114 遠距離念話
「アリーシャ」
毎夜、ほぼ同じ時間に念話が繫がる。
「はい!カイウス様、お疲れではありませんか?」
突然声が聞こえても驚かない。
一日頑張ったご褒美のようで、先生の声が聞こえると居住まいを正す。
「私は大丈夫ですよ。ありがとう」
これがいつもの決まったやり取りだ。
「今日は誰が護衛でしたか?」
「今日はスタグハインド様とラセット様でした。真面目な騎士様コンビですよね」
いつもと同じ質問に、アリーシャは窓の外を見ながら答えた。
ふふ、と先生が笑ったので会話が途切れないように喋り倒す。
「ルイスが騎士見習いになってからサイノス様の護衛はなくなって、正騎士様と騎士様の組み合わせで護衛の勤務が組まれるようになったでしょう?私に正騎士様二人もついていただくなんてちょっともったいなかったですよね!サイノス様も朝から一日中ルイスの指導に当たって忙しくされていて、今日も食堂で見かけた時はすごい量を食べていましたよ」
ルイスもお昼は食べれるだけ食べるとすぐに食堂を出て昼寝に行っているそうだ。
先日聞いたらそう言っていた。
沢山食べて、寝て、訓練して、を繰り返すと体が大きく逞しくなるからと騎士見習いは皆その道を辿るのだとか。
道理で騎士様たち、皆が身長も高くて体格が良いのかと納得した。
「サイノスが山盛り食べる必要はないんですがね」
先生も苦笑していた。
「あいつは昔からよく食べる」
「ルイスもこれから背が伸びるんでしょうね」
「どこまで大きく成長するか、育てる醍醐味とも言えるかな」
穏やかな会話がほんの少し途切れた時、それを待っていたように先生はアリーシャの名前を呼んだ。
「アリーシャ」
「…はい」
楽しい話しか聞きたくない。
お願い、心が傷つく話はしないで…。
「実は戻るのが予定より遅れそうなのです」
あぁ、ほら…。
窓の外は暗く、時折びゅうっと冷たい風が吹き抜けていく。
「どうなさったのですか?シュティーア様のご実家で何か…?」
ほんの少し緊張しながら、なんとか言葉をつむぐ。
キャトルーや他の巫女や神官のように、一人前の女性になるために丁寧な言葉遣いを心掛けている。
その対応が恋人と言われる相手に対して果たして正解なのかはわからないけれど。
「いいえ。彼女の実家は問題なく済みましたよ。前にも言ったでしょう?問題は村の方なのです」
そう、シュティーアの実家の件はあっさりと片付いたと聞いている。それでも心配してしまうのはそれが本当に解決していないからだ。
先生が神殿を立ってすぐに向かったシュティーアの実家では困惑で迎えられたと聞かされていた。
彼女の父親は教皇様の手紙については目を通していたものの、既に神殿に娘を差し出した時から居なかった者として、あるいは死んでしまった者としてシュティーアの存在を無かったものとして扱っていた。
そこへ神殿を不名誉な罪で除籍となったシュティーアを家では引き取れないと主張したらしい。
だから先生との結婚に関しても反対せず、どうぞ宜しくと逆に押し付けられた始末だったそうだ。
先生はそれを苦笑しながら話してくれたけれどアリーシャの顔は引きつるばかりだった。
念話で顔が見えなくて良かったと思った瞬間だ。
心配しなくていい、と先生は繰り返すけれど結婚の約束を無かったことにする逆転の策なんかアリーシャには思いもつかないし、人生経験を積んだ先生に何か考えがあるならそれを教えて安心させてほしいと思う。
そんな気持ちをぐっと押し込めて話を続けるのだ。
「村長ですか?」
「えぇ。実はビルを王立植物園に勤務させることと同時に村の移転も提案していましてね。そう簡単に結論は出ないだろうと思っていましたがかなり難航しそうなのです」
それはそうだろう、と思った。
あの頑固で自分たちの利益には敏感な村長のことだ。ただでは動くまい。
「まぁビルのことは国王の玉璽付きの勅命書があるので力づくでどうにかなるんですけど」
正騎士の力づくが横行する前に、村長に一言忠告するべきだろう。
ルイス争奪戦が行われた闘技場の有り様を思い出しアリーシャは頬がぴくりと引きつった。
村が壊滅する前に。
そこまで考えて恐ろしい答えが閃いてしまう。
村が壊滅したら否応なしに総出で引っ越しができる!?それを狙ってるとか、まさかね?
「そういう訳で村長と村の人たちの説得に時間がかかりそうなので、神殿へ戻るのは冬を越した後になるかもしれません。決して浮気ではありませんからね」
「分かっています。信じていますから。でもどうして村の移転を?」
先生は少し口ごもって、あーとか、うーとか言っていたけれど、カイウス様?と声をかけると話てくれた。
「村は僻地と言っていいほど街から離れているでしょう。国単位で災害が起きた場合に支援が立地上、遅れることは避けられません。あの時の日照りのように」
アリーシャが神殿へと上がる前のことを指しているのだとすぐに解った。
水が、食料が徐々に足りなくなり飢えようとしていた村に支援物資はなかなか届かなかった。そのせいでアリーシャは娼館に売られることになりそれと引き換えに食料を得る選択をした村が次に同じことをしないために。
「もし災害が起きたら、村はまた間違った選択をするかもしれません。今度はアリーシャの妹が犠牲になるかもしれない。それを止めたいのです」
支援が届きやすい立地に村を移動させることで次の犠牲を出さないように、と先生が考えての移転だった。
口で言うほど簡単な作業ではない。下準備に、受け入れ先の土地の確保や国への申請などやることは沢山あったはずだ。
それをアリーシャのためにしようとしてくれている、と胸が熱くなった。
「…なんで今まで教えてくれなかったんですか?こんな大変なこと」
少し責める響きが入ったからかもしれない。先生が拗ねた。
「…格好つけてるみたいで言いたくなかったのに」
「すごく恰好いい!戻ってきたらぎゅってしていいですか?」
本当は今すぐにでも抱きしめて、抱きしめ返されたい。
先生は笑っていた。
「…キスもいいですか?」
声が小さくなってしまったけれど、素直に本音がでた。念話で良かった。本人を前にしたらこんなことは絶対に言えない。
「…それはご褒美ですね。面倒なことは後の二人に任せて今すぐ戻りたい」
先生でも冗談言うんだ、と新たな一面を見た気がしてアリーシャは笑った。
「大好きですよ?」
「私も愛してます。だから浮気しないで待っていて下さい」
「そんな相手もいないし、私が好きなのはカイウス様だけです」