103 一年後の若者たち
それからの毎日はあっという間に過ぎて行った。
オーレス様は毎朝のようにやって来ては、アリーシャの頭に止まったし、先生とサイノス様とは夜に教皇の庭へ散歩へ行き、他愛ないことを沢山話した。
アリーシャの声は出なかったけれど、温かく見守られながら勉強に励み、ついに一年が経って見習いを終える時がきた。
◆
その日も朝からオーレス様がやってきて、アリーシャの指に止まり念話を繰り広げていた。
隣にはルイスが座っていて、これから始まる筆記試験に向けて読み返している。
いつもの講義室には今朝はルイスとアリーシャの他にいなかった。(オーレス様はカウントにいれず。)
アリーシャは気だるげに頬杖をついて相槌をうったりしながら教科書を読んで、適当に聞き流しているのが丸分かりの酷い態度だった。
(もう少し神に敬意を持って対応すべきだと思うよアリーシャ)
(オーレス様、今日はなんの日か知ってます?)
(うん?何かあったかな?)
(今日は見習いの修了試験があるんですよ今から。私はお喋りしている場合じゃないのでお引き取り下さい)
昨夜は先生とサイノス様と教皇の庭へは行かず、夕食が終わった食堂で迷惑を承知でルイスと一緒に試験勉強をしていた。
先生はそんなに必死にならなくても大丈夫だと笑っていたが、サイノス様は試験に出そうなところを教えてくれたりもう一度ここを読んでおけと、なかなか役に立つアドバイスをくれて非常に助かった。
これまでの勉強が不十分なはずはないと思うけれど、試験に落ちるなんてことになれば先生にも迷惑がかかるし女神の歌姫という肩書きにも傷がつく。
歌姫が試験に落ちた、とかいい笑い者じゃないか。
だから絶対に合格しなければ、と力が入っていたのだ。
食堂から解散して部屋へ戻ったけれど、なかなか寝付けずもう一度教科書を読んでいると深夜になってしまい寝不足のまま、試験当日を迎えてしまったのだった。
そこへ現れたタイミングの悪いオーレス様は、アリーシャの不機嫌顔にも動じることなくペラペラと喋るのでついにアリーシャは立ち上がって窓へと近づき、指に止まっていたオーレス様を投げ捨てた。
「おいおいおいおい」
はっと振り向くと、サイノス様に現場を見られてしまっていた。
「今、オーレス様を投げたよな?一応神だからな?」
アリーシャは素早くサイノス様の口を手で塞ぎ、黙っていてと合図した。
「はっはっはっは!なかなか積極的だな」
「その手を離せ」
この冷たい声は先生だ。
サイノス様の後ろから、アリーシャが手首を掴まれているのを見て氷点下の声が聞こえる。
この一年でアリーシャにも分かってきた。
先生はアリーシャが誰か(特に男の人)と接触することを嫌う。
護衛の騎士から肩を叩かれたり、頭を撫でられたりすることすら嫌そうにするので、サイノス様に相談した結果、色仕掛けで有耶無耶にしろと言われた。
全く参考にならなかった。
「(先生!おはようございます!)」
サイノス様を放置して先生へと飛びつくと難なく受け止めてくれるこの安心感は何物にも替えがたい。
「おはようアリーシャ」
「先生、俺もいるから。アリーシャはいちゃいちゃすんなよ」
「おはようルイス」
ルイスも不機嫌顔で挨拶をする。
きっとアリーシャと同じくあまり眠れていないに違いない。
何しろ、ルイスも午後から所属先を決める為に騎士同士の対戦が既に予定されていて、試験に合格しなければならないのだから。
ルイスが正騎士の弟子になるのに、何人もの騎士が指導をしたいと立候補していたと聞く。
サイノス様を筆頭にヒルシュ様、スタグハインド様、ディーア様、チェルボ様、レセール様とほぼ知ったメンバーだ。
あまりに人数が多いためくじ引きで決めようと教皇様は言ったらしい。しかし、全員の反対にあって渋々と総当たりの模擬戦にすることになったと当事者のサイノス様から聞いた。(←教皇様は時間がかかるから嫌だったらしい)
ルイスもアリーシャも絶対に合格しなければならない試験だ。
気負いもあるし緊張もしている。
そこへオーレス様は無用だったので、投げ捨てたのは仕方ないと誰か肯定してほしい。
だって神様だし。簡単には死なないし。
やがて神官の偉い人(←名前を知らない)がしずしずとやってきて、その後ろから喧しい三十路の筋肉集団がぞろぞろついてきていた。最後尾にはなんとキャトルーまでいた。
皆さんお仕事は?
何事かとルイスと顔を見合わせて困惑するものの答えは得られず、問題用紙を渡された。
「本日の神官見習い修了試験を見届けるラメットです。体調の悪い者は申し出て下さい」
アリーシャとルイスは黙って見届け人を務める神官を見つめて次の言葉を待った。
「よろしい。この試験に時間の制限はありません。私語を慎み納得のいくまで記入し終えたら私に渡して終了です。質問のある者は挙手を」
無表情のラメットさんが言葉を切ったので、アリーシャとルイスはまた顔を見合わせて互いの疑問を瞬時に悟り、声の出ないアリーシャに代わってルイスが代表して手を挙げた。
「はい、ルイス。どんな質問でしょうか?」
「あれは試験に関係のある人達ですか?」
ルイスが入口付近に鈴なりになっている筋肉集団達を指さして聞いた。キャトルーに至っては涼しい顔で部屋の中に入り込んでいた。
「あれは伝統です」
ラメットさんの答えは非常に簡潔で理解に苦しむものだった。
「…伝統、とは?」
聞き返したルイスと同じく怪訝な顔をしたアリーシャにもラメットさんは静かに説明してくれた。
「見習い修了試験は神官一人、正騎士一人、巫女一人の監視の下で行われます。今回に限り正騎士が大幅に人員過多ですが問題はありません。気にせずおやりなさい」
「そうだぞ、気にしなくていいからな!」
ヒルシュ様が余計な突込みをいれて物静かなラメットさんに睨まれた。
「お黙りなさい。彼らの集中を乱すようなら退室を要求します」
「お、悪い!静かにしとく!」
ちっとも悪かったなんて顔をしていないヒルシュ様が軽く謝ったところで、試験は開始された。
「アリーシャ!酷いじゃないか!私を捨てるなんて!」
問題に目を落としたその時、空気を読まないオーレス様が這い上がってきた模様。
窓から軽い羽音をさせて飛び込んで来た小鳥に、ラメットさんは無表情で小鳥を睨み、筋肉集団は噴き出して爆笑し、サイノス様は額を押さえて天井を仰ぎ、先生はこめかみに青筋を立てて怒っていた。
アリーシャはぷいっとそっぽを向いた。
「オーレス様、今は大事な試験の最中ですの。お静かに願えます?」
いち早く動いたのは意外にもキャトルーだった。
しぃっ、と黙る仕草をして見せて、小鳥に掌を差し出して止まらせるとそのままわし掴み素早く胸元に押し込んだ。
「いい子にしていて下さいな」
オーレス様はそのまま頭部だけを覗かせて、黙って胸の谷間に挟まれた。どう見てもご満悦だ。
「…こえぇよ」
そう言った誰かの声は黙殺され、試験は無事に続けられ終わりをつげたのだった。