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雛の歌姫  作者: やよい
神殿編
118/118

118 進むべき道②


 歌い終わり、静かに礼の姿勢をとったアリーシャに、わぁっと野太い歓声と拍手が降り注ぐ。その中、アリーシャは味方を求めて視線を彷徨わせた。

 目的の人物はブルスさんである。ブルスさんは椅子には座らず、壁に背を預けてこっちを見ていた。

 是非、助けていただきたい。

 せめて緩衝材になってくれないだろうか。

 すがるようなその思いが伝わったようで、彼は頷いてくれた。

 スタスタとヒルシュ様の方へと近づいていく。

 ついさっき叱られたばかりである。

 ラメット神官にもご助力いただけると大変ありがたい。


 ルイスの呆れた顔、ヒルシュ様の無表情がブルスさんを捉え、何事かを喋りながらこちらへ近づいてくる。しかし大人しく聴いていた聴衆は、彼らを妨げるように立ち上がり椅子を揺らしたり、頭上で拍手をしたりと収拾がつかなくなっていた。さらには、一人が歌のリクエストをすると次々と曲名が飛び出してくる。


「休息日の歌、知ってますか?知ってたら、それも歌って下さい!」

「今のもう一回、歌って下さい!」

「家族の歌、お願いします」

「冬の夜の歌も!」

「お願いします!」


 あまりの勢いに気圧され、戸惑い一歩下がってしまう。

 後ろを振り向くとラメット神官一同、奏者たちが次はどの曲にしようかと相談の真っ最中だった。

 そこへヒルシュ様の大声が割り込んだ。


「おーい!お開きにしてくれ!歌姫にはまだ用事がある!」


 なかなか近くに来れないせいで大声を出して制止を狙ったらしい。

 それに対して揃えたように一斉に不満の嵐が起きる。

 そんな中にあって、ヒルシュ様の大声は不満の波を引き裂いた。


「ラメット神官も止めてくれ!あんたまで乗せられてどーすんだ!」


「…これは慰問です。潤いもなく殺伐とした毎日を送っている独身男性諸君に歌姫が慰めをもたらしたのです。素晴らしい!」


 そう声を張り上げたラメット神官に激しい雨音のような拍手が続いた。


「やかましい!」


 だんだんヒルシュ様の顔が険悪になってきた。


「慰問は結構だか、こんな時間だ!若い娘をさっさと返してやらんとこいつの指導者が乗り込んでくるだろ!」


 ん?


「慰問してもらいたかったら、教皇とキャトルー宛てに有志で嘆願署名作っとけ!今日は終いだ!じゃないと怒られるの俺だからな!アリーシャもこっち来い!」


 眉間にシワを寄せたヒルシュ様の隣で、ブルスさんがにこやかに、おいでおいでと手招きしている。

 アリーシャはそれに頷き、奏者の四人のおじさんたちに失礼します、と挨拶をした。


「またおいで」

「楽しかったよ」

「またね」

「おやすみ」


 ラメット神官も他の三人もにこにこと見送ってくれる。

 会釈をしながら通りすぎるだけなのに、あちこちから拍手が送られた。


 すぐにヒルシュ様の傍へと辿り着き、上目遣いに見やると眉間のシワは消えて短く行くぞ、と声がかけられる。

 それに答え、身を翻したヒルシュ様の後をついて談話広間を出た。

 入り口の扉のところで、じゃあね~とブルスさんが見送るので、一緒に着てくれるのかと思いこんでいたアリーシャは目を見開いた。


 え?救助してくれないの?


 後ろからルイスがアリーシャの手をさらっていった。

 そのまま階段を降り、ヴィータ棟を出る前にヒルシュ様が振り返って薄い灰色の何かを付き出した。その表情はいつもの穏やかなもので怒ってはいないようだ。知らずのうちに詰めていた息を小さく吐く。


「ほら、アリーシャはこれ被っとけ。それじゃ寒いだろ」


 手渡されたのは大きなひざ掛けだった。


「これ?」


「ああ気にしなくていい。カイウスのだから」


 全く意味がわからない。

 きょとん、とまたたきをするアリーシャを見下ろしてヒルシュ様は少し笑った。


「あいつ、今留守にしてるだろ?部屋の鍵をサイノスに預けて行ってんだよ。だから時々サイノスがあいつの部屋使ってんだ。嫁が仕事で帰ってこない時はほぼカイウスの部屋で寝泊まりしてる。今日も部屋にいるんだぞ。一体いつ家に帰るんだろうな?」


 受け取って肩から羽織り、しっかりと巻き付ける。口元まで柔らかな膝掛けを引き上げて、匂いを吸い込んだ。


「カイウスはこの冬は戻ってこれないだろうし、当分それ借りとけばいい」


 まだ暫く先生に逢えないことを嘆くのか、先生の持ち物を貸してもらうことを喜べばいいのか、複雑だ。

 アリーシャはこくりと頷いてお礼を言った。

 扉を明け、外の冷たい空気に首をすくめた丁度その時、彼方から優しく自分の名前を呼ぶ先生の声が頭の中に響いた。


「あっ…!」


 もうそんな時間になっていたのだ。

 アリーシャの声にヒルシュ様が振り向いた。


「どうした?」


 歩きながら素知らぬ振りで念話ができるだろうか?

 この正騎士を前に誤魔化しながら、先生との会話を続けることは難しそうだ。それに今日はこの短い間に二度ヒルシュ様を怒らせている。だったら正直に話してしまおう。


 そう結論付け、アリーシャはいつもこの時間に先生と念話していて、今それが繋がっていると伝えた。

 途端にニヤニヤしだすヒルシュ様とそれを呆れた目でみるルイスに挟まれてうつむいた。


「よし!歩きながら念話していいぞ。途中で割って入るから」


 何がいいのか。

 そして割って入るなら最初から入って先生に説明してほしい。

 アリーシャは、ニヤニヤを隠さない正騎士と少し躊躇いを浮かべるルイスを気にしながら念話を開始した。

 周りに人がいるので声に出していつでも割り込めるようにしておく。


「えぇっと、こんばんはカイウス様」


「こんばんはアリーシャ。今日は何かありましたか?」


 いつもの優しい声に安堵する。

 空は真っ暗で風は冷たいけれど、冴え冴えと光る月が綺麗だ。

 吐いた息が白く揺れそっと消えていく。


「いえ、いつも通りです。ただ、今ちょっと…」


 言い淀んだアリーシャにお構いなく、ヒルシュ様が割って入った。ルイスは上を向いて長いため息をついていた。


「今は取り込み中だから遠慮しろ。じゃあな!ははは!」

 

 わざと声色を変えているのはなぜだ。嫌な予感しかしない。そしてその予感は的中した。


「ちょっと…!やめ…」


 やめて下さいよ、と続く言葉はヒルシュ様のゴツゴツとした大きな手で遮られた。

 面白いから黙っとけ、って私は面白くないです!と睨みつけたところで効果はない。


「…誰だ?」


 低い、非常に低い声が怖い。

 びくり、と背を震わせたアリーシャに対してヒルシュ様は笑いをこらえて震えている。近くにいるせいで風呂上がりの石鹸のいい匂いがする。


「念話に割り込めるなら正騎士の誰かだろう?アリーシャに何かあったのか?それとも死にたいのかどっちだ?」


 いつもの真面目な声で淡々と怖いことを言うので思わずルイスを見た。

 既にルイスの目は半眼になっており諦観している様子だ。アリーシャと目が合うと大きくため息をつき声を張り上げた。


「カイウス様!俺です、ルイスです!」


「…ルイス?状況報告を頼みます」


 ルイスも念話に割り込めたのでホッとしていると、いよいよヒルシュ様が我慢できずに噴き出した。


「ぶっは!ははは!なんだこれ!」


 笑い転げるヒルシュ様を冷たい目で見ると、ルイスはもう一度大きなため息をついて先生に状況を話してくれた。


「現在、教皇様の執務室へヒルシュ様アリーシャ、俺の三人で移動中です。キャトルー様に用があるとアリーシャが言うので適当な騎士を捕まえたらこうなりました以上」


「おい、適当な騎士ってなんだよ。ほんと、大先輩に遠慮ねぇな」


「わかりました。ありがとう」


「お前も納得すんな!」


「アリーシャはヒルシュ様に一時拘束されていたので喋れませんでした」


「おい!余計なこと言」


「ヒルシュ、後で話があります」


「あ、うん。まぁ後でな」


「死なない程度にしておきます」

 

「嫌だよ!」


 なかなか会話に割り込めずやきもきしている間にファート棟の大扉まで来ていた。


「先生、あの…」


「うん?気にしなくていいですよ。また明日。用を済ませたら温かくして早く休んで下さいね」


「はい。あの、明日はちゃんと時間に部屋にいますから…」


 声をもっと聴かせて欲しい。

 愛してると伝えたい。


 そんな気持ちが、ヒルシュ様とルイスの前では言い出せなくて途切れた。


「ありがとう。また明日、楽しみにしていますよ。お休み」


「お休みなさい」


 いつもより素っ気なく短く切れた念話が少し寂しい。


 ファート棟の中は蝋燭の光をいくらか落として薄暗くなっていた。それでも資料室には数人の神官がいるようで話し声が聞こえる。こんな時間になっても忙しく働いているらしい。

 暖気が冷えた体を包み、体のこわばりが解けていく。


「恋人にはあんな優しい声出してんだなーあいつも」


 またニヤニヤするヒルシュ様の恋人という言葉に、驚き目を見開いた。

 

 そうだ、他の人から見れば恋人同士なんだ…。

 今更ながらに、嬉しさと恥ずかしさが込み上げて視線が彷徨ってしまった。


「そこ、照れるところか?」


 ルイスの疑問には黙しておく。

 階段を上りながらヒルシュ様がまたからかってくる。


「それにしても、若い恋人を心配するのは分かるけど心配しすぎじゃね?お父さんかっての」


「良いんです!ほっといて下さい!」


 頬を膨らませて思わず言い返したアリーシャに、ヒルシュ様はニヤニヤしたままだ。


「いやさぁ、恋人同士ならもうちょっとこう、あれだ。色っぽい感じにだな」


「私でそんな感じになると思いますか!?無理でしょ!?」


 つい、そう叫んでいた。


 キスはした。手も繋いでいる。抱きしめてももらった。

 これ以上、どう頑張ればいいのか教えてほしいくらいだ。

 世の中の恋人同士とは何か違う気がしていたがそれはズバリ、距離感といちゃいちゃ具合だ。


 これまでの先生と生徒という距離感がなかなか抜けず、それを縮められない原因だと思う。

 もう一つは残念ながらアリーシャの体型がスラリとしたものであるため、誘惑に適さないからだ。


「あー、あのな?俺が悪かった。な?カイウスがお前を大事にしてるのは傍目にも分かってることだからな?」


「どうやったら誘惑できるんですか!?」


 ぐっと詰め寄ったアリーシャの肩を押さえてヒルシュ様はのけ反り気味だ。


「それ、俺が教えたらカイウスに殺されるからな?」


「落ち着けアリーシャ」


 ぽんぽんとルイスに背中を軽く叩かれた。


「多分、アリーシャらしくいるのが先生にとっては一番だと思う」


「よく言った!それだそれ!」


 ヒルシュ様がルイスを絶賛しているうちに教皇執務室の扉が見えてきた。


「それって普通でいいってこと?」


「うん?多分な」


「多分って…」


 ルイスの適当な感じの返事にむっとする。

 アリーシャのその表情を見てルイスが肩をすくめた。


「だって俺、先生じゃねぇし先生の気持ちなんてわかんねぇもん。アリーシャが先生に直接聞けばいいだろ?」


「そうだぞー。不満があったら全部カイウスにぶちまけろ。あいつは全部受け止めるから遠慮せずに甘えとけ。気持ちがすれ違えば悲しいことになるからな」


 びっくりして背の高いヒルシュ様を見上げると、もうニヤニヤしていなかった。思いのほか真面目な顔をしてアリーシャを見下ろしている。


「ま、年長者の言うことは聞いとくもんだ」


「…はい。ありがとうございます。」


 派手派手しい教皇執務室の扉の前で素直にお礼を言ったら、ヒルシュ様がカラリと笑った。


「なぁに、そんなもん気にすんな!俺はお前たち二人が上手くいく方に一ヶ月分の給料賭けてるからな!」


 ん?

 

「カイウスもいい年だしお前と落ち着いてくれたら皆が幸せになる!頼むぞ!」


 あとでルイスに詳細を聞こう。笑っているヒルシュ様はそのままにして、ちら、とルイスを見ると目が逃げた。

 ルイスも黒か。

 まったくもって色々台無しである。


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