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昼食が始まった時間に着いた救務室では、医師が休憩に入ろうとしていたところだった。
迷惑そうに文句を言う白髪の背の小さなお爺さんに、キャトルーは申し訳なさそうに謝った。
アリーシャは背の高いスタグハインド様の後ろにすっぽりと隠され前が見えない。
「ワシが休憩時間を削られることを嫌うのを知らない者がいるとはな!患者がはけてこれから食堂へ行くところだったんだぞ?」
「先生ごめんなさいね。でも他の患者がいるときにこの子を連れて来たくなかったの」
「なに?」
「だってこの子は女神の歌姫なんだもの。騎士でごった返す部屋に入れられないわ」
申し訳なさそうに話し始めたキャトルーは、しかしその理由を正当化してまとめた。
「あの歌姫か!」
お爺さんが首を伸ばしてアリーシャを手招きした。
「ほほぅ、この美貌はまさにあの歌姫だな!いやぁ、あんたの歌声は凄かった!ワシは生まれてこの方、あんなに震える程の感動をした覚えがなかったわい」
目の前で絶賛されると恥ずかしい。
キャトルーは当然という顔で、スタグハインド様はそのキャトルーを呆れた目で見ている。
「それで、どうしたんだ?その頭の鳥はなんだ?」
どうやら診察してくれるらしい。
「声が出ないんですの。今朝から」
アリーシャを前に押し出して椅子に座らせながらキャトルーは深刻な声色で言った。
「何だと?声が?」
「頭の鳥はあのオーレス様ですので失礼のないようお願い致します」
医師が眉を潜める。
「声を出してごらん」
思ったより優しく言われ、アリーシャはその通りにした。
お爺さんはそれに頷いて、今度は首に手を添えてもう一度と言う。
一通り喉や目を診た後に難しい顔で診断をくだされた。
「どこも悪いところは見当たらん。心因性のものかもしれんな」
「…治る見込みは?」
スタグハインド様がズバリと聞いた。
「何とも言えん。心因性ならこのお嬢ちゃん次第だろう。昨日あるいは近いうちに何か衝撃的な体験をしていないか?」
キャトルーは考えあぐねた末にこう言った。
「…いずれは公になることですが、それまで秘密として守っていただけるなら」
「面倒ごとなら聞かん」
素っ気なく答えた医師はポンポンとアリーシャの肩を叩いた。
「心労が一番良くない。誰かに相談したり気晴らしして心に抱えた辛いものを吐き出す方法を覚えることだ。何かあったらまたおいで」
思いがけず優しい言葉をかけられ、アリーシャは頭を下げた。
「さてワシは昼食へ行くぞ。構わないな?」
医師は救務室から四人を閉め出して鍵をかけ、いそいそと食堂へ向かって行った。
「…心因性となるとカイウスは黒だな」
「いや、まだ完全にカイウス様が原因という訳では…」
取りなすようにブルス様が言いかけたところをキャトルーが断定した。
「まず間違いないでしょう。カイウス様のせいですわね」
キャトルーとスタグハインド様は先生が原因だと決めてかかるのでアリーシャは首を振って違うと伝えた。
「アリーシャ、昨日のことは俺たち護衛は全て聞いている。シュティーアに何をされたか、その後にカイウスと何があったか全部だ」
目を見張ったアリーシャにスタグハインド様は言い聞かせるようにゆっくりと言った。
「護衛は本来、対象者の身を守るだけのものだが俺たちはそうじゃない。女神の歌姫の心身ともに守ることを義務づけられているんだ。この神殿でお前の存在はかなり重要だと覚えておいてくれ」
瞠目したアリーシャに更にスタグハインド様は言った。
「もしカイウスがお前の為にならないと判断されれば、場合によっては護衛から排除されるか遠方へと赴任させられるだろう」
真っ直ぐに目を見て言われたその内容に、みるみる目が潤み始めた。
「圧力をかけないでいただけないかしら?只でさえ心因性と言われたばかりなのに、余計な不安を与えないで下さいな」
不快げにキャトルーが長身の騎士を睨み付けた。
「本当のことだ。隠してもいずれ分かる」
「そうだとしても!言いようがございますでしょう」
言い合いを始めた年配二人から、ブルス様がそっと遠ざけてくれた。
この人は軽そうな外見からは想像しにくいが割りと人の機微に敏い。
「えぇとさ、あんまり外野は気にせず君は幸せになったらいいよ」
ピヨっとオーレス様がそれに賛成するようにひと声鳴いた。