第百一話~もう一つの鉄甲と大和移動~
第百一話~もう一つの鉄甲と大和移動~
六角水軍率いる駒井秀勝と駒井重勝の親子や三雲賢持に新たな新機軸とも言える考えを基にした造船を命じた後、義頼は岐阜城下にある六角屋敷へと移っている。 そこで身嗜みを整えた後、彼は織田信長との面会を願い出ていた。
そもそも義頼が岐阜に来た理由だが、二つある。 一つは、観音寺城下にある六角館にて話し合った毛利水軍対策である焙烙玉に関する事となる。 そして今一つだが、それは人質として岐阜に居る近江衆を集め大分遅れてしまったが新年を祝う宴会を行う為であった。
それから間もなく、織田信長との面会の許可が下りる。 すると義頼は、新年の宴の用意をする様にと命じてから六角屋敷より出て織田信長の居館へと向かった。 部屋に通されると、通り一遍の挨拶をしてから彼は書類を差し出す。 義頼が差し出した書類とは、言うまでもなく六角館で話し合った焙烙玉に対処する方法についてである。 彼から差し出された紙の束を、織田信長は黙って全てに目を通す。 その表情には、若干の驚きが滲み出ていた。
「義頼。 まさかとは思うがその方、あ奴らと申し合わせたのか?」
「え……と。 申し合わせたとは、如何なる意味でしょうか」
「ふむ。 どうやらその様子では、違うようだな。 実はだな詳細については兎も角として、此処に書いてある事と大まかに一致している進言をして来た者達が居るのだ」
「ま、真ですか!」
「ああ。 一益と嘉隆、それと信方の三人がな。 つい先日、連名で進言してきた」
そう。
奇しくも義頼及び彼の重臣達が考えた事とほぼ同じ内容の進言を、滝川一益と九鬼嘉隆と佐治信方の三名が連名で行っていたのである。 それが行われたのは、義頼が織田信長と面会した二日前の事であった。
彼ら三人が焙烙玉対策として考えた事は、琵琶湖にて運用している様な大型船に鉄板などと言った炎に強いだろう素材を取り付ける。 これは、同時に船の装甲としての役目も帯びる物でもあった。
そして義頼が提出した書類にも、ほぼ同様の内容が書かれている。 敢えて違うところを上げるとすれば、滝川一益達の様に船の種類までは限定されてはいない事であろう。 あと、船に追加する素材にはどの様な材質が適しているかという検証を行うぐらいであった。
こうして全く別々の者達からなされた二つの進言を見比べながら織田信長は、腕を組み考える。 やがて考えが纏まったのであろう、ゆっくりと顔を上げていた。
「義頼。 今は時間が惜しい、一益達の策でいく」
「分かりました」
「だが、検証に関しては続行させろ」
その様な織田信長の命に、義頼は一瞬だが訝しげな顔をした。
滝川一益たちに任せると言いながら、検証は義頼へ続けさせると言う言葉に違和感を覚えたからである。 こような場合、普通に考えればすべて滝川一益たちに任せる筈である。 義頼が彼らに合流させるならばまだしも、完全に別系統な命であるからだった。
「それは……宜しいのですか?」
「構わん」
「承知致しました。 ではこれに「待て」て……何か?」
話も終わり辞去しようとした義頼を、織田信長が呼びとめる。 他に何か話があったかと眉を顰めたが、彼には思い当たらなかった。 だがそんな義頼の様子など全く頓着せず、織田信長は問い掛けてくる。 その内容はと言うと、義頼が今行わせている新たな方法で作成させている硝石の生産状況についてである。 事前の新機軸の船とは全く違う話を問い掛けられた事で一瞬だとしても狼狽えた義頼だったが、直ぐに取り繕うと報告を行った。
さて義頼が行っている硝石の生成方法だが、それはいわゆる培養法と言う物である。 この新たな硝石産出法だが、直ぐに生産できる様な代物ではなく事前に少し時間が掛かる方法であった。 しかしながら一旦生産状態に入れば、問題なく生産できる方法となる。 この辺りは事前よりあった硝石の生産方法である古土法に比べれば、ましな生産方法であったのだ。
その培養法による硝石生産だが、いよいよ来年より可能だと思われる。 これはほぼ確定であり、織田信長に問われた義頼はその旨を伝えていた。
因みに織田信長が問い掛けた理由だが、それは義頼へ硝石の至急の生産と納入を命じているからである。 そして義頼と言うか六角家は、硝石の精製が成った暁にはその命に従って織田家に納めねばならなかった。
無論、生産されたすべてではない。 六角家でも硝石は確保する必要があるので、それは当然の仕儀であった。
「ほう、来年か。 そちらも期待しているぞ」
「御意」
今度こそ織田信長の前から辞去した義頼は、そのまま居館退出すると岐阜城下の六角屋敷へと戻る。 当然だが問題なく屋敷へと到着すると、そこには六角義治以下の者達が新年の祝いを行う準備を行っている。 これもまた前述通り、例年に漏れない事態だった。
なおこの新年の宴の件についてだが、事前に織田信長からの許可は取り付けてあるので問題とならないのである。 彼らは明後日に行う予定である新年の祝いに向けて、着々と準備を整えていたのであった。
こうして新年の宴の用意は六角義治に任せた義頼は、自身の部屋に入ると三雲賢持宛てに書状を認め始める。 その書状には、織田信長と面会した際の一部始終を記していた。 やがて書状を書き上げると義頼は、自身に同行している甲賀衆の一人である川上藤七郎を呼び出すと彼に書状を渡した。
書状を受け取った川上藤七郎は、直ぐに六角屋敷を出立すると三雲賢持へ書状を届けるのであった。
それから二日した後、岐阜城下にある六角屋敷へ続々と近江衆の人質が集まって来る。 彼らを義頼や六角義治が、自ら屋敷内に用意した会場へと案内していた。 程なくして、六角屋敷に参加出来る全ての者が揃う。 そんな彼らの前にして義頼が、一人進み出た。
「大分遅れてしまったが、新年の祝いだ。 存分に楽しんでくれ!」
『はっ!』
短いながらも義頼の言葉により新年の宴が始まると、参加した者達は六角屋敷の思い思いの場所で、酒を飲み食事を始め出した。 そんな近江衆の人質達に対し、義頼と六角義治が二人して顔を出している。 無論中心となるのは六角家当主で主催者の義頼だが、義頼を補佐するかの如く六角義治もまた酒を片手に彼らの中を回っていたのである。 やがて招待した者達に対して一通り回り終えた義頼と義治は、漸く落ち着いて腰を降ろした。
『ふう』
直後、二人の口から奇しくも同じ言葉が漏れる。 すると義頼と六角義治はお互いに顔を見合わせた後、どちらかともなく笑みを浮かべていた。
暫し静かに笑っていた二人だったが、やがて六角義治が義頼へ酒を注ぐ。 盃で受けた義頼は、直ぐに飲み干していた。
さて宴席にも拘らず、六角義治の態度はとても鯱張っている。 これは、この場が私的な物では無い事を雄弁に物語っている。 それであるからこそ六角義治は、分を弁え敢えて仕える主人への対応を行ったのだ。
先ずは一杯飲みほした後で義頼は、景気付けとばかりに大盃を持ってこさせる。 するとその大盃へ六角義治は、なみなみと酒を注いでいく。 大杯から零れる寸前にまで酒が注がれると義頼は、大杯を躊躇う事なく傾けると一気に全て飲み干していく。 そんな義頼の様子を周りに居る者達は固唾をのんで見守っていたが、彼が全て飲み干すとやんやの喝さいを浴びせたのだった。
「流石です殿。 実によい飲みっぷりです」
「何の義治、その方も飲め」
そう言うと義頼は、六角義治の杯に酒を注いでいった。
子供の頃より兄弟のごとく育った義頼と六角義治であり、例え離れて住んでいるからとは言えお互いの飲める酒の量は把握している。 だからこそ六角義治は、躊躇いなく大杯へ注いだのである。 そして六角義治が己の飲み干した大杯で酒を飲んでしまうと、潰れてしまうのはまず間違いない事も理解している。 だからこそ義頼も、大杯にではなく普通の杯に酒を注いだのだった。
自身の前に置かれた杯に酒を注がれた六角義治は、綺麗に飲み干した。 それから義頼へ返杯とばかりに酒を注ぐが、今度は流石に大杯には注がない。 彼の膳に置かれた杯へ、酒を注いでいた。 義頼がその注がれた酒を呷ると、その直後には彼の周りに近江衆の人質達が酒を手に集まって来る。 そんな彼らと義頼はまた、酒を酌み交わし始めた。
こうして義頼と六角義治を中心として酒を差しつつ和気靄靄と歓談しているうちに、夜も更けて来る。 すると一人また一人と、潰れる者も出始めた。
あまり無理も出来ぬだろうと義頼は自身の顔をやや赤らめながら、呟く。 最もかなりの量を飲んでいるにも拘らず、顔を多少赤らめる程度で済ませているのだからこの男の酒の強さもたいがいであった。
「そうですな。 拙者も酔いが回って来ています、警備の者に潰れた者達を運ばせましょう」
「そうだな。 頼むぞ、義治」
「はっ」
義頼以上に赤い顔をしているがまだ酔いが回っている程でもなく意識自体もまだ保っている六角義治は、義頼へ一つ頭を下げてから立ち上がる。 それから警備の者を数人呼び出すと、酔い潰れた者達を別室に運ぶ様に指示を出した。
「義治。 お前も休め」
「いや、しかしですな」
「此方は俺に任せろ。 だからお前は休め、これは命令だ」
「……分かりました。 仰せに従います」
義頼の見立てでは、義治も程なく潰れると見えたのだ。
まだ意識自体は確りしている様だが、それも長くはないと義頼は判断したのである。 だからこその命だったのだが、それは間違いなかった。 何とか部屋へとたどり着いた六角義治だったが、そのまま倒れると眠りについたのである。
その一方で義頼だが、彼はまだ酔い潰れずに残っている者達とゆっくり酒と話を楽しむのであった。
明けて翌日、朝日が差し込む六角屋敷の庭で義頼は大きく伸びをしている。 とても良い天気であり、綺麗に酒が抜けている義頼はとても気持ちよさそうであった。 そんな彼だが、今日にも岐阜から発つつもりである。 雲一つないが冬の冷たい空気の中、義頼は何時ものごとく朝の鍛錬を行うと冷水で体を拭いていた。
そんな義頼を、縁側に座り眺めている者が居る。 それは昨日の酒が祟ったのか、軽く頭を押さえている六角義治だった。 彼も結構な量の酒を飲んではいたのだが、酔い潰れる前に義頼が眠る様に諭したので酷い二日酔いまではならなかったのである。 とは言えそれなりには飲んでいたので、軽い二日酔いと言う状態なのである。 それでもいつぞやの様に、二日酔いで悶え苦しむなどと言った醜態は晒さずに済んでいた。
なお六角義治が宴より退席してからも飲み続けていた義頼だったが、彼はその後一刻ほどまだ残っていた参加者と共に飲んでいる。 酒の量はそれなりに抑えていたが、それでもあれだけ飲んでから更に一刻も飲んでいたのだ。 そんな事実を侍女から聞いた六角義治は、今更ながらに義頼の酒に対する強さへ驚きあきれていた。
因みに義頼と遅くまで飲んでいた者達は、余す事無く重度の二日酔いに悶え苦しんでいる。 正に底なしと言って差し支えない男であった。
「……義頼。 相変わらず、酒に対して鬼の様な強さだな」
「そうか?」
「ああ、間違いないな」
それから程なく、義頼は朝餉を食すと出立の用意を整え始める。 最も持参した荷物などは解いていないので、纏めるのに左程の時間は掛からなかった。 やがて出立の準備を整えた頃、義頼の元に報せが一つ飛び込んで来る。 それは大和国に残していた本多正信からである。 しかし、本来の情報元は京の六角承禎であった。
京でまた何か騒動でもあったのだろうかと内心で考えつつ、義頼は兄の六角承禎が発端と言う知らせに目を通す。 しかしそこにあったのは、義頼が懸念した事とは全く異なる事が記されていた。 書状に記されていたのは改元の詔であり、丁度数日前に朝廷から改元の詔が発せられた年号が元亀から天正へ変わったと言う情報であった。
重要と言えば重要な報せである。 何せ詔が発せられた以上は、書状などに記す場合は新たな年号へ変更しておかねばならないからだ。
何はともあれ元号の変更を通達された書状を読み終えたら義頼は、丁寧に書状を畳むと岐阜の六角屋敷を出立する。 やがて伊賀国の屋敷に到着すると、そこで一日過ごす。 明けて翌日になると、今度は大和国へと移動する準備を始めた。 何せ義頼には、織田信長より直々に命じられた多聞山城を詳細に調べるという仕事もある。 何より大和国を、完全に織田家の領地とする必要がある。 それらの仕事をこなす為にも、大和国へ入る必要があったのだ。
なお、伊賀国の抑えだが、仁木義視へ任せる事にしている。 また彼の補佐として、従兄弟に当たる仁木義政を残す事にする。 元は幕臣であった仁木義政だが、石山城にて降伏した後は織田信長の命で孫の仁木政友と共に義頼の家臣となっていたのだ。
最も仁木義政は、そもそも六角一族である。 故に、義頼の家臣となる事に不満は無い。 ただ追放された足利義昭と共に行動出来ない事が気掛かりと言えば気掛かりであったが、これも時勢と考えていた。
話を戻して大和国へ出立の準備を整えている義頼だったが、同時に彼はある人物の訪問を待っていたのである。 すると間もなく、義頼の屋敷に該当の者がやってくる。 いや、正確には該当の者達であった。 その者達とは北畠具教と彼の嫡子である北畠具房、更には北畠具教の二男となる長野具藤であった。
因みに彼らの扱いだが、今までの様に六角家預かりという形では無い。 北畠具教は六角家の兵法指南役に就任しており、彼の二人の息子も六角家に仕えている。 つまり彼らは、名実共に義頼の家臣となっていたのだ。
「来たか」
「はっ。 遅くなり申し訳ございません、殿」
彼らを代表する形で、北畠具教が頭を下げる。 すると、彼に続いて北畠具房と長野具藤も頭を下げていた。
「さて……名門北畠家としてはあまり面白くないかもしれぬが、これから宜しく頼む」
「殿。 我らも納得ずくの事にございます。 それに、弾正大弼(織田信長)殿に直接仕えている訳ではありませんので」
『父上の言う通りにございます、殿』
彼ら親子の言葉には、義頼を慮っているという気持ちがありありと表れている。 そんな彼らに対して、義頼もまた頭を下げたのだった。
それから数日、出立の用意を終えた義頼は大和国へ向かう為に伊賀国の屋敷を出立する。 するとその一行には、正妻のお犬の方や嫡子の鶴松丸も同行していた。
やがて一行が国境に到着すると、そこには筒井家からの使いである松倉重信と松永家からの使いである土岐頼次が待っていた。
そこで彼らは何とも言えない、微妙な空気を醸し出している。 そんな両家の様子に、義頼は何となく微苦笑を浮かべる。 だがそれも一瞬であり、すぐに表情を引き締めると重信と頼次の元へと向かって行った。
「出迎えご苦労」
『はっ』
「では、先導を頼むぞ」
『御意』
その後、義頼達は、彼らの先導で大和国内を進んでいく。 そしてついには、多聞山城へと到着した。 すると城の大手門には、松永久秀と松永久通の親子が僅かな兵と共に義頼を待っている。 やがて城へと到着すると、そこで松永久秀から義頼へ多聞山城が引き渡されたのであった。
こうして多聞山城へと腰を落ち着かせた義頼だったが、彼は腰を温める暇すらなく大和国内の抑えに入ったのである。 多聞山城を調べる仕事も重要だが、先ずは大和国を抑える事が肝要であるからだ。 そんな大和国内抑えだが、先ず国人衆への対策に筒井、松永の両家を使う。 それと同時に義頼は、興福寺・春日大社の抑えにも入ったのである。 興福寺へ向かうのは、当然ながら北畠具教であった。
義頼より命を受け興福寺へと向かうと、そこで興福寺東門院院主を務める弟の考憲と興福寺子院の宝蔵院の院主を務める胤栄と話し合いを始める。 大和国人に隠然たる力を未だ持つ興福寺であるが、大和国内の動乱により大分力が落ちている。 その様な状態で織田家と言う一大勢力を背景に持つ六角家に逆らうなど、かなり難しい。 いや難しいどころか、その様な事をすれば比叡山の二の舞となりかねない。 そんな未来など御免であり、話し合いに応じないと言う選択肢はそもそもからして有り得なかった。
それでなくても比叡山の一件には、朝廷も関与している。 下手な動きをしてしまうと、今が好機とばかりに朝廷も興福寺に対して動きかねないのである。 若し織田家と言う実質的な権力と朝廷と言う権威が合わさった状態で攻撃されるなど、勘弁してくれと言う心持であった。
「……致し方ありません」
「ですな」
北畠具教を前にしてじっと考えていた考憲と胤栄だったが、暫くして二人は漸く一言漏らす。 それは、正に苦渋の決断と言って良かった。
「そうか! 納得したか!!」
「納得したかと言われれば、していないと申しましょう。 ですが、比叡山や山王二十一社の二の舞は回避したいのです」
「……つまり納得せざるを得ない、そう言う事か」
「その通りにございます、兄上」
そう返答する考憲の顔は、正に苦虫を噛み潰した様な表情をしている。 心情的には忸怩たる物があるのだが、現実を考えればそんな事は叶わない事も十分に理解していた。 そんな彼らの気持ちも、まぁ分からないではない。 何せ北畠具教自身、織田家と言う実質的な力に膝を屈したからだ。
「まぁ、興福寺が従うのであれば、わしから言う事は無い。 但し、後から前言を翻す様な事をするでないぞ。 自分自身の為にもな。 織田家は……弾正大弼殿は決して仏の教え自体を蔑にしている訳ではない。 その事をよくよく考える事だ、いいな」
「……ご忠告痛み入ります兄上……」
確かに織田信長は、対立している一向宗は無論の事、焼き討ちした天台宗すら禁教としていない。 その事実を考えれば、寧ろ寛大と言っていい。 その事をよく考えてみよと言う北畠具教からの忠告に、弟の考憲は静かに返答したのであった。
ご一読いただき、ありがとうございました。




