隣の子
私は小さいときから病弱で、子供の頃は殆ど病院で過ごしていた。
看護婦さん (当時はまだそう呼んでいた)のお姉さんは優しいけれどお医者さんのおじさんはちょっと苦手。時々若いお姉さん看護婦さんが来ると注射を失敗したりするから私はびーびー泣いていた。
だって、痛いもの。
採血一つにしても上手い看護婦さんと下手くそな看護婦さんが居る。下手くそなお姉さんが病室にやってきたときにはお布団を被って隠れてやり過ごそうなんて考えたことも一度や二度じゃない。
お母さんも同じ病院で入院していたけれど、私は子供病棟、お母さんはまた別な病室だから夜は知らない子と同じお部屋で寝ることになる。
病院のベッドって最悪よ。寝心地もあんまりよくないし、夜中にいきなり他の子が泣き出したりする。たぶん、ものすごく痛かったり、どこかが悪化したり、たまにママがいないのが寂しくて泣き出す子もいるけれどそう言う子は迷惑ね。
その時の私はあんまり良くない状態だったんだと思う。実はあまりよく覚えていない。けれども同じ病室の子が、ひとり、またひとりと退院していった中、暫く入院していたから自分が思っているよりは深刻な状況だったのかもしれない。
でも、不思議と平気だった。というのも、隣のベッドの子がとってもいい子だったから。
もう名前は思い出せないけれど、私はその子を「たーや」と呼んでいた。たぶんたくやとかそんな感じの名前だったのだろう。
たーやはとってもいい子だ。注射の時間も泣かないし、ご飯を残して怒られることもない。それに夜中に突然泣き出したりもしないし、注射が怖いときも「大丈夫だよ」って励ましてくれるような子だった。
同じ歳か、たぶん少し上。あれで年下だったらちょっと悔しい。
元気なときはだいたいたーやと遊んでいた。たーやはボードゲームがとっても強くて、一度も勝てたことがない。それに夜中眠れないときはこっそりお喋りをしていた。
たーやはとっても物知りだ。いろんな動物のことをとても詳しく知っているし、科学にも詳しい。図鑑が好きだと教えてくれた。
「たーやは動物園のガイドさんになれそうだね」
「いいね。じゃあ、退院したら美沙を案内してあげるよ」
たーやは得意気に言う。
今思えば、たぶん、初恋だった。優しくて物知りな彼が大好きだったし、怖い手術も直前まで手を握ってくれたり、優しく話しかけてくれたりしたから乗り越えられた。
向かいのベッドの子が夜中に泣き出したときもたーやは誰よりも先に看護婦さんを呼んでくれたし、雷が怖くて枕で頭を覆っていたら優しく気を逸らしてくれた。
たーやはその病室みんなのお兄さんのような存在だったと思う。
運良く、私の退院が決まった。
退院しても一緒に居たくて、でもたーやの退院はまだ決まっていないと言うから、手紙を書く約束をして、家の住所を教えた。
「絶対手紙ちょうだいね。私もたくさん書くから」
「うん。約束」
たーやは優しく笑って、指切りをした。
確かに、私はたーやと指切りをしたのだ。
けれども退院後、どんなに待ってもたーやから手紙が届かない。
おかしいと思ってお父さんに手紙が届いていないか訊ねた。
「たーやから手紙が来ないの」
「たーや?」
「病室の隣のベッドの子」
そう訊ねても、お父さんは首を傾げる。
それから、病院に問い合わせて、その子に手紙を出してもいいかと確認してくれているようだった。
けれども、電話を終えたお父さんは困った様子を見せた。
「……美沙、お前の隣のベッドはずっと誰も使っていなかったと言われたぞ? 誰かと間違えたんじゃないか」
「え?」
嘘だ。だって、たーやはずっと励ましてくれた。
手紙を書いてくれるって、指切りをして。
確かに、住所を書いた紙を渡したはずだ。
そう思って病院で使っていたパンダの絵柄のメモ帳を確認する。私の筆圧はかなり強いから前の文字がうっすらと残っているはずだ。
やっぱり、メモ帳には住所を書いた跡が残っている。
なのに、たーやからの手紙が来ない。
その晩、入院中のお母さんに電話をして、たーやのことを訊ねてみた。
けれども、お母さんもたーやのことを知らないという。
「美沙が誰も居ないベッドに向かってよくお喋りしてるって看護婦さんが心配してたのよ」
だから入院が長引いたのと言われてしまい、もうなにも言えなかった。
たーやは初めから存在しなかった?
あれから数年経っても、私の記憶にはあの隣の子がしっかりと残っている。時々、動物園であの子の姿を探し、科学館で姿を探す。
けれどもまだ、たーやとの再会はできていない。




