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シトラス

作者: ANGELO

 定期券をリュックのポケットにしまって、同じポケットからワイヤレスイヤフォンを取り出す。田舎の高校生の特権はこの朝の登校時間にある。いても一人か二人、運がいい日は乗客は一人もいない。静かな車内なのだが、さらに私はノイズキャンセリング機能をオンにして動画サイトを開く。

 『あなたの心にそよ風を!こんばんは~みんな!』

 元気で爽やかな男性の声が鼓膜を震わせる。半年ほど前に出会った私の推し。最近よく耳にするバーチャルのキャラクターで配信活動を行ういわゆる「Vtuber」の彼は、碧色の目にライトグリーンのグラデーションの髪色をした爽やかな印象を与える姿をしている。対比するような黒のジャケットの衣装も繊細で、ビジュアルガチ最強って感じなのだ。画面の右下でニコニコと笑いながらゲームをしたり、雑談配信をしたりと、私たちファンを常に楽しませようと努力している彼に私は心惹かれた。それからというもの、私は毎晩彼の配信をチェックし、ひたすらキーボードをぽちぽちしてコメントをして、専属の動画編集者さんが素早く丁寧な仕事でアップしてくれる切り抜き動画を朝の電車の中で見る、というのが日課になっていた。もちろん動画への感想も毎回コメントしている。

 今私は昨日の配信はバイトが長引いて途中からしか見れなかったので、切り抜き動画を見ておさらいをしているところだ。

 『今日のおやつ?今日はねぇ、賛否両論あるやつ。チョコミントアイス!!』

 ふむ。私はどちらかといえば苦手だ。歯磨き粉を食べている気がしてしまう。リスナーの何人かも私と同じような意見をチャットに書き込んでいたらしい。

 『歯磨き粉っぽい?確かにわかる。でも今日僕が食べているのは一味違うのだよふっふっふ…』

 そういって何やらガサゴソとビニール袋をあさるような音がし、ドラムロールのようなBGMが鳴り始め、

  『じゃーーーん!!こちら!なんと今回、僕「涼風ソヨ」と「ジャリチョコミント」さんとのコラボ商品です!』

 というセリフとともに画面いっぱいに商品画像が現れた。

 お????コラボ商品とな??これはもしや…。

 『察しのいいリスナーさんたちはもう気づいてるかもしれないけど、今回なんとコラボ限定グッズが当たるキャンペーンを開催します!!』

 きたああああああ!

 私は小さくガッツポーズをした。

 『アクスタやクリアファイル、缶バッジなどなど、もらって損なしのグッズがいっぱいです!ぜひゲットしてね!!さらにさらに!今回なんと、応募いただいた皆さんの中から抽選で10人のリスナーさんを、今度開催されるイベントにご招待しちゃいます!!!』

 おいおいおいおい大丈夫かそんなことして?私が黙ってないぞ???

 さっきから口元が緩みっぱなしである。彼の配信活動至上、一番大きなキャンペーンが始まっている。しかもイベントに行けるかもしれない。これは私も一肌脱がなければ。こういう日のために週5でバイトを入れているのだ。

 『あ、みんな僕に会いたいからって食べ過ぎてお腹壊さないでね?』

 そう言ってパチッとウインクをした。

 知るかぁそんなの!私は一週間トイレと友達になってもいいと思っている!!田舎モンが都会に出れるまたとないチャンスだ!逃すわけにはいかない!!

 

 そうして私は案の定お腹を下しながらアイスを食べ続けた。不幸中の幸いというかなんというか、ちょっとだけチョコミントのアイスが好きになった。推しってすごい。

 抽選には当然当たった。


 母に手伝ってもらい、旅行の準備をした。初の東京で少しだけ不安だったが、その程度の不安など推しの前では全く無意味だ。ちょっぴりの不安とたくさんの期待をスーツケースに詰め込んで、私は家を後にした。

 東京駅ホームの階段を下りて、駅内に着いた。…どっから出ればいいのこれ。出口どこ。丸の内口ってなんだ。南口?東改札?イベント会場どこだっけ。あ、先にホテルにチェックインしなきゃいけないのか。一番近い改札どこだろ。

 柱のマップとスマホの画面を交互に見ながらぶつぶつ言ってしまう。東京、思ったより大変かもしれない。連絡の取れる知り合いもいないし、家族は東京のことなど全く知らないだろう。一人で何とかたどり着くしかない。

 まずはホテル。新宿のビジネスホテルが割と格安でとれたので、新宿に向かわなければいけない。乗換案内のアプリを見ると、「中央線」と書いてある。一度切符を買わないといけない。

 切符売り場に着き、路線図から新宿駅を探す。蜘蛛の巣のように張り巡らされた東京の路線図は色分けされていて、すぐに新宿駅は見つかった。中央線はオレンジ。覚えておこう。

 必要な金額を入れ、切符を改札に通し、ホームへ向かう。家から出るときよりも、スーツケースが少し重い気がした。

 ニュースや動画サイトで見るような人の量はなく、乗り込んですぐに座ることができた。大きなスーツケースで邪魔にならないか心配だったが、新宿に着くまで特に問題なく車内で過ごすことができた。


 新宿駅も大きな駅で迷いそうだったが、なんとかスマホと駅内マップを駆使して外に出ることができた。文明の利器ありがとう。

 駅からは二十分くらい歩いてホテルに着いた。チェックインを済ませ、エレベーターで部屋へと向かう。

 大きな荷物は置いて、コンビニへ夕食を買いに行く。外で食べるのはまだ怖い。とくに新宿だ。あまりいい噂は聞かない街である。それに部屋でアーカイブ見ながら明日のイベントの予習をするのが何より楽しみなんでね。むふふ。

 コンビニのごはんは少ししょっぱくて、ちょっとだけ母さんの薄味が恋しくなった。そんなこんなで東京一日目はあっという間に終わり、日付を回ったころに私は眠りについた。ベッドはちょっと硬かった。


 アラームの音が鳴る前に外の車の音で目が覚めた。東京はやはりうるさい。五感に入ってくる情報のすべてが騒がしく、同時に華やかでもあった。私はイベントまでの時間をつぶすべく、秋葉原のコラボカフェに向かうことにした。ゆるめのデニムに無地のTシャツ。黒のショルダーバッグの端ではソヨ君が初めて出したグッズのアクリルキーホルダーがカラカラと揺れている。

 数週間前からやっていたということもあり、グッズ目当てのお客さんはもういないようで、店内は少しすいていた。カウンターで席を案内してもらい、ライトミントの椅子に座る。壁際の目立たない席で私は少し安心した。外食をするときも私はいつも壁際の隅の席を選ぶ。壁に近いと、気にする視線が少なくて済む。ここに着いてからもちらちらと視線を感じていたから、これで気兼ねなくカフェを楽しめる。

 メニューを開き、一通り目を通して店員さんを呼ぶ。

 「コラボのモーニングセットで、オリジナルモカと、クロワッサンをお願いします」

 「かしこまりました。デザートなどはいかがいたしましょう?」

 んー悩みどころだけど…

 「今日はなしでお願いします」

 と言って諦めた。イベント会場でグッズの物販があるのだ。背に腹は代えられない。

 「かしこまりました。少々お待ちください」

 店員さんが伝票の控えをテーブルの端に置き、キッチンへ注文を伝えに行った。

 料理を待っている間、今日の道順とチケットの番号を確かめる。会場はかなり広く、入り口がいくつもあり、チケットの席番号応じて入り口が違う。間違えると反対側に行く羽目になってしまい、入場に迷惑をかけてしまう、とライブ大好きなクラスの友達が教えてくれた。

 

 SNSで涼風ソヨファンの人たちの投稿を見ていると、注文した料理が運ばれてきた。クロワッサンは思ったより大きく、もう少し頼めばよかったかなと思っていたが大丈夫そうだ。モカも程よい甘さで、私好みのお店だな、と思った。また明後日の出発前に来よう。

 料理を食べ終え、伝票をもってカウンターに行く。

 「ごちそうさまでした。おいしかったです、また来ます」とお礼を言って代金を支払った。メニューを見たときはコラボ料金でやや高めかなと感じたが、味もボリュームも値段相応だったので大満足である。

 ドアを開けるとき、ミント色のフードパーカーの男性とぶつかりそうになり、少しドキッとしたが先に男性が気づいて道を開けてくれた。すみません、と軽く会釈し、私はカフェを後にした。


 そこから先は飛ぶように時間が流れた。物販に並んで、前の人とちょっと仲良くなって、入り口のゲートが同じだったので一緒に行き、開演20分前には席にたどり着けた。ずっと立ちっぱなしだったのでふぅ、と小さくため息をついて席に座る。そこでまた隣の人とちょっと仲良くなって、ソヨ君の魅力を語っていたら開演前のアナウンスが流れた。

 「始まるね」「楽しみ!!」

 立ち上がり、ペンライトのスイッチを入れた。


 ただひたすらに、楽しかった。サイリウムでキラキラに染まる会場、モニターステージで輝く推し、地面や空気を伝わる会場の熱気。私の心臓の鼓動と、会場の振動が重なる瞬間。

 ライブってこんなに楽しいんだ!この会場にいるみんなが「涼風ソヨ」が好きでここにいる。その気持ちが声になり、ソヨ君の歌声と重なり、会場に響き渡り、空気中に飽和してまるで別世界を作り上げている。約2時間のライブが、ほんの数十秒に感じた。間違いなく、人生で一番の体験だった。アンコールが終わり、彼の最初に出したオリジナル曲でライブは終わった。

 『皆さん、今日は来てくれてほんっっっっっとうにありがとうございました!僕「涼風ソヨ」はまだまだ進化します!いつかそよ風じゃなくて、大旋風を巻き起こせるような、そんなライバーを目指して走り続けます。みんなそれまで、ついてきてくれよな!!!!』


 そう言ってマイクを高く掲げたシルエットが、ライトグリーンの照明に照らされて浮かび上がった。大歓声とともに、ステージの幕がゆっくりと降ろされた。



 会場を出た後も、まだ心臓がばくばく言っていた。

 「たーーーのしかったぁあ!!」と隣の席の人と目を合わせて笑った。

 余韻が抜けないまま、私はホテルでシャワーを浴び、ベッドに入った。今日は寝れそうな気がしない。ライブが始まってからのすべてが、私の五感を揺さぶった。細胞のひとつひとつが、いつもよりエネルギーに満ち溢れている気がした。もっとずっと、彼を応援しようという気持ちが強くなった。

 

 翌朝、やはりあまり眠れなかった半分もあかない目をこすりながら私は岐路に着いた。

 初めての一人旅、初めてのライブ。爽やかで、ちょっぴり不安で苦くて、でも楽しさで酸っぱくはじけて、カフェの出口で香っていた、あのシトラスのような思い出。これから先、ずっと忘れられないだろう。忘れてなんてやるもんか。






─────とあるアリーナの楽屋。閉演後の片付けのざわめきの中、スポーツドリンクを片手に男が口を開く。

 「今日さ、朝ご飯食べてなくて、コラボカフェ行ったんだよね」

 「なんですか急に」

 「まあ聞いてよマネさん。そこでお店はいるときに女の子とかち合っちゃって、あわてて道を譲ったんだけどさ、その子、僕が初めて出したアクキー付けてたんだ」

 半分くらい残っていたペットボトルの中身を一気に飲み干し、ほぅ、と息をついて続ける。

 「僕がライバーでよかったっていう実感が、鮮烈にあの瞬間沸いてきたんだ。くさいかもしんないけど、マネさん。僕もっと上に行くよ。だからこれからもよろしくね」

 「何を言い出すかと思えばそんなことですか」

 「そんなことってなんだよ!」

 「私は最初からそのつもりですよ。今更過ぎるってことですよ」

 「あらーマネさんもカッコイイこと言うじゃないの!」


 楽屋には、楽しそうな二人の笑い声が響いていた。

えー、だいぶ粗削りですが、リスナーさんから頂いたお題で短編を書きました。めちゃくちゃ遅くなってしまって申し訳ない気持ちでいっぱいです。でも楽しかった。ありがとうございます!!

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