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硝子鉢  作者: 夢島つづら
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父の懺悔『空の一粒』

飯褄萩吉、本名夢島萩吉。愉快でお調子者で小説家を兼業していた彼はいつも人に囲まれていた。

笑いが耐えない毎日だった。

しかしそんな彼でも精神を病んでしまう事がある。

これはそんな彼の最期に行き着くまでの物語

ほんの出来心だ。少しの好奇心だ。この日の事は後悔はしていない。手に持った錠剤を5、6粒口にする。いつもの倍だ。医者で処方された指定数は2粒まで。わかっていた。わかっていたけれどもこの時のは止められなかった。きっと狂っていた。自分が、世界が、自分自身という名の存在が、燃える炎に爪先をついてくるり、と踊っていたのだ。

嗚呼、楽になれる。

そう思っていた。

目が覚めると病室だった。どうやら勤め先で倒れたらしい。倒れた時の記憶は無かった。信じられない。自分が倒れたのか。とは思ったが、己の手から宙へと伸びる細い管が倒れた事を証明させる。昨日まではこんなにも人工的に作られた糸は無かったのに。点滴は己にとっては糸だった。生命を繋ぎ止めるための糸。己を縛る細い細い今にも切るれてしまいそうな糸。どうせなら切れてしまっても良かったのに。

もう生きる理由は見いだせない。

見いだせはしない。しないけれど、手に残る針の痛みは生きているという証を嫌でも実感させてくる。手首の側面に針を刺されるのは流石に初めてのことであった。初めてだからこそ余計に痛く感じるのかもしれない。

嗚呼、嫌だ。そう思いつつも伸ばすは白い空。いや、壁だ。これは空ではないのだ。良く知るあの晴れ渡る空ではない。空っぽだ。真っ白な空っぽだ。

伸ばした手には雲は掴めない。

ご飯が食べれない日が続いた。胃に入れると酷く圧迫される胃がどうしても許せなかった。食べる度に何度も何度も吐き出した。吐き出したけれど吐き出せない日もあって、その日は酷く胃に迫る圧迫した痛みに悩んだ。原因は不明らしい。病食が喉を通らなかった。腹はなるけれど口が、喉が受け付けない。まるで入ってきたものを敵だとみなすのか口という門が閉じるのだ。

嗚呼、仕事の方は大丈夫だろうか。息子はまだ小さい。爺さんがそういや生きていたな、暫くは頼むか。それか弟の静吉に頼もう。…そういや前うちに来た使用人の娘の腹の子はどうなったのだろう。そうんな事をぼう、と考えた。

病室の寝台の向こう側には妊婦さんが居た。名を何と言っただろうか。良く覚えて居ない。居ないけれど、今の己には無い希望に満ちていた。嗚呼、これが生命の輝きと言うのだろう。産まれてくる前の赤子に声を掛ける。彼は喜びに満ちた彼女を疎ましく思ってしまった。向こうは喜びに満ちていた分だけ自分の汚い感情が前に出る。何故私は生きているのだろう。誰もきっとこんなふうに己がなるなんて思っていなかった。いなかったのにこんなふうに育ってしまった。

残ったのは空虚な心と罪悪感。自分自身の黒い感情は決して己の力では抑える事が出来ない。

妻が居た。とても愛らしい妻だった。脆くて履かなくて風が吹いたら倒れてしまいそうな程に弱かった。だから、守りたかった。守りたかったのだ。だけれども、己の精神と向き合うと彼女を幸せにする事はとても出来たものじゃなかった。己が言うのはなんだが、己は恥ずかしがり屋だ。見せつける為に付き合っている訳では無いと頑なに相手を隠す。それが仇となったのだ。彼女にはそれが不満だった。沢山の罵声を妻に浴びせられた。嗚呼、己が悪かった。そっとしておいてくれ。きっともう後悔しても遅いだろう。分かっているけれど後悔した。

そして友人と喧嘩をする。彼は優しい人だ。だからこそ、そんな己に腹を立てたのだ。彼は叱る。何故、僕に言ってくれた事を相手にしてやらないのかと。わかっていた。けれど現実は思った以上に厳しかったのだ。

己は友を一度追い詰めたことがある。己の大切な人が彼に恋をした時だ。どう大切なのかは己でも分からない。でも、大切なのだ。母の様な存在であった。己は彼女を尊敬していた。いや、崇拝に近かったのかもしれない。だからこそ彼女に縋って居た。きっと恋に近い感情を覚えたのだろう。

でも、それは恋ではない。消して違うのだ。

彼女とは身体の関係を持っていたが違うのだ。妻が居たのに彼女を己は取ってしまった。己の子を身篭らせてしまった。崇拝していた彼女が友に恋をした。理由はそれだけだ。だから応援したかった。彼女に幸せになって欲しかった。なのに私は友も彼女も追い詰めた。最初は追い詰めてことは知らなかった。彼に言われて初めて知ったのだ。友を大切な友人を裏切ってしまったことを知ったのだ。だから、距離を置いた。

一つに縋り付いてしまうと周りが見えなくなるのが悪い癖である。縋り付くけれど愛されたい訳では無かった。人から向く愛情が怖かったから。だから見えてしまう表立った愛よりも返事が欲しかった。相手からの返事で安心感を持てていたから。だからきっと己が欲しかったのは愛情ではなく安心感だ。己が安心して笑って居られる平和な環境が欲しかったのだ。

怯えていた。いつかは返事が来なくなるという恐怖に。だからこそ文を溜める。溜めて、溜めて己の心を満たしていた。満たしていたからこそ疎かになったのだ。わかっていたけれど、文が返事が帰ってこなくなる恐怖には逆らえない。続けると言うよりも返ってきた、という安心感が欲しかった。妻には冷たい人だと言われた。きっと返事を溜めすぎたから。愛を己の中に留めすぎたせいだから。彼女と身体を重ね子供を身篭った事を妻が知った時にはもう遅かった。妻は壊れてしまった。

妻も愛する人も友も失った。これは飯褄萩吉の私のとても滑稽で空っぽの物語。

『空の一粒』と名付けよう。そうだ、それが良い。私の最期の作品だ。

そして己は病院の窓へと向かった。私の入院している部屋は高い所にあった。嗚呼、さようなら愛するもの達よ。さようならまだ見ぬ息子よ。

さようなら。空っぽな青空よ。

さようなら

皆様さようなら

手を叩いて笑いましょう

さようなら

後悔一粒カァラカラ

涙と一緒に流しましょう

さようなら


さようなら


これが飯褄萩吉の物語。

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