貴方は大地の夢を見る
天空居住区、内部に搭載された核融合発電とダミーグランド発電がスフィア下部と地上のハニカム状斥力発生装置に莫大な電力を送り、この揺籠は空に浮かぶ。世界中にこの球は37あり、これが現行における国家にあたる。そしてそれらの軍事力に当たるのがユーザーであり、極めて強力なユーザーを保持するアルゴダスフィアとアマテラスフィアによる冷戦が繰り広げられている。
が、これは建前上の話だ。背景に過ぎない。本質は人間と人間による勢力均衡であり、マヌ・ソレイユと四色柱による抜き身の闘争だ。
「あれがスフィアだよ。星みたいでしょ?」
雲海、甲板から見ればそれは白波だ。そしてその海の上にあの巨大な球は浮かんでいる。
「どれくらいの大きさなんだ?」
話に聞けば、チャノキがこの星から吸い上げたエネルギーを利用しているからあのように回転してるらしいが、意味がわからないな。
「直径10キロくらいかな。と言っても4割くらいは発電施設だけどね。」
あれだけの物体を浮かべるのにどれほどのエネルギーが必要なのか、全く想像がつかない。
「面白いよね。人の数は昔に比べて1割くらい居ないのに、かつての3倍は電気を使ってるらしいよ。」
「あれの中に何人詰まってるんだ?」
「五千万人くらいかな。」
あの中に五千万人...そんなに人が入れるのか。
「戻ろっか。昼食にしよう。」
吐くのは気霜、不愉快な緑の大地の大地から逃れたこの場合には生物が存在し得ない。しかし、存外静かで穏やかなものだ。この肉体はこんな環境であっても、何も苦を感じない。
「あぁ、そうしようか。」
船はスフィアに入港する。天球スクリーンによって再現された地上の空は何処か寂しく、鳥すらもそれが紛い物であると気付いている。スクリーンの隙間に巣があるのは、その最もたる証明だ。
街の全体は聳え立つ摩天楼であり、多くの人々や家畜たちはこの20キロの鳥籠で一生を過ごす。そして本物の空も本物の陸も知らずに死んでいく。
中央自然保護区から南に5キロ、高級住宅街がある。その中で最も巨大な建造物、それが宝蔎院邸である。外観はさながら西洋屋敷であり、敷地面積は縦50メートル横100メートル程である。そしてこの建築物はこのスフィアが建造された最も初期に建てられたものであり、地下を含めた敷地面積は凡そ三千坪にも及ぶ。
「車窓から高級住宅街を眺めるのはあまりおすすめしませんよ。」
運転手であるマヌが嫌みたらしくそう言った。
「そうだよ、あたしらはここに住む権利が無い。」
ユーリですらマヌと同じ言い方をする。彼らにとってここは気に入らない場所らしい。
「じゃあ、どこに住んでるんだ?」
彼女は人差し指を下にした。
「この地面のもっと下。斥力発生装置のハム音さえ気にしなきゃいい所。」
下、ということは地上に一番近い場所か。
「空は見えるのか?」
「見ようと思えばね。」
「そりゃ、いいな。」
一際大きな屋敷の前で車は止まる。外には一人の男が待っていた。
「んじゃ、頑張ってらっしゃい。」
自動でドアが開く。一人の男が近づいてきた。車の外、つまりこのスフィアの中の気温はとても快適であり、長袖を着ていてちょうど暖かく感じるくらいの温度だった。それがこの世界が作り物であるということを強調しているように感じて、窮屈だった。
「お久しぶりです、大統領閣下。」
長髪のオールバック、整った目鼻、男らしい髭。血筋だろうか、とても端正な顔立ちをしている。
「茶番は良い。私が聞きたいのはなぜ彼を護衛につけたのかという点だ。」
彼は明らかに不機嫌な態度だった。
「後進の育成ですよ。それに貴方としてもこれは望んでいるはずだ。スフィアの老朽化問題に対する答えは一つしか無いのですから。」
「理屈では分かるが、あまりにも机上の話すぎる。第一、そいつが勢力均衡を崩せる程、具体的には幽羅憂里並の戦力になる得るのかは確定的では無い。」
口論が始まっていた。老朽化だとか、勢力均衡を崩すだとか、意味はわからない。しかし議題に俺が関わっているのは気に入らない。
「なりますよ、彼はレヴィアタンと言った。ここまで私に言わせておいて、机上の話とは言わせるわけにはいかないのですよ、大統領閣下。」
「そうか...しかし、それを与しても気に食わない。」
「何故です?」
「デミ・ヒューマンには理解できないだろう。」
「大統領がユーザー差別ですか、Face Fileでネタにしますよ。」
「悪いな、今のはユーザーに対する差別ではなく、お前に対する悪口だ。」
大人と大人の口論にしてはどうも子供っぽく終わった。お互いに悪意を込めた、論理も何も無い言葉で終わったのだ。
「だとしてもでしょ。んじゃ、今日はイベントあるんで帰りますね。」
「またゲームか。軍部は舐められすぎだな。」
「こんなもの押し付けやがって、俺はもう興味ねぇってのによぉ...」
後頭部を描きながら枢仁大統領は言った。昔の友を懐かしんでいるような、そんな感覚が根を伝って読み取れた。
「だがマヌのことだ。万が一にも無能ということは無いだろうな、君。」
品定めするような目で見られた。しかし、ユーリから聞いていた話とは大分異なる気がするな。だって、どっちかというと彼は...
「君、ノア・リュンヌ君。君は人市のガキか?」
「なんだそれ。」
彼は目を丸くして驚いた。まるで宇宙人にでもあったような表情だった。
「天然ものか!久々に見たぞ!」
「あぁ、すまないすまない。出自などどうでもいいだんが、どうもな。」
「さて、娘を紹介しておこうか。気難しい娘だが、君が外から来たとなれば興味くらいは持つだろう。」
玄関に立ち、その屋敷の大きさを自覚する。
「旦那様、そちらの方は?」
メイドというやつだろう。俺にとっては本の中の存在だったが、どのくらい金があれば人を良心的に買えるのだろうか。
「予想外でな、人市のガキに押し付けたらしい。」
めんどくさいとなったらすぐに嘘を吐く。これが大人と言うやつか。
「そんなことが...」
「腕は保証されているが、公の場に出せるような状態じゃ無い。教育してやれ。できるか?」
「できるか?ですか。何をおっしゃいますか、私とて人市の出、その私を育ててくれたのは貴方ではありませんか。」
「そういえばそうだったな。」
俺の人生において出会ったことがある人間は親、友達、合わせても四人くらいだった。だからこんな人の沢山いる狭い世界で、そこで俺の知らない事を教えて貰えるのは純粋に嬉しかった。
屋敷の奥にさらに進む、シャンデリアのある階段を上がり、そしてまたさらに奥へ、2階の最奥の部屋、そこが彼女の部屋だった。
「随分と大事にされているな、まるで本の中のお姫様だ。」
「そう見えているのなら反省する。私が私情を潰しきれていない証拠だ。」
ノックしながら語る彼の姿は何処か寂しげだった。
「あら、ユーリさんが当たって下さると聞いていたのですが。お父様、この方は?」
ドアを開けて顔を出す彼女はとても美しかった。そしてアルビノ特有の色素のない真っ白い肌はガラス細工のようであり、触れれば壊れてしまいそうだった。
「お前の新しい護衛だ。前の奴よりは役に立つだろう。」
不思議だ、根によって彼のその冷たい虚勢は伝わってきても彼女からは何も伝わってこない。
「歳も近い筈だ。仲良くやれよ。」
彼は去っていた。やはり根を張っても分からない。
突然手を握られる。彼女は紅色の瞳と眼があった。見惚れていた。だけ恐れていた。父親譲りの端正な顔立ちも、長いまつ毛も、雪のような肌も、眼に入る景色はどれも綺麗だった。だけどその瞳はまるで血のようで、恐かったんだ。
「いきなり根を張るってそれ乙女に対してどうなの?」
そのまま引き摺り込まれるように部屋に入った。
「え、あぁ、すまないな、いや申し訳ございませんでした。」
部屋の中は本当に本の中のような世界だった。ぬいぐるみ、天蓋付きのベット、どれもこれも茶の葉の上で寝ていた俺にとっては文字や絵のでしか見たことがなかったものだった。
「別に接続切ってたから良いけどさ。」
どうやらあれには切り方があるらしい。俺は知らなかった。そもそもユーザーではないはずの彼女が何故知っている?いや、ユーザーなのか?
「あと拙い敬語使うくらいなら良いよ。金で買う敬いに意味は無いからね。」
「こちらとしてはありがたいな、所で君、いや茗姫はそのユーザーなのか?」
ソファの弾力が凄いな、これが金の力か。あの生乾きのやつとは全然違うな。
「メイでいいかな。違うよ身体が特殊なだけ。」
本棚から一冊を本を抜いて俺の目と前に置いた。題名には中学生でもわかる簡単社会常識マナーとあった。
「今度はこっちの番。貴方は人市の出?」
「その俺には人市と言う単語がわからないんだ。」
「文字通りだよ。人間市場。地下階のスラムにある人身売買場。違法に人間を売ってる所だよ。」
「地下階か。俺はもっと下の、地上から来たんだ。」
一瞬だけ根が繋がった気がする。俺の感情ではない感情が流れてくるのだ。
「地上って、いいな。本物の空ってどうだった?」
「自由だった。鳩でさえも騙せないあの偽りの空よりもよっぽど広くて美しかった。」
あの世界は確かに寒くて寂しくて、そして冷たい毒が地上を這っていた。しかし、それでもこんな偽物の世界よりは狭っ苦しくなかったのだ。
「いいなぁ、一度でいいから見てみたいな。本物の雲、本物の空。」
「でも、地上よりもこっちの方が食べ物はうまいし人は沢山いるし、何よりあの毒がないから快適なんじなんじゃないかな。」
繋がっていた根が切れた。こうやって繋いだり切ったりされていると感覚でわかっている。根の使い方がやっとわかった。
「そうかな、便利と人間が多すぎると何にもできなくなるだよ。」
「一生感動できずに100年生きるより、一瞬の感動をして死にたいかな。」
その気持ちはわかる気がする。永遠に石の裏のダンゴムシでいるよりかは、カゲロウになって自由を知りたい。
「そういえば、ユーザーだけが住んでる場所は空が見れるらしいな。」
もう彼女の瞳は血のようでは無かった。情熱の赤色だった。
「いっそのこと、私もユーザーだったら良かったんだけどな。」
「そうかもな。でもあいつは、ユーリはユーザーである自分を酷く嫌っていた。」
「無関心からのレッテル張りでしょ。そのレッテルが良くても悪くても人が遠ざかるのはおんなじだよ。」
彼女は不貞腐れたようにベットに飛び込んだ。
「もう寝る。」