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第九十九話~植林と丹後一色家~


第九十九話~植林と丹後一色家~



 伊賀国内における拠点に到着した義頼は、一日の間を挟んだ後に政務へと手を出す。 そんな彼が最初に目を通したのは、実験的に始めてみた植林に関する物であった。 ある程度は事前に効果が分かっていたが、実際に行ってみないと分からない側面は間違いなくある。 その意味もあって、実験的なのだ。 

 義頼は、家臣の持って来た伊賀国内における植林の状況を記した書類に目を通して行く。 そこに記されていた内容は、事前の予測とあまり変わらない。 有り体に言ってしまえば、過不足の無い内容である。 だがそれは、順調でありしかも効果があると証明されたとも言えた。


「ふむ……なるほど。 伊賀国内における植林の状況だが、まずまずといったところか」

「はっ」


 義頼が目を通している報告を持って来た男は、益田長盛ましたながもりと言う。 彼は湖北十ヶ寺の一つ真宗寺の出であり、同寺の住職の息子でもあった。

 その益田長盛だが、初めから六角家に仕官していた訳ではない。 彼は近江一向一揆が終息してから程なくした頃、弟の益田長俊ましたながとしと共に本多正信ほんだまさのぶを訪ねてきたのだ。

 何ゆえに彼らが本多正信を尋ねて来たのかと言うと、その理由は彼が一向衆の門徒だからである。 同時にその事を伝手として、六角家に仕官する為でもあった。

 だが六角家は、近江一向衆に対してある意味で止めを刺したと言える家である。 その家へ近江一向宗の中で有力な力を持っていた湖北十ヶ寺の一つである真宗寺住職の息子の二人が仕官し様と考えたのかと言うと、それは兄弟なりに近江一向衆を案じてであった。

 あの近江国内での騒乱の後、一応でも織田信長おだのぶながによって近江国内の一向衆や一向宗の身柄は保障されている。 しかしそれとて、何時いつてのひらを返されるか分からない。 最悪、この瞬間にも捕縛の命が出てもおかしくはないのだ。

 何と言っても、一向宗の総本山となる石山本願寺が織田家に逆らっているのだから。

 そこで湖北十ヶ寺の一つである真宗寺住職の息子である長盛と長俊の兄弟は、六角家に即ち間接的に織田家へ仕える事で近江一向衆は織田家に協力しているという姿勢を見せる事にしたのである。 


「……それならば、丹羽様でも問題は無かろう」


 長盛の言葉を聞いた正信の言う通りである。

 仕官してと言うのであるならば、六角家でなくてもいい。 本多正信の言った通り、佐和山城主である丹羽長秀にわながひででも問題は無い。 彼は佐和山城主でもあり、地理的に言えば義頼よりも近い位置に領地を持つ織田家重臣なのだ。 


「ただ仕えるだけ、それならばそれでもいいかもしれません。 しかし敢えて六角家を選んだ理由は、勿論あります」

「その理由を聞きましょうか」

「実質的に近江一向衆へ引導を渡した形となっている六角家に敢えて仕え、かつ功名を残せばそれだけ近江一向衆の安全は保障されましょう。 それに何より、左衛門佐(六角義頼ろっかくよしより)様は近江代官にございます」

「なるほど。 近江代官の家でもある六角家につかえる事は、そのまま事実上の近江国主である織田家へ積極的に協力する事となる。 その事実をもって近江一向衆の安全をより確保する、そう貴公らは申されるか」

『はい』


 長盛と長俊の言葉に、本多正信はゆっくりと頷く。 それは、二人の気持ちが分からなくもないからだ。

 本多正信とて一向宗の信者であるから、同じ門徒の安全を確保したいという思いは確かにある。 だからこそ、彼らの抱く気持ちが理解できた。

 最も今の本多正信には、以前の三河一向一揆勃発時の様に一向一揆に合流する気などさらさらないのだが。

 そんな本多正信の心持こころもちは一先ずおいておくとして、今は二人の処遇である。 幾ら気持ちが分かるとは言えつい直前まで対立していた近江一向宗、しかも有力な力を持っていた湖北十ヶ寺の住職の息子である。 警戒しない方が無理だと言えた。

 かと言って、無碍にするのもはばかられる。 その理由もやはり湖北十ヶ寺に由来し、下手な対応をすれば近江国内での騒乱再びとなりかねないのだ。 何より彼らに、何かを隠そうと言う態度が見えない。 つまり本音を話していると判断できる事が、厄介であるとも言えた。


「……話は承知した。 一応、殿には話しは通そう。 まずはその上でと言う事になるが、宜しいな?」

「無論にございます、弥八郎(本多正信)様」


 その後、本多正信は弟の本多正重ほんだまさしげを長盛と長俊の兄弟に付ける。 これは、護衛の意味もある。 近江一向宗徒とこの時点で家中に判明すると、襲撃を仕掛けるなど短慮な行動に出る者が居るかもしれないからである。 無論、そればかりではない。 長盛と長俊の兄弟が、一向宗の間者であるかもしれないからだ。

 故に本多正信は、武で名の知られている弟を付けたと言う訳である。 つまり二人に対してあからさまに監視を付ける事で、万が一策を巡らせても無駄だとの圧力を掛けたのだ。

 だが、長盛も長俊も策のつもりもないしそもそも間者でもない。 だからこの行動は本多正信の勘ぐり過ぎな訳だが、事実上六角家忍び衆を統括し情報を取り纏める地位でもある彼に取って見れば当然の心配であった。

 その後、内心では不本意ながらも本多正信は、義頼と会って事の次第を説明する。 己の右腕と頼む知恵袋の言葉を黙って聞いていた義頼は、本多正信の話が終わると苦笑を浮かべたのだった。


「しかし……馬鹿正直に話したのか。 その兄弟は」

「はい」

「赤心か、それとも他に理由があるのか。 正信はどう思う?」

「拙者の印象としましては、策と言うより赤心ではないかと判断致します」

「つまりあけすけにする事で、此方こちらの信を得たいと考えたというのか」

「御意」


 本多正信の言葉で義頼は、彼ら兄弟が敢えて美麗字句を並べたり同情など買わないという選択をしたと判断する。 そしてそれは同時に、己らが仕えるに値するかどうか義頼の器を試しているとも言えた。

 それはそれで、大した度胸であると言える。 名門佐々木家の後継家である六角家の現当主であり、しかも彼は織田家より近江代官にも任じられていた。 そればかりか義頼は、近江源氏の現頭領でもある。 近江守護家として近江国内に長く君臨し続けた六角家現当主をあからさまに試すのだから大した度胸だと言えた。

 要は試されたと言う訳だが、義頼も武家である。 ある意味で兄弟から売られたと言っていい喧嘩であり、そこから逃げ出す気はない。 だから本多正信には、義頼がどういった返事をするかが大体だが予測出来ていた。


「なるほど。 中々にふてぶてしいな、仕官と同時に俺を試すか……面白い、仕官を叶えてやる。 明日にでも、此処ここへと連れて来い」

「はっ」


 明けて翌日、兄弟は義頼と面会した。

 挨拶の口上を聞いた後で義頼は、二人のおもてを上げさせるとじっと目を見続ける。 すると何かを察したのか長盛と長俊の兄弟も、目を逸らすことなくじっと視線を受け止めていた。 それから暫く、面会した部屋に奇妙な空気が流れる。 長かったのかそれとも短かったのか分からない時が流れた後、ふっと小さく笑みを浮かべると、義頼は口を開いた。


「…………俺が六角左衛門佐義頼だ。 そなた達の事は、そこに居る正信から聞いた。 我が六角家への仕官を認めよう」

『ありがとうございます』


 義頼の言葉を聞き、長盛と長俊の兄弟は、仕官が叶ったと内心で安堵する。 そんな様子の二人を見ていた義頼は、暫くした後で口を開き二人に話し掛けた。

 彼が問い掛けたのは、二人に姓があるかについてである。 元々住職の息子であり、何より武士だった訳ではない二人である。 姓がなくても不思議はない。 何より兄弟の父親は真宗寺住職を務めているので、そこの誰誰と言えば今まではそれで通用してしまっていた。 

 だからこそなくても困らなかったのだが、これからはそう言う訳にはいかない。 何せ彼らは、陣僧として六角家に仕官した訳ではないからだ。


「ふむ。姓が無いのは不便であろう……そなた達が暮らしていた、その真宗寺だったか? その寺が建つ地は何と言う?」

「真宗寺が建つ地の名と申しますと、益田となりますが」

「ならば、それで構わんだろ。 これからそなた達は、益田の姓を名乗れ」

『は、ははっ!』

「そなた達の働き、期待するぞ」

『御意』

 

 義頼からいきなり姓を授けられた長盛と長俊の兄弟が現した驚きは相当な物だった。

 幾ら性がなかったからだとは言え、家に仕えたその日に家の当主から直々に姓をたまわったのである。 まして与えられた姓は故郷の地名であり、これでは不満など有る筈もなかった。

 それから間もなく、姓を与えられ益田長盛と益田長俊となった兄弟が義頼の前から辞する。 彼らが完全に消え暫くすると義頼は、部屋に残っている本多正信を近くに呼び寄せると二人の監視を命じた。

 両名の出自もあり、流石に直ぐ信用も信頼もできない。 故に義頼は、本多正信に命じて伊賀衆監視下に置く事とした。

 そんな監視の目があるなど忍びでも武士でもない益田長盛と益田長俊では、気付くなど無理である。 そして気付かなければ、それは知らないと同義であった。 故に益田長盛と益田長俊の兄弟は、精力的に仕事をこなしていく。 元々住職の息子として教育を受けていた事もあり、仕事のやり方さえ覚えれば兄弟とも問題は出なかったのだ。

 彼ら兄弟は半年ほど監視下に置かれていたのだが、そのかんに間者などの陰は全く見えない。 これならば問題は無いだろうと判断した義頼は、兄弟を監視下から外す。 そして兄の益田長盛は直臣に取り立て、弟となる益田長俊は甥の大原義定おおはらよしさだの家臣としたのであった。

 こうして、益田長盛が義頼の家臣となって最初に与えられた仕事。 それと言うのが、今まさに報告している伊賀国内の植林事業に関する仕事であった。

 それはそれとして何ゆえに伊賀国で植林と言う事業が実験的とは言え始められたのかと言うと、その理由は焼き物と鉄砲にある。 実のところ、どちらの仕事も大量に薪を使うのである。 その結果、木が大量に伐採されてしまい山が荒れてしまうのだ。

 事実、幾つかの鍛冶で有名な土地は山が荒れてしまっている。 それを防ぐ為の、植林事業であった。 なおこの件は、義頼の傅役もりやくとなる蒲生定秀がもうさだひでより進言された物である。 そして同時に、各地に放たれた忍び衆からも上がっていた報告でもあった。

 因みに蒲生定秀が何ゆえこの件を進言したのかと言うと。彼もまた過去に多少なりとも同じ事を経験していたからである。 嘗て蒲生定秀がまだ蒲生家当主であった頃、彼は居城の日野城下にて鉄砲の製造を手掛けさせていた。 その時に苦労したのが、薪の確保である。 実際、木を乱獲してしまい、いわゆるはげ山にしてしまった事もあるのだ。

 その時の教訓を生かし、この植林事業を進言したと言う訳である。


「ふぅむ、植林か。 確かに話を聞く限り必要だとは思うが……我らに経験は乏しい。 これは、定秀に任せる事になるぞ」

「分かっております。 ですが、今後の為にも補佐する者をお願いします。 それからそれなりの金子も必要となります故、出来れば計数に明るい者を」

「計数か……正信、心当たりはあるか?」


 義頼に問われた正信は暫し考えた後、一人の男を推薦する。 それが、益田長盛である。 もう間者だ何だとの疑われてはいないので、安心して仕事を与えられると言う訳であった。

 推挙された義頼も、益田長盛の仕事ぶりは聞いていたし満足もしている。 それ故に、推薦をけるつもりはなかった。


「長盛か……いいだろう。 と言う訳で、定秀。 長盛をそなたの下に付ける、存分に指導してやってくれ」

「お任せを。 せいぜい、鍛え上げると致しましょう」


 義頼の命を、笑みを浮かべながら蒲生定秀が拝命した。

 彼に任せれば間違いない事は、蒲生定秀に育てられた己自身が身にしみている。 それ故に、義頼は頷きすべてを任せた。

 またせめてもの事として、京の商人である角倉了以すみのくらりょういや堺の今井宗久いまいそうきゅう千宗易せんのそうえきなどを介して農書を手に入れさせている。 これは蒲生定秀も持っていなかった物であり、長盛は義頼に感謝していた。

 因みに佐々木氏の流れを多少なりとも組んでいる角倉了以や今井宗久は別として、何故に義頼が千宗易に繋ぎを付けられたのかと言うと、彼とは茶の兄弟弟子に当たるからである。 義頼の師である志野省巴しのしょうはは千宗易を門人としていた時期があり、その伝手を使っての事であった。

 何はともあれ、こうして蒲生定秀の補佐として植林事業に係わる事になった益田長盛だが、流石に最初は戸惑いの方が大きかった。 何と言っても初めてであり、右も左も分からない状態であるから致し方ない。 だが蒲生定秀と言う過去の植林事業経験者であり、かつ教育する者として申し分ない上司に恵まれた事が幸いした。

 蒲生定秀に厳しく、そして時には優しく指導された益田長盛は真綿が水を吸収するかの如く仕事を覚えこなしていく。 義頼から命を受けて半年もした頃には、益田長盛に任せてもほぼ問題ないぐらいにまでになっていた。 こうなると蒲生定秀も、大抵の仕事は彼へ任せる様になる。 金の配分や人の確保などを任せ、蒲生定秀は事業を任せられた長として自らが出なければならない様な事態以外はあまり関与しなくなったのであった。 その中には、植林事業の進捗状況の報告も含まれている。 そうであるからこそ、仕事を拝命した蒲生定秀では無く彼の部下となっている益田長盛が義頼へ報告をしていたのであった。


「それで、何か問題はあるのか?」

「やはり将来的には、費用が余計に掛かってしまう事だと思います。 植林もさる事ですが、木材を伐採する場所を徐々に移動しておりますから致し方ないのですが」


 焼き物や鍛冶に使う木材の伐採地は、益田長盛が言った通り年ごとに徐々にずらしている。 これは、連続して同じ地から伐採しない様にしているからである。 この事は林業に係わる領民から木が生長するのに大体どれぐらい掛かるかを経験から聞き出し、植林と併せて行う事にしたものだった。

 しかしそれ故に、時間と共に伐採の場所がより遠隔地となってしまう事もある。 だがこれもまた、益田長盛の言う通り致し方ない事ではあった。


「構わん。 その差額分は、出来うる限る六角家で負担しろ。 事業も大事だが、その事で領民を苦しめては本末転倒だからな」

「はぁ」

「それと、倹約できるところは倹約しろ。 その意味でも、その方には期待するぞ」

「御意!」





 義頼が領内の山の荒廃を防ぐ事業に関する報告を受けている頃、丹後国八田守護所、即ち丹後一色氏の本拠地で一人の男が当主の一色義道いっしきよしみちへ詰め寄っていた。 


「父上! 今からでも遅くはありません。 すぐに弾正大弼(織田信長)様に使者を出しましょう」


 一色義道に詰め寄っていたのは、息子である一色義定いっしきよしさだであった。

 彼が何ゆえに父親の一色義道へと詰め寄っているのか。 それは、一色家を頼って現れた足利義昭あしかがよしあきに関連していた。 実のところ、一色義定は足利義昭一行の受け入れに対して反対している。 それは織田信長より連絡があったからだが、しかし一色家当主の一色義道が、その反対を押し切って足利義昭を受け入れたのだ。


「義定。 何度も言っている! わが一色家は、四職の一家であった。 その一色家を頼って、公方(足利義昭)様が参られた。 見捨てる事など出来ぬわっ!!」

「ですが、父上!」

「黙れ! まだ言うか!! 早々に下がれ! 顔も見たくない!!」

「……分かりました」


 不満を隠さず一色義定は頭を下げると、父親の前から辞した。

 その後、別室へと移動した一色義定は、彼なりに一色家が生き残る道を考え始める。 今のままでは、織田家が軍勢を差し向ける事はほぼ間違いないと思えるからだった。

 何せ事前に明確ではないとは言え織田家から通達が来ていたにも拘らず、その通達を無視した形となっているのだから当然であろう。 だからこそ色々と思案を巡らしている一色義定だが、そう簡単にいい案など出はしない。 詰まるところ父親に言った通り、信長へ使者を出して足利義昭の受け入れはあくまで一時的な処置であり、決して織田家の意向に逆らうつもりはないと釈明する。 それ以外の手段を、彼は思い付けなかったのだ。

 一色義定が自分の部屋で悶々とする中、突如部屋の外から声が掛かる。 その声の主は叔父である吉原義清よしわらよしきよであり、意外な者の訪問に一色義定は間抜けな返事をしてしまった。 すると、叔父から苦笑でも浮かべたかの様な雰囲気を感じる。 思わず赤面した一色義定であったが、一つ取り繕う様に咳払いをすると叔父へ入室を促した。

 部屋に入った吉原義清であったが、腰を下ろしてからもただ黙っている。 そんな叔父に対して一色義定は、怪訝な顔をする。 だが吉原義清は、相変わらず口を開かない。 その為に部屋が奇妙なぐらい静かな空間となっていたが、やがてその静寂を破り吉原義清が漸く口を開くと意外な言葉を甥へと告げた。


「五郎(一色義定)、そなたは一色家を出ろ。 そして弾正大弼(織田信長)様の元に行き、公方様の受け入れは兄の独断である事を告げるのだ」

「え? いや、しかしそれで「いいか。 義定、よく聞け」は……分かりました」

「うむ。 このままでは、一色家は滅ぼされよう。 だが、そなたが弾正大弼様の元に行き事の次第を告げれば、家名は残る可能性が出る」

「……」

「お主も気付いていると思うが、弾正大弼様がこのまま一色家を放っておく事などまず無かろう。 偶々冬であったから、今は攻めて来ないだけだ」


 正しく、その通りである。

 丹後国は雪深く、いわゆる豪雪地帯である。 当然ながら、雪の為に行軍に果てしなく手間が掛かってしまう。 そんな理由から織田信長は軍勢を起こしていないのだ。 それであるがゆえに、雪が進軍の邪魔にならなくなれば間違いなく軍勢を起こすのは明白である。 そうなってしまえば、国力の差からこの丹後一色家に先は無かった。

 そしてその意見には、一色義定も同意する。 だからこそ彼は、一色家が生き残れる道をつい先程まで模索していたのである。 そんな甥の様子に吉原義清は一つ頷くと、言葉を続けた。


「だが、そなたが弾正大弼様の元に居れば話は違って来る」

「そうでしょうか」

「うむ。 そなたが大義名分になるからの」

「大義名分……ですか?」

「そうだ。 五郎が訴えるのだ「父の専横を取り除く力をお貸し下さい」と。 さすれば、例え領地が無くなったとしても」

「丹後一色家の命脈は保てる、と」


 吉原義清の考えを見抜いた甥の言葉に、彼ははっきりと頷いた。

 確かに、織田信長の元へ一色義定が赴き訴えれば吉原義清の言う通りになるかもしれない。 だがそれは、父親を見捨てる決断を息子に迫る物であった。 


「ですが、それでは父上が!」

「義定。 これは兄上の考えた事だ」

「ち、父上がっ!?」


 叔父から齎されたまさかの言葉に、一色義定は驚愕した。

 それでなくともつい先程まで、その件で父親と言い争いをしていたのである。 そこでかたくななまでに息子の言葉に反対していた父親が、実はその息子を使って織田家と繋ぎを考えていたのだからだそれも当然の反応だった。


「そうだ。 兄上は四職の一家として、足利家と命運を共にすると決めたのだ。 だが、それは一色家を滅ぼすと同義である。 そこで兄上は、家名と命脈だけでも残そうと試行錯誤しこうさくごした。 その結果、そなたを織田家へ向かわせる事にしたのだ」

「ならば、何ゆえに父上から言って下さらないのです」

「万が一を考えてだ。 この手は、言ってしまえば芝居と言うか狂言に近い。 分かるだろう。 狂言を見破られては、意味が無くなってしまう。 此処ここはあくまでもそなたと兄上が、仲違したとしておかねばならないのだ」


 ある意味、一世一代いっせいちだいの芝居であろう。 織田家とそして自分の家である一色家を騙す事で、血と家を残す策なのだから。 その事にまで思い至り、一色義定は思わず唾を飲み込む。 だが此処で躊躇う事など、許されはしないのだ。

 この話を聞いた時点で、策は動き始めている。 何より自分は、丹後一色家の嫡子である。 家を残す使命を父親から託された以上、逡巡しゅんじゅんするなど以ての外であるのだ。


「し、承知致しました。 この一色五郎義定、父からの専横より一色家を救う為に弾正大弼様へ御助力を願います」


 こうして叔父の吉原義清から父親の真意を聞かされた一色義定は、その数日後には夜陰に乗じて一部の家臣と共に一色家の居館である八田守護所を抜け出している。 そして彼と彼の一行は雪を掻き分け掻き分け進み、一路織田信長のいる岐阜城を目指すのであった。


益田長盛の仕官時期は、文中通り近江一向一揆終息後一年以内の事です。

つまり、長盛に関する大半は過去話となります。

なお益田長盛ですが、彼は史実の増田長盛です。


ご一読いただき、ありがとうございました。

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