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苦手な方はご注意ください。

【ホラー 怪異以外】

水泡に帰す

作者: 小雨川蛙

 

 まるで巨大なプールのような水槽のふちの前に私は立ち尽くし、その時を待っていた。

 今更言い逃れをするつもりはない。

 私は確かに罪を犯したのだ。

 そして、それ故に自首した。

 もう取返しのつかないことだ。

 しかし、それでも罪を償いと思ったから。

「ふむ」

 心臓の鼓動に自分でも驚いていた。

「君の罪は……そうか、強盗、強姦、殺人。よくもまぁ、ここまで罪を犯せたものだ」

 そう言ってやってきたのはでっぷりと太った醜悪な大男だった。

 彼は小指を口の中に入れて何かを弄っている。

「あぁ、すまないね。先ほど食べたクラッカーが歯の隙間に詰まっていてね」

 彼の小指は死にかけの虫の足が蠢くように気味の悪い動きを繰り返していた。

 胸の中に抱いてはいけない疑問が浮かぶ。

 私を処刑するのは本当にこの醜い男なのか?

「改めて告げる必要もないとは思うが君は死刑だ。君が殺した十二……いや、十三だったか? まぁ、いいか」

「十一です」

「あぁ、十一だったか。悪かったな、君に二人分の命を無駄に償わせるところだった」

 確かに私は大きな罪を犯した。

 どんな罰であろうとも受けなければならない。

 だが、しかし。

 裁かれるのであれば正義を纏った神聖なる存在によって裁かれたい。

「あぁ、ようやく取れた」

 そう言って醜悪な男は唾液で濡れた小指を私の服で拭う。

 だが、どうだ。

 目の前の男に神聖さなどあるか?

「すまんね。ハンカチを汚したくないんだ」

 汚された。

 そう、私は思った。

 この醜悪な男に私は汚されたのだ。

「君は九つになったばかりの少女を強姦して殺したね」

 心の奥がびくりと震える。

「答えたまえ。君はそうしたな?」

「はい」

 私がそう答えると男はくっくと笑う。

「そうか。さも楽しかっただろうな。実のところ、私も心の中でそれをしてみたいと思ったりもする」

 信じられない言葉。

 私は思わず男の方を睨んでいた。

「なんだね、その目は。私はただ気持ちを話しただけだ。君のように行動はしていない」

 男はそう言うと眠たげに目を片手でこする。

「ふむ。他には大金持ちの老婦人を殺害したのか。おまけに夜中に忍び込んで」

 大あくびを一つして男は何か面白いものがあったかのように鼻で笑う。

「老いた女性を殺したわけだ。それも眠っていて無抵抗な時に」

「はい」

「簡単だっただろう? 諺に赤子の手をひねるより……なんてあるが、それと同じくらい楽だったかい? 答えてくれないか?」

「……はい。簡単でした」

 私の返事に男は満足げに笑った。

「救いがたい屑だ」

 大男は次々に私の罪状を読み上げる。

 一つ読み上げるたびに私を罵倒し、貶し、時には羨むような言葉さえ投げかけていた。

 まさか、本当にこの男が正義を纏う者だというのだろうか?

 私はそんな思いで胸の内がどんどんと暗く重くなっていくのを感じていた。

 確かに抱いていた贖罪の気持ちが少しずつ薄れていく。

 それを知ってか知らずか、男はさも面倒な様子で罪を読み上げていたが遂に最後の罪状を読み上げ終えるとげっぷを一つして言った。

「君は救いがたい男だ。そう思わんかね?」

 肯定したくなかった。

 けれど、肯定する他なかった。

「はい。その通りです」

「分かり切ったことだ。返事なぞしなくて結構」

 心の奥に苛立ちを感じた。

 いや、この男を見た時からずっと心は苛立っていた。

 私はこの男に殺されなければならないのか?

「さて。処刑の方法だがな。私はこれを『泳げない魚』と呼んでいる。何故そう呼ばれているか分かるかね?」

 今、改めて私は巨大な水槽を見る。

 無論『泳げない魚』が何か聞いたことがある。

 それは要するに罪人を巨大な水槽に突き落とし溺死させる処刑方法なのだ。

 実に悪趣味だと思った。

「存じております」

「それは良かった」

 男はぞっとするほど不気味な笑みを浮かべる。

「皆、君を見るのを楽しみにしているよ」

「皆ですか」

「あぁ、君の殺した者達を愛していた方々だ」

 そう言うと男はあろうことが小声で「面倒だ」と呟いてさらには放屁をした。

「あぁ、すまないね。もう面倒で面倒で仕方なくて。早いところ仕事を終えたいのだが、こうすることも決まりなのでな」

 そう言って私の背に片手を置いた。

「出来る限りもがき苦しんでくれたまえ。それが君に対する罰なのだから」

 そう言うが早く、私は水槽に突き落とされた。

 水が私の口や鼻から容赦なく入り込み、あらゆることが頭の中を駆け巡る。

 ・

 苦しい。


 怖い。


 冷たい。


 苦しい。


 納得がいかない。


 ちくしょう。


 何で、あんな奴に。


 私は確かに罪を犯した。


 だが、なんで。


 なんで、よりによってあんな奴に。


 裁かれるのならばせめて。


 正義に裁かれたかった。

 ・

 もがき続ける私に対し男がにやりと笑う。

「正義の裁きを受けよ。この汚らしい罪人が」

 そう言って立ち去る男の姿を私は苦しみ喘ぎながら見つめる他なかった。


 それから数時間後。

 醜悪な大男が遺族を伴い水槽の前へ現れた。

 水槽の中で浮かぶ犯人の死体を見つめながら遺族の一人が尋ねた。

「この人は苦しみましたか?」

 男は静かに頷いた。

「はい。とても苦しみましたよ。何せ溺死ですから」

 別の遺族が尋ねた。

「この人は自らの罪を受け入れましたか?」

 男は首を振った。

「いいえ。残念ながら。罪を受け入れた振りをしただけでした」

「何故、そうだと分かるんですか?」

「私に対して侮蔑の視線を向けていたからです」

 さらに別の遺族が尋ねた。

「この人を神様は赦すでしょうか?」

 男はくっくと笑って答えた。

「取り繕った懺悔しかしない罪人を神が赦すはずないでしょう?」

 その言葉を聞いた遺族たちの顔はようやく少しだけ明るくなる。

「こんな不届き物は何があっても『地獄行』です。ご安心ください」

 醜悪な大男は穏やかに微笑む。


 水槽に浮かぶ死体はそんな彼らやり取りを知ってか知らずかぷかぷかと浮かぶばかりだった。


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