雛の歌姫 15
「せーっかく娼館が世話してくれるってのにさ」
サイが文句を言いつつ付いてくる。
「うるさい」
カイウスの返事は短い。
「お前はまだまだ若いのに枯れてる!」
「いらぬ世話だ」
軽妙なやり取りを聞きつつ、娼館を出てきた。
アリーシャは、門扉を出ると、ホッと肩の力が抜けた。
もう、売られることはないのだと安堵が胸に広がった。
「おいカイウス!お嬢様ちゃんいつまで抱っこしてんだ。俺にも抱っこさせろ」
「アリーシャに触るな。穢れる」
「ひっでえ!」
まだやっていた。
「先生、他の人にご挨拶しなくていいの?」
真っ直ぐ前を向いていた視線がアリーシャに向けられる。その深い青空にアリーシャの顔が写って見えた。
「あれは私の同僚で正騎士のサイノス。後で紹介しますよ」
今は挨拶のタイミングではなかったらしい。
先生がそういうのなら、と黙ったアリーシャだったが後ろから盛大な文句が聞こえているのは放置していいのだろうか。
カイウスが馬車の傍まで戻ってから、やっとアリーシャを下ろした。
「先生、重たかったでしょ?甘えてごめんなさい」
ちょっと子供っぽいなと思いながらもカイウスの腕から下りられなかったのは、そこがこの世のなかで一番安全だと知っていたから。だから甘えた。また絶望の淵に立たされるのが怖くて、二度目はきっと正気では居られない。
「気にしなくて良いのですよ。心細い思いをさせてしまいましたね」
アリーシャはふるふると頭を振って否定した。
カイウスがいつもの優しい微笑みで、馬車の中にルイスを寝かせているから見ていてほしいと用事を言い付けたので素直に従った。
「お嬢ちゃんに二名付いておけ」
サイがそう言って残りの騎士を召集した。
「はいドーゾ。カイウス殿」
サイの茶化した物言いを無視して、カイウスが七名を見回して話し出した。
「これまでの道中まずは礼を言う。アリーシャとルイスの護衛、ならびにこの街まで駆けつけてくれたサイノス以下にも感謝している」
そう言ってカイウスは頭を下げた。そして一旦言葉を区切って話は続けられた。
「まず私の役職なのだがこの度、緊急時特別教皇補佐を賜った。神殿に戻るまでという期間限定で今後の指揮系統は全て私からの指示で動くものと覚えておいてほしい」
一斉に騎士達の頭が下がり、承諾が示された。
「宜しく頼む。予定についてだが、今夜はこの街の神殿で夜営。明日の午前中にアリーシャが舞台で歌を披露した後、すぐに発つ。舞台については陣の準備を執り行うこととする」
騎士達の間に怪訝な顔をする者もいて、不審そうにしているのが見てとれる。
サイもそれを感じ取ったようで苦笑しながら声を発した。
「いやお前、陣の準備ってそりゃ大袈裟だろ」
カイウスはため息をつき否定はしなかった。
「まぁ、そう思うだろうな」
「歌姫候補だろ?なんの訓練も受けてない…」
サイの言葉に同意する者が多そうだ。
「あれはギフトだ。才能の塊。訓練など必要ない」
カイウスの返事に半笑いだったサイの表情が固まった。他の者もポカンとあっけに取られた顔をしている。
カイウスは一人一人と目を合わせ真剣な表情で続けた。
「もう一度言う。あれは天性の歌姫だ。ひと度、本気で歌いだせば女神の印が施されていても邪悪なものから神聖なものまで引き寄せられるぞ」
「…あっほかぁ!何でそんなもん群衆の前で歌わせる段取りつけた!」
サイがいち早く立ち直ってカイウスを怒鳴りつけた。この中でカイウスに意見を言える者など彼以外にはいないので当然といえば当然だった。
これに対してカイウスの方は飄々と悪びれることなく己の道理を言い返した。
「成り行きだ。まぁ本音を言うと、歌姫として今後名を刻むアリーシャに傷ひとつつけることなくこの地を去る算段がこれだったのと、今回偶然にこの任務に就いた者に聞かせたかったのもある」
「最後のは絶対あとから付け足しただろ」
カイウスは微笑んで答えなかった。
控え目ながら手が挙がり発言の許可を求めていた。
ちら、と目をやり短くカイウスが聞く。
「名は?」
「トラビスです。」
「聞こう」
緑の髪が印象的なトラビスは黙礼をして続けた。
「緊急時の対応をお聞かせ願えますか」
カイウスは頷き、サイを見た。
長年の付き合いであるサイには以心伝心で分かってしまった。あれは、お前の部下にしてはしっかりしているな、と褒めているのだか貶しているのだか分からない愛情表現だ。
「単純な話だ。私がアリーシャを連れて逃げる。それだけだ」
「おぉい!」
余りに雑な返事すぎてサイは思わず突っ込んでしまった。
恐らく、サイに同意する騎士もいるだろう。しかし、カイウスの表情から読みとれるのは、お前は黙れ、である。
一応、念のため、もう一声かけておく。
「ブランクのあるお前より俺の方がいいんじゃねぇの?」
カイウスの煩わしげな表情が全てを語っていた。サイは返事を聞かなくても答えが分かっていたので片手をあげて、何も言うなと言外に伝えたつもりだった。
「アリーシャが穢れる」
サイの気持ちは伝わらなかった。
「今日は早く休み早朝より陣を書く。用意を」
サイ「お嬢ちゃんの歌を聞かせたかったって、お前にしては親切だよな…」
カイウス「どういう意味だ」
サイ「いやぁ、余程お嬢ちゃんの歌がすごいのを見せびらかしたいん…」
カイウス「どうした?」
サイ「お前、まさか…」
カイウス「(にやり)」
サイ「!!」
カイウス「アリーシャの歌でお前の煩悩も洗い流してもらえ」(真顔)
サイ「お嬢ちゃんの歌で俺の部下引き抜こうとか考えてるお前が悪魔だろ!移動届けとか持ってこられたらどーすんだよ」
カイウス「アリーシャの歌を聞いて庇護欲を掻き立てられ感動に突き動かされた騎士が護衛に立候補するのは自然な流れだ。部署の移動を規制する規則などないしな。アリーシャの護衛に数人ほしいと思っていたところだった。丁度いいだろう」
サイ「育てるのに何年かかったと思ってるんだよ!」
カイウス「お前の元に残ってくれるといいな?」
サイ「…まじで?」