第5話 瞬間、唇、重ねて
複雑な気持ちを抱きながら屋敷に入ると、母はさっそく父を叱りつけていた。それに父は跪いて許しを乞う。父よ……。
一通り父を叱った後、母はこちらに体を向けた。
「ところでキャスリン。ロベルトとはどういう関係?」
「どうって……、と、友達よ?」
母はにこやかに頷いた。
「うんうん。それならいいのよ。間違いはおこさないでね。うちは一人娘だから婿をとらなくてはいけません。ロベルトも一人息子ですから、あちらも嫁取りの立場。それにお父様のお姉様の子だしね。生まれてくる子供の血が濃くなるから二人が好きあっていても、結婚はさせられないの」
な、なるほど。さすがは『アドバイザー』分かりやすいわ。そうなんだ。ロベ君とは結ばれない運命なのね……。
でもとても悲しくなって夕食は大半を残してしまった。
はーあ。私ったら元28歳なのに、こんなセンチメンタルになるなんて。ホントの恋をしちゃってたのかなぁ。
ロベルト君とは『悲恋』。王太子さまには『婚約破棄』がついていたわ。
結構むちゃくちゃやられる人生よね。ここから新しいロマンスが生まれるのかしら。
でもそんな風になるのは、ちょっと年月が必要じゃない? こんな心にダメージがあるのに。すぐになんて立ち直れないよ。
◇
次の日。ロベルト君は嬉しそうに話しかけてきてくれたけど、私はテンション低く答えた。
だって、このままもっと好きになったら悲しすぎるもの。ロベルト君は私と結婚できない。
今のうちに二人とも離れたほうがいいのだわ。
放課後。ロベルト君は馬車まで行こうと誘ってきたけどトイレに行きたいからと断った。
トイレで鏡とにらめっこ。眉尻が下がって悲しげな自分がいる。
「はー。なにやってんだろ私」
少しばかり化粧を直して外に出る。するとそこに立っていたのは……。
「おお。ミスウェンガオルト。お待ちしてました」
えーとこの人は? 制服を着ていない。ああ、王太子さまの警護騎士のお一人だわね。
「殿下がお待ちです。どうぞこちらへ」
な、なにぃ!? まだ王太子イベントは継続なのか……。でもアヤツはそのうち『文豪』になりますぜ? 私が行ってお互いにイヤな思いするより、一人で頑張ったほうがいいのでは……。
しぶしぶついていくと、例の図書室の部屋。私が入室すると、王太子は人払いして王太子と二人きり。
彼は、眉を吊り上げてまたもや原稿を付き出してきた。
「さあ今度はどうだ。意見を聞かせてくれたまえ」
おおう。また新作。確かに文才がある。それだけでも大したもんだ。
私は原稿を手に取り、読み出した。
「うーん」
「どうだ!?」
「これはなかなか」
「うんうん」
「素晴らしいですわ!」
「であろう!」
嵐の中、馬小屋の中で逢い引きする女主人と下僕。絶対に叶わないはずの恋だが二人は深く愛し合うのだ。そのうちに女主人は妊娠してしまう。
主人である伯爵に伝えられずにいると、伯爵は猟に出た先で落馬し死んでしまう。
二人は世間に言えない恋をしたまま伯爵の子として二人の子どもを育てる。やがて大きくなった子は伯爵の地位を継いで、母の部屋に行く怪しい下僕の過失を咎めて殺すのだ。己の父を。
母は悲しみ、崖から身を投げて死ぬ。息子はその身を伯爵の墓に入れたという悲恋ものであった。
文章に鬼気迫るものがあって、とても王族が書いたものとは思えない。それに短編だけど、長編に膨らますことの可能な出来栄え。
私好みの素晴らしい作品!
私は王太子さまへ向けて評価と感想を行う。
「殿下、これはこれは素晴らしい。前々から殿下の文章には光るものを感じましたが、それが塊になって現れたようです」
「本当か? 世辞や追従なら止めてくれ」
「本当です。この悲恋なストーリーの結末は見るものにとっては眉をしかめる終わりかたです。ですがこれがいい。これを見たものの心に残り、いつまでも“こうできなかったか?”“ああできなかったか”と考えさせる仕上がりとなっているのです」
「やっぱり! キティは分かってくれるか!」
「ええ。特にあの部分が好きです。二人で始めて結ばれる馬小屋のシーン」
「あそこは私も特に力を入れた部分なのだ」
私は壁のほうを向いて、王太子さまへと語りかける。
『あゝ、あなたなのジェイク』
王太子さまの原稿にあった女主人のセリフだ。それを言いたくなるほどあの作品は秀逸だったのだ。
するとそれに王太子さまは芝居じみながら答えてきた。
『ええ私です、奥様』
そういって近付いてきて私の肩を抱く。まるであの小説そのもの。私は楽しくなって言葉を続けた。
『いやよ。ローラと呼んで』
『わかったよローラ。キミのことを──』
『ジェイク時間がない。あの人が帰ってきてしまう』
『分かったよ。さあこちらを向いて……』
なんてこと……。
なんてことなの……。
お芝居になりきって……。
私と王太子さま、今、キスをしているぅううう!!
なんて甘くてとろけるキス!
王太子さまの手が、私の背中に回した手に力が入るのが分かる!
HOOOOOOOO!!!!!
てぁてぁ!
……いや、今は村咲 紫樹先生で喜びを表現している場合じゃない。
なぜ? どうして? 私がさっき読んだ小説で気分が高揚してるから? 全然この唇がいやじゃない。むしろ……、王太子さまを好きになってる。
初めてのキスなのに──。
やられた。そういえばコヤツは『むっつりドエロ』だった。密室であんなセリフを言ったら、『むっつり』らしく『ドエロ』してくるに決まってるじゃないかぁ。
私たちは名残惜しく唇を離す。
「ゴメン……。キティ」
「い、い、い、いえ」
「つい小説を誉められて有頂天になってしまった。もしキミに婚約者がいたのなら申し訳ない」
「婚約者は──いません」
「そ、そうか。よかった」
王太子さまは照れていた。つか私も照れるんですけど。というか王太子さまは私の批評に怒っていたはずなのに。どうしてこんなキスにまで及んでしまったのぉ?
「キミに……」
「はい」
「最初に作品を批評されたときは本当に腹が立った。侍従や侍女に見せてもよい評価しか聞かされなかったから。でも言われて見返してみるとなるほどという部分が多く見つかったんだ……」
そうだったのね。プライドを傷つけられてもやり直すなんて王太子さまは若いのに人間が出来てるわ。
「二回目に持っていったときも批判されて腹が立った。もう小説なんて書くものかと、書いても見せるものかと、しかし書いたら正当な評価をしてもらいたい。思い出すのはキミの顔ばかりだ。キミの黄緑色の髪ばかり。ついつい植木をキミと思って振り返るほど。どうやら私は──」
ま、まさかこれは……!
「キャスリン・ウェンガオルト。キミには婚約者がいないといったな」
え? なんだ話が変わったぞ? その話は終わり? 『好きだ』とか言うのかと思ったら。なんか拍子抜け。
「キミに私の周りの世話をするよう命ずる。後ほど正式な使者を送ろう。出仕して精勤に励むよう」
はぁ? お世話? 給料もらって働けってこと? なんだそりゃー! 王太子さまのご命令じゃ、断ることなど出来ないんでしょ。はいはい。
「分かりました」
「おお、分かってくれたか。すぐ出す。使者をすぐに出すよ」
王太子さまはそれはそれは嬉しそう。私はわけも分からず暇乞いをして外に出た。