再誕者
鱗は権利、肉は闘争、骨は自由。剣と杖を携え、王冠を被る巨人。それと並ぶ力は無く、恐れる者は無い。全ての傲慢な者達を軽蔑し、あらゆる高慢な野獣の王である。それを、リヴァイアサンと呼ぶ。
西暦2050年春、それは宇宙から舞い降りる。その名は惑星侵略型植物ドミナントコピペスタ。その植物は静岡県掛川市に降り立ち、茶の葉を喰む。そしてそれはチャノキの姿となった。これはチャノキの姿を持ち、チャノキの性質を持ちながらいつか大きく異なる超常的性質を持つ。
また、生物がこのチャノキの花粉を身体に含んだ場合、その生物の内部でチャノキが成長し衰弱死する。しかし稀にチャノキに適合し、超常の力を得る可能性がある。これを適合者と呼び、そしてユーザーから排出される気体や液体にはチャノキを急成長させる成分が含まれている。
2050年冬、チャノキが日本の国土の2割を占める。
2051年春、チャノキが日本の国土の8割を占める。米国が核弾頭投下を検討。日本政府瓦解。
2051年夏、日本全土がチャノキを覆われる。中国、フィリピン、インドネシアに進出。海流によって種が運ばれて上陸したと推測される。米国やヨーロッパ諸国は手遅れと判断し、南極移住及び空中都市建設を実行。
2052年秋、世界の3割がチャノキに覆われる。
2052年冬、世界のほとんどがチャノキに覆われ、生き残りの人々は南極大陸中心部、天空居住区に逃れる。
2081年8月5日 静岡県静岡市葵区鷹匠町 気温5℃ 天気曇り
草を喰み、針金のような肉体に露を取り込む。そして彼は草を毟り、それを喰む。彼はそれが愚かな行動だと理解していた。だが知識で腹は膨れない。
その肉体は毒に侵されて地に伏せる。
3階のテラス、小さな鳥居の側から見えるのは富士山では無く、天を貫く植物。
数日が経った。臓腑が腐り果て、骨が晒される。鳥が肉を啄む。その醜さも、かつてあった命も雨が洗い流して、大地に還る。やがて緑色に染まり、それはあの忌々しい植物の土壌となる。あの植物が稀に冬人夏草と呼ばれるのもその性質故だ。
剥き出しになった背骨、砕かれだ頭蓋骨、それらを繋ぎ止めるように、形造るように茎は伸びる。
数週間を経て、新たな彼は目覚めた。その肉体の枯れた植物を祓い、世界を直視した。煩わしいと感じていたあの空気が今は心地いい。その汚らしい緑色も暖かい芝生に感じる。
ユーザー、合理的な給餌機。彼は毒を克服したのだ。
だがその新たな拍動を見逃すほど、この世界は優しくは無い。
「こちら特殊作戦群第二中隊、ユーザーを検知した。こちらで独自に処理させて貰う。」
高身の男、服装は防護服ではなく軍服である。チャノキの花粉を恐れていない。適合者である。
「幽羅憂里一応君もきてくれ。おそらくアルゴダスフィア特殊偵察部隊だ。」
金髪をこの空に靡かせて、裸のままの瞳でその世界を見る。その女もまた適合者である。
「了解しました、マヌ中隊長。」
音が遅れる、衝撃がガラスを粉砕し、土埃木の葉を薙ぐ。轍のように一筋の破壊痕は残る。
「ASFRじゃない?いや、まさか...」
男は彼に軽く蹴りを入れた。しかし、軽くと言ってもその威力は隣のビルを貫通して地面に叩けつけ、その肢体を粉々に砕くほどの威力だ。
彼には何が起きたか分からなかった。全身の痛みそれが今の状況を教えてくれる唯一手掛かりだったはずだ。だがそれも消えてゆく。折れた腕も千切れた足も、まるで木々が生えるように再生していく。
「武器を出すか、権能を使うかしなよ。」
「分からないのか?こういうのだよ。」
「捻徒花[縛封]」
茎と葉が絡み合い、形を造る。そして、色があらわれる。
白銀のレイピア、刃渡りが異様に短く50cmほどしかない。刺突に特化した武器であるレイピアにおいて、その構造は一切利がなく、欠陥であると言える。
だがそれが彼に死の恐怖を感じさせるには十分だった。脳裏に過ぎる結末、そしてそれから逃れようとする意思が彼に言葉を教える。
「喰い尽くせ!」
男の左腕に黒い球が出現する。それは男の左脇腹と左腕前腕から二の腕を飲み込み、収束して消えた。
「おぉ!対のヴァーゼか。」
腕の付け根から伸びる茎は地に落ちた手を回収するように伸びて、そして形を造り、色を表す。
「痛く...ないのか?」
「痛いが、我々にとってはそれだけだろう?」
数秒前の痛みを思い出す。骨が折れる痛み、折れた骨が筋肉に刺さる痛み、潰れた肋骨が肺と心臓を突き刺す痛み、それらは全て彼が経験してきた痛みだ。しかしその全ての痛みに対して身体が憶えていない。肉塊、そう呼ぶに等しいような状態になったことを憶えていない。
「しかし、すごい偶然だ。これも何かの縁だろう。ユーリ、焼け。」
彼は背後からやってきた女に肩を触られる。
「焼爛水子。」
声を出す暇もなく、一瞬の炎で服も皮膚を焼けていく。人型のコゲ肉となるが、完璧なる再生能力が茎と葉が皮膚を、髪を再現する。しかし超常的な再生能力を持っているとしても、ベースは人間。酸素欠乏症によって気絶する。
「朽葉弾撃たなくていい。回収する。」
男は自分の左手をわざと切り落とし、その切断面から根を伸ばして、彼の肉体を縛る。
「本気ですか?スパイという可能性も...」
自分から根を切断する。落ちた茎が左手を回収して元通りだ。
「無いね。ASFRがあんなに弱い訳が無い。」
「それに彼のヴァーゼは私を唯一殺せる力だ。あとあのクソめんどい指令を彼に押し付けれたら最高だろう?」
「でその教育をするのは誰なんです?」
「君だよ。」
目に映る景色は天井も床も壁も不気味なほど白い部屋だった。何があったかは憶えてる。だけど身体がそれを憶えていない。夢だった、そう思いたくなるほどに現実を現実と認識できない。
「これ、あんたの分。食いなよ。」
赤い包みを渡された。手に収まるサイズであり、生暖かい。その包みを開けると二つの丸いパンに肉と野菜を挟んだものが入っている。
「これはなに?」
「ハンバーガーだよ。知らないの?」
それを喰む。脂っこくて慣れない味だが、今まで食べた物の中で一番美味しかった。
「知らない味だ。」
口一杯に頬張る。痛みというものが刹那的で曖昧になった今、味や食感、それだけがこれは現実だと、そう認識させてくれる。
「食べたなら戦うよ。構えて。」
「戦う理由がないだろ。」
「ある。あんたにはここで働いて貰うから。」
「それこそなんでだよ。」
「人間擬きだからだよ。糧食を得るには戦うしか無い。」
心臓に骨が刺さる音も痛みも、身体が忘れたとはいえ記憶ではきちんと憶えている。刹那的で後遺症も残らない、それでも痛いのは痛いし、痛いのは嫌だ。
「お前の勝手な思い込みじゃ無いのか?」
「逆にあんたは今でも自分のことを人間だと言えるの?あんたは人間であった時と同じあんただと言えるの?」
「俺は俺だ、そんなことわかるだろ。」
「その認識はどこからきてる?あんたが自分のことをあんたと言える認識も確証もどこで作り出されもの?」
「決まってるだろ、脳だ。」
自分の発言に背筋が凍る。そうか、俺は俺ですら無いのかもしれない、そう思ったんだ。考えたくも無い事実だった。
「ほら、自分でもわかってるじゃん。あんたは人間の頃のあんたじゃ無い。だってあの時に骨とか内臓と一緒に、脳みそまで交換しちゃったんだから。」
「...あぁ、あぁ。でも、俺がここに働く理由には...」
「あたしらは基本的に死なない。それは即座に傷が回復するから。でも餓死した場合は別だし、生き埋めの場合も別。前者なら2週間は動けなくなるし、後者は最悪5年は動けなくなる。それに加えてあたしらは絶対に死なないわけじゃ無い。
彼女の手のひらにのせられているのは銀色の弾丸だった。そして俺はなぜか、本能的にその弾丸に対して恐怖を抱いている。
「これは朽葉弾。これを撃ち込まれたら身体が枯れて死ぬ。」
「わかったでしょ?あたしらは確かに個の命としては強い。でも個だけ生きていくにはあまりにも弱すぎる。だから、組織に属さなければ生きていけない。」
「そうか...なぁ、働いたらハンバーガーまた貰えるのか?」
「もちろん。それよりもっと美味しい食べ物も。」
彼女は3歩下がって構えた。
「納得したなら、話はお終い。一応訓練って形式だから、打撲くらいは覚悟しときなよ。」
それで済むなら大分マシだ。
「いくよ、骸骸骸[縛]」
彼女の右手から伸びる茎が鎌の形を作り、それは漆黒に染まる。これがあいつが言ってたギスカナという奴なのか?
「自分の一番使ってた道具とか、自分が一番扱い易いと思うものをイメージするの。」
武器か...昔、畑の土竜を追い払う時に...
「燼鏖鬼灯搥[縛封]」
身の丈以上もある巨大な鎚。いや、俺のイメージでは単純に長い棍棒だとか、そんな感じだった。こんな重くて使いにくそうなものを作る気なんて無かった。
「意外と暴力的なのね。」
「んじゃ、まずは戦い方ね。今回の想定はユーザー戦闘。」
不死身同士の戦いか、この場合殺すか殺されるかが勝利条件では無くなる。だが俺たちは完全なる不死身じゃ無い。銀の弾丸を肉に撃たれれば死ぬ。つまり相手から己の詰ませる能力を奪った時点で勝ちだ。
「まぁ見当はついてるだろうけどこれね、これ。」
彼女は左の腰に装着されたピストルホルダーを指す。
「これを破壊するか、もしくはこれに装填されている弾丸を相手に命中させれば勝ち。」
「つまりこれは脳みその次に守るべき場所ってこと。例え腕が捥げてもね。」
「概要は理解した。問題は戦術だろ。」
俺がその言葉を発した瞬間、鎌を振り下ろしながら彼女は突っ込む。それに気押されて後ろに飛ぶ、その時点で俺は詰んでいた。彼女のピストルは俺の左脚を捉えていたのだ。
「これが戦術。朽葉弾はどこに当たっても万全の効果を発揮する。この場合あんたは左脚を撃たれたから、死んだ。」
人に可能かはさておき、自分の肉体の大きさを完全に把握しなければ負ける。
「もう一度だ。今度は簡単には死なない。」
臆すれば負ける。これは肉体の統制権を本能に奪われた負ける、その言い換えだ。理性で腕の位置を、脚の位置を把握する。間隔には頼れない、脳内で自分の動きを完全に把握するんだ。
「そう来なくっちゃね。んじゃ、今度はあんたがあたしを殺しに来る番。」
銃を受け取る。しかし不思議だ。だけど思考は鮮明だ。こんな鈍器、普通なら重すぎて振ることは愚か動かすこともままならないだろう。なのに、これが容易に使えると確かな確証を持っている。そしてあの彼女の動き、まるで車が突っ込んでくるような速さだった。とても向かい合ってやりあえる速さでは無いと、理解している。それでもできるという確固たる自信がある。まるで、この肉体が戦うことに、生き抜くことに最適化されているようだ。
「来ないの?」
「狩らせてもらうぞ。」
さっきの彼女の動きを脳でシュミレートする。俺が人間擬きであるのなら、やれるはずだ。
「あんまりカッコつけても、弱きゃ意味ないよ。」
床を蹴り彼女に飛び込む。時速に換算すれば裕に60は超えている。
「喰い尽くせ」
黒い球を右に置き、左から右に鎚を振る。後ろに飛ぶか、垂直に飛び上がるしか無い。いくら人間擬きといえど、空中で肉体を制御することはできない。
「いきなり鈍器を人に振れるなんてすごいね。」
垂直に飛び上がり、鎌が振られる。しかしそれは読んでいた。だから鎚を捨てて右手で拳銃を構える。
「見えてるよ。」
そう、これは理性を破壊する戦い。その鎌は俺の脳天めがけて振り下ろされている。右に避けろ、本能はそう叫ぶ。だけど理性が、それを押さえ込もうとしている。そしてあの言葉を俺の中で囁くのだ。
痛いが、我々にとってはそれだけだろう?
なら簡単だ。この状況においては頭を捨てて銃を撃つのが正解だ。
鎌は深く突き刺さり、その刃の先が舌を刺しているのが分かる。
彼女は顔は青ざめて、すぐに鎌を消した。塵となって空中に消えたのだ。
「俺の勝ちだ。」
傷はもう消えている。拳銃のセンサーは彼女の胸を捉えている。
性質
一つ、成長に水が不要。
二つ、高木になることはなく低木仕立てで成長を止め、その大きさは5~7cmほどになる。
三つ、246kから365kの区間の温度において成長に差異が出ない。
四つ、通常のチャノキの100倍の速度で育つ。
五つ、全てのチャノキは地下茎で繋がっており、その中心、かつて掛川市であった場所には全長約4500mの巨大なチャノキ、グランドチャノキが座している。
六つ、生物がこのチャノキを身体に含んだ場合、その生物の内部でチャノキが成長し衰弱死する。しかし稀にチャノキに適合し、超常の力を得る可能性がある。これを適合者と呼び、そして適合者から排出される気体や液体にはチャノキを急成長させる成分が含まれている。