、明日の面会だけを取り付けるとその日は屋敷にて就寝した。

 明けて翌日、朝食を取ってから織田信長の屋敷を訪問する。 暫く待たされた後であったが、義頼は面会を果たした。 しかし面会した主の顔には、何故なぜか揶揄する様な表情が浮かんでいる。 そればかりか、人の悪そうな笑みまでも浮かべていたのだ。

 そんな織田信長が浮かべている人を喰った様な笑みを見て義頼は、一瞬だが額にしわを寄せる。 だがすぐにその皺を消すと、面会の要件を告げたのであった。 


「某、側室を迎え様と思います」

「ほう。 相手は誰だ?……やはり、女地頭か?」

「な、何故なぜにそれを!」

「昨日、犬より母上宛てに文が来た。 そこに書いてあったのだ」

「そ、そうですか」


 伝えるべき相手が実はすでに知っていたという現状に、義頼から力が抜ける。 そんな彼の姿を見て織田信長は、してやったりとばかりに笑い声を上げたのだった。


「ははははは。 中々に笑えるわ。 堅物かと思っていたが、中々どうして。 女は作るは、子は作るはか」

「は、はい。 申し訳ありません」

「おいおい。 別に怒ってなどおらぬぞ。 それはそうと義頼、その方が側室を迎える件だが別段俺から言う事など無い。 犬も了承しているのなら、尚更だ」

「はっ」


 至極あっさりと解決した事に一旦気が抜けた義頼だったが、これからの事を考え再度引き締めた。

 織田信長の方はこれでいいが、まだ井伊家に話をしていないという問題が残っている。 そして、物事は蓋を開けてみなければ分からないなど往々にしてある。 いつ何時なんどき、問題が発生するかなど神ではない人の身には分からないからだ。

 そんな義頼の様子に気付いたのか、織田信長が何か懸念があるのかと尋ねてくる。 すると義頼は少し逡巡した後で、正直に伝えたのだった。 


「ふむ、何だ義頼。 まだ、話もしておらんのか……そうだな。 ならば、俺が間を取り持ってやろう」

「はいっ!?」


 織田信長の口から出たまさかの言葉に、義頼は面を喰らった。

 だが、考えてみれば正しく最高の仲人である。 今更言うまでもない事だが、井伊家は徳川家の家臣である。 幾ら徳川家が織田家と強固な同盟関係にあるとはいえ、他家の家臣である事に違いはないのだ。 だが織田家当主である織田信長が仲人を務めるのであれば、徳川家康とくがわいえやすとしても無碍に出来ないからだ。


「うむ、それがいい。 早速、手を打ってやる。 安心して待っておれ」

「は、はぁ」


 何か一人盛り上がり、完全に乗り気となった織田信長相手では最早口が出せる状況に無い。 義頼としてはただ粛々と受け入れ、頼み込む事しか出来なかった。 


「で、では殿。 お願い致します」

「うむ」


 義頼が下がると織田信長は、早速自ら書状を認める。 まさか織田信長から直筆の書状が来るなど夢にも思ってみなかった徳川家康は慌てて内容を確認したのだが、そこに記された内容に笑みを浮かべると一言独白した。

 

「これで井伊谷を、徳川で押さえる事が出来る」


 何故なにゆえに徳川家康が、井伊谷に対して懸想けそうしていたのか。 それは、井伊谷の場所に最大の理由があった。

 と言うのも井伊谷には信濃国や奥三河に通じる重要な街道が走っており、言わば交通の要所である。 しかも井伊谷は、徳川家の居城となる浜松城の近くに存在している重要な事実もあったからだ。

 つまり井伊谷は、交通の要所でありしかも浜松城防衛の要ともなり得るかも知れない場所なのである。 そんな重要拠点を譜代家臣ならばまだしも他家衆である遠江衆の井伊家に任せるのは、以前から徳川家康としてもそして徳川家としてもいささか懸念があったのだ。

 そしてその懸念は、武田家侵攻により現実の物となってしまったと言える。 幸いにも義頼率いる織田家の援軍が間に合ったお陰で事無きを得ていた訳だが、もし井伊谷を落とされていれば武田家別動隊に浜松城を攻められた可能性もあったのだ。

 その様な理由もあり、徳川家康としては井伊谷を遠江衆では無くより信のおける譜代となる三河衆に任せたいとの考えを持っていたのである。 しかし井伊谷を本貫地とする井伊家に追及出来る様な落ち度は無く、彼の家を理由なくすげ替える訳にもいかなかったのだ。

 だが、そこに降って湧いたかの様な六角家と井伊家の婚姻話である。 しかも、織田信長が仲人を務めている。 どう転んでも断れる類の物では無いし、何より織田家と徳川家の同盟関係を維持する為にも断るなどもっての外であった。


「……拙と左衛門佐様との婚儀にございますか?」

「うむ。 急な話だが、先方が側室としてそなたを望んいる。 しかも、次郎法師殿の腹には左衛門佐殿との子がいるそうだな」


 徳川家康の言葉に、井伊直虎は驚きを表した。

 何せ彼女は、極一部の者にしか自身が妊娠している事実を告げていない。 それに彼女は意図的にゆったり目の服を身に着けていた事もあり、鋭い者が疑いの目を向けるぐらいでしか無かったからだ。 しかしながらその秘密が、徳川家康に知られてしまっている。 その事に動揺し、思わず井伊直虎は問い返していた。


「ど、どこでその事を」

「弾正大弼(織田信長)殿からの書状に書いてあった。 それに、左衛門佐殿もその奥方も承知しているそうだ」

「そ、そうでしたか」


 彼女は徳川家康ばかりか、まさか織田信長や義頼とその正室にまで知られている事態に驚愕を表した。

 徳川家康ならば、実際に仕えている事もあるのでまだ理解できなくもない。 しかし、美濃国の織田信長や更に遠い近江国の義頼にまで知られているという事実には驚きを通り越して呆れるしかなかった。


「それでな、次郎法師殿。 その事もなのだが実はこの話、断るのはかなり難しいのだ」

「それは、どういう事でしょうか」

「弾正大弼殿が仲人を務められておられる。 そう言えば、その方も分かるであろう」


 確かに織田家と徳川家同盟関係や彼我ひがの国力差などを考えれば、とてもではないが断れるような話では無いのは分かる。 それは分かるのだが、実は井伊直虎だが徳川家康の様子にそれだけでは無いと感じていたのである。 上手く説明は出来ないのだが、何処どことなく違和感を感じるとしか言いようがない。 言ってしまえば、彼女の直感の様な物であった。

 その事を不思議に思いつつ井伊直虎は、失礼に当たらない程度に徳川家康の様子を観察する。 やがて彼女は、違和感の正体に気付く。 それは、徳川家康の目であった。

 確かに徳川家康の表情には、井伊直虎に対して織田信長の事もあり無理を押し付けているという申し訳なさが表れている。 それは事実なのだが、その表情と相反する様に目が全く笑っていないのだ。

 ある意味で一目ぼれに近い義頼が、自分を側室とはいえ迎えてくれる事自体は手放しに嬉しい。 だが徳川家康の様子に井伊直虎は、即答は避けるべきだと直感した。


「……急なことゆえ、少しお時間を戴きたいのですが」

「む。 まぁ、仕方無い。 だが、分かっておろうな」


 妊娠中と言う事もあり、お腹へ負担を掛けない様に心掛けながら井伊直虎は頭を下げる。 そして徳川家康の前から辞した彼女は、井伊谷では無く井伊家の菩提寺である龍潭寺へと足を向けたのであった。


直虎フラグ、回収に入ります。


ご一読いただき、ありがとうございました。

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