騎士の終わり。
◇
勇者との騒動があった翌日。いつに無くぐっすりと眠れたその日、案の定、騎士団長に呼び出しを食らった。彼も昨日の一騎打ちは見ていたはずだから、苦労性の騎士団長は昨日から痛む胃を抱えていたに違いない。
騎士団長の執務室、その扉の前に立った。重厚ながらもシンプルなそれをノックして、所属と名前を告げる。
「討伐一班所属、ギルバート・シュヴァリエです」
「あぁ……ギルバート卿か。待っていたぞ。入ってくれ」
「失礼致します」
騎士団長は、今しがた目を通していたのであろう書類に判を押し、脇へと避ける。そして俺の方に視線を移して、盛大に溜め息をついた。
「ギルバート卿、自分が何をしたか分かっているか」
「勇者と一騎打ちしました」
「……それはそうなんだが」
「お言葉ですが、私は勇者殿の要望にお応えしたまで。第一王子殿下の許可を頂いたことはイージス騎士団長もご存じのはずでは?」
彼は頷いた。だからこそだ、とも。
彼は机の上にあった一枚の書類を差し出した。書面には王室からの達しであるサインが書いてある。昨日の今日だからカイン王子かと思ったが、サインはオルディネ王国第二王子、すなわちカイン王子の弟である、アベル王子のものだった。文面は……なるほど。要約すると、『昨日の一騎打ちの件で話したいことがあるから、王城に来てくれ』とのことだった。
「その文書、使いの者が寄越したわけじゃない。アベル王子殿下が直々にお持ちになったんだ。その時の俺の気持ちが分かるか?」
あからさまに疲れたような顔をする騎士団長。大袈裟なその態度に、思わず笑ってしまった。イージス騎士団長は《オルディネの守護神》なんて言われるほどには強く気高い。
真っ赤な髪は彼の強さを表しているかのように鮮やかに輝き、穏やかに揺れる。体を覆う特有の鎧は僅かに光を反射してその存在を主張するだろう。彼が居る場では何者も傷をつけることなど不可能で、その分だけ傷を受けている大盾は彼の二つ名の象徴だ。
パラディンを差し置いて《オルディネの守護神》と呼ばれるのは異例中の異例だろう。つまり彼はそれほどの実力を持っている、ということ。
冷戦沈着、決して獲物を逃しはしないフクロウのような男、イージス・コード。そんな彼も、任務外となれば、案外親しみやすい人間なのだ。それを知るのは、きっと王国騎士団に入った者だけだろうけど。
とにもかくにも、と彼は話を続けた。
「その文書は正式な手続きを踏んでここまで来たものだ。ギルバート卿に拒否権はない。速やかに王城に向かってくれ」
「了解」
渡された文書を持ちその足で王城へ向かうことにした。
通常、俺のような平民は王城に入ることはできない。しかし正式な手順で発行された文書には、偽造防止として特殊な魔法がかけられている。たった一枚の紙切れだがこれほど強固な証明はない。そうでなければ余程のことがない限り門前払いだ。
王国騎士団と言ってもオルディネ王国を拠点にする戦士ってだけで、別に国王に叙勲されて騎士になるわけじゃない。厳密に言えば、正式なオルディネの軍ではないのだ。
街の警備や犯罪の取り締まりは俺達の仕事だし、領土や国民だって護るべき対象。それが結果的にオルディネ王国のためになるのだから王国騎士団と名乗るのも違和感はない。実際のところ、王国騎士団が戦争に駆り出された歴史もあるしな。
しかしこの組織は、大昔はただの自警団だったそうだ。オルディネの発展と共に規模の大きくなっていった自警団は、いつしか王国全土にまで広がり、国の平和を維持するようになった。そして当時のオルディネ王に「其方らの勇気と功績を称え、騎士を名乗る栄誉を与える」とか何とか言われて今に至るんだとか。
まぁ、実態は傭兵とそう変わらない。名誉のために戦うのか、金のために戦うのか、ってところか。もちろん俺達だって給料はちゃんと貰ってる。一体どこからその金が発生しているのか知らないが……もう少しあってもいいんじゃないかとは、思ったりする。
──国民を守るのがオルディネ王国騎士団の仕事なら、王族は誰が守るのか?
それはパラディンの仕事だ。王族だけでなく、王城や貴賓もパラディンが護衛する。彼らは王家の存続を第一に考え、最優先でそれを守るのだ。
我々とは在り方がちょっと違う。極端な話、オルディネ王国騎士団には王族を護る道理はなく、反対にパラディンには国民を護る道理はない。
いや、万が一のことがあれば、王国騎士団は誇りにかけて王族を護るだろう。だがパラディンは、厳しい訓練や試験があるものの世襲制で王族を護ることが美徳のような風潮がある。国民を護るかどうか……それほど腐っていないと思いたいが。
まぁ、そんな感じだから王国騎士団とパラディンの在り方は大きく違う。我々はこんな紙ペラがなければ城に入ることはできないのは、仕方ないことだ。国の頂点を護るならばこれくらい厳重でなければな。
「待て」
門番のパラディンに槍を以て止められた。兜の隙間から厳しい視線が俺を突き刺してくる。
分かっている。書類を見せろということだろ。
先ほど渡された書類を懐から取り出しパラディンに渡す。彼が手をかざすと、書類の中央に大きくオルディネ王国の紋章が浮かび上がった。他にも、読み切れないほど長い文章が、小さな小さな文字で模様のように円を描いていた。
こうして正式なものである証明をされたあと、晴れて王城に足を踏み入れることができた。
待っていたらしい先導のパラディンは俺を見るなり嫌そうに目を細める。……どいつもこいつも。
辺りは静かだ。長い廊下に足音だけが恐ろしいほど響く。時々警備をするパラディンとすれ違うがその度に睨まれるからどうにも居心地が悪い。彼らと違って俺達は世襲制じゃないから、どんな身分も関係なく騎士となれる。それがパラディンにとっては嫌悪に値するようで、こんな風に目の敵にされるわけだが。
俺だってお前達のことは好きじゃないから安心してくれ。
何度か角を曲がった先で、ゆったりと、だが高圧的な足音が聞こえてきた。……足音が高圧的というのもおかしな話だな。何と言うか、その音だけで戦慄が走り畏怖に値するような、そんな音。警戒すべき合図とも言えるかもしれない。パラディンはこんなに大きな足音は立てないから王族の誰かだろう。察しはつく。
やがて姿が見え、先導のパラディンは立ち止まり頭を垂れる。やはり王族、カイン王子だ。彼は昨日見たときと同じように一人の護衛を連れていた。
「おい。そこのパラディン」
「はい。如何なさいましたか」
カイン王子は俺を顎で指し、厳しい視線を向けた。恐ろしい。今にも首を切られそうだ。
「この騎士は何の用でここに居る」
「アベル王子殿下が文書にて呼び出されたので、連行しております」
俺を先導していたパラディンはそう返した。殿下は「そうか」と呟く。
「こいつを牢に入れておけ。いかなる指示があろうと決して外には出すな。──勇者に仇なす危険があるからな」
「承知しました」
「は? お、お待ちください、王子殿下。それはどういう……!」
悠然と立ち去る殿下は、俺の話なんて聞く気はないようだった。パラディンに羽交い締めにされ身動きが出来ず、抜け出そうと暴れるがやはり抜け出せない。パラディンは王国騎士の上位互換だ。技術が違う。
とうとう容赦なく拳が降ってきて、殿下の背中を最後に、俺は意識を手放した。
◇
目を覚ますと暗い牢の中だった。城の地下牢だろうか。それとも、別の牢屋か?
ご丁寧に手錠をかけられている。足枷はないから狭い牢の中を自由に立ち歩きはできるが、両腕が使えなければどうにもならない。
ふと自分の服装が目に入った。牢の中は綺麗とはとても言えず、王国騎士団の制服は薄い汚れを点々とまとっていた。
──なんたる侮辱、なんたる屈辱! 騎士の服を着ながらにして罪人の扱いを受けるなど、これ以上ない恥があるだろうか!?
そもそも俺は罪を犯していないのだから、牢にぶちこまれる謂れはない。『勇者に仇なす危険がある』など、仮に昨日の一騎打ちのことを言っているなら、被害者面もいいところだ。……例え魔法を放ったのが事実だとしても。
「カイン王子殿下に会わせてください!」
鉄格子を蹴り上げながら、大声で怒鳴る。
首を切られたらそれまで……なんて昨日は言ったが、実際こういう目に遭うとそうも言ってられない。どうせ恥をかくならいくらでも晒してやる。こんな牢から出るためなら。
「聞こえているでしょう!」
「──そこの騎士様。そんなに騒いだら聖騎士に殺されてしまいます。どうか、落ち着いてください」
「……?」
突如囁くように聞こえてきた声は、恐らく目の前の牢からだった。初め暗くて姿が見えなかったが、身体を引きずって現れたのは、耳の尖った、薄い水色の髪の女性。
「……エルフ、ですか?」
「そうです。この国にはあまり居ないですよね……」
エルフにはエルフの国がある。人間が他種族の国にはあまり行かないように、エルフも自分達の国を出ることはないそうだ。そりゃあ全く出ないわけではないだろうが、どうして捕まっているのか。少なくとも王国騎士団は、他種族だからと言って簡単に捕まえたりしない。むしろ敬遠する。それはパラディンや王族も同じはずだが。
「どうして捕まったのですか? 他種族を投獄するなど国家間の問題になりかねない。何か罪を?」
「いえ、決して、そのようなことは!」
エルフの女性は何度も首を振った。そして俯き気味に話し始める。
「私は、身分を偽って入国したのです。詳しい検査もない冒険者ギルドなら身分証となるギルドカードを作れますから。けれど、どこからか私のことがカイン王子殿下の耳に入ったようで、こうして牢に……」
何か事情があるようだったから、深くは聞かなかった。しかし身分を偽っていたのなら投獄も無理はない。世界中を探せば身分・経歴詐称の者はいくらでも居るが、それはバレないから問題にならないだけだ。どんな事情があれ嘘をつけば怪しまれるのは当然のこと。ましてや、相手がカイン王子なら疑わしきは罰せられる。
「騎士様こそ、どうして……」
「私は……反逆罪でしょうか」
こういう事情で、と説明をすると、女性は涙ぐんで「お可哀想に……」と呟いた。それだけで彼女があまりにも優しすぎる性格であることは、何となく窺えた。身分を偽ったのも犯罪を企んだわけじゃないだろうに。
しばらく間を置いて、彼女は目元を拭い真っ直ぐな瞳で言い放った。
「──私は死ぬわけにはいきません。本当は、どうにかここを抜け出したいのです」
「奇遇ですね。私もです」
誰が大人しく死んでやるものか。
鉄格子の隙間から外を覗いた。牢の前を見張る者は居ないが、通路を見回るパラディンが複数名居るようだ。どうにか抜け出したとしても見つかるだろうな。それじゃ元も子もない。
しかもパラディンが居るということはここは城の地下牢で間違いないだろう。つまり道が全く分からないから、逃げ切る前に恐らく捕まる。
はぁ、とため息をついたところで、はたと気付く。そういえば名乗っていなかった。こんな情けない姿で申し訳ないが。
「不格好をお許しください。ご挨拶が遅れました、王国騎士のギルバート・シュヴァリエと申します」
「こちらこそ申し訳ありません! 私はステラ。今はこれだけでお許しを」
「ステラ様、で構いませんか?」
「いえ、嬢で構いませんよ。様なんてもう仰々しいですから」
あっ、ちなみにこれは本名ですからね! と慌てたように言う彼女──ステラ嬢に、思わず笑って、頷いた。