2‐2
「ラウダはどうしてあんな所にいたんだ?」
ノーウィンと名乗った男の後に続き、ラウダは遺跡を離れた。
今は寂れた風景とは違う、暖色あふれる森の中を歩いている。
ふわりと風が吹くと木の葉が揺れ、その度に陽光が差し込む。
その中を歩いているからか自然と活力が戻ってきた気がした。
「どうしてって言われても……よく、分からなくて」
突然の質問にどう答えるべきか、困ってしまう。
その手には先ほど使用した石造りの剣が握られている。
捨ててきても良かったのだが、またあんな怪物が出てきたらと考え、そのまま持ってきたのだった。一種のお守りのような感じである。
心地良い光を受けながら、鳥たちがさえずっているのが聞こえる。
「分からないって、記憶喪失か?」
記憶喪失という単語に妙に力が入っている。
そのことに戸惑いながらも、思わず自分の記憶を確認し直した。
「う、ううん。ちゃんと記憶はあるから……」
「そうか……」
声調が低くなった。
後ろを歩いているため、ラウダに表情は見えないが何故か落胆しているように聞こえた。
何か言うべきだろうかとあれこれ話題を考えてみるものの、どれもしっくりとこない。
「あの場所には昔、街があったんだそうだ」
そうこうしているうちにノーウィンの方から口を開いた。
先ほどとは一変して明るい声だ。気のせいだったのだろうか。
「でも近くに新しい街ができたせいで、どんどん人が減っていって廃れたんだと」
「新しい、街?」
ふと気になる言葉が聞こえて、首を傾げる。
新しい街ができたなんてここ数年、少なくともラウダが生まれてからは聞いたことがない。
「新しいって言ってももう100年以上も前の話だけどな。今じゃ商人たちがあちこちで商店を出している立派な街さ。俺もそこから来たんだ……ってラウダもそこから来たんだよな?」
「え?」
夢中になって話を聞いていたため、一瞬自分に話を振られたことに気づかなかった。
「まあそうじゃなきゃおかしいんだけどさ。何せこの遺跡の周りは海に囲まれているうえに、船が着けられないような岸壁続きだし。不便なことに西からしか来られないんだよなあ」
ノーウィンの言葉を聞きながら、ラウダは頭の中に世界地図を浮かべていた。
おかしなことに気づいたからである。
西からしか来られないはずがないのだ。
ウィダンの街は世界地図上では北東に位置する。その北にあるのが禁断の地。
そこから西と言えば、それこそ岸壁続きで海に囲まれているのだ。他の街へ行くのならばウィダンから南に向かわなければならない。
しかし、ラウダには男が嘘をついているようには思えなかった。
おかしなことを言っているはずなのに、それが正しいような気がしたのだ。
どうもこの地で目覚めてからというもの、おかしなことばかり続いている。
「あれ?」
突然素っ頓狂な声をあげたのはノーウィンである。立ち止まり辺りを見渡す。
その様子にラウダが首を傾げていると、ノーウィンはくるりと振り返った。
「いない……」
一瞬の沈黙。
聞く必要などなかった。困ったような表情とそれまでの様子を見れば。
2人がたどり着いたのは、木々が綺麗に円を描いて生えている開けた場所。
ノーウィンは確かにここで相棒と別れたのだ。ローヴと共に。
だがどこをどう見ても、辺りに誰かがいる様子はない。
恐らくその相棒がローヴを連れてどこかへと移動したのだろう。
「弱ったな……」
ノーウィンは頭をかきながら、どうしたものかと悩む。
だがそれは物の数秒で終わった。
「よし、さっきの遺跡まで戻ることにしよう」
「……え! 戻るの!?」
てっきりここで待つものだと思い込んでいたラウダは、思わず驚いた声を発した。
「ああ、向こうも俺を探して移動したんだ。だったら元の場所に戻れば会えるはずだ。多分」
最後の一言で思わずがくっとなるが、言うことは一理あるのかもしれない。
「まだ歩けるか?」
心配して声をかけてくれたノーウィンに対し、首を縦に振った。
芝居で鍛えたおかげで、体力には自信がある。
どの道ローヴに会うためには彼について行くしかないのだ。
捜し人と再会するため、2人は来た道を少し急ぎ足で戻り始めた。
自分を助けてくれたこと。ここに来るまでの間に度々見せた笑顔。相手を気遣う優しさ。
短い間だがラウダは、少なくとも彼を善人と認識していた。
ただ、背に揺れる巨大な槍を除いて。
先ほどの怪物集団を一掃するほどの強さ。敵の体を引き裂いたその刃。
陽光を受けきらりと光る度に、不安を感じてしまう。
そもそもリジャンナに武器など存在しない。
剣は芝居や手品で使用され、斧は木を切るために。ナイフは料理の際、皮を剥くのに使う。
槍も芝居でしか見たことがない。もちろん演技の際に使うだけで、実際に刺したりはしない。
不安を払拭するように、何か話題をと必死に考える。
「ノーウィン……の相棒ってどんな人なの?」
道中、呼び慣れない名前に違和感を覚えながらも、ラウダは何気なく気になったことを尋ねてみた。
正直なところ、ラウダとしては色々と聞きたいこともあったのだが、どれもややこしい話ばかりなため、切り出す気にはなれなかったのだ。
「うーん……」
するとノーウィンは腕を組み、少し悩むと一言。
「気難しい」
予想だにしなかった返答に思わず1歩身を退く。
ノーウィンはそれに気がつくと、慌てたように言葉を継ぎ足した。
「あー、いや、何ていうか、うん。初対面の人間なら多分、みんなそう思う……と思う」
「……それ、フォローになってないよね?」
そう言われ言葉を詰まらせる。
一呼吸置くと、観念したように再び口を開いた。
「根は優しい良い子なんだけどな。ただ、時々何を考えてるのか分からなくてさ」
そこまで聞いてラウダは首を傾げた。
「相棒って、大人じゃないの? 僕はノーウィンと同じくらいの歳の男の人だと思ってたんだけど……」
イメージの中では、相棒と言うくらいなのだからきっと彼と息が合う人物、彼同様大柄な男だとばかり思い込んでいた。
そこでノーウィンは腹を抱えて笑い出した。
「残念だけど大ハズレだ。俺の相棒は多分、ラウダより年下だぞ?」
「えっ!」
「ついでに言うと小柄な女の子だ」
「ええっ!」
ラウダが驚きの声をあげる度に、ノーウィンがくっくっと楽しそうに声を漏らした。
先ほどまでのイメージはがらがらと音を立てて崩れ去る。
長身の男の相棒が小柄な少女。こんなにも社交的な人間に対して、印象が気難しいという相棒。
聞いている限りでは何もかもがまるで違う。まさに凸凹コンビと言ったところか。
他愛無い話をしているうちに、再び辺りの景色が移り変わってゆき、寂れた風景が目に映る。
どうやら崩れた石壁やがれきは、元々住居だったようだ。
ノーウィンが言っていたように、かつて誰かが住んでいたような形跡はあるが、今ここで生活することは不可能だろう。
「やっぱりな」
ぼんやりと考え事をして歩いていたが、ノーウィンの声ではっと前を見る。
彼の視線の先から人が歩いてくる。
緑の髪を揺らし歩いてくるのは、真っ白な服を着た小柄な少女だった。
その右肩で誰かを支えている。
赤い帽子の――
「ローヴ!」
しかし名を呼ばれた本人はぐったりとしている。
支えてもらってはいるが、少女よりも少し背が高いため、今にも2人一緒に倒れてしまいそうだ。
「そんな状態でどこに行ってたんだ、セルファ」
少女に手を貸すため駆け寄ったノーウィンは心配そうに彼女を見やった。
だが、セルファと呼ばれた少女は無表情のまま彼を見上げる。
「……何言ってるの。迎えに来たのよ」
小さめの声でそう言うと、肩を貸しているローヴを支え直した。
「う……そりゃ悪かった……」
頭をかきながら謝るものの、相手は以前無言無表情のまま。
そこへラウダも駆け寄り、セルファに支えられている少女を見つめた。
その容姿を見間違えるはずがない。
紛れもなくローヴだった。
「彼女か?」
不意な質問にラウダは、ぶんぶんと首を横に振る。
「ち、違うよ! ただの幼なじみ!」
それがおかしかったのだろう。ノーウィンは笑っていたが、すぐに冷静な顔に戻り、
「大丈夫、気を失ってるだけだ」
と言った。
一連のやり取りを見ていたセルファは、問いかけるような目でノーウィンの方を見た。
「さっきここで会ったんだ。名前はラウダ。見かけによらずなかなかやるんだ」
ノーウィンが簡単に紹介をする。しかしその間も彼女は何も言わない。
「初めまして」
ラウダが軽く挨拶するものの、彼女はじっと見つめ返しただけだった。
上から下へ、下から上へと視線を動かし、最後に剣を握っている右手を見つめる。
相変わらず無言のまま。
「予定に支障はないだろ?」
だがその言葉には反応した。
ノーウィンをにらむように見上げた。
「……本当にそう思っているの?」
「お前はどうなんだ?」
逆に問い返され、彼女は少し表情を緩めた。
それを見るとノーウィンは彼女に、次いでラウダに笑いかけた。
「ラウダ。彼女が俺の相棒、セルファだ。よろしくな」
紹介された方は変わらず無表情だったが、小さく会釈をした、ように見えた。
どうやら気難しい相棒というのは本当のようだ。
そこでふと、彼女の腰になめし革の鞘があることに気がついた。
左右にあるそれは剣ほど長くはなかったが、ただの飾りでないことは間違いないだろう。
彼女も戦ったりするのだろうか――
「さて、とりあえずここを出て街に移動しよう。この子もこんな状態だし」
言いながら、ノーウィンはセルファにまかせていたローヴを軽々と抱え上げた。
不安定な状態からようやく解放されると、彼女は軽く首を振った。
左右に結われた髪が軽やかに宙を舞う。
すたすたと先に歩き始めたセルファに続くように、ローヴを抱えたノーウィンが歩き出す。
ラウダも彼らについて行くことにした。いや正しくはついて行くしかなかった。
ここがどこなのか分からない以上、下手に動くわけにはいかない。
それにローヴの意識が戻らないことにはこれからどうするかを考えようがなかった。
無言のまま歩く少女と何事かを話しかけている男。
2人の背を見ていたラウダは、こんなにもかみ合わない彼らが一緒にいることが不思議で仕方なかった。