雛の歌姫 37
アリーシャの放った大絶叫に、カタカタと扉や家具が揺れた。
祈る気持ちで、この声が先生に届くよう息の続く限り叫んだ。
「うわぁ、その声が凶器になるとはねぇ」
至近距離で耳を直撃したはずのオーレス様がのっそりと起き上がって顔をしかめている。耳を押さえているところを見ると、何かしら影響を受けているはずだ。(と、思いたい。)
アリーシャはだるくて動きの鈍い体を何とか起こして脱がされかけている寝衣類をかき集めぎゅっと握った。
「あ~、耳が聞こえな~い。キンキンする」
しかめても麗しい尊顔がアリーシャをひた、と睨んだ。
「助けを求めたつもりかな?」
アリーシャも負けずに睨み返した。
「でも残念!ここは既に私の結界の中だよ。外に音は届かない」
一転にこやかに、でも年端のいかない小娘の浅知恵を嘲笑うようにオーレス様は残酷な事実を突きつけた。
「可愛い声を聞きたかったけど残念だな。その声は封じておこうか」
声を奪おうと伸ばされた繊手に怯え、アリーシャは後ずさった。もう逃げ場がないことは分かっていたが、足掻きたかった。
すぐにベッドの端に追い詰められ、迫ってくるオーレス様に恐怖から短い悲鳴を上げた。
「私が優しく出来る間に大人しくして?」
もうアリーシャには、身をすくませることしか出来ることは残っていなかった。
再びその腕に捕らわれた時、隣の部屋でパリンと何かが割れた音がした。
続いてバリン、と連鎖的に壊れる音が続く。
「あれ?」
ようやくオーレス様が異変に首を傾げた。
「…まぁ、いいか」
そう言って、アリーシャにのし掛かってきたオーレス様を押し返すこともできず、ぎゅっと目を瞑った時。
「アリーシャ!」
先生の声が聞こえた。幻聴かもしれないが、聞こえたと思った。恐る恐る目を開け、その姿を確認しようとしたら扉が砕けた。よく見ると扉の縁の壁にもヒビが入っている。
その音に驚き目を見開く間に、ベッドを覆う薄い紗が乱暴に引きちぎられた。
「アリーシャ!」
全ては一瞬の出来事だったのかもしれない。
今度はちゃんと聞こえた。目の前に先生が見える。
ホッとして、自分がどこにいてどんな姿をしているのかも忘れて、アリーシャは知らず強ばっていた体の力を抜いた。
くたり、と腕の中に凭れかかってきたアリーシャをやんわりと抱きしめて、オーレス様が仁王立ちした先生を見上げた。
「…ねぇ、見たらわかるでしょう?これから愛を育むところなんだけど」
「その必要はありません」
いつもより冷え冷えとした声だった。
「アリーシャに手は出さないお約束では?」
「成り行きだよ、成り行き。約束の歌をもらったんだ、そうしたら思いの外、素晴らしくてね。こんなに気持ちが高ぶったのは久しぶりだったよ。彼女なら、きっと素晴らしい音楽の神を産めるに違いないと確信したんだ!神の子を授かる栄誉を与えるところにカイウスが来ちゃって雰囲気が台無しだよ!」
ペラペラと言い訳じみた早口で、最後は先生を責めるオーレス様は冷や汗をかいていた。
「その高ぶりを鎮める手伝いを私が致しましょう」
「えぇ!?いや遠慮するよ!」
「どうぞ遠慮なさらず!」
先生の言葉と共に繰り出された拳に、オーレス様はアリーシャを放って逃げた。
ごろん、と投げ出されたアリーシャはだるくて起き上がるのも億劫で、そのまま丸くなっていた。
先生はピタリとオーレス様に視線を定め、アリーシャの方を見もしない。言葉もかけてくれなかった。
そりゃ、こんな格好してるし見られたものじゃないもんね。