雛の歌姫 10
ルイスが小さな窓から外を覗き、タイミングを伺っていた。
横からその顔を見ていると段々険しくなっていくのが分かった。
「ルイスどう?」
ルイスは窓から目を離さずに答えた。
「何か、騎士の数が多い…。6人だけだったよな」
確かにここまで6人の騎士に守られて移動してきた。アリーシャも良くない状況に顔をしかめた。
「とりあえず、作戦な。ドア開けられるまで待つか、こっちから開けるかだけど…」
「こっちから開けよう」
アリーシャは迷わず答えを出した。
「…そうだな。相手は騎士だから、アリーシャも遠慮すんなよ」
アリーシャは大きく頷いた。
「左側の方が数が少なそうだ。扉開けたら、すぐに左側へ走れ」
「分かった」
「あのオッサンが戻ってくる前にやらなきゃな。準備はいいか?」
アリーシャは緊張で乾いた唇を湿らせて、一度大きく息を吸い込んだ。
「頑張る」
「よし。それじゃあ、いちにのさんでいくぞ」
ルイスがアリーシャを引き寄せて、ピタリと二人してドアの傍にくっついた。ルイスの鼓動もドキドキしている。アリーシャはすぐに走り出せるようにイメージしながら合図を待った。
やがてルイスがゆっくりと数えだした。
「いち、にの…」
ぐっと足に力が入る。
「さん!!」
言うと同時にドアを勢いよく開けてルイスが飛び出し左側へと走って行くのを目標に、アリーシャも駆け出した。
一番近くにいた騎士様を突飛ばしルイスはどんどん道を作ってくれている。二人目を突飛ばしたところで、三人目は長い黒髪の騎士様が待ち受けていた。
しかしルイスは怯まず、その彼に飛び付いて羽交い締めにすると大声でアリーシャに行け!と叫んだ。
アリーシャは必死に走った。目の前に幾人もいる騎士様を見ると恐れを感じるし先の見えないこの子供じみた逃亡が通用しないだろうとは頭のどこかで思ってもいたが、娼館に繋ぎ止められるだけの人生なんて我慢ならなかった。
(駄目かもしれない、でも売られるのは嫌!)
その思いだけで後は何も考えずに必死に走った。
どうやったかなんて、分からない。
明るい陽光の中に待ち構える騎士様をすり抜け、その手を振り払い通行人すら騎士様への障害物にして追っ手を振り切ろうとした。
いつの間にか目の前に騎士様は居なくなり、今度は背後から怒号と追われる緊張感が迫っていた。
昼間の喧騒の中、色鮮やかなテントの店が立ち並び、人も多くいたけれどアリーシャはそれらもスルリとすり抜けて走っていた。
息が切れる。汗が背を伝い始めても、呼吸が苦しくても、アリーシャは諦めなかった。
(ルイスが私のためにやってくれた。私が諦めちゃダメ)
そう言えば、ルイスは祈れと言っていた。祈れば後はどうにかなる、と。
あの時は適当だなぁと思ったが、今ならそれも信じられる。
アリーシャは、心の中で女神様に祈った。
(女神様女神様、売られたくないんです!助けて!!)
都合の良い願いだ。
でも心は籠っていた。
(カイウス先生とルイスと一緒に神殿へ行きたい)
(もっと歌を)
(ルイスと二人で、先生に立派になった姿を見せたい)
(どうか)
ままならない呼吸を必死にする。
(私に未来を下さい!)
ひた走るアリーシャの目の前に光が弾けた。
眩しさは、ほんの一瞬だった。
くらんだ目には輝く鎧しか見えなかったが、これまで護衛してくれた騎士様の銀色の鎧とは明らかに違う。
アリーシャは躊躇わずにその脇を駆け抜けようとした。
祈れと言われて祈ったら、偉い感じの騎士様が現れてしまった。
(まずいかも!助けてくれない感じ!)
だから呼ばれた名前も耳を素通りした。
ひた走り去ろうとするアリーシャは、その鎧を目の端に止めるだけで走るスピードを緩めなかった。
当然のようにアリーシャに向かって伸ばされた腕を避けたつもりだった。
なのに後ろからその腕はアリーシャの胴に巻きつき、担ぎ上げたのだ。
足は空を蹴り、腕は勢いよく鎧にぶつかった。
「いや───!!!」
咄嗟に出た悲鳴はその付近にいた騎士と通行人の耳を直撃して彼らが耳を抑え顔をしかめたことにもアリーシャは気づかなかった。
「や─だ─!!!」
嫌で嫌で捕まった現実を受け入れたくなくて、アリーシャはぎゅっと目を瞑ったまま、駄々っ子のように暴れた。
スカートの裾が捲れるのも構わず足は何度も鎧を蹴り、手は痛くなるのも構わず叩きつけた。
そのスカートを騎士が押さえて足を軽く拘束されても、止めなかった。
「アリーシャ」
「いや───!!!」
ゴン!ガシャン!と鎧を叩く音に混じって自分を呼ぶ声が聞こえたのは拘束を解こうと暴れ疲れてからだった。
超音波じみた悲鳴は街の人を避難させていて、アリーシャの周りには大きく空間が空いていた。
何度も肩で息をして、アリーシャはやっと目を開けた。
自分は捕まったのだ。
絶望は疲れと共にアリーシャから残りの体力を奪った。
もう、だめだ。終わったんだ…。
暗い考えが頭をよぎる。
「アリーシャ」
その時になって、アリーシャはようやく自分の胴を抱きかかえている騎士に目をやった。
アリーシャが暴れたせいで兜は地面に落ち、金茶色の柔らかそうな髪の毛はぐっちゃぐちゃに乱れてしまっていた。
「…せんせぃ」