1‐3
ウィダンの街から北にある深い森。陽の光が入り込むことすら許されない薄暗い場所。
そこは、禁断の地。
いつから誰がそう決めたのか、何故そう呼ばれているのか。誰も知らない。
ただ、そこでは行方不明者が出ただの、誰かが死んだだのと、そういった悪い話しか聞かない。
だから誰も近づこうとはしない。
好奇心旺盛な子供か、よほどの理由がある人間以外は。
入り口には“危険、立ち入り禁止!”と書かれた看板が立ててあり、あちこちにロープが張り巡らされていた。
しかしラウダはその看板には目もくれず、ロープをくぐり抜けた。
「いつ来ても、不気味なところだね……」
そう言うローヴも彼に続いて森へと入り込んだ。
ウィダンと同じ土地にあるはずなのに、明らかに違う空気が漂っていた。
風もなく、音もない。匂いさえも。
道なき道を歩いていく。静か過ぎて話す気も失せる。
ただひたすら同じ景色。生い茂った木と少し湿った地面。花も動物も見当たらない。
それでも確かな足取りで2人は歩いていった。表情は硬い。
そうしてどれくらい歩いただろうか。
たどり着いた場所は、底の見えない巨大な大地の裂け目。果たしてこの崖に底はあるのだろうか。
裂け目を挟んでつり橋があるものの、いつ頃のものなのか、古い造りであるため今にも落ちてしまいそうだった。
そんな危険な場所に、明らかに不似合いな墓が立っていた。
木を組み合わせただけの簡素なもの。だが、凛とした姿でそこにある。
ラウダは墓へ静かに歩み寄り、手にしていた花束をそっと墓前に供えると、その場に屈み込んで瞳を閉じ、祈りをささげ始める。
その横顔は、どこか寂しい。
横に立つローヴはそんな彼の様子を何とも言えない気持ちで見つめていた。
そうして内心でそっとつぶやく。
この墓の下には誰もいないのに、と。
全ては7年前の今日。
その日までラウダにはもう1人別に幼なじみがいた。
その人物の名はティルア。
白く雪のような肌に、柔らかな桃色の長髪。サファイアブルーの澄んだ瞳から、お人形のようだと言われていた女の子。
そしてその日、彼女は遊びに行ったきり帰ってこなかった。
何が起こったのか。誰も知らない。いつも一緒にいたはずのラウダは、何も語らない。
まるでこの地のように沈黙したままだ。
結局、彼が話したのは彼女が禁断の地の崖から落ちた、ということのみ。その事故の詳細は何一つとして、分からない。
彼は何かを知っている。確かに何かを隠している。
ローヴはその考えを決して疑わなかった。でなければ、こんな表情はできない。
これは演じているわけではない。ラウダの表情そのものだ。
だが、いくら幼なじみであっても彼の内を理解することはできなかった。
ただ分かっているのは、毎年この日、彼女の命日の度に、誰もいない墓前に花を手向け続けているということだけだ。
つむっていた瞳を開け、ラウダが立ち上がる。そしてコートの砂をはらうと、ローヴの方を振り返った。
爽やかな笑顔で。
「じゃあ、行こうか」
ローヴは内心でそっとため息をつく。この状況では何を言うのもためらわれた。
仕方なく、彼の顔を見てうなずこうと――
激しい音が響き渡る。
どこにいたのか、鳥たちが木々から飛び立ち、四方八方へと飛んで行く。
地面が揺れている。
それもとんでもないほどに。
「ま、また!?」
地震だ。
だが先ほど花屋で受けたものとはまるで違う。上下左右に揺さ振られ、とてもではないが立っていられない。
「うわぁっ!」
そのうちにローヴがバランスを崩した。
すぐ後ろでは底の見えない崖が、ぽっかりと口を開けて待ち構えている。
「ローヴっ!」
揺れに耐えることもかなわず、はいつくばるような形でラウダは手を差し伸べた。
ローヴはどうにか彼の手に捕まることはできたものの、体はそのまま崖下へと投げ出され、宙づり状態になる。
その間にも視界は大きくぶれる。地震が治まる気配は微塵もない。
なんとか2人とも無事でいるものの、手を離してしまえばその瞬間、彼女は崖下へ落ちることになる。
そう、あの時のように。
身体中から汗が噴き出る。つなぐ左手にも力が込められ、汗で徐々に滑り落ちていく。
それを食い止めようと右手も差し出す。両足を地面に食い込ませるようにして2人の体重を支える。
不意に嫌な音を感じた。何かが砕けるような、裂けるような音。
その不吉な音にぎょっとなり、ラウダは自分のはいつくばっている地を見渡す。
なんと、地が裂け始めていた。この大地の裂け目がさらに広がろうとしているのだ。
その現象についていけず、裂け目にかかっていた橋は無残にも中程で板が外れ、ロープがちぎれ、崖下へと姿を消した。
底にぶつかる音は聞こえなかった。
背筋にひやりとしたものが流れる。このままでは自分たちも――
しかしその思考よりも早く、地が砕け、落ちる。
はいつくばったラウダと手をつないだままのローヴが、激しい揺れの中、崖下へと投げ出された。
「うわあぁあああぁぁ――」
叫び声も空しく響くだけだった。崖下へ、暗闇へ、彼女の元へ。
全ての感覚が奪われた。何も見えない。何も感じない。
しかし何故かは分からないが、耳元でささやかれるような感じがした。
ただの風ではない。確かに、声。
『世界は、あなたを選んだ』
声は旋風へと変わり、やがて闇に光が灯る。
激しい風とまばゆい光。目など開けていられないはずだった。
しかし、確かに見たもの。それは――
青。
あるはずのない色。崖下のはずなのに底には着かない。
上なのか下なのか。はたまた右なのか左なのか。
そこで、彼の意識は途絶えた。
* * *
ようやく揺れが治まった。
深い森には何事もなかったかのように、再び静寂が戻る。
砕け散った大地の側には墓と、人影。
上から下まで真っ黒な服、というよりもマントをまとっている。
顔には黒い仮面をつけているため、その表情はうかがい知れない。性別も定かではない。
微動だにしないその人物は、しばらく崖下を見つめていたが、どこか遠くを見つめると、闇に溶けるように消えてしまった。
* * *
「おい! ちょっと待て! どこへ行くんだ!」
爽やかな日差しが穏やかな森を照らし出す。木漏れ日を受けた鳥たちは美しい歌を奏でている。
そんな中を遠慮なく現れたのは、筋肉質な長身の男。
1つに束ねている赤い長髪は、緑豊かなこの場には不似合いである。
その背には、身長以上もある槍を装備していた。
彼が声をかけた先では、木々があちこちで揺れていた。彼以外の人間がいれば、何か動物でもいるのではないかと思ったかもしれないだろう。
しかし木々を飛び移っているのは、少女。
少し濃い色の肌、夏の新緑にも似た淡い色の長髪は、2つに分け結ばれている。
長く白い袖をはためかせ、男の言葉に返事もせず、木々を飛び移っていく。
止まってくれる様子は微塵もない。男は大きくため息をつくと、仕方なく後をついていく。
彼女が何をしたいのか全く理解できない様子である。
突如、少女が木から飛び下り、すとんと着地した。かなり身軽な動きだ。
高さが3メートル近くあったのにも関わらず、子供が椅子から下りるような感覚だった。
しかし彼女にとっては何てことはないようだ。相変わらず何も語らず、振り返ることもなく、そのまますたすたと歩いて行ってしまった。
「何なんだ、一体……」
そう言いつつも、他にどうしようもない男は半ば強制的についていくしかない。
やがてたどり着いたのは、森の奥。少し開けた場所だった。綺麗な円を描くように木が生えている、不思議な場所。
「こんな所が」
あったのか、と言う前に気づいたのは、立ち止まってこちらを見ている少女と、その傍に倒れている――
「人」
ようやく話した言葉がそれだった。だがそれも単語に過ぎない。
今更になってようやく、彼女の意図を理解した。
ここに人が倒れていることを感じ、男をここまで連れてきたのだ。
だが、何故――?
様々な考えを頭の中で巡らせるが、そんなことをしている場合ではないと判断し、倒れている人の側へと駆け寄った。
が、すぐにおかしなことに気づく。
倒れた、というのは正しい表現ではないのかもしれない。
なぜなら仰向けに、しかもご丁寧に両手を胸に添える姿勢までとっているのだ。
まるで何者かが、そこに寝かせたかのように。
「なんだってこんな所に……」
黒い短髪を覆っているのは赤い大きな帽子。目は静かに伏せられているが、息はある。
その隣に屈み込んで、初めてあることに気づく。
「よく見たら……女の子じゃないか」
てっきり少年なのだとばかり思い込んでいたため、驚きを隠せない。
だが性別がどちらであろうと、今は関係ない。
「とりあえずどこか安全な所に連れていくべきだな」
少女の方を振り向くと、彼女は静かにうなずいた。
同意の合図を確認した男は、謎の少女を抱き抱えようとして、顔をしかめた。
動きを止めたまま、一点を見つめる男。
さすがに違和感を感じたのか、少女が声をかける。
「……どうしたの?」
「これ……」
抱き抱えるはずみで、少女の手が胸から離れた。
そこにあったのは青いペンダント。
「これ……」
もう1度同じ言葉をつぶやくと、少女の首からそっとそのペンダントを外した。
陽の光を受けて、青くきらめく石。逆さしずくのペンダント。
どこかで見たような気がした。だがそんなはずはない。この少女とは初対面なのだから。
その時だった。
突然緑髪の少女の表情が険しくなる。
まるで獣のように、鋭く何かを察知し、その方向をにらんだ。
赤髪の男も同様に同じ方向を向いていた。ここからは遠いが、何かが起こっている。
「今日は、色々ある日だな……」
抱き抱えかけた少女をゆっくりと再びその場に寝かすと、すぐさま立ち上がり、背にある武器を確認する。そして鋭い表情の少女の方に向き直った。
「その子頼んだぞ!」
それだけ言い残すと、彼は森のさらに奥へと走り去ってしまった。
「あ……」
少女は厳しい表情を止め、男の背が消えた方向を見つめる。
頼んだ、と言われても一体どうすればいいのか。横たわっている少女よりも、彼女の方が明らかに背は低い。男のように抱き抱えるわけにもいかない。
とりあえず他に手段もないので、少女は相手の手を取り自らの右肩を貸した。
だがそこで動きが止まった。
眉間にしわを寄せて、未だ目を伏せたままの彼女の横顔を見つめる。
何かが起こっている。いや、起ころうとしているのか。
予感がする。
考えることを止めると、今度は自身の左手を見つめた。
そこにはぼんやりと輝く、何かがあった。
これから始まることを予感する何かが――
第1話読んでいただきありがとうございます!
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