雛の歌姫 23
結果から言うと、舞台は大成功に収まった。
二曲目の歌も難なく歌い終わり、引き続いて群舞が始まりアリーシャ達の姿を客席から隠してしまっている間に、アリーシャは先生と一緒にそっと音楽堂を抜け出したのだった。
サイノス様達は、後に起きるであろう混乱に備えて残るということだった。
アリーシャにはピンとこなかったが、先生がそう言うのであればそうなのだろう。白いケープは脱いで、先生に手を引かれて外に出ると真っ直ぐに馬に向かう。
先生はいつの間にか鎧を脱いでいて、アリーシャは首を傾げることになった。
(いつ脱いだんだろう?鎧はどこにいったの?)
さっさと馬上にあがり、アリーシャに手を差しのべる先生は鎧を着ていなくても素敵で眩しい。言われた通りにあぶみに足をかけ、引き上げてもらう。正直に言うと、馬に乗るのはちょっと怖い。高いことと馬の歩みに合わせることが上手くできないから。
「アリーシャ、走らせるから暫く黙っているように。しっかり掴まっていて下さい」
アリーシャは先生の顔を見上げて、はいと答えた。
意外と逞しい腕がアリーシャの胴にまわされ胸に抱き込まれた。
緩く走り始めた馬は人を器用に避け、街を後にする。
その間、横座りで先生の胴にしがみついていたが街を出ると同時に速度があがり、さらにしがみつくことになった。
目を開けているもののどこを見ていいのか分からず、揺れる馬上では景色も楽しめそうになかった。
先生は姿勢を変えずに馬を駆る。
アリーシャはぎゅっと目を瞑り、色々な意味で耐え難いその時間が過ぎるのを待った。
どこをどう走ったものか、太陽は真上にあり轍の残る林道で先生は速度を落とした。
「少し休憩にしましょうか」
アリーシャがほっとしたのは言うまでもない。
乗りなれない馬に二人乗りとあって近すぎる距離に緊張を強いられ、疲労感がどっと押し寄せてくる。
更には切にお尻が痛い。
女子なので先生には言えないが、本当にお尻がダメな気がする。
「もう少し先に泉があったはずですよ。そこでお昼を食べましょう」
今すぐ休憩じゃなかった!
アリーシャは涙を呑んで、はいと答えた。
ぬか喜びさせた先生がちょっとばかり憎い。
そこからはスピードを落としてゆっくりと進んだ。
これなら景色を楽しむ余裕も生まれる。お尻は痛いけれど。
「サイノス様たちは大丈夫でしょうか」
ひとまず心配だったことを聞いてみた。
先生は器用に片方だけ眉を上げて少し驚いた顔をした後に、実に悪い顔ををして答えた。
「娼館の女性が沢山いたでしょう。彼女たちにいい格好をしたいから今頃は事態の収拾という後片付けを張り切ってしているでしょう」
「へ?」
「だいたい、男なんてそんなものです」
まさか先生がそんなことを言うとは思わず、ポカンと間抜けな顔をさらしてしまった。
しかし、そこから予想外の話が始まりアリーシャはただただ聞いているしかなかった。
「いいですか?神殿へ上がっても騎士見習いや、騎士になりたての若い男には気を許さないこと。女性の少ない職場ですからね、誰彼構わず声をかけている者や口の上手な者、軽薄な者にも気をつけるように」
軽薄、という言葉に思い浮かんだのはブルスだった。これは仕方ない。先生的には彼も気をつける対象になるのかもしれない。
「無体な真似をする者がいたらすぐに私に知らせること」
「ええと、どうやって知らせたらいいですか?」
「ルーチェに頼めばすぐに念話をできるようにしてくれますよ。少し練習しておきましょうか」
先生がヴェルディを呼ぶとその肩にふわっと可憐な精霊が現れた。アリーシャも真似をしてルーチェを呼んでみたが髪の中からちょこんと顔を出しただけだった。どうやら寝ていたらしい。
「では、ルーチェに頼んでみて下さい」
「ルーチェ、先生と念話をしたいのだけど」
アリーシャは教えられた通り、小さな精霊の瞳を覗きこんで頼んでみた。
しかしルーチェはいかにも面倒くさいといった表情で、いやーと答えアリーシャは早速困ってしまった。
先生は笑っている。
「ルーチェ、ほんの少しだけ頼めるかな?」
先生が言うと、ルーチェはカイウスが言うならしょうがないなぁと可愛く文句を言いながら願いを叶えてくれた。
(これで頭の中で思ったことを相手に伝えられます。これが出来ると遠くの相手と会話が可能になるので便利な反面、居留守が使えないので緊急時以外は常識的な時間帯に使って下さい)
直接、頭の中で相手の声がするようで慣れないし、それが先生ということもあってアリーシャは緊張してしまう。
(この念話は精霊同士が知り合っていないと使えないので、念話を使う相手を見極めるように)
先生はなかなか難しいことを言う。
(サイノス様とも念話が出来るってことですね)
(あれは女性が大好きなのでむやみに近寄らないように。精霊同士が知り合っていますが念話を使う必要はないはずです)
害虫のような扱いについ噴き出してしまった。
(サイノス様にも気を許してはいけないんですね。じゃあ先生は?)
ほんの冗談として咄嗟にでた質問だった。
先生は一瞬言葉に詰まり、けれどアリーシャが予想した答えではなかった。
(さぁ、どうでしょうね?)
てっきり気を許して良いのは私とルイスだけですよ、と続くものとばかり思っていたので意外な答えに戸惑ってしまう。
そこへルーチェが、もういい?と眠たそうに割って入った。