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硝子鉢  作者: 夢島つづら
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とある小説家の願い

己の生を恨んだ事はあるだろうか。己の運命を恨んだ事はあるだろうか。掴めもしない希望を抱いて、今日も死と言うなの恐怖に向き合う。

湯ノ國秋(ゆの くにあき)という男はそういう男であった。

湯ノ國秋、本名夢島秋邦(ゆめしま あきくに)が生まれたのは大きなお家の分家であった。

産まれた当時から身体が弱く幼少期は寝たきりで過ごす。運動をするなんてもってのほかであった。そんな彼にとっての外の世界は窓の外。一枚の薄い透明な壁に遮られているのである。手を伸ばしても決して届く様なものでは無かった。

巡り巡る季節を彼はずっと映像として眺めるのだ。

それはとても虚しく哀しいものである。

何度も何度も己の弱い身体を恨んだ。冬が来る度に死を覚悟した。

嗚呼、どうして僕は皆とは違うのだろう。僕もみんなの様に駆け回りたかった…皆の様に沢山外の景色に触れたかった。

そんな時に出会ったのが1冊の本である。作者は分からなかった。

唯、その本を見た時に彼は思わず涙を流したのだ。

色鮮やかな世界、自分の届かないと諦めていた世界をその本は見せてくれる。

連なる山々や、色とりどりの木々、そして何処までも続く広い海。

彼は初めて外の世界に触れたのだ。

國秋は泣いた。泣きじゃくった。何故泣いているのか分からなかったが今まで溜めていたそれを全て零したのだ。これは、悔しい涙でも、哀しい涙でも無かった。嬉しい涙である。己の欲しかったものが手に入った涙であった。

こんな事は初めてである。そして彼はふと、思う。自分も、僕もこんなふうに誰かに希望を届けたい、と。

これが、彼が本を書き始めるきっかけであった。

沢山沢山書いた。本を書く事は外を走り回るのとは違い布団の上でも出来る。だから両親が反対する事は無かった。

國秋にとって書く、という事は唯一の楽しみであり、希望になる。

笑う日が増えた。

國秋には従兄弟が二人居た。彼らは本家の方の子供であった。身体が弱い為走り回って遊ぶことは無かったが、父に連れられて何度か会いに行った事は覚えている。

彼らは二人とも自分には想像出来ないくらいに大きなモノを抱え込んだ居た。

一瞬一抹の不安感を覚えた國秋だが、すぐに理解した。彼らは人を愛したかっただけなのだ。彼らは義理の兄弟であると聞いていたが、とても良く似ていると國秋は思う。

とても可愛らしい従兄弟達であった。そして二人の話に耳を傾ける。沢山聞いた。彼らの話を聞いた。自分は余り外に出ることは無かったが良く従兄弟達は遊びに来てくれた。特に上の結鶴はひとつ違いという事もあり國秋を兄のように慕う。

彼らは時折外の話をしてくれた。それは國秋に取っては別世界の話だ。そんな彼らに絵葉書をよく貰う。そこには海や山々の絵が淡く水彩で描かれていた。國秋はそれを見るのが好きである。自分の見たことの無い世界をこの目で見れる絵葉書は彼にとっては宝石よりも何倍もの価値があったのだ。

ありがとう、と貰ったそれを彼は1冊の本の間に挟み込む。それが國秋の宝箱であった。

月日が過ぎ、本を書くようになって弟子が出来る。とても可愛らしい弟子であった。この時が一番身体の調子が順調で恐る恐るも外に足を運べるようになる。そして外に出ると弟子が後からちょこちょこと付いてくるのだ。

それが楽しみの1つでもあった。己の体調を心配して付いてきているのだろうか。詳細は分からないが見守ってくれる彼に國秋は感謝を覚えた。そして心の中でそっと「天使さん」と弟子を呼ぶのだ。

天使さんは可愛らしい子であった。ずっと、己を見守ってくれていた。

この時國秋は思う。

もし己が倒れたら彼に全てを残そうと。

それからは早いものだった。すぐに國秋の様態が悪化した。父はすぐに己の身体を病院へと移した。

不治の病であった。治ることはもう無いと告げられた。

嗚呼、己は見捨てられたのだ。神に見捨てられたのだ。そう思うと自然と目から涙が溢れてきた。何故僕はもっと頑丈で元気で笑っていられなかったのかと。何故もっと書きたいものを書けなかったのかと。そんな悔しさだけが残った。

身体みるみるうちに見てわかるくらいに弱っていった。従兄弟や弟子が遊びに来る。それが國秋にとっては苦痛であった。こんなにも弱ってしまっていた自分を見せるのはとても苦痛であった。

嗚呼、お願いだ、こんな僕を見ないでくれ。

そんな時に天使さんが来た。天使さんは僕を見るやとても辛そうな顔をする。嗚呼、こんな顔をさせたいわけじゃなかった。

「先生、僕は貴方の事をずっとずっと見てきました。今の貴方の姿はきっと僕には見られたくは無いでしょう。でも、見せてください。僕にとっての貴方は僕の全てなんです。だから貴方の最期まで、全部、全部見守らせてください」

思わず涙が出た。何故君はそんなことが言えるんだ。こんなにも弱って醜い僕を見たいと見守りたいと言ってくれるんだ。己は泣いた。泣いて、泣いて泣きじゃくった。天使さんが居ることも構わずに泣きじゃくった。天使さんも己に釣られたのかどうなのか一緒に泣いてくれた。確かに身体は弱かった。不治の病にもかかった。だけれども、こんなにも素敵な弟子が僕の傍に居た。それだけで報われた気がした。

そう思うと、すぅ、と身体が軽くなる。急に眠たくなってきた。

「ねぇ、天使さんお願いがある。もし、僕が居なくなった時は、僕のこの意志を君に受け継いでほしい。君は僕にとって最愛の弟子だ。君が居てくれて、毎日の様に見守ってくれて僕は救われた。ありがとう」

そう告げると己は目を閉じた。嗚呼、きっとこれからは僕は……

息を引き取った彼は最期になにを見たのだろう。白い天井か、はたまた全然違う彼の望んだ理想郷が見えたかもしれない。

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