韓国人と縄文人
近年の新しい発見。まずこれを整理しようと思う。
1、北九州での明らかな渡来系弥生人とみなせる人骨のDNAが縄文人との混血だった。
2、西北九州の縄文人の形質を持った弥生人が縄文人との混血だった。
3、鳥取の弥生人の人骨が母系の大半が弥生系で、父系4体のうち3体が縄文系だった。
4、縄文人の核DNAによる調査をした所、韓国人サンプルが漢人との間に直線上にのり、かつそこに現代日本人や九州弥生人ものった。
これらの事から何が言えるか?と言うと、現在渡来系弥生人と言われる人骨全てが混血の可能性が出てきた。または純粋な渡来系との区別できない。そこから分かることはあくまで可能性として、渡来系弥生人は半島ですでに縄文人と混血してる可能性が出てきた。問題点はだからと言って半島で縄文人と混血していたと断言出来ない事。
すでに分かっている事で、韓国人、ウリチ、アミ族、フィリピン人に縄文人と近い遺伝子がある事。ここから導き出されるのは、列島において純粋な大陸系弥生人と縄文人が混血したのではなく、縄文人に近いDNAを持つ集団が列島外に居てその地域の集団と混血したという事。
ただここで注意する事は、例えばアマンダン諸島にいる日本人と同じハプロD1Bを持つ集団は縄文人ではないって点。そもそもハプロがD1B*でずれてるからって意味じゃない。東南アジアにいたD1Bが北上する過程で大陸や島に残してきた集団。こういう風にも受取れる。この場合縄文人との混血じゃない。
列島から縄文人がそれらの地域に移住したのか?ここがポイントになる。この点フィリピン、アミ族は私は否定的。沖縄に縄文人がいたのは分かってるが、台湾まで行ったのか?は不明。フィリピンにも縄文と結びつく石器があるらしいが、これらもフィリピンから日本列島に来た理由にはなっても、日本からフィリピンに行った理由にはならない。
他にもこの2島は古い遺伝子が残ってることで有名で縄文人関連意外にも変異の古い集団がゴロゴロ残っていた特にアミ族は有名。ウリチはどうか?と言うと、これはあるかもしれない。沿海州に縄文人が行った可能性でソバが日本に入ってきてるのと日本のソバが沿海州から来た可能性が指摘されている。他にも冷涼な気候に適したヒエなどもそうなる。
ただややこしいのは、ウリチは韓国人の直系の先祖らしいので、韓国人の縄文形に繋がる遺伝子はウリチから入ってきてる可能性もある。おそらく東南アジアから北上したC2系がN系集団と混血して出来たのがあの付近の集団じゃないか?と思われるが、Nが無い集団も多いので、重要なのはC2。
決定打となる証拠は無いのか?となると、集団の核DNAの変異をプロットしたそれらの関係性になる。仮に3,4万年前に分かれた集団が残ったとしよう。その場合縄文と漢民族の直線上からかなり外れても可笑しくは無い。ようは大体の方向さえあっていれば良いのだから。
でも実際はかなり綺麗に直線上に乗る。これは他の集団との混血がすく無い事になる。縄文人自体が様々な集団の混血なのは分かっている。そういう形で、3,4万年前に分かれた集団が海峡を間に挟んでいるなら互いに混血して方向性は似てても、直線上からはかなり外れるはずである。
そもそも現在父母共にハプロ失われていたり複数含まれる集団なら混血してるという事になる。AMIなんていくら古い遺伝子を持つといってもそういう集団になっている。アマンダン諸島も100%D1Bだが、C1系と混血してる可能性があるがハプロは消えてしまったという事もある。
プロットしたものが直線上に乗るという事は、すでに大陸系弥生人と縄文人が半島で混血した混ざった集団と漢民族の混血である可能性が高い。かつこれらの直線に日本人や古代人骨の弥生人が乗るというのは、ほぼそうだという結論がつけられる。
他にも既知の事で、半島の南海岸近くの遺跡で、縄文人と弥生人が混血したような形質の人骨が見つかっている。ただこれは北方人種が南下するまえの中国南部人にも似てるから時期的にそちらじゃないか?との見解もあり保留となっている。これも弥生人のDNAが明らかになった今半島で混血があったと見ても良いと私は考えている。
間違えていけないのは、これは騎馬民族制服説のような話しじゃない。天皇家の先祖の弥生人は半島で生まれた混血である可能性が高いという話になる。天皇家の王族が直接北九州に乗り込んで有力な勢力になったと言う話じゃない。あくまで、半島にいた弥生人が稲作を持ち込んで大きくなった時その集団は弥生時代の前に半島に移住した縄文人との混血集団だったという話しになる。
後間違えていけないのは、推測でD1b1A2が神武天皇じゃないか?と見られてるが、神武天皇一人がD1B1A2だったわけじゃない。それこそ混血系弥生人集団すべてを神武天皇とした神話があるのかもしれない。D1B1A2を数多くもつそれなりの数の集団と言うのはハプロとしては当たり前にあるため、明確に皇族として確立した後の変異じゃないと数多くの弥生集団と天皇家をDNAで分ける事は出来ない。
そうなると見えてくるのは、何故日本人にD1B1が多いのか?で半島に移った縄文人集団が持っていたのがD1b1だったと考えると天皇一人が広がったよりすっきりする。後D1B1が弥生人だけがもっている変異ではない。その理由として、アイヌに高いD1B1の集積が見られるから。
東日本にはD1B2が多い。その中でもアイヌの最大ハプロはD1B1である。縄文時代にすでに存在したハプロじゃないとこれはありえない。ただ最近D0がアフリカで発見されたため、DEはアフリカ生まれだと分かっている。D1B1と2が分かれたのも東南アジアだろうといわれている。
それでも2,3万年前にすでに移住して来たなら変異が多いほど後の時代の変異になるため日本で生まれた可能性は高い。神武天皇はD1B1A2と推測されてるようで、これならアイヌとの関係で残してきたものじゃなくて、半島に残った縄文人に近い集団は日本生まれだと思う。
ちなみに半島で発見されたD1Bはもっと後の時代で、歴史時代になるため全く違う理由だと思われる。上位ハプロが日本人が大半なので、半島生まれの天皇に近い集団の子孫とは考えにくい。