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争い知らずの平穏な世界、リジャンナ。
ここには様々な町が存在しているわけだが、中でもこのウィダンの街は、赤レンガ造りの街並みの美しさが有名で、常に観光客が街を行き交っている。
そんな彼らの目を留め、足を止めさせるパフォーマーも存在する。
パフォーマーと言っても、マジシャンやダンサー、シンガーなど種々雑多。
彼らの技に魅了された者はそのリズムに乗り、拍手を送り、皆が笑顔になる。
ブーイングなどが滅多に起こらないのは、彼らの技量が素晴らしいのもあるかもしれないし、この街の雰囲気がそうさせているのかもしれない。
また、街の南西には教会があり、信心深い人間などはそちらを目的としてこの街を訪れる。
とはいえ、内部を壮麗に彩っている美しいステンドグラスを一目見ようとやってくる大して信心深くない観光客も少なくない。
華の街ウィダン。
赤レンガの上を、今日も様々な人々が行き交っている。
* * *
買い物を楽しむ者や仕事に励む者を見ながら商店通りを行くラウダとローヴ。
行く人皆が華やかな服装をしており、この町に住んでいる私服姿の彼らの方がどこか浮いて見える。
そのことが気になって、ラウダは何気なく自分たちの服装を見直す。
青いロングコートに黒のズボン、黄色いハイカットシューズをはいているラウダと、灰色のタートルネックの上に赤いロングシャツ、紺のズボンにブーツをはいているローヴ。
周囲から見れば少年2人が歩いているように見えるのではないだろうか。
別に女性がズボンをはいたり、短髪にしたりすることは珍しいことではないのだが、彼女の場合顔立ちのせいか少年に間違えられることが多々ある。むしろ少女として見られることの方が珍しい。
以前、ラウダがローヴにもっと女の子らしい格好はしないのかと聞いたことがある。その際の返事は、ラフなものが好きとのことだった。
髪を伸ばすと手入れが大変だし、スカートをはくと走ったり飛んだりする度に気になるから何かと不都合だそうだ。
「ラウダもはいてみれば分かるよ」
にっこりと微笑みながらそう言われたことを思い出した。もちろん丁重に断った。
そんなことを思い出しているうちに目的の場所へとたどり着く。
店頭に色とりどりの花が置かれた、花屋だ。
中に入ると、旅行者と思われる婦人を相手に立派な花束を手渡している年若い店主がいた。
2人にとっては顔なじみでもある。
「ありがとうございました! ……っとラウダにローヴじゃないか。デートか?」
「なっ……! 違ーーうっ!」
にやりとした笑みを浮かべながら言う店主に、ローヴはきっぱり否定した。
しかし帽子と同じくらい真っ赤に染まった顔までは否定できなかった。
「ははっ、冗談さ。いつものやつだな」
さも楽しそうに笑うと、店の奥まで入っていき、2人に手招きをした。
「そうそう、この前の公演。相変わらず素晴らしかったぞ」
2人に背を向け、店中にあふれかえる様々な花から適当なものを選びつつ、店主が話しかけた。
「観に来てくれたんだ。うん、この前のは練習もかなり頑張ったからね。団長にも褒められたんだよ」
ウィダンの街が有名な理由がもう1つある。
それはリッツエル劇団だ。
幼い子供から老人までそろったその劇団は、喜劇から悲劇まで、様々な物語を演じていた。
だが誰しもが舞台に立てるわけではない。芝居毎に厳しい審査があり、合格できた人間しか舞台には立てないのだ。
故に、いつまでも下っ端なままという人間もいるのが現実だ。
しかし、そんな中でラウダだけは毎回公演の度に舞台に立っている。しかもほとんどが主役だ。
このおっとりした性格からは想像もできないほどの表情、声量、身のこなし。さらには剣術までも軽々と成し遂げ、完全に1人の、別の人間に成りきれてしまう彼が主役になることは、劇団員全員、団長も含めて納得していた。
そんな彼が出演している劇を一目見ようと、わざわざこの街まで押しかけてくる物好きも少なくない。
さらにローヴから聞いた話では、ラウダ様ファンクラブなどというものまで存在しているらしく、所属しているのは8割女性、1割男性、残りの1割は性別不明な方々がいらっしゃるとか何とかで、会員数もかなりの数だとか。
過去に1度出待ちをされたことがあったがあの時の騒ぎといったら――ここで語ると長くなりそうなので、“複数の大型生物に囲まれた子犬”というのを想像してもらえれば大体合っていると思ってもらっていい。
「全くもってすごいよな、ラウダは。まあ才能ってやつかね」
「ありがとう」
うんうんと力強くうなずく店主に、ラウダは少し照れ臭そうに礼を告げた。
「ローヴも劇団で働いてるんだから出ればいいのにさ」
そう言いながら店主はカウンターへと向き直り、薄い紙を取り出すと、その上に選んだ数本の花を乗せた。
そんな気軽な言葉に対し、ローヴは呆れたような表情を浮かべた。
「あのね。働いてるから出られるってわけじゃないんだよ? 大体ボクはマネージャーだし」
「でも最近、剣術の稽古してるよね?」
さっぱりした言葉を否定するかのように、ラウダが問いかけた。
それに驚いたようだ。目を丸くし、彼の方を振り返った。
「な、なんで知ってるの!?」
「え? だっていつも劇の練習が終わった後、素振りしてるでしょ?」
別に驚くほどのことではないと言いたげなあっさりした表情。
事実、練習が終わった後に倉庫で1人黙々と剣を素振りしている姿を何度か見たことがあった。
もちろん真剣ではなく、芝居用の物だが。
「なんだよ、出る気満々じゃないか」
うつむく店主は2人のやり取りを聞きながら、慣れた手つきで数本の花を束にした。
「べ、別にそういうわけじゃ――」
「それにローヴだって、親がいない今、1人でやりくりするのは大変だろう? 劇に出れば1回でもそこそこ稼げるはずだし」
店主の言葉に、言おうとしていたことを止める。しばらく何かを考えるように別の方向を見つめるが、すぐに再び口を開いた。
「確かに……母さんがいなくなってから1人で大変だけどさ……でも、だからって卑怯なことはしたくないな」
父親を早くに亡くしたローヴは母子家庭であった。
優しく温和な母親は街の者からの信頼に厚く、子供たちにも好かれるような女性だった。
しかし、彼女は10年前突如病に倒れ、半年後にはそのまま帰らぬ人となった。
街の多くの人間が彼女の死を悼み、葬式に参列していた。
その時のことはラウダもしっかりと覚えている。
何せこのにぎやかな街全体が暗くなったような日が数日続いたのだ。忘れようとしてもなかなか忘れられない出来事だ。
「卑怯?」
そんな彼女の静かな言葉に疑問を抱いたラウダは、思わず顔を上げた店主と顔を見合わせ、再度ローヴを見つめる。
自分に向けられた2人の目を交互に見やった後、少しうつむいて話した。
「大変なのはみんな一緒。みんな舞台に上がりたいんだよ。それなのにボクがそんな理由で舞台に上がるのはずるいことだと思うんだ」
「ローヴ……」
心配そうに彼女を見やるラウダに対し、店主はため息をついた。
「やれやれ……人を想うのはいいけどな、自分のことも考えた方がいいんじゃないか? まあ俺が言うことじゃないけどな。ほら、できたぞ」
店主の手には数種類の花を組み合わせた花束があった。
しかしそれは先ほどの客に渡していたような派手な大きなものではなく、どちらかと言うと素朴で小さなもの。
「ありがとう」
ラウダは礼を言うと、ポケットから金を取り出し、店主に手渡した。
それをしまうわけでもなく、店主は手渡された金をぼんやりと見つめる。
「この花束をお前に渡すのは何回目だろうな……」
ため息を吐き出すように、少年に問いかけた。
「……7回目だよ」
同じような調子でそう返すと、受け取った花束をしっかりとその手に抱えた。
そのやり取りがどこか寂しくて。ローヴはそんな2人を見つめた。
「今日は大切な日、だもんね……」
と、口を開いた時だった。
側にある花瓶がかたかたと音を立て始めた。それに合わせるかのように店中のものが音を立て始めた。
「な、何?」
言うが早いか、花の入った水筒が次々と倒れていった。
小さくできた水たまりはすぐに湖になり、川となって店の外へ流れていく。
揺れている。
「地震だ! 2人ともこっちへ!」
店主の声と同時に3人はカウンターの下へと滑るように入り込んだ。
次々と倒れる花。ひらりと落ちるはずの花弁がとても速く見えた。
店の外から悲鳴が聞こえる。揺れる地面の上を走り去る人々の姿も見える。
先ほどまで聞こえていたにぎやかな音楽は聞こえない。今は不協和音だけ。
人々を脅かすには十分な威力を見せたが、幸いそれ以上大きくはならずに静まった。
「大きな揺れにならなくてよかった……」
ローヴがそう言いながらも、念のため辺りを確認しながらカウンターの下から出てきた。
「でも花が……」
続いてラウダも顔を出したが、店の有り様を見て顔をしかめた。
最後に店主が表へと出てきた。
花瓶は全て横倒し。
そこから飛び出した切花たちの花びらが、あちらこちらに散っていた。
木製のショーケースは倒れこそしなかったものの、アレンジメントとして飾ってあったものもほぼ傾いてしまっている。
そのせいで、戸棚が開き、本来アレンジメントに付いていたであろう、小さなうさぎの人形が道端に転がり落ちていた。
「これくらい何とかなるだろ。先にその花束を作れて良かったよ」
確かにどこかが壊れている様子はない。ここの被害は最小限で済んだようだ。
「最近地震が多いな……2人ともこれからあそこへ行くんだろ? 気をつけろよ」
「うん、ありがとう」
「戻ってきたら片付け手伝うよ」
二言三言、言葉を交わすとラウダとローヴは花屋を後にした。
特に理由はなかったが、2人とも自然と小走りになっていた。
途中、先ほどの地震におびえている人や建物が崩れていないか心配している人などを数人見かけたが、無言のまま走り抜けた。
次の目的地は、この花束を渡す場所。
そこは、禁断の地と呼ばれている――