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機雷戦から魚雷戦へ

架空戦記創作大会作品として、機雷の話を追加しました。

 神聖歴1930年/皇歴2015年、世界に大きな世界は大きな変化を迎えていた。


 空においてはジェットエンジンが産声を上げ、停滞していた速度競争が再燃する兆しを見せていた。


 そして、海においても大きな変化が訪れていた。


 それまでの機動機雷に替わって滑走機雷、今日でいう魚雷が実用化されたためだ。


 実用化以後については語る必要も無いだろうが、機動機雷については魚雷と混同した説明もなされることがあるので、詳しく説明したいと思う。


 まず、機雷と魚雷については、機雷とは自走能力を持たない機械水雷。魚雷とは自走能力を持つ機械水雷と説明される。


 ここに大きな誤解を生む原因があり、機動水雷を魚雷と混同して語る記述が多くみられることになった。


 魚雷は自らに搭載された姿勢安定装置によって進路や深度を定め自走を行い、目標へと進んでいく。


 対して機雷と云うのは、本来ならばアンカーによって固定され、定められた位置に設置されて敵の進行を妨害することを目的としている。

 昨今では接触信管だけでなく、磁気、水圧、音響などを感知して起爆する信管も開発されており、水中に浮遊させるのではなく、海底に沈底させるものも多く存在する。


 しかし、機動機雷と云うのは基本的に機雷というよりは魚雷に近く、機雷艇や駆逐艦により曳航し、敵艦へとぶつける事で効果を発揮するものである。


 このことが魚雷と混同される原因ではあるが、魚雷と違って、構造体内に制御装置を持たないことでその分類が行われている。


 さて、まずは機雷の歴史について触れれ置く必要があるだろうが、機雷は神聖歴1860年代にスヴェーアの発明家、エリオット・ノルバリが開発したとされている。

 彼は後にニトロ火薬を発明したアルベルト・ノルバリの父であり、二代に渡って著名な功績を残したことになる。


 彼が開発した機雷は係維機雷であり、触覚信管を備えていた。


 彼の開発した機雷は西方諸国へと瞬く間に広まり、リーベンへもわずか数年で伝えられることになった。


 各国は機雷の運用法を研究し、まずは港湾における防御設備として運用する事を思いつく。


 さらに、機雷は如何なる船舶でも運搬が容易な事から敵港湾への敷設による運航妨害が行われるまでにそう時間はかからなかった。


 同時に、潜水艦や小型艇から伸ばした棒の先端に取り付け、敵艦へと突入することで打撃を与える運用が着想され、多くの国で様々な手法が考案されていく。


 しかし、潜水艦を用いる方法は潜水艦の潜航速度が遅いため敵港湾部でしか効果が無く、航行する船舶に対しては主に機雷艇による攻撃が一般化し、機雷艇を排除する小型で小回りの利く水上艦、いわゆる駆逐艦が開発されることになった。


 この初期の機雷艇は船首から棒を伸ばし、そこに爆薬を搭載した、半ば自爆艇のようなモノであったが、それはまた運動性を損ない、直線的な動きに制約されることから妨害を受けやすく、駆逐艦は艦砲による排除のみならず、掃海具によって爆薬を起爆する手法を用いる様になる。


 そうなると進路が推測しやすい機雷艇の運用は効果を失い、新たな攻撃手法が必要になったが、そこで注目されたのが掃海具であった。


 掃海具とは、艦艇から伸ばされたワイヤー先端にフロートを備え、ワイヤーには複数の金属板が取り付けられており、この金属片が機雷艇の爆薬に備えられた信管を作動させることで無力化する構造だった。


 掃海具の運用は単艦での運用以外にも複数隻で掃海具を繋ぎ、艦隊周囲に配置する場合もあった。


 複数隻で繋いだ場合、機雷艇集団を囲い込むように運動し、爆薬排除だけでなく、自衛や襲撃のために艦砲を備える機雷艇自体も破壊する事を狙って行われるものだった。


 この対機雷艇攻撃法から、掃海具を爆薬筒へと変更すれば船団や艦隊を囲い込んで打撃を与えられるのではないかと考案されたのが機動機雷である。


 当初は本当にただ爆薬筒をワイヤーに並べるだけであったが、後に爆薬筒自体を流線形に仕上げ、フロートとしての役割を持たせたものが登場する。


 この様な機動機雷の発展は機雷艇や駆逐艦の大型化を誘発し、神聖歴1915年/皇歴2000年頃には機雷艇は牽引力の大きな推進装置を持つ500トン程度の船へ、駆逐艦は長大な機動機雷索を搭載できるよう2000トン程度になっていた。

 艦尾に大型の門型設備を持つさまは、今では深海調査艇母船のようであるが、当時の機雷艇や駆逐艦では標準的な形であった。


 最盛期における機雷艇や駆逐艦の牽引する機動機雷の長さは3キロ近くになり、それを2~4隻で繋げることで最大15キロもの長大な網を形成していた。


 その機動機雷の進路を確保するのが機動巡洋艦や装甲駆逐艦の役割であり、それら艦艇には速射能力の高い10~14センチクラスの方が備えられていた。


 当然、阻止する側も同様の装備を持ち、その排除のために備砲は大型化し、最大23センチにまで至る事になる。


 ただ、機動機雷の最盛期は航空機の発達で突然終止符を打つことになり、神聖歴1919年/皇歴2005年に暮田島で行われた海戦では、アレマニア海軍の機雷艇や駆逐艦は機動機雷を展開する前から航空機の攻撃を受け、機雷展開が出来たのは僅か数隻にすぎず、艦隊へ攻撃を行うだけの規模に至らなかった。


 その後、各国は機雷艇や駆逐艦を襲撃して機雷展開を阻止する襲撃機を開発、配備するようになると、機動機雷の価値は大きく低下し、魚雷の実用化を待つことなく次第に姿を消していく事になる。


 最終的に機動機雷も牽引艦からの操縦で舵を動かし、単艦での運用によって効果を得るものへと開発がシフトしていき、牽引艦の大型化に歯止めがかからず、機動機雷の技術開発が魚雷の実用化を促し、遠隔操作型機動機雷は実用化されることなく、操縦魚雷へと姿を変え、実用化されることになった。


 現在では機動機雷は博物館でしか見る事が出来ず、機雷といえば専ら港湾や海峡などに固定される係維機雷、ないしは着底機雷である。


 機動機雷とは、魚雷という自走能力を持った兵器を代替するものでしかなく、自走化が実現した時点で役目を終えてしまった。


 その魚雷も今や多くの場面で空中を飛翔する対艦ミサイルによって取って代わられているのである。


 多くの兵器がその様に変遷する中で、ノルバリの考案した機雷の実が今なお利用され続けているのは逆説的な話ではないだろうか。

 

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