夜のバーで一人
昔から、バーというものに憧れていた。
タバコの煙。色とりどりのカクテル。黒服のバーテンダー。大人の対談。
想像の世界でしかなかったが、実際来てみるとその姿はより明確になった。
目の前で変化するカクテルの色をみながら、タバコに火をつける。
マルボロのブラックメンソール。
禁煙していたはずなのに、あたしはなぜこんなことをしているのかしら。
今日一日を振り返ってみるが、その原因がどちらにあるのかはわからない。
黒服のバーテンが出してくれたチーズを一口つまみ、カクテルを飲む。
そして思い返してみる。
今日一日は、本当にいろいろあった。
細々ながら小説を書いてお金をもらっているあたしは、今日やっと原稿があがった。
厳しくて優しい編集のおかげで何回直したかわからないが、
なかなか良い作品ができてあたしは満足していた。
そして、そのまま1週間ぶりに彼に連絡した。
彼に会いたくて仕方なかった。
「あ、もしもし拓也?」
久しぶりすぎて少し照れ笑い気味に彼に電話する。
「あぁ、美咲か。」
「何その反応。1週間ぶりに声が聞けて嬉しくないの?」
予想外の彼の反応に少しむっとする。
すると彼は、小さくため息をついた。
「お前のそういうとこ、疲れる。」
「……え?」
「自分のことばっかじゃなくてさ、もう少し他人のことも考えろよ。」
一体、彼が何に怒っているのかわからない。
だけど、彼が次に言うであろう言葉はわかってしまった。
「ごめん。もう無理。別れよう。」
久しぶりに吸うタバコは少し頭にくらっときた。
当たり前だ。拓也と付き合って半年。私は一度もタバコを吸わなかった。
一人のバーというものに憧れてはいたが、まさか今日になるなんて。
小さくくすっと笑うと、携帯が鳴った。
「もしもし?」
「あ、新城さん?お疲れ様です。編集の三宅です。」
「あぁ。お疲れ様です。」
「いやぁ。新城さん。今回は本当にいいものができましたね。」
拓也としたかった会話をまさか三宅さんとすることになるとは。
おかしくて私はまた、一人で小さく笑った。
「それでですね。電話をさしあげた理由は他でもない。実は、新城さんの今回の原稿を見た編集長がもっと大きな仕事をしてみないかとおっしゃってまして。」
もっていたタバコを危うく取り落としそうになった。
「……ほんとですか?」
「まぁ、詳しくは私もまだ聞かされていないんですよ。とりあえずは、今度編集長も含めて打ち合わせということになったんですが……。来週の月曜、空いてますか?」
「あ、はい。大丈夫です。」
「じゃあ詳しい話はまた来週で。本当にお疲れ様でした。」
電話が切れる。
バーで流れているジャズがやけに大きく聞こえる。
まさか、こんなチャンスが巡ってくるなんて。
タバコの煙を大きく吸う。
心臓がドキドキする。
今ならとてもいい作品が書ける気がする。
ふと、携帯についているストラップが目に入った。
拓也とおそろいで買ったやつだ。
少しためらったが、そのストラップに手をかける。
「すみません。お会計お願いします。」
夜のバー。
優しく響くジャズ。オレンジ色のカクテル。少し甘いチーズ。
小さくなったタバコの先端の横には、赤いハートのストラップが静かに横たわっていた。




