殺意剥き出しの襲撃。
「ガゥ、ガゥアゥ」
「あぁ、分かった、肉が食いたいんだな。待ってろよ」
「ギルバートさん、この子の言うことが分かるようになったんですか?」
「勘だ」
合ってたか? と聞きながら狼の顎の辺りを撫でてやると、目を細めて小さく返事をした。
狼は俺が立った状態で、俺の頭にコイツの顎が乗るくらいの大きさ。体長は四メートル……五メートル近くになるだろうか。いくらなんでも大きすぎる。木々がひしめく狭い森を歩くには大変そうだ。改めて見るとよくこの図体を抱え上げたものだと自分でも思う。火事場の馬鹿力というやつか。
「狼が懐くというのも不思議ですね。普通、人間には警戒すると思いますが。波長が合うんでしょうか」
「アゥオンッ」
べろっと顔を舐められベタベタになる。仕方ないので袖で拭いた。どうせ服なんて汚れるものだ。ちょうどアネモネの部屋の近くに川が流れてるのだから、そこで洗えばいい。
しばらく森を歩いて、時々出くわした鹿を狩った。ガサガサと草を揺らす音が聞こえたかと思えば兎だった、ということが多く、狩ってしまいそうで危なかった。
狼はあまり気にせず……というより、むしろ見た感じは積極的に兎を食べていたが。
そろそろ帰ろうと話し合い、狩ったものをまとめていたときに、大切なことを思い出す。帰る前に話しておかなければ。
「アーサー。少し話しておきたいことがある」
「何でしょう」
アーサーと目配せで、周囲に俺達以外の気配がないことを確認した。俺が気配を感じられるのは、簡単に言えば勘だ。殺気などの抑えきれない感情や、何かが動く僅かな囁きを探る。大袈裟に言えば、あまり確証はない一か八かの賭けみたいなもの。
対してアーサーは魔力感知ができる。どんな生物も魔力を持つし、殺気などと違って自らその痕跡や気配を消すことは難しい。その魔力の在り処を探ればある程度は生物の居場所が掴めるのだ。ほぼ確実に。
ひとまずこの辺りに厄介そうな者は居ないようだ。俺は作業の手を止めずに口を開いた。
「アネモネの家に、気になる扉があった。あの洞穴には不釣り合いな鋼鉄の扉で、錠前も下ろしてある」
「錠前ですか。わざわざそんなものが?」
「あぁ。それに、正確には何か分からないが、扉の隙間から血が──」
「アォオンッ!」
言いかけたところで狼が短く吠えた。それとほぼ同時に、何者かの気配を察した俺とアーサーが臨戦態勢になる。いつでも刀を抜けるように、いつでも魔法を繰り出せるように。
──先ほどは、確かに気配など無かった。魔力感知の能力が低い俺はともかく、アーサーはかなり正確に感知できるから、例え微細な魔力であっても気付いてたはず。もちろん、その感知能力が完璧でないことを踏まえても、だ。
それを掻い潜ってきたそいつは、今は何も隠すことなく近付いてくる。それは狼の唸り声からも分かった。──厳しい視線は、俺の後ろに。
「どなたですか」
アーサーの低い声が微かに響く。……多少の怒りも入っていたかもしれない。
一瞬の静寂が辺りを包んだ。答える者は何も居らず、代わりに激しく枝葉を揺らす音がした。刹那、強烈な殺気を感じ、振り向きざまに刀を抜き去った。
「あ、ぶなっ……!」
切っ先は何者かの喉元を僅かに掠めていく。後ろから飛び出してきたそいつは、思わずと言った様子で呟き、くるりと身を翻した。彼女は風のように軽い動作で着地する。斬った感触など少しもない。俺が舌打ちをすれば、彼女は小さく溜め息をつく。
「不意打ちしようと思ったのに」
「冗談だろう」
あれだけ殺気を剥き出しにして、気付かないはずがない。あまりナメられても、苛立ちが募るばかりなのだが。
「だってギルバートさん、随分と口が軽いじゃないですか。つい殺気が漏れるのも仕方ないと思いませんか?」
──アネモネは、朗らかに笑った。
彼女は今俺に襲いかかったとは思えないほど、リラックスした様子で立っている。格好は先ほど別れたときと変わらない。可愛らしいワンピースや、耳に括りつけたリボン、獣人特有の靴を履かないスタイルも、何も変わらない。
「だが、ちょうどいい。聞きたいことが山ほどある」
アネモネがここに来たということは、つまり、あの部屋は彼女にとって知られてはならないものだった。それこそ不意打ちで襲撃するくらいには。
「隠し事をしてる私が、素直に答えるわけないですよね?」
「それでも答えてもらうさ」
彼女がその場で軽くジャンプをし、獣のように柔らかな毛に包まれた、人間のような五本指を固く握りしめた。戦えないという奴の構えではない。何を隠していて、どこまで俺の予想が合っているかは分からないが、まずは、はっきりしておきたいことがある。
「──この場で俺達を殺すのか」
「えぇ、もちろん!」
上等だ。斬り裂いてやる。
俺とアネモネが動き出したのは同時だった。俺は刀を振るい、彼女は拳を突き出す。アネモネが刃を恐れている様子はなかった。むしろ、まるで歴戦の勇士のような顔立ちで、真っ直ぐにこちらを向いている。
彼女の腕がこちらに届く前に、俺の刀がそれを裂いた。骨には届かない、しかし血を流すには容易い傷。鮮血が僅かに地面に飛び散り、汚した。
「いっ……!」
アネモネはほんの少し顔をしかめる。俺だって数多の死線を越えてきたのだから、そう簡単に殺られるわけにはいかないのだ。
ヒットアンドアウェイ。一撃を食らわせて、俺は数歩離れた。彼女の魔法のポテンシャルは知らないが、あの攻撃をまともに受ければ骨がやられる。そうならないためには、腕が届かない距離を保たなくてはいけない。もちろん俺だって近付かなければ刀の意味はないから、難しいところだが。
「どうした。殺すんだろう、俺達を」
一振り、また一振り。攻撃の手は止めない。彼女は腕で防御をしていたが、それも大した守りにはならない。証拠にいくつもの傷がついていた。浅く、時には深く、鋭い切り傷。彼女が立つ場所にはポタポタと血が溜まり、豪語していたわりには情けない姿だった。
アネモネがわずかに腕を動かし、それを見た俺は地面を蹴って後退する。彼女は少し笑って、離れた距離に居る俺に、溜め息をついた。
「敬語、使わないんですね……」
「敵を敬う心はない」
刀についた血を払うように薙ぐ動作をして、両手で柄を握りしめる。手袋越しに伝わる感触はもう慣れたものだった。
真っ直ぐにアネモネへ刀を構える。だらりと腕を垂らした姿は、簡単に斬れてしまいそうで歯応えがない。
「あまり見下されるのも、気分が悪いんですよねっ!」
声と共に彼女の姿は消えた。手負いとなったのに、先ほどよりも速くなっている。動く気配や音だけが感じられ、姿は視認できない。
狼は落ち着きなく辺りを見回し、アネモネを追っているようだった。牙を剥くわりには噛みつかないところが不思議だ。見た瞬間に噛みちぎりそうなのに。俺に気を使っているとは思えないし、噛み付く勇気がないとも思えない。俺には普通に噛み付いてきたからな。
「さぁ、どこから来る……」
アーサーは挙動不審の狼をなだめるように、狼の首に手を当てていた。彼は事態を把握できていないはずだが、何も聞かずにじっと待っている。横槍を入れることもなく、戦いが終わるのを待っている。それが信頼ではなく、騎士だった頃の名残だということは分かっていた。
決闘において、邪魔をするのはあまりにも無作法というものだ。これは別に決闘ではない。不意打ちから始まる決闘などあってたまるか。──だが、その決闘についての精神が強く根ざしている以上、彼がこの戦いに口を挟むことはない。……と、思う。
「──“ヴァルム”!」
左からの気配に魔法を繰り出す。手から放った火球は、一瞬のうちに現れたアネモネの全身を包む。だがそれは、強くはない魔法とは言え、簡単に打ち消されてしまった。
「魔法は弱いですね!」
一度地面に着地して、その勢いのまま飛び蹴りをしてくるアネモネ。瞬きほどの時間もなく、避けることなどできない。咄嗟に刀を逆手で持ち、両手を交差させて蹴りを受け止める。
「ぐっ……魔法は、アーサーの担当だっ……」
腕が軋み、それが肩にまで雷のような痛みを走らせる。おかげで昨日狼に噛まれた傷に響いた。止血もされて傷も塞がったが、痛みが完全に消えたわけじゃない。ただ噛まれただけにしては酷いものだった。
「“ヴェルヴァルム”ッ!」
交差した両手から炎を吐き出せば、アネモネは即座に離れて距離を取る。その隙に刀を構えた。戦いはまだ続きそうだ。
どうも人型とは戦いづらいな。そういえば騎士の頃は、巨大蛇やドラゴンの群れなんかの討伐に駆り出されるばかりで、人間の相手をまともにしたことは少なかった。彼女は想像以上に素早く、単純思考のモンスターとは訳が違う。足の腱を斬ってやりたくても刀が折れては意味が無い。
武器をかばうなんてかなりおかしな戦い方だろう。だがこの刀が折れることだけは、避けなければならない。──父の名残を失うわけには、いかない。
「早く決着をつけたいところだな」
「決着ですか。残念ながら、貴方の負けです。──“吠えなさい”、“カース”」
「……なんだと?」
思わず眉間にシワを寄せ、聞き返した。カース……?
俺が首を傾げたとき、狼が苦しみ悶えるような悲痛の声をあげた。刹那、
「──ォォオオオンッ!」
森に響き渡るような遠吠えを発した。脳の奥にまで入り込んでくる、直接的な痛み。目の前が白くなっていく。呼吸すらままならなくなって、刀を支えに膝をついた。
「はっ……ぐ、あ……!」
あのときの、遠吠えだ。昨日一度だけ食らった、生物を操るという、特殊な遠吠え。
「ギル、バート、さん……すみ、ませ……」
狼の足元に、アーサーが倒れているのがうっすらと見えた。この非常事態なのに、アイツも無敵の最強じゃないんだな、などと下らないことが一瞬よぎった。
アネモネの方を見やる。しかし彼女の表情はもう見えない。頭が割れるように痛み、倒れる間もなく意識を手放していた。




