人形焼き
新幹線が動き始めるのをこれほど待ち望んだのは初めてである。
いつもの軽快な速さではないがそんな事はどうでもいい。
おもむろに隣の年配のサラリーマン風の男性と目が合ったのだが、恐らく私もその男性と同様に疲労と安堵の入り混じった表情をしているのだろう。
時間を25時間ほど巻き戻すと私は東京の日比谷公園の野外音楽堂の近くのベンチにいた。
東京ほど緑の多い都会は他にないだろう。
今日の出張の所用が午前中だけという事もあり、昼時を緑豊かな公園の中で過ごすのは私にとってはちょっとした贅沢なのかもしれない、いや贅沢だ。
所用が終われば即座に名古屋へ帰るつもりだったのだが、新幹線の時間を2時間ほど後延ばしにしたところで今日一日の大勢に影響は無い。
しかしなんて穏やかな昼時だろう....。
しかしながら癒しと空腹は別物である。
近くの地下街にある老舗の鰻屋は私を裏切らないだろう。
東京を出る人、東京に来た人を縦横無尽に散りばめた東京駅の雑踏。
新宿駅とはまた違った雰囲気のこの巨大なコンコースを今まで果たして何度歩いたことだろう。
数しれず歩いた割には東京土産など数えるほどしか買った覚えはない。
だが....この日は何故か誰に渡すわけでもなく人形焼きか東京バナナを買おうと思った、確かにそう思った。
こち亀の両さんの人形焼きが売られていたのも理由の一つだったのかもしれないが。
新幹線は定刻通り名古屋に向けて動き出す。
この300系新幹線の運用が始まってはや10年。
思い返せばこの10年の歳月は私を取り巻く環境をも大きく変えた。
あれほど期待をかけてくれた会社をあっさり辞めてしまった事に対する後悔は微塵もないと言えば嘘になる。
辞めずにいたら恐らく今頃はアメリカに赴任していただろう。
アメリカの生活も悪くなかっただろうに....
いつしか私は眠りに落ちていた。
どれほど時間がたっただろうか。
窓に目をやると外は雨模様で列車のスピードも気持ち遅く感じられる。
おもむろに車内放送が響き渡り
「名古屋方面、大雨の影響により当列車は緊急停止致します」
などと聞こえてくるではないか。
台風の影響を受けた梅雨前線が発達してきたのであろうが、雨量計が基準値を超えたのなら仕方がない。
ただ待てばよい。雨脚が弱まるのを待てばよいだけの話である。
かれこれ4時間は経過したのではなかろうか。
一向に動く気配を見せない新幹線の車内の端の方から聞こえてくる赤ちゃんの泣き声。
お母さん大丈夫か?
頑張れ赤ちゃん!
まもなく夜中の12時に迫ろうとしていた時だ。
「まもなく隣に東京行きの車両が横付けされます。東京へお戻りをご希望される方は7号車乗降口より仮設の渡り板を通って隣の車両にお移り願います」
今日何度目かの車内放送である。
東京行きの車両に乗り移った乗客のおかげで車内は若干の静粛さと圧迫感から解消された。
しかし喉の乾きと空腹感は何ともし難い。
車内販売はとっくに売切れおり、いつ動くともしれない列車と共にやり過ごすにはひたすらじっとしている以外の選択肢は無いであろう。
いつしかうたた寝していると列車の動く気配で目を覚ます。
「まもなく掛川駅に到着します。掛川駅で当列車はしばらく停車します。乗客の皆様におかれましてはホームに降りて頂いても結構です。また掛川駅で途中下車して頂いても構いません」
真夜中の掛川駅で途中下車してどうする。何をしろと言うのだ。
疲労感はちょっとした言葉尻にも過剰に反応するようだ。
ホームに降りて13時間ぶりに歩く方向は清涼飲料の自販機以外あり得ない。
長蛇の列に自販機の売切れの赤ランプが一つまた一つと点灯していく様が怨めしい。
幸いにも‘いろはす‘が買えたその嬉しさたるやこの上ない。
睡眠とも朦朧状態とも区別のつかない数時間が過ぎると空腹感はもはや限界だ。
しかしあの気まぐれはいったい何なのだろう。虫の知らせだったのだろうか。
両さんの人形焼きの存在をふと思い出した時の安堵感はなかなか経験できるものではない。
私の空腹感を満たす人形焼き。
同時に前後左右の乗客におすそ分けすると皆一様に嬉しさと感謝の言葉を私に投げかけてくれる。
両さんありがとう。
正午頃に列車は動き出したのだが、名古屋市内に差し掛かるといたる所が水没している。
名古屋の街が水没するなど前代未聞。
初めて見る光景にただ啞然とするほかない。
やがて名古屋駅に到着したわけだが、東京駅を発ってから実に23時間。
長旅である。
ホームを歩いていると乗ってた列車には読売ジャイアンツの選手の姿が窓越しに見える。
そう言えばあの赤ちゃんどうしただろうか?
お母さんはかたみの狭い思いをして23時間を耐え忍んだのだろうか?
人それぞれちょっとしたドラマはあったのだろう。
今振り返ってみて思う事はあらかじめ23時間と分かっていて車内で過ごすのと、いつ動き出すとも分からぬまま23時間を過ごすのでは精神的には雲泥の差がある。
果たしてあの状況での限界はどれくらいなのだろうか?
こうして2000年9月11日12日に渡り経験した‘東海豪雨‘。
災害大国の日本では天災は一寸先の出来事と言っても過言ではない。
現に11年後の同じ11日に違った形の大災害を我々は目のあたりにする。