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27

日が昇りきる前の薄暗い時間、部屋の中は静まり返っていた。

俺はベッドの端に座り込み、何度目になるか分からない吐き気をこらえながら、乱れた息を整えようとしていた。

ここ数日、俺の体はどんどん悲鳴を上げている。

頭痛が消えない。胃の中は空っぽのはずなのに、まるで岩を詰め込んだかのような重さがある。目の前が霞むことすらある。


だが、そんなことよりも、もっと苦しいのは……レイが俺を見ないことだ。


「気にするな」


その一言が、俺の胸を突き刺し、埋められない溝を残していく。

彼が俺を守ろうとしているのは分かる。分かっているけど、それでも、彼の態度が俺を孤独に追い込んでいるのだと感じてしまう。

昨日も同じだった。

朝食の席で、俺が勇気を振り絞って話しかけても、彼はいつも通り短く答えて、それ以上の会話はなかった。


――俺がどれだけレイに寄り添おうとしても、レイは俺を遠ざけるばかりだ。


「……このままじゃ、俺は壊れる」


ぽつりと呟くと、リリウムが小さく鳴きながら足元に寄り添ってきた。その柔らかい体に手を伸ばすが、その手の震えが自分でも分かる。

そんな時だった。廊下を通りかかった侍女の会話が、微かに耳に届いた。


「……カイル様、本当にエヴァンス家を……」

「でも、これ以上、彼を信じるのは……」


聞こえた途端、頭が真っ白になった。

気づけばドアを開け、侍女たちに向かって声を荒げていた。


「何を言って……‼」


彼女たちは驚いた顔で振り返り、震えながら深く頭を下げた。


「……申し訳ありません、カイル様。つい、口が過ぎて……」


その言葉が余計に俺を傷つけた。


「――そうか、俺のことなんか、誰も信じてないんだな……」


その場を離れ、自室に戻る。

壁に手をついて立ったまま、心の中の叫びが止まらない。


――もう、ここにいる意味なんてないじゃないか。


その思いが、次第に一つの結論に変わっていった。


「……王都に帰る」


言葉にした瞬間、自分でも驚くほど冷静になった。

ここにいる限り、俺はこの状況を変えられない。

だったら、やはり王都に帰って、直接すべてを確かめるしかない。

自分の家族のことも、噂の出どころも。


リリウムを抱き上げ、一度抱きしめてからベッドに置いた。

クローゼットに向かい荷物をまとめ始める。

荷物はたいしていらない。せいぜい王都につくまでの物があれば十分だ。

あとはあちらでどうにでも出来る。両親には迷惑をかけてしまうが……。


――どうせ誰も俺のことなんて必要としていない。


それなら、俺がここを去ったところで、何も変わらないだろう。

荷物をまとめ終えた頃には、空がうっすらと白み始めていた。


――今なら人もまだ少ないはずだ。


リリウムが足元にまとわりついて、いつも以上に鳴いている。


「リリウム……今回は一緒に行けない。ここで待っててくれ」


しゃがみ込み、その柔らかい毛を撫でながら、笑顔を作る。

でも、リリウムの瞳は何かを感じ取っているのか、不安げに揺れているようだった。


「必ず戻るから……」


戻れる場所があれば、だけどな……。何があってもリリウムは迎えに来よう。

そう思いながら最後にリリウムの額に軽くキスをして立ち上がると、リリウムは小さく鳴いて俺を見上げる。


「……行ってくるよ、リリウム」


足元にまとわりつこうとするのを振り切るようにして部屋を出た。



馬小屋に着くと、一頭の若い馬が静かに草を食んでいた。


「……お前に付き合ってもらうよ」


そっと馬具を取り付け、馬のたてがみを撫でながら支度を整える。こうしている間も、心の中で何度も自問自答していた。


――本当にこれでいいのか?

――フランベルクを去ることが、レイや俺のためになるのか?


だが、答えは出なかった。ただ、このままここにいても、何も変わらないという思いだけが俺を突き動かしている。


「よし、行こう」


馬のたてがみを軽く撫でて引き出す。誰かに気づかれた様子はない。俺はそっと馬に跨り、リリウムをしっかりと抱えた。


「……さよなら、フランベルク」


静かに呟いて、馬を走らせる。冷たい朝の空気が顔を打ち、眠っていた感覚が一気に目覚めるようだった。

道を進みながら、レイの顔が何度も頭をよぎる。


――お前が俺を信じてくれないなら、俺が自分の潔白を証明してやるよ。


そう思いながらも、胸の奥に重く沈む感情がある。

もしこの選択が間違いだったら?もし、俺が帰ってくる頃には、レイがもう俺を必要としていなかったら?


「……ありえそうで笑えないな……」


自嘲を含んだその声はどこか震えていた。



馬を走らせて数時間。

辺りはすっかりと明るく、日も高くなってきている。

もう少し馬を走らせれば、フランベルクと他領の境にある大きな街に着くはずだ。

しかしここに来て俺の体力は限界に来ていた。

足元の感覚がふらつくたび、冷や汗が背中を流れるのが分かる。

吐き気が胸の奥で渦巻き、頭が重い。

けれど、馬を止めるわけにはいかなかった。


「……少しでも遠くへ……」


手綱を握りしめながら、息苦しさを振り払うように呟く。

だが、次の瞬間、視界が揺れた。


「っ……!」


慌てて手綱を引き、馬を止める。地面に足をつけると、体の重みが急にのしかかる。


「まずいな……これじゃ……」


茂みの中へ歩を進め、周囲を見回す。人目につかない場所を探し、枝に馬を繋ぐと、小さな木陰に身を隠すように腰を下ろした。


「少しだけ、休めば……」


頭を抱えると、まぶたが重くなっていく。気づけば、体は茂みにもたれかかり、意識が遠のいていた。意識が途切れるとき、馬のいななきが聞こえた気がした──。

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