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ボクたちのてのひら【改稿版】  作者: 雨露りんご
第2話 知らぬ地 知らぬ風
5/44

2‐1

 朦朧とした、闇に閉ざされた世界の中、柔らかな歌声が響く。

 それは、優しく包み込んでくれるような温かさを持った神秘的な歌。


 しばしその心地良さに身をゆだねていたラウダは、静かに目を覚ました。


 ゆっくりと体を起こす。


 眉をひそめて辺りを見渡すと、そこは見覚えのない場所。

 鳥のさえずりが聞こえる。だが先ほどの歌とは全く違うものだ。


「……どこ、ここ」


 当然ながら、誰も答えてはくれない。


 さっきまでの場所とは異なる雰囲気を持った、森。生い茂った木々が青々と生えている。

 果たして崖の下にこんな場所があるだろうか。


 立ち上がりながら首を傾げ、そしてさらにおかしなことに気づいた。


 どこにも怪我が見当たらないのだ。


 あんな高さから落ちたのならどこかを打ちつけて動くこともできないはずだ。いや、それ以前に生きていることの方が不思議だ。


 じっとしていても始まらない。なんだか体が重い気がするが、とりあえず歩き出した。


 歩みを進めると段々と景色が移ろう。

 鮮やかな緑色をした森はやがて、崩れた灰色の石壁や、石造へと変わっていった。

 その冷たく寂れた風景に思わず喉をごくり、と鳴らす。


 そうして眼前に現れたのは、遺跡だった。


 手に剣を宿した獅子と鷲の姿をした一対の石像が正面を飾り、入り口をぽっかりと開けてはいるが、中は暗闇で何も見えない。

 石造りのそれは堂々とした風情でそこにある。


 と、そこまで来て初めて気がついた。


「空が……ある……?」


 ぽかんと口を開け、空を見上げる。


 普通に聞けば、おかしな表現だっただろう。だが崖から落ちたラウダにしてみれば、その風景がおかしい。

 何故、崖がそびえていないのか。何故、広大な空が見渡せるのか。


 完全に混乱してしまった。

 ここはどこなのか。これは夢だろうか。それとも――


 空には少し雲が出てきていた。大地を照らしていた太陽は覆われ、辺りが薄暗くなっていく。


 混乱の最中、さらにあることに気づいた。


「ローヴがいない……」


 なんて大切なことを忘れていたのか。

 恐らく、崖から落ちたはずみで手を離してしまったのだろう。


「ローヴ……! ローヴ!」


 大声で叫んでみるが、返事はない。何度も呼んでみるが、ただ沈黙が帰ってくるだけ。

 しかし、背後で何かが動いたのを感じた。


「……ローヴ?」


 不審に思いながらも、振り返る。そこには――


「え……?」


 とっさのことに判断が鈍る。崩れた石壁の隙間から現れたのは明らかに人ではない存在。もちろんローヴでもない。


 一応人型をしてはいるものの、身長はラウダの半分ほど。豚に似たような鼻先、泥に塗れたような醜い顔と、体にはボロボロの布を巻きつけ、片手にナイフを持ち、にやにやといやらしい笑みを浮かべていた。

 長い、先のとがった耳を揺らしながらひょこひょこと近寄ってくる。しかもたくさん。


 ぎろりと鈍く光る黄色い瞳にラウダを映す。


「え、あ、う……」


 言葉にならない声が出る。

 相手はナイフを振りかざし、殺意を剥き出しにしていた。


「コ、ロセッ!」


 群れの中で1番体格が大きいものが、液体の流れる音を組み合わせたような異質な声を上げると、一斉にラウダの方へ跳びかかってきた。


「うわあぁぁっ!?」


 こんな生き物は図鑑でも見たことがない。まして人語を操るなんて尚更おかしい。

 夢なら覚めろと願いながらもダッシュで遺跡の方へ走り出す。だが、体が上手く動かない。

 足がもつれ、そのまま無様に転んでしまった。


 完全に無防備だ。


 よく考えると、朝から何も食べていないのだ。うまく力が入らないのも当然かもしれない。

 振り返ると、もうすぐそこに怪物は迫ってきていた。


 この痛みは、夢などではない。

 今度こそもう駄目だと、固く目をつむる。



 そして――――刃は来なかった。



 あまりにも長い間隔に、思わずもうやられたのかと目を開け自分の体を確認した。だがどこにも怪我はない。


「おい! 大丈夫か!」


 突然降ってきた声にびくっと体を揺らす。

 今のは確かに人間の声だ。しかも男の。


 恐る恐る振り返るとすぐ後ろに人影。長身で逆光のため、姿が確認できない。


「立てるか?」


 男が振り返って短く言い放ったが、すぐには返事ができず、慌てて首を上下に振る。

 すぐに立ち上がると、そこで初めて相手の姿を確認できた。


 燃えるような長い赤髪。左目を覆うように巻かれた赤い帯。がっしりとした体つき。

 手には男の身長くらいか、あるいはもう少し長い槍が握られている。


 足元には怪物が横たわっていた。その身から赤黒い液体を流して。

 その光景に思わず息を飲んだ。身の毛がよだつ。


 突然現れた存在に驚いたのか、仲間がやられたことへの恐怖からか、一時動きが止まっていた怪物の群れが、再び動き出す。


「ちょっと下がってな」


 それだけ言うと、男は猛烈な速さで群れに突っ込んでいった。

 槍を軽々と片手に持ち振るうと、空を切り、弧を描く。

 たった一振り。それだけで大半が吹き飛び、地にたたき付けられ、そのまま起き上がらなかった。


「すごい……」


 思わず感心の声をあげたが、はっとなって辺りを見渡す。

 どうやら敵はまだいるようだ。がれきの陰から次々と姿を現すと、ラウダの方へと向かってきた。


 男は前の敵と戦っている。ここは自分で何とかしなければ。


 慌てて周囲を見渡すと、遺跡の入り口にある石像――先ほども見た獅子と鷲のもの――が目に入った。

 最初に見たときはただの彫刻かと思っていたが、よく見ると本体と剣の色合いが少し違う。


「……あれだっ!」


 そう言って駆け出すものの、敵は素早い動きで行く手を阻み、ナイフを振り下ろした。

 その動きに翻弄されながらも力強く地を蹴ると、芝居の稽古で鍛えられた脚力が彼を軽々と飛び上がらせる。


 次から次へと繰り出される攻撃を全て避け、軽やかに着地。

 猛ダッシュで獅子の石像に駆け寄ると、その手に握られていた剣をつかんだ。


 思った通り、石像と剣の間にはわずかな隙間があり、剣をつかむとぐらぐらと動いた。

 これなら剣単体として使うことができる。


 しかし、さすがに古いのだろう。堅く固定されていてなかなか抜けない。

 石像にしがみつき、強引に引き抜こうとする。


 その際に、足の怪我に気づいた。先ほど転んだ時にできたのだろう。血がにじんでいた。

 だが、そんなことに気を遣っている場合ではない。敵はそこまで迫ってきているのだ。


「こん、のぉっ!!」


 剣に手をかけ力を振り絞ると、その勢いでようやく剣が抜ける――が、そのまま倒れそうになる。

 だが2度も3度も転んでいる場合ではない。

 なんとか踏ん張ると、迫り来る敵と向き合う。


 相変わらず奇妙な声を上げながらナイフを振ってくる敵に、手にした剣を振るった。

 簡単な作りなので、斬るというより力任せに殴っている感じだったが、それでも効果は充分。

 敵はその重い一撃に打ちのめされ、後ろに倒れた。


 今度はこっちの番だと、切っ先を敵の方へと向ける。


 剣を構えたまま跳躍、大きく振るうと敵に斬りかかった。

 鈍い音と共に数体が倒れこみ、ナイフがからんと音を立て落ちる。


 左上から右下へ。右下から左上へ。

 剣を動かし、さらに跳躍。奥の敵へと斬りかかる。


 だがそれが失敗だったらしい。背後から3匹の敵が襲いかかってきた。



 避けきれない。



 そこへ、猛烈な勢いで男が飛び込んでくる。


 砂ぼこりを立てながら、鋭い刃が一掃。

 槍を手前に引くと、敵はその場にまとめて倒れこんだ。


 どうやらこれで最後だったようだ。


 安堵から呆然と立ち尽くすラウダの前で、敵が動かなくなったのを確認した男は、槍を軽く振るわせ、赤黒い血を辺りに飛び散らせると、それを背負った。


 男はラウダの方へと向き直る。


「驚いたな……なかなかやるじゃないか。ゴブリン相手に逃げ回ってるから、街の人間かと思ったよ」


 そう言って見せたのは、先ほどまで槍を振るっていた人物と同じ人間だとは思えないようなまぶしい笑顔だ。

 だが一方でラウダは、手にしていた剣を下ろすと、


「ごぶ、りん……?」


 聞き覚えのない単語に顔をしかめた。

 そんな名前の動物は聞いたことも見たこともない。


「ん? さっきの魔物のことだが……それがどうかしたのか?」


 男が不思議そうに聞き返してきた。

 途端にラウダは唖然となる。


「ま……まもの!? あのおとぎ話とかに出てくる!?」

「は?」


 間の抜けた返事。


 見たことのない怪物。その存在をさも当然と認める男。

 ただでさえ崖から落ちて、見たことのないような場所にたどり着き、訳が分からなくなっているというのに――


 そこで、男のポケットからはみ出てぶら下がっているものに気づいた。


「あれ……? それ……」


 ラウダの視線の先に気がつくと、ああと言いながら男は困ったような顔をした。


「さっき見つけた女の子が持ってた物なんだ。とはいえ、俺が勝手に持ってきてしまったんだが……」


 取り出したのは、青い石のついたペンダント。ラウダにとっては見たことがある物――いや見間違えるはずがない。

 それは、幼なじみが肌身離さず身につけている物なのだから。


「その女の子ってどこに!?」

「え? それならこの先の森に、俺の相棒と一緒にいるが……」


 そう言って男は遺跡の横にある森を指し示した。

 たちまちラウダの瞳が希望に輝く。


「僕をそこに連れて行ってください!」


 迷いなどなかった。このペンダントの持ち主で少女と言えば、ローヴに間違いないからだ。

 男はその申し出に少し驚いたものの、快く承諾してくれた。


「俺はノーウィンって言うんだ。お前は?」

「あ、ラウダ……ラウダ・リックバートです」


 名を名乗り、軽くお辞儀する。

 内心ではようやく人に出会えたこと、幼なじみに再会できることにほっとしていた。


「よろしくな、ラウダ。それから、敬語はいらないからな」


 そう言って見せた表情は、屈託のない笑顔。

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