選択肢の自由。
一度始めてしまったものは止められない。拒否を皮切りに、自分でも驚くほど流暢に言葉が口をついて出ていく。
「イグニスの知り合いだか何だか知らねぇが、盗賊なんかを信用できるか。先ほどの謝罪は受け入れる。エル本人が良しとするなら構わない。拠点の再利用も、それが誠意だってんならいい。──で? それが何だって言うんだ? 俺達の武器やら鎧やらは見向きもしないくせに、彼女を狙ってどうするつもりだった?」
「それは……」
ノーブルは言葉を切った。口を開く様子はない。オリガや若い連中は困ったような表情でノーブルを見つめるが、それでも彼は何も言わなかった。エルはうつむいて、被っているフードをぐっと深くした。
「……金が欲しいならくれてやるさ。だがな、エルは『渡せ』と言われるような物じゃねぇ」
「ギルバート様……」
困ったような悲しいような、そんな泣きそうな顔でこちらを見るエルに、俺もまた苦々しい表情をしてしまったと思う。余計なことを言っているかもしれないが、こればっかりは許せないんだ。悪いな。
しかし、不意に何とも言えない感情がふつふつと湧き上がってきた。何で俺が謝ってんだ? と。
大体な、エルもエルだろ。『慣れてるからどうってことないです』だと? こんなもん慣れがどうこうの話じゃねぇ。怒るべき事なんだ、これは。
誰かに追いかけられたり、男に集団で襲われたり、レストランでは絡まれるし、知らない内にまた追いかけられていたようだし、挙句の果てに盗賊には狙われるし、エルの周りではトラブルばかり起きてるじゃないか。もっと平穏に、自由に生きる権利はあるはずだ。そうだろ?
「そもそもの行動が間違ってんだよ。アンタらが彼女に手を出そうとしたあの時点で……もう決裂してる。何をされても覆らない」
盗賊って時点で信用ならない。これまで秩序を守ってきた身としては。もちろん今の俺に、他人をとやかく言える資格はないのだが。
「あんたね! ガトーがどんな思いで盗賊なんかやってると思ってるの!? その子のことだって……!」
「セシリア、静かにしろ。ギルバートの言うことは正しい」
「ガトー……!」
ノーブルはすぅう、と大きく息を吸い込み、深々と頭を下げた。
「申し訳ない」
凛と響く。子供にしてはひどく重みのある声色で、ノーブル以外の誰もが口を挟むことは出来ない。風の音も虫や鳥の声すらも聞こえやしない。まるで彼に空間を支配されたようだった。
「許してくれとは言わない。──いや、むしろ俺達を利用してくれ」
ノーブルは続ける。腹が立つなら、なおのことだと。
「使えるもんは全部使え。どれほど汚くても手段を選ぶな。俺達はどうせ負けた側だ、道具だと思って好きにすればいい」
「そういうのが嫌いなんだ俺は! ……人間には権利ってもんがある。道具扱いなんてできない」
「はー、優しいこった。だけどな、そんなんじゃ生きていけねぇぞ」
ノーブルは自らの服をまくり腹部を見せた。そこには大きな切り傷と、広範囲に広がる酷い火傷の痕があった。一目見ただけで尋常ではないと分かる皮膚の状態に、その小さな体がよく耐えているものだと顔をしかめた。
「これは俺が……確か八歳のときにつけられた傷だ。スラムで食い物を盗んだときに、大人が寄ってたかって殴ってきやがった。それだけなら良かったが……日頃の行いだろうな。運悪くこの有り様だ。塞がってんのにまだ痛てぇ気もするよ」
スラムならば、まともな治療などできないだろう。それどころか止血や簡単な消毒すら難しいはずだ。実際にこの目でスラムの現状を見たことはないが、貧困と環境汚染で目も当てられないだろうと言うことは想像できた。
しかし彼がここに居るということは、何かしらの手当てができたということだろう。見るからに生き残るのは容易ではない傷痕。こんなもの、自然治癒などでどうにかなるだろうか? いいや、無理だ。だから彼の周りには、例えスラムであっても助けてくれる大人が──
「──母親が居なけりゃ、俺はあの時死んでたな。その母親も……俺を助けるためにそこで死んだが」
居たのだ。……かつては。
「世の中ってのは、俺達が居たスラムとそう変わらねぇ。ギルバート、お前がどんな場所でどんな生活をしてきたかは知らねぇが、ミナーヴァは想像より厳しい国だと思うぜ。色々とな」
ノーブルが言葉を切ると、その横にいたオリガが地図を差し出した。いくつかの丸印。それはミナーヴァ帝国地図に点々と記されていた。
俺はそれを受け取れずにいたが、オリガは俺の手に無理やり握らせた。
「なに、使う使わないはお前の自由さ。だがな、選択肢を多く持つってのは悪いことじゃねぇ。そうだよな? オリガ」
「もちろんです。選べるというのは決して当たり前ではなくて、とても贅沢なことですからね。贅沢はしないよりした方が楽しいでしょう」
……贅沢か。確かに選択肢は誰にでも与えられたものじゃないだろう。
「受け取っておいて損は無いと思います。『他に選べない』のと『自ら選んだ』のでは雲泥の差ですから」
「あぁ……」
アーサーの諭すような言葉に曖昧に頷いた。
分かってる、分かってはいるんだ、そんなこと。何だって持っていれば使えることもあるだろうさ。時に毒は薬になり矛は盾になるのだから。
ただ俺のなけなしのプライドはどうしても許せなくて。どれもこれも正論だと分かっているからこそ頷けなくて。
俺は、首を何度も振って頭の中を空っぽにした。考えてはいけない。今の俺には頼れる人間も場所もまともに存在しないのだ。自分にすら余裕がないのに、正義感や倫理だとかで飯が食えるか? ……無理に決まってる。
「……、……これは、受け取っておく」
「あぁ、好きに使ってくれ」
ノーブルはどこか満足そうに頷いた。
「他の盗賊かモンスターに荒らされてるかもしれねぇが、まぁ大丈夫だろ」
ノーブルは俺が持っていた地図の上で「次の拠点はこの辺にするつもりだ」と現在地より北西の方を指さした。
「何かあればすぐに駆けつける。セルラなんて高級品は持ってねぇから……賢いフクロウでも飛ばしてくれや」
「ガトー、そろそろ行きましょう。彼らが心配です」
オリガの言う「彼ら」に首をかしげる。曰く、荷車の見張り番をしている三人だそうだ。ここから少し離れたところに荷物を置き、見張り以外の人間で標的を襲う。それがいつもの手段だとか。
「残念だね、アイツら。《暴れん坊》に会えないなんて」
「自慢してやろーっと!」
「すみません! 最後に握手してもらえませんか!?」
「あ? あぁ、いいぜ。それで満足すンなら」
「えー! ビリーずるい! あたしも!」
若いメンツは口々にそんなことを言い、ついには握手待ちの列までできてしまった。なんだこれ、何のサービスだ? あといい加減その《暴れん坊》とか言う妙な呼び方やめたらどうなんだ。
「じゃあな。騒がせて悪かった。……おい! お前ら行くぞ!」
ノーブルはイグニスに群がる奴らに喝を入れ森の中に消えて行った。名残惜しそうにノーブルの後を追うレイニー達は、何度もこちらを振り返り何度もイグニスに手を振る。イグニスは……さすがに面倒くさそうだ。
「……オリガ? どうしたンだ?」
オリガだけが何故か残っていた。不審に思っていると、彼女は皆が離れたのを確認してひそひそと話し始めた。
「ガトーは、決してエルシェーベトさんを狙っていた訳ではないんです。ただ……実はあの人も正義感に溢れた人でして。貴方達がエルシェーベトさんを無理に連れ回していると勘違いしてしまったのだと思います」
それは、また、クソ迷惑な。じゃあ何か? 俺達は早とちりで襲われて無駄な労力を使ったわけか? 何だってんだ。まぁ、そのおかげでいざと言うとき味方になってくれそうな縁はできたわけだが……。
「イグニスが居ることは最初から気付いていましたが、何せイグニスは平気で罪を犯す人間ですから。何も考えず人身売買にも加担しそうで信用できないですし」
「俺だって良心や倫理観はあるンだが?」
不満そうなイグニスを横目にオリガは草むらを掻き分けた。
「彼はただの悪人ではないんです。そうなるしかなかっただけで……」
オリガは先に歩いて行った面々に呼ばれ、慌てて後を追った。残された俺達には何とも言えない空気だけが漂っている。しかしここで立ち止まっていてもどうにもならない。進まなくては。
「俺達も行こう。夜になる前に、野営できるところを見つけないとな」
「そうですね。思わぬところで時間を使いましたから」
妙に疲れた、とため息をつきながら歩き出した。何だか変な連中ではあったが、この旅において知り合いが居るに越したことはない。
「皆さん……ありがとうございます」
「いや、礼なんて……」
「おう、そうだぜ、嬢ちゃん。いくら俺の知り合いとはいえ、大切な魔術師サマを簡単に渡してやるモンかよ」
そうだ。今の彼女は俺達の仲間だ。リッキィを送り届けるまでの間だから長い付き合いにはならないかもしれないが、それでも仲間に手を出されるわけにはいかない。
しかしエルはフードを被って顔もできるだけ隠しているっていうのに、ずいぶん狙われるんだな。隠すことにあまり効果はないような気がする。アーサーのように魔力感知の精度が高い人間は、魔力を抑えていても瞬時に気付いてしまうだろうし。
「そもそもイグニスさんは、ガトー・ノーブルやオリガとはどのような関係なんです?」
「あー……」
アーサーの問いにイグニスはやや言い淀んだ。
俺が言えることでもないが、普段あまり感情を出さないアーサーを見ている分イグニスはとても分かりやすく思える。怒る時はきちんと怒るし嬉しいときはよく笑う。面倒くさそうだったり楽しそうだったり、そういうところが付き合いやすい理由なのかもしれないな。
最強なんて言われてるなら、会う前はどんな恐ろしい奴なのかと思っていたが……意外と取っ付きやすくて嫌いじゃない。いや、恐ろしいのは変わらないのだが。
「俺は首都に住んでたンだが、ガキの頃はスラムに入り浸っててな。そのときかなり世話になったンだよ。ガトーは……まぁ確かに悪い奴ではねぇ」
ただ後先考えてねぇからオリガの冷静さに救われてたな。と続けたイグニスに、俺達は全員が『まぁそうだろうな』と考えていたと思う。




