元婚約者が行方不明。わたくしが破滅を願ったせい?さようならファデル。愛していたわ。
ゾディア・ジュデス公爵令嬢は今日も祈りを捧げる。
― どうか、ファデルが、今日も健やかに過ごせますように -
毎日毎日、庭にある女神像に祈りを捧げる。
ジュデス公爵家に伝わる女神アーシラ像。
公爵家にとって守り神だ。
雨が降った日も、朝に像の前に跪いて、ゾディアは祈りを捧げる。
風が強い日も、雨嵐が吹き荒れようと、ゾディアは祈りを止めなかった。
ゾディアは、ジュデス公爵家の長女として生まれた。
翌年、弟が生まれたので、ジュデス公爵家の跡継ぎが出来た。
娘に早いうちに婚約者を決めないとと、ゾディアの父であるジュデス公爵はリテル公爵に話を持って行った。
ファデル・リテル公爵令息は一人息子だ。話はまとまり、同い年の彼と10歳の時に婚約が結ばれた。
ファデルは黒髪碧眼のとても可愛らしい顔をしていて。線も細くか弱い感じの少年だった。
その少年が照れくさそうに、
「ファデルです。君が僕の婚約者なんだ。よろしく頼むよ」
そう言って手を差し伸べてきたのだ。
ゾディアは黒髪黒目の地味な容姿をしていた。
弟ハイドは茶の髪に青い瞳のそれはもう、綺麗な顔立ちをしている少年なのに、あまり似ていないのだ。
両親も美男美女で華やかな容姿をしているのに、ゾディアだけは地味で陰気な少女と呼ばれていて。
それでも、ジュデス公爵家の娘である。
名門であるリテル公爵家と縁を結ぶのは政略としても当然の事だった。
「あの、わたくし、あまり美人ではありませんわ」
小さな声で言うと、ファデルは赤くなりながら、
「でも、私の婚約者になったんだから、大事にしたい」
ゾディアがファデルの手を握り返すと、真っ赤になって俯いて。
可愛らしかった。
ゾディアは一瞬で恋に落ちた。
だから彼の為に毎日、祈る事にしたのだ。
女神アーシラ像に。
女神アーシラ。ジュデス公爵家の守り神と言われている、美しい女神様だ。
その全身像が剣を片手に髪をなびかせて、ジュデス公爵家の王都の屋敷の庭に置かれている。
彼の為に祈りたい。
彼が健康でありますように。
大好きよ。ファデル。
毎朝、身支度を整えると、ファデルの為に祈りを捧げる。
ファデルは領地にいてなかなか会えないけれども、手紙をつたない字で寄越してくれて。
― 王都に今度行くときは、リテル公爵家の領地の特産である葡萄をお土産に持っていくよ。早く君に会いたい -
だなんて書いてくれて。
ああ、わたくしも早く貴方に会いたいわ。
手紙を一生懸命書いた。
― わたくしも貴方に会いたいです。毎日、貴方の事を思って女神様に祈っているわ -
会いたい会いたい会いたい。
でも、領地にいる彼にはなかなか会えない。
17歳になって、彼が王立学園に入学してきた。
同い年のゾディアも入学することになった。
これで彼に毎日会える。
時々、王都に来るときに会った彼は、年々成長して、とても美しい黒髪碧眼の男性に育っていた。
再会した時にゾディアは嬉しくて嬉しくて。
入学式の時に、ファデルを見つけると、思わず抱き着いた。
ああ、公爵家の令嬢としてはしたないわね。でも、ファデルに会いたかったんですもの。
一年ぶりかしら。
ただただ、無言で抱き着いていると、ファデルは、
「私も会いたかったよ。ゾディア。こんな風に抱き着かれたら、胸がドキドキしてしまうよ」
そう言ってくれた。
優しい人、愛しい人。
これからの学園生活を楽しみにしていたのに。
彼は美しかったから色々な女性達からモテた。
ファデルは親切なのだ。
女性が困っていると手を差し伸べてしまう。
それがイライラした。
ファデルが廊下で転んでいる女性に手を差し伸べていた。
だから言ってしまった。
「わたくしの婚約者に近づかないで下さる」
廊下で転んで、ファデルに助け起こされていたのはこの王国の王女、モデリーヌだ。
気づいて慌てて謝る。
「申し訳ございません。王女様」
「いえ、いいのよ。わたくしが転んでいた所をファデルに助けて貰ったの。本当に彼は紳士で素敵だわ」
金の髪に青い瞳のルド王国の王女モデリーヌ。
自分と比べて華やかな美人で。
彼女は隣国の王太子の婚約者である女性だ。
でも、ファデルの方をぼうっと見つめていて。
ゾディアはイライラした。
ファデルは優しく微笑んで、
「王女様。お怪我はありませんか?」
「ああ、足をくじいたみたい。医務室へ連れて行って下さる?」
「大丈夫ですか?私が抱き上げて連れて行きましょう」
お姫様抱っこをして、モデリーヌ王女を連れて行くファデル。
イライラした。
ファデルは勉学も優秀、剣技も学年一の強さで。
ファデルはモデリーヌ王女を医務室に連れて行った後、戻って来て。
「王女様が足をくじいたのだから、連れて行かないわけにはいかないだろう?」
「貴方はいつもそう。わたくしの婚約者なのに、他の女性に優しいのね」
「男性として当然だ。女性が困っているのを見ている訳にはいかないからね」
「ファデル様っ。勉強が解らなくて教えて下さる?」
彼女は対抗派閥の公爵令嬢だ。リリーナ・マセル。婚約者がいるはずである。公爵令息の。それなのに、ファデルに勉強を?
ファデルは頷いて、
「教えてあげよう。どこが解らない?リリーナは、勉強熱心だからね」
ああっ。また、今度はリリーナと?
わたくしが婚約者なのに。
リリーナ、貴方、婚約している公爵令息がいるわよね???
どうして皆、ファデルに近づくの?
それはそうよね。ファデルは美しいもの。隣国の王太子殿下は豚のように太っていると聞いているわ。
リリーナの婚約者である公爵令息も10歳も年上で、冴えない方だと噂が。
ファデルはそれに比べて、とても美しい。美しいからって。
ファデルもファデルよ。
わたくしがいるのに、他の令嬢が困っていると、親切にしてっ。
わたくしがいるのに。わたくしがいるのに。
ああ、いけないわ。
女神アーシラ様。
わたくしは公爵令嬢として未熟だわ。
心を落ち着けないと。
毎朝、女神アーシラに願うのだ。
「ファデルが健やかに学園生活を送れますように」
愛しているわ。ファデルっ。
しかし、二日後、決定的な事が起きた。
ファデルがモデリーヌ王女と庭で口づけをしていたのだ。
それも昼休み、ゾディアがファデルを探していて、見てしまった。
思わず駆け寄る。
「貴方はわたくしの婚約者。どうして、王女様と口づけを?」
ファデルは、顔を赤くして、
「王女様が望んだから、断れなかったんだ」
モデリーヌ王女は、
「貴方みたいな冴えない令嬢よりも、わたくしみたいな美しい女が、ファデルにふさわしいわ。お父様に頼むわ。わたくしとファデルを結婚させてくれるようにと。貴方、ファデルと別れなさい」
ゾディアはファデルに、
「貴方はいいの?わたくし達は10歳の時から婚約していたじゃない?」
ファデルは、
「でも、あまり会えなかっただろう?君を公爵家に迎えるよりも許されるなら、モデリーヌ王女様を我が公爵家に迎えた方が、リテル公爵家としてもよいのではないか」
「貴方、わたくしが好きではないの?」
「昔はちょっと好きだったかな。でも、君は綺麗ではない。見かけは地味な女性だ。私はこの通り美しい。美しい私にふさわしいのはモデリーヌ王女様みたいな人だ。今まで有難う。ゾディア。私達の婚約は解消しよう。父上母上にそう話すよ」
ずっとずっと女神アーシラ様に願っていた
彼が健やかに過ごせますように。
ずっとずっと愛していた。
彼の事が好きだった。
彼にはめったに会えなかったけれども、彼が王都に来た時は嬉しくて嬉しくて、おしゃれをして彼に会いに行った。
貴方の事が好き。わたくしは貴方と結婚したいの。
それなのに貴方は王女様とっ‥‥‥
涙が零れる。
その場を泣きながら、後にした。
ジュデス公爵家に戻って、両親と弟にその話をした。
父であるジュデス公爵は、
「国王陛下が許すまい。隣国が望んだ人質がモデリーヌ王女だ。その王女と王太子との婚姻がなりたたないとなると、我がルド王国としても非常にまずい」
ジュデス公爵夫人である母も、
「国王陛下は王女様をとても可愛がっておりますわ。でも隣国との関係悪化は避けたいはず。大丈夫よ。馬鹿な選択はしないはずよ」
両親はそう言うけれども、一つ違いの弟ハイドは、
「解らないよ。そればかりは。姉上、もし国王陛下の命で婚約解消になることを覚悟した方がいい」
大丈夫。きっと大丈夫。
わたくしとファデルは別れる事はないわ。
翌日の朝、女神アーシラ像に祈った。
― 今日もファデルが健やかに過ごせますように -
でも、もし、わたくしと婚約解消することになったら?
わたくしはわたくしはわたくしは憎しみに心が染まってしまうかもしれない。
あああっ。ファデル。どうか、わたくしを見捨てないで。
例え国王陛下の命だとしても、お断りしてっ。
愛しているわ。ファデル。
しかし、二日後、王宮にジュデス公爵夫妻と共にゾディアが呼ばれた。
国王陛下が三人に向かって、
「ファデル・リテル公爵令息との婚約を解消してほしい」
ジュデス公爵は、
「それはどういうことですか?」
「可愛いモデリーヌが、ファデルと結婚したいと。リテル公爵家に嫁ぎたいと言っている。隣国には私から話をするつもりだ。やはりモデリーヌが嫌がる隣国へ行かせる訳にはいかない」
ゾディアが国王陛下に、
「発言をお許し下さい。隣国が怒りはしませんか?」
国王陛下は笑って、
「代わりにそなたが、隣国の王太子の妻になったらどうだ?高位なジュデス公爵家の娘だ。相手も納得するのではないのか?」
無茶苦茶である。
王族と公爵令嬢とでは大きな違いがある。
それなのに。自分の娘可愛さに、ゾディアを隣国へ人質同然で、王太子に嫁がせると言い出したのだ。
ジュデス公爵ははっきりと、
「娘を隣国へ嫁がせる事はお断りします。王族と公爵家の娘とでは価値が違う。隣国も怒るでしょう」
「そうか。残念だのう。ともかく、可愛い可愛いモデリーヌの婚約者はファデルだ。良いな」
基本、王族の命令には逆らえない。
父はわたくしの嫁入だけははっきりと断ってくれたわ。
ああ、でもファデル。貴方はそれでいいの?
彼のいる王都の屋敷に両親と共に、その足で寄った。
ファデルの両親は領地にいるらしく、ファデル一人が応対した。
「国王陛下の命令ですから。私はモデリーヌ王女様と婚約します」
ファデルははっきりそう言ったのだ。
ゾディアはファデルに向かって、
「婚約は解消。それでいいの?貴方は本当にわたくしの事が好きではないの?」
「この間も言っただろう。君は綺麗じゃない。とても地味で私にふさわしくない。だから婚約解消しよう」
涙が零れる。
今までのわたくしの心を返して。
ずっとずっと貴方が好きだった心を返して。
屋敷に帰って、初めて女神アーシラ像に願った。
ファデルの破滅を。彼をどうか破滅させて下さい。
わたくしは彼の事が憎い。憎いわ。
王立学園に翌日行くと、モデリーヌ王女とファデルが仲良く歩いている。
婚約解消したという話は学園中に広まっていた。
リリーナ・マセル公爵令嬢が、話しかけてきた。
「いい気味ね。それにしても貴方相手だから、ファデルに近づけたけど、王女様相手じゃまずいわね。本当につまらないわ」
と言われた。
二人が仲良く手を繋いで、モデリーヌ王女がファデルにしなだれかかって。
勝ち誇ったように、こちらを見た。
お願い。わたくしの前でイチャイチャしないで。
わたくしはまだ貴方の事を愛しているわ。
毎日毎日毎日、見せつけられて。
女神アーシラ像に毎朝願う。
どうか、ファデルを破滅させて。
わたくしを裏切ったファデルをお願いっ。
一月程、経った頃だろうか。
ファデルが学園に来なくなった。
「何でも行方不明だそうだ」
「隣国が動いたのではないのか?隣国の王太子。モデリーヌ王女に執心していたからな」
「まさか、ほら、屑の美男をさらうという変…辺境騎士団の?」
「あれは単なる伝説だろ?実際にそんな馬鹿な騎士団なんて存在しねぇよ」
「それじゃ殺された?」
「リテル公爵家は大騒ぎしているらしいぞ」
彼が行方不明?
わたくしが破滅を願ったから?女神アーシラ様に破滅を願ったから?
あああっ。わたくしのせい?わたくしの‥‥‥
弟のハイドが、
「姉上。女神アーシラ様の像に願ったからではなくて、きっと隣国が動いたんですよ。
これで、モデリーヌ王女様は隣国に嫁ぐ事になるでしょう。なんせ、隣国のあの豚、いえいえ、王太子はモデリーヌ王女様にご執心だから」
「そう、そうなのね。わたくしが願ったからではないのね」
「そうですよ。姉上。だからお気を病まないで。そうそう、姉上も婚約者を探さないとね。今度こそちゃんとした婚約者を」
「有難う。ハイド。嬉しいわ」
慰めてくれた弟のハイドの心が嬉しかった。
モデリーヌ王女は泣く泣く、隣国に嫁ぐことになった。
豚のように太った王太子はとても喜んで、わざわざ自らルド王国へモデリーヌ王女を迎えに行った。
あまりの醜さにモデリーヌ王女は王太子の顔を見ると気絶した。
そのまま引っ担いで、王太子は嬉しそうに帰っていった。
あれだけ愛していたファデル。
でも、もういない。
わたくしはずっと忘れられないでしょう。
でも、いい加減、前を向かないと。
さようなら。ファデル。愛していたわ。
姉上を苦しめる奴なんて許せない。
だから、私がお前を殺してくれる。
女神アーシラ像の後ろにお前を埋めた。
姉上はずっと願っていたんだ。お前が健やかに過ごせますように。
でも、最近は破滅を願っていた。
だから破滅させてやったよ。
冷たい土の下で永遠に後悔するといい。




