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序章

「この手で何ができるのだろうか」


 己の右手を見てつぶやくように話した男は、次の瞬間、後ろにいた女の手を力強くつかみ、駆け出した。

 粉雪がちらつく中、吐き出す息は白く。

 空に浮かぶおぼろ月に照らされ、男の端正な顔立ちが浮かび上がる。

 風になびく金髪。固く結ばれた唇からは、何か、強い決意が感じ取れた。


「いけません! いけませんわ!」


 黄色いドレスを身にまとった女が力強く叫び、男の手を振り払う。

 金糸を使った服に群青のマントを羽織った男はゆっくりと後ろを振り返る。

 その顔は悲しみに歪んでいた。


「何故……何故私の心を拒むのです? 私はこんなにも貴女を想っているというのに!」


 振り払われた手を、今にも女を抱きしめんとする勢いで力強く突き出す。

 しばし間を置いた後、女は憂いを帯びた表情で、視線をそらした。

 そして自分の思いを確かめるように、自身の胸元に手を当てる。


「確かに……確かにわたくしは貴方を想っています。強く。それは今までも、これからも変わらないことでしょう。しかし、わたくしがいなくなれば父は前にも増して、人を……殺めることになるでしょう……」

「ではここに残ると? それは、それだけはどうかお止めください!」


 男は語気を荒げると、その深緑の瞳を潤ませた。


「私が、貴女を守るべき騎士だということは存じております。本来ならば身分違いのこの想いは許されざるもの。それも存じております。しかし!」


 そこまで言うと、男はぎゅっと両の手を握りしめる。


「たとえ王とはいえ、実の娘、姫君である貴女を殺めようとする男の言葉に従う義理はありませぬ! ならば身分など捨てて、私は貴女をさらいましょう!」


 怒りと悲しみが混ざった声を吐き捨てるように叫ぶ。その意志は、声は、どこまでも力強く。


 女は両手をそっと下ろすと、再度男の瞳を見つめた。

 目と目が合う。


「私が騎士になったのは、貴女をお守りするためです」

「……わたくしには、もう、分からないのです。何が正しくて、何が間違っているのか」

「ならば私が、この剣で、貴女のためだけに道を切り拓きましょう」


 そう言うなり、男は腰にすえた剣を抜き、高く掲げた。

 月光を浴びた刀身は銀色に美しく煌めく。


「決して貴女を死なせはしない。もしも貴女の身に危機が迫れば、その時、私は――」

「やめて!」


 悲痛な面持ちで叫ぶと、女はその瞳に涙をたたえ、強く首を横に振った。


「貴方の身に何かあったらわたくしは……そんなことになってしまうくらいならば!」


 ポロポロと涙を零しながらも、女は掲げられた剣を奪い取り、そして――


 ゆっくりと倒れ込む。


 男が何かを言う前に。


 何の迷いもなく。


 真っ白な雪の上に赤い花弁が飛び散った。

 男は体を震わせる。それが寒さから来るものでないことは明白だった。


「なんと……なんということだ……」


 震える手で女を優しく抱き寄せる。

 その頬は未だほんのりと紅潮していて、つい先ほどまで生きていたことを証明していた。


「貴女がいたから……私は、今日まで生きてこられたというのに……」


 わななく唇。

 男は静かに、愛する人の胸に突き刺さった剣を引き抜いた。


「私が守りましょう、永久に。一生を、全てを貴女に捧げて」


 抱いていた決意を改めて口にすると、彼もまた――雪上に倒れ込んだ。


 しんしんと雪は降り続ける。

 おぼろ月夜。その下で、愛する者同士が手を重ね倒れていた。









 ふっと辺りが暗くなると同時に、盛大な拍手が劇場内を包み込んだ。

 老若男女問わず、手にハンカチを持ち、涙を、人によっては鼻水を、ボロボロズルズルと流し――決して先ほどの姫君のように美しくはない――そしてそろって総立ちである。


 再度、先ほど以上に強い明かりが劇場内を照らす。

 舞台上には騎士と姫君だけではなく、芝居に出演していた人々が一列に並んでいた。

 全員で手と手をつなぎ、高く上に掲げてその勢いのまま下へ、大きくお辞儀をすると、観客一同はさらに大きな拍手を捧げ、甲高い指笛の音があちこちから響いた。


 そんな様子を決して表には出られない少女が一人。舞台脇から軽く拍手を送っていた。


 その視線の先には、堂々たる芝居で主人公の騎士を演じた少年の姿。

 劇場のあちこちから響く黄色い声にも応えるように笑顔で手を振る彼の表情は、芝居の時の凛々しさから一転、優しく柔和な笑顔へと変わっていた。

 だが、少女は知っていた。その笑顔さえも――


 ため息を一つつくと、彼女は団員たちのための水とタオルを用意しに舞台裏の影へと消えた。


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