第百話~鉄甲へのみちしるべ~
実質の百話目です(喜)
いやー、遠くまで来たなぁ(遠い目)
第百話~鉄甲へのみちしるべ~
観音寺城の麓にある六角館、そこには近江国人達が集まっていた。
彼らが集っているのは、新年の祝いを行う為である。 諸々の都合もあって開催は多少遅れてしまったが、例年通りに義頼主催の催しであった。
そして此処の席でも彼は、近江国人達の間を回りそして気軽に話し掛けたり杯を重ねたりしている。 流石に下の者の処にまでは行けないが、彼らには臨時の金子や酒や食事をより豪勢に振る舞う事で訪問の代わりとしていた。
しかしてその中にあって、面子が二人ほど欠けている。 一人は誰であろう、蒲生定秀であった。 何ゆえに彼がいないのかと言うと、それは年末に体調を崩したからである。 とは言えそれほど重篤な状態ではなかったので、新年の集まり頃には治っている物だと思われていた。 しかしながら予想に反し、蒲生定秀の体調は未だに完全な状態とはなっていなかったのである。 それでも徐々には回復しているので、そう遠くないうちに全快するのは間違いなかった。
その為、今回の集まりには義頼が蒲生定秀に対して安静にしておく様にと命じている。 彼も体調を崩している自分が居ては他の者達も楽しめないだろうと、その命を素直に受け入れていたのだった。
そしてもう一人はと言うと、嘗ては蒲生定秀と並び六角家重臣を務めていた平井定武である。 彼は、義頼が遠江国へ遠征していた頃に身罷っている。 なお戦死などでは無く、寿命による往生であった。 その様な理由から、平井定武の嫡子である平井高明は新年祝いの参画していない。 亡き父親の喪に服すとして、此度は見送ったのだ。
「右兵衛尉(平井定武)様も身罷られ、左兵衛大夫(蒲生定秀)様も不参加ですか。 身につまされる思いです」
「ん? ああ、そうか。 賢持の父親もいい歳か……」
先年に亡くなった平井定武も蒲生定武も、そして三雲賢持の父親となる三雲定持も義頼の父親である六角定頼の頃より六角家家臣として働いてきた者達である。 実に数十年に渡って六角家へ仕えた者達でもあり、寿命という点だけで考えれば何時平井定武の後を追ってもおかしくは無い者達であったのだ。
「……と。 これは、新年の宴に持ち出す様なお話ではありませんでしたな。 お許し下さい、殿」
「気にするな。 それより、盛大に送ってやろうではないか。 おい、大盃を持ってこい」
「はっ」
そう言って義頼は、大盃を持って来させる。 そして家臣達に言って、大杯になみなみと酒を注がせる。 やがてなみなみと大杯に酒が満たされると、その杯を持ちつつ天井を見ながら天にも届けとばかりに声を張り上げた。
「葬送の酒だ! たっぷりと受け取れ、定武!!」
そして義頼は、その大盃に入った酒を一気に飲み干したのであった。
やがて新年の宴も終わり、近江国人衆も三々五々六角館から辞去していく。 その中にあって、幾人かの者が館に残っていた。 否、正確には残されたのである。 その理由は、彼らに義頼から相談したい事があったからである。 そして義頼が最初に会ったのは、蒲生賢秀である。 蒲生定秀の息子であり現蒲生家当主でもある彼に向き合った理由だが、それは宴に参画できなかった蒲生定秀に関してであった。
実は蒲生定秀だが、彼は自身の年齢を理由に隠居を進言していたのである。 しかし義頼は、家督の継承こそ許したが隠居は許さなかった。 やはり彼の様な実績を伴った老臣と言うのは、家中の重しとして存在感が大きいのである。 何よりまだ若い義頼が、傍にいて支えて欲しいと願っていたからだった。
その旨を告げられた蒲生賢秀だが、喜色は隠せない。 やはり父親の事を誉められれば、嬉しいからだ。
「左衛門佐(六角義頼)様からその様に評されるとすれば……父も喜びましょう」
「そうか? 逆に、喝を入れられてしまうかも知れんな。 まぁ、それは置いておくとしてだ。 定武が身罷った事で、俺も定秀の年齢を改めて認識した。 そこでこの上は、隠居を許そうと思うがそこでそなたに相談がある」
「拙者に相談ですか?」
「ああ。 俺の家臣として、定秀の蒲生家を存続させたい。 ついては、そなたの息子である氏春を定秀の養子とせぬか?」
蒲生賢秀には、嘗て五人の息子が居た。
長子であった蒲生氏信だが、彼は義頼と織田信長・浅井長政の連合軍が戦った【野洲川の戦い】にて討ち死にしている。 そして蒲生家の家督だが、順当にいけば二男である蒲生氏春の物となる筈であったが、三男である蒲生頼秀が織田信長の娘である冬姫を娶った事により彼が受け継ぐ事と事実上決まってしまった感がある。 まだ蒲生賢秀が明言した訳ではないが、この蒲生頼秀による蒲生家の家督相続の流れはもう覆せないと言って間違いなかった。
そうなると、今度は蒲生頼秀の兄となる蒲生氏春の存在が浮いてしまう。 普通この様な状況となった場合、まず分家をする事で解決を図る。 しかしながら、今の蒲生家にそこまでの余裕はない。 小さな城ぐらいならば与える事は可能かも知れないが、城に加えて相応の領地もと言うとかなり厳しかった。
だがここで蒲生氏春を養子に出せば、蒲生頼秀が名実ともに蒲生家の長子となる。 そうなれば、家督相続にいささかの憂いもなくなるのだ。 それに義頼の家臣となれば、例え陪臣でも十分に力を得られる。 何と言っても義頼は、織田信長の同腹妹を妻とし織田家当主の義弟なのだ。
「……分かりました。 氏春に話を致しましょう」
「頼むぞ」
「はっ」
少しの間だけ考えにふけった蒲生賢秀であったが、彼は義頼の提案を取りあえず受け入れる事にした。 様々な経緯があって今の様な状況になってしまった訳だが、やはり息子はかわいい。 できうるならば自分の手で何とかしたかったが、それもままならないと言う現実が存在するのだ。
しかし此処でこの話を受ければ、蒲生家の確執となりかねない蒲生頼秀と蒲生氏春の関係に解決が図れる。 そして蒲生家としても、六角家と織田家双方に影響力を残せる。 その点だけでも、受け入れた方が良いのだ。 ゆえに蒲生賢秀は受け入れた、と言う訳である。
なお後日、父親から養子縁組の話がなされた蒲生氏春はと言うと、数日考えた後にこの話を受け入れていた。 話自体が半ば要請に近いという事もあったのだが、何よりこのままでは分家の見込みはないと言う理由が大きかったのである。 そうなれば、後は蒲生の本家に残り弟の家臣となるしかない。 そんな未来しか見えないのであれば、義頼の家臣となる方がいいと考えたのである。 最も彼がそう決断した理由の中には、蒲生家中にて騒動の種にはなりたくは無いという思いも多分にあったのは相違なかったのであった。
こうして話が纏まると、義頼は見舞いを兼ねて蒲生定秀の元に行く。 そして彼に対し、蒲生氏春との養子縁組話をする。 孫が息子になると言う話をいきなり聞かされた蒲生定秀は驚きを表したが、話を聞き蒲生家の問題が解決する話であると理解すると即座に受け入れる。 これにより蒲生家は、蒲生頼秀の継承する蒲生本家と新たに蒲生氏春を祖とする六角家旗下の蒲生家に分かれる事なる。 そして蒲生定秀は、孫の蒲生氏春を養子とした上で隠居したのであった。
なお蒲生定秀の隠居に伴い、伊賀国の植林事業の責任者は益田長盛となったのである。
さて話を、観音寺城で蒲生賢秀と行った話し合いが終わったところまで戻す。
義頼は蒲生賢秀を下げさせると、今度は本多正信と沼田祐光。 それから三雲賢持と馬淵建綱、更には駒井秀勝と駒井重勝の親子らを纏めて呼び出す。 程なくして彼ら六人が揃ったところで、義頼は話を切り出していた。
彼らを前にして義頼が切り出した話とは、何と焙烙玉に関してである。 炮烙玉とは、主に村上水軍が使用する手投げの武器である。 調理器具である炮烙、若しくは準ずる形をした陶器製の入れ物に火薬を積み込み敵へ向かって投げつけると言う武器であった。
「建綱と祐光は知ってる事なのでそち達は外すが、お主達は焙烙玉を知っているか?」
「主に村上水軍が得意とする戦法で使われる物ですな。 現物も一応見た事はあります」
「ほう秀勝、そなた見た事があるのか」
「はい。 拙者も気になったので、取り寄せた事があります。 ただ火薬を手に入れることが難しく、運用を諦めましたが」
駒井秀勝の言葉に、本多正信らはさもありなんとばかりに頷いていた。
それと言うのも日本では、火薬の原料となる硝石が殆ど産出しないのである。 そこで火薬を手に入れるには、商人などを通じて購入するか古土法と呼ばれる方法で硝石を精製した上で火薬を生産するしか無かったのだ。
そして義頼だが、彼は伊賀国で鉄砲の生産を始めると同時に古土法による硝石の精製と火薬の生産を行っていたのである。 しかし生産量がどうしても乏しく、彼は他に生産する方法がないかと情報収集を行っていたのだが、程なくして北陸方面の情報収集を行っていた伊賀衆から越中国に古土法以外の硝石精製方法があるという情報が齎された。
それはおりしも、上杉謙信による越中国侵攻が幾度となくあった時期である。 そんな越中国内の情勢の不安定さを利用して、義頼の命を受けた伊賀衆は硝石を作り出す者達に勧誘を仕掛けたのである。 すると幾人かの者が勧誘に応じたので、彼らを伊賀国へ連れて来た上で硝石の精製、いわゆる培養法を行わせたのだ。
因みに、培養法は古土法と違い生産を始めた年からすぐに硝石が採取できるようになる訳ではない。 初めての採取までには、数年を要してしまう。 そして、伊賀国で最初に取れる硝石は丁度来年からの予定であった。
また、この培養法の材料の一つに蚕の糞がある。 そして伊賀国と、近江国もそうであるが、両国は古来より和紙の産地である為に蚕の餌には事欠かない。 そこで義頼は新たな産業と言う意味も含めて、従来からある紙の生産だけでなく絹生産にも力を入れていた。
閑話休題
「なるほど、そうであったか。 しかし話は、焙烙玉の運用法などでは無い。 焙烙玉を防ぐ手立てだ」
『ああ。 【堺沖の海戦】ですか』
「あの、殿。 焙烙玉とは如何なる物でしょう」
「そうか、賢持は知らなかったか。 これは、済まない事をしたな」
尋ねて来た三雲賢持に一言謝ると、彼に対して改めて焙烙玉についての説明を行った。
その上で義頼は、彼らに対して炮烙玉によって発生する被害を何とか抑えたい旨を伝える。 特に、炮烙玉が破裂する際に発生する火炎を何とかしたいとそう考えていたのだ。
因みに、炮烙玉が破裂する際に発生する陶器の破片などによる損傷も抑えたいとも考えているが、此方に関しては出来ればぐらいに考えている。 やはり一番の問題は炎であり、これを抑えられればかなり損害を減らす事が出来る筈であった。
なお義頼だが、前から合間を見ては焙烙玉対策を思案してはいた。 しかしながら、一向にいい案は浮かんでいないと言うのが現状である。 だからこそ義頼は、六角水軍を率いている駒井秀勝と駒井重勝の親子もこの場に集めたのだ。
とは言う物の、直ぐに妙案が出るのならば苦労はない。 ましてや駒井秀勝や駒井重勝は、実際に船を運用する水軍の者である。 だからこそ、船上における炎の厄介さは良く分かっていた。 そして、炎を防ぐ難しさも。
そもそも船は、木材で出来ている。 つまり火が出れば燃えるのは当たり前であり、そんな木材で出来た船を燃えない若しくは燃えにくくするなど簡単に思いつく訳がないのだ。 そんな中、沼田祐光が駒井秀勝へと尋ねる。 その内容は、木材以外の材料を使った造船であった。
問われた駒井秀勝は面を喰らったが、やがて首を左右に振った。 例えば、石で作れば燃えはしないだろう。 しかしそんな物が水に浮く筈がなく、船としては用をなさない。 それでは、意味がなかった。
そんな至極当たり前とも言える答えに、沼田祐光も「馬鹿な事を聞いた。 忘れてくれ」と言い話を打ち切る。 しかしながらその馬鹿な話こそが、事態の打開を生む事となるとは問うた沼田祐光も問われた駒井秀勝も予想だにしていなかった。
「……あ! おい、秀勝!! 今の話で聞きたい事が一つある」
「何でしょうか、左衛門佐様」
「例えばだ。 船を作りその表面に燃えない何かを取り付けたとして、その船を運用出来るか?」
「……そうですな。 取り付けるという物が具体的に何を指すのかは分かりませんが、船として用いる事が可能であるならば一応問題は無いでしょう。 ただ他の問題が出るかも知れませんが、それはその場になってみなければ何とも言えません。 ところで、それが何か?」
そんな駒井秀勝の言葉を聞いた義頼は、満足そうに頷く。 同時に、自身の頭に閃いた事が可能であると見当をつけた。
「いいか。 俺達は、燃えないという事にこだわり過ぎていた」
「……殿、どういう事でしょう」
「結果として、燃えなければいいんだ。 先ず船を造る。 その上で、船の表面に燃えない物を取り付けるのだ」
『……あっ!!』
そこで漸く義頼を除く者達も、義頼が何を言いたいのかに気付き全員が同様に声を上げた。
そう。
何も、全く燃える心配がない何かを材料とした船を必ずしも造る必要などないのである。 義頼が言った様に、結果として燃えないか燃えにくければそれでいいのだ。 そんな義頼が閃いた物だが、それは燃えないか燃えづらい物で作成した薄い板状の何かを船体に取り付けるという物である。 取り付ける材質については追々考えるとしても、これならば割と簡単に作成は可能では無いのかと思いついたのだ。
無論一から作ればいいのであろうが、それが難しいのならば最悪でも船べりに引っ掛かる様な構造で燃えない何かを作成すればいいだけな話なのである。 そんな何かを、和釘や鎹などを使用して船体から外れない様に固定してしまえばいい。 そうすれば、そう簡単には外れる事もない筈であった。
「……おおっ! 確かに! それならば、作成も可能かも知れません!!」
義頼の考え付いた話から船の構造や耐久性など、ざっと頭の中で描いてみせた駒井秀勝が即座に答える。 ただ重量が嵩張る為に船足が極端に遅くなると言う可能性が多分に存在するが、それでも燃えにくい若しくは燃えないという利点を生み出すと言う事では間違いなかった。
だが、あくまで可能であるという事に過ぎない。 何よりまだ机上の空論でしかなく、実際に造り試してみなければ確実な事は言えない。 とは言え、今まで暗中模索だった対策に、僅かでも希望の光が見えたと言える状態であった。
「先ずは、材料の選定からですな殿。 燃えないという事だけで考慮すれば、材質には土や石などが考えられます」
「他にも、金属で薄い板を作ってもよいでしょう」
すると沼田祐光が、船体に使用する幾つかの材料を即座に上げていく。 その例に追随するかの如く、本多正信が補足して行くのであった。
「俺の考えが机上の空論か、それとも違うのかを確かめる。 秀勝、重勝……それから賢持。 そなた達に確認作業を任せるぞ」
『御意』
義頼から命じられた駒井秀勝と駒井重勝の親子、それから三雲賢持は即座に了承すると先を争う様に部屋から出て行く。 特に駒井秀勝と駒井重勝にしてみれば、今までの概念を覆しかねない様な試みとなる。 いわば全く新しい試みであり、どの様な結果が出るかとても楽しみだと内心で感じていた。
そして程度の差こそあれ、三雲賢持にしても楽しみと感じている部分がある。 その証拠にと言う訳でもないが、命じられた三人の表情には喜色が現れている。 何はともあれ、義頼達は従来の物とは全く趣が違う船の作成を目指し、動き始めたのであった。
何気に、鉄甲以外にも重要な話が交じっていたりします。
ご一読いただき、ありがとうございました。




