110 声
「いや─────!!!」
渾身の叫びに、足元の石組みが崩れた。姿勢を崩してふらつくアリーシャをすぐに先生が抱き上げて地面を蹴ってそこから離れた。
「避難を!」
先生の怒鳴り声の後、騎士たちは観客の元へ駆け寄り出口へと誘導したり抱き抱えて闘技場の外へと運びだした。
混乱は起きず、あっという間の出来事だった。
アリーシャは自分のしでかしたことに呆然としていた。
後先考えない悲鳴をあげ、闘技場を壊してせっかくの試合を台無しにしてしまった。怪我をした人は、と視線をさまよわせる。
「怪我人の把握と倒壊部分の確認を!」
再び先生が声を張ったので、びくりと身をすくませた。
「アリーシャ」
優しい声が呼ぶ。
「…ごめ、ごめんなさい!怪我した人は…?ルイスも、」
続きは言えなかった。
何が何だか気持ちの整理がつかないうちに、悲しくなって涙がこみ上げてしまった。
「大丈夫。たぶん、怪我人はいない」
見ると悲鳴を上げた場所は陥没し、そこから同心円状にひびがはいっていた。
「それよりアリーシャ、声が?」
「え?」
抱き上げられたままの状態で、自己嫌悪に陥っていたアリーシャはそう嬉しそうに言う先生を見上げた。
「こえ?」
「声が出ていますよ」
凄く嬉しそうに言うので、自分が無意識で声を出したことにやっと気づいた。
驚きと喜びはあったが、すぐに闘技場を壊したことが気持ちに暗い影を落とす。
「ごめんなさい」
「…それは何の謝罪ですか?」
やっぱり先生は先生だった。反省点を明確にしてそこから自分に出来る謝罪や償いをする。
昔、教えられた。
「せ、先生のことを拒否して叫んだから、試合が台無しに」
「うーん、残念。試合はどうでもよろしい」
「…良くないです!闘技場も壊しちゃったし、私…」
「私はアリーシャに拒否されて悲しかった」
ぽかん、と間抜けな顔をしたことは自覚していた。反省点、そこじゃないような気がする。
先生が、拒否されて悲しかった…?
アリーシャの呆けた顔が答えを飲み込んでいないことを察した先生は、ゆっくりと言葉を補足した。
「好きな相手に拒否されること程、悲しく辛いことはありませんよ」
「え、と…」
率直な気持ちを伝える先生に戸惑ったアリーシャはうまく言葉が出ずにいた。
「痴話喧嘩は後でやれ」
スタグハインド様がそう言いながらやってきて、怪我人いないぞと教えてくれた。
ほっ、と力が抜けたアリーシャは先生にもたれかかり深く息を吐いた。
「こっちはどうだ」
レセール様が倒壊部分の様子を見にきたのを皮切りに、次々と正騎士がやってきて陥没部分を見定めている。
「さーてアリーシャ。声、出るんだな?」
サイノス様がそれらを見てからアリーシャに声をかけた。問いかけにはこくん、と頷く。
「これやるの何回目だ?」
「…二回目です」
「あんまり思い出させるのも可哀想だが、しょっちゅうこれをやられると困る。自重するよーに」
「はい。申し訳ありませんでした」
「よーし。じゃ、カイウス。お前わかってるな?」
先生は何も答えなかった。
「お前の軽率な行動のせいでアリーシャが悲鳴をあげることになった。飛ばされることもあり得るぞ」
脅すようなサイノス様の言葉に、アリーシャはぶるりと震えた。
以前にスタグハインド様に言われた言葉が脳裏に巡る。
───もしカイウスがお前の為にならないと判断されれば、場合によっては護衛から排除されるか遠方へと赴任させられるだろう。
「責任はとる」
先生が傍にいなくなるなんて、辛すぎる。先生が責任なんて取らなくていいのだ。だってアリーシャがやったことなのだから。
「その言葉、忘れるなよ」
サイノス様がいつになく真面目な顔で言うものだから、アリーシャはますます悲しくなった。
しかし、先生は流石に転んでもただでは起きなかった。
「アリーシャの声が出るようになったことも報告するのだろう?」
「それも報告する。ま、壊したことと合わせて差し引きゼロってとこだろ」
先生は一度アリーシャをぎゅうっと抱き締めてから、そっと地面に降ろした。
「心配いりませんよ」
そう言うと素早くこめかみに口づけニコリと笑った。
「観客を戻して陥没部分には囲いを!試合を続けよう!」
フォーン様の号令で一斉に騎士たちが動いた。良かった。試合が中止にならなくて。
それからは順調に進み試合は夕暮れまで続けられた。