女王の最期に。
イグニスは落ち着いた様子の銃を仕舞い、盾を振り上げる。畏怖に値する砲撃こそないものの、くるくる遊んでがっしりと構えれば難攻不落の城壁のようだった。
彼の行動一つで空気が張り詰める。彼の言葉一つで場が燃える。イグニスの言動の全てが何かに影響を与える。それほど絶対的な存在で、王や皇帝にも劣らない抗えない意思が植え付けられる感覚がする。強者と言うのはそういうものなのだろうか。
イージス騎士団長も……あぁ、こんな感じだったな。
「なぜだ……なぜ、人間如きにこれほど……!」
狼狽えるヴィーヴル。そこに女王の風格はない。いくら大きくとも、いくら強かろうとも、もはや狩られる運命にあるモンスターが存在しているだけだった。
何度咆哮を重ねても、もう盾となる配下は居ないのだから。
「人間を舐めてもらっては困りますね」
アーサーはやれやれ……と言うように首を振り、身に余る大きさの大剣をヴィーヴルに叩き込む。続けて傷口に雷をねじ込んで大胆に肉を抉った。決してモンスターの味方をするわけじゃないが、何だか可哀想になるほどだった。
剣士は鱗を断ち、弓兵は肉を貫く。そうやって数の暴力を続けていけば、ヴィーヴルは衰弱していく一方だった。今の状態は……そうだ、息も絶え絶え。そんな表現がよく合う。
恐ろしいとあれほど言われていたのに、この程度で終わるなんて──
「──最後の手段だ」
ヴィーヴルを中心に、竜巻が起こった。風は強く壁のように厚い。目を開けることも難しく、強化した弓矢は弾かれ、人間が通るなどまず不可能だ。
一体どこにこんな力が残っていたのか。それとも、やはり、上位種は上位種たりえるというのか。
竜巻が少しずつ大きくなると同時に力は弱まっていく。それでもまだ強い方だ。まともに立つことも動くこともできない。俺達は巻き込まれそうなほど凶暴な風をひたすらに耐え忍ぶ。
そうするうちに、竜巻は小さくなって消えた。そこに居たヴィーヴルは翼を悠々と広げ、傷だらけの体を重そうに浮かべていた。
「──逃げることも、時には必要だからな」
ヴィーヴルの視線は、一瞬こちらを向いたような気がした。
「待てッ……!」
考えるより先に体が動いていた。飛びゆくヴィーヴルの足に刀を刺してしがみつき、空に向かっていく。その時肩に小さくなったシリウスが飛び乗ってきて、わりと……かなり、キツい。
「何でお前まで……」
「ギルバート! これを持ってけ!」
イグニスは何かを投げた。しかし今の俺は手を離すわけにはいかなくて、手を離せば地面に落下してしまう危険な状態だった。どうするか──一瞬考える間に、肩のシリウスが上手く口でキャッチした。
やるな、なんて呟いて見れば、投げられたものは銃だった。イグニスの使っている、細長い銃。
「弾は込めてある。いざって時にぶちかましてやれ!」
彼は手を銃の形にして自分の頭に当てる動作をする。分かった、という間もなく空に吊り下げられた俺は、まずばヴィーヴルの体に乗ることから始めなければならない。
シリウスは銃を持ったままぴょんぴょんと軽やかに上に向かっていく。姿はもう見えない。
俺も上に行くために手を伸ばす。幸い、鱗が硬いことや傷口が至るところにあるおかげで、手をかける場所は多い。ふらふらと蛇行するヴィーヴルは足場が悪いが何とかなりそうだ。ならなければ困る。
「よし……」
ようやくヴィーヴルの背中についた、と安心したのも束の間。ヴィーヴルはぐるりと横に一回転し、空気を切るように飛行した。慌てて刀を刺し、シリウスと銃を抱えてぶら下がる。咄嗟に動けたから落とされることはなかったが……危ないことには変わりない。
ヴィーヴルは俺達が居ることを確実に分かっている。こうして背中に登るまでに傷に触ったり刃物で刺したりしているから、気付かないはずはない。
弱っているとは言え翼を持つ立派なドラゴンだ。空において分があるのは当然ヴィーヴルであり、俺達は振り落とされれば後がない。
……いや、あれこれ考えても仕方ない。さっさとやることをやればいい。銃は鞘と共に腰に差し、ふっと息を吐いた。
「さぁ、行くぞ、シリウス」
「待って、ください……」
何かが聞こえた。人の声だ。シリウスの方を向いたが、声の発生源はシリウスではない。辺りを見回すと、ヴィーヴルの足の方から人が顔を覗かせた。
「ぇ……エル……!?」
「はい、そうです……」
げっそりとした様子のその人物は紛れもないエルシェーベトだった。飛び上がったときの影響だろうか。いつも深く被っているフードが脱げ、二つに結わえたピンクの髪が風になびいている。
急いで引き上げれば、安心したようにため息をつき、頬についた土を拭った。
「どうしてここに!」
「私も、土で杭を作ってしがみついて……。人数は多い方がいいですよね……?」
確かに居ないよりは居る方がいい。だがエルがここに来るなんて……。よく重力を耐え背中まで登ってきたな。大した奴だ。
「どうしたらいいですか……?」
「……俺は頭を狙いに行く。エルは翼をどうにかしてくれるか。いつまでも飛ばれると厄介だ」
俺がそう頼むと、彼女は頷いた。
シリウスはまた肩に乗った。ついてきたものは仕方ない。銃を受け取ってくれたのはシリウスだし、むしろ感謝しなければならないくらいだ。
頭部へ向かう。頭を吹き飛ばせばいいなら銃を撃てばいい。だがそれでは意味が無い。ヴィーヴルを討伐する上で重要なことは、単純に殺すことだけではないらしい。
目的達成には顔まで近付かなければならない。首は長いが、何とかよじ登れそうな幅はあるな。……要は落ちなければいいんだ。
「しっかり掴まってろよ、シリウス」
また刀を支えにして登っていく。首を刺しているものの、やはり深くはないせいか、ヴィーヴルにもそれほどダメージはないようだった。人間で言えば首はかなりの弱点だが、ドラゴンともなると首の皮膚も厚いのだろう。
「──どうも、女王様」
ようやく頭に辿りつく。ヴィーヴルに話しかけるが、驚いた様子も焦った様子もなく、当然のように返事があった。
「わざわざ私の体に乗ってまでついてくるとはな。それほど執着する理由は何だ」
「アンタを殺さないと俺達だって帰れないんだ。寒さと言いワイバーンの大量発生と言い、アンタが原因なんだろう」
「……私は、生きているだけだ。ワイバーンの急増など知ったことか。あやつらが勝手に増えただけであろう。……だがあれほどの冷気を纏ったのは久しい。数え切れないほどの年月を生きたが、それ故に私の力は減退していくだけだった」
ヴィーヴルは、先ほどまで戦っていたのが嘘のように話を続ける。
「途方もない時を生きてきた。子を育て、そして殺され……人間に対する憎悪を抱き、魔王軍に居たこともある。若気の至りだったな」
飛ぶスピードは緩やかだった。逃げるために飛んでいるはずなのに俺達を振り落とそうともせず、どこか遠くを見つめて前に進んでいるだけだ。
「アンタは、なぜあんな所に?」
「さぁな。覚えていない……」
ぶっきらぼうに返したヴィーヴルは、突然落下を始めた。恐らくエルが翼を攻撃し飛行能力を奪ったからだ。
女王は暴れるわけでもなくただ重力に従い落ちていく。地面に叩きつけられる前に、と思い眉間に刀を刺しこんでヴィーヴルの顔の前に体を移動させた。大きな眼と目が合う。赤銅色の瞳は閉じかけられていた。
「お前は何だか懐かしい。昔を思い出すようだ」
どこかで会ったことが? いや、まさか。こんなドラゴンと会っていれば俺だって忘れていない。ヴィーヴルは俺の考えを読んだかのようにわずかに首を振り、掠れた声で囁いた。
「もう仲間は居ない。生に執着する必要もないのだから、このまま死ぬのがいいだろう」
「……悪いがこれは貰っていく」
ヴィーヴルのガーネット、唯一無二の秘宝。眼球の代わりに眼窩にはめられたその宝石は、とてつもない価値があるとされる。実際は調べてみないと分からないだろうが、ヴィーヴルの力が宿るという言い伝えがあるそうだ。
その紅い宝石をヴィーヴルから抜き取る。妖しげに光を反射して、心の奥底を透かして見られるような気持ち悪さを感じた。ガーネットを失ったその虚空は、あまりにも空っぽに感じた。
「好きにしろ。それを返すと約束した奴も既に居らんのだからな……」
眠たげに、瞼が閉じていく。もう息も小さい。体力も飛ぶ力もなくなった以上、地面に横たわって静かに死んでいくことになるだろう。
「ククルカンが騒がしい。出してやるといい。……それにしても、久々に話すと疲れるな。少しでも早く死んでしまいたい」
銃が熱くなっていく。腰から抜いて手に持てば、その熱は俺の全身を巡り目の奥がかっと燃えるようだった。はぁ、とわずかに吐いた息すら炎を纏うかのようだ。
銃は……引き金を引けばいいんだろう。弾は込めてあると言っていたから、俺は少し力を込めるだけでいいはずだ。
ヴィーヴルに向けて銃を構える。もう死にゆく相手にわざわざこんなことをする必要もない。だが……あれほど貫禄を見せていたヴィーヴルが、弱々しく「早く死にたい」などと言っている姿を見ると……どうしようもなく複雑な気持ちになった。
「あの世で仲間に会えることを祈る。──すまなかったな」
「──」
パンッ──小気味よい音を立て銃弾は脳天を貫き、ヴィーヴルの命を奪った。
地面はもうすぐ迫っている。俺も潰れて無事では済まない──そう思って半ば諦めたとき、ヴィーヴルの触れた地面は柔らかくうねり、包み込むように着地した。
「ギルバート様! 大丈夫ですか!?」
「あぁ……何とか、な。この地面はエルがやったのか?」
「はい、そうです! ヴィーヴルの体も解体するでしょうから、あるべく綺麗な方が良いかと思いまして」
そうか、それはすごい。エルが居なければ俺達はぐちゃぐちゃになっていただろうな。
「ヴィーヴル……倒せましたね。本当に良かったです」
「そう、だな」
喜ばしいことのはずなのに、俺は曖昧な返事しかできなかった。本当にヴィーヴルを倒す必要があったんだろうか。ヴィーヴルそのものは決して人間に害を為してはいなかった。問題はワイバーンであり彼女ではなかったのだから、もっと方法があったのではないかと思うと……。
いや、考えるな。俺は冒険者ギルドに属しているのだから、淡々と依頼をこなすだけでいい。今回のレイドでは時間がなかったことは分かっているはずだ。ワイバーンのほとんどはイグニスが燃やし尽くしてしまったし、ヴィーヴルを倒して全てが解決していればいいんだが。
「ギルバート様のおかげですね。もし私だけだったらどうなっていたか」
「いや、俺は別に……」
これもまた、微妙な反応しかできなかった。
正直、俺は大した活躍はできていない。最後の美味しいところだけを持っていっただけで……。その最後だって俺が手を下すまでもなかった。あの様子では放っておいても長くはなかっただろうから。
人のざわめきが聞こえ始めた。きっと冒険者達がやって来るのだ。ヴィーヴルが墜落した様子は見えていただろうし。
「エル。皆が来るから、フードを被った方がいい」
「あっ……! うそ、やだっ……」
慌てた様子で深く深くフードを被り直した。様子をうかがうようにこちらを見てくるので、努めて普段通りに接した。俺は気にしていないからエルも気にしなくていいのだと、そう伝わればいいけれど。
人は近付いてくるが、木が多く生え入り組んでいるせいで、なかなかこちらには辿り着かない。手持ち無沙汰にガーネットを見つめていると、何だか頭が痛くなってきた。こめかみを押さえてどうにか落ち着こうと深呼吸をする。すると、ガーネットが突然眩い光を放った。
「何だっ……!?」
光が強くなると共に頭の痛みは酷くなっていき、とても立っていられないほど苦しめる。ガーネットを視界から外すが、煌々と輝く紅が目に入ってどうしようもない。膝をついて頭を抱え込んでも頭痛は全身までもを蝕んでいった。
「ギルバート様? ギルバート様……!?」
「──アォォンッ! ォオンッ!」
エルの声が遠のき、シリウスの鳴き声が響いて──俺は意識を手放した。




