人類の末裔 二
迪恩は愛香を再び内城壁内の一室へ導いた。そこには、大火傷を受け、虫の息の導師、吉李恩が寝かされていた。髪は黒く、皺のない顔から見て、年齢は確かに二十代終わりの程度である。しかし、内臓や血液を簡単にスキャンしただけでも、身体中が癌に侵され、多臓器不全に陥っていることは明らかだった。
愛香は手早く周りを観察した。李恩の横には導師の持ち物とされる棒状の聖杖が置かれている。迪恩の話では、それらの原料はカムチャッカ半島の火山地帯でのみ産出するガーネットなどが原料ということだった。聖杖と呼ばれたそれは、希土類などがドープされた色のラインと、ガーネットメタマテリアルのラインとが杖の手元から先まで伸びている。また、別のラインには無数の点のシートが縦に積層されたような模様が見え、その点の一つ一つが小さなCの字の形状をしていた。握りの先の太い鉛は恐らく放射線源が仕込まれていると見られた。これらの構造が接続されたり隠されたり露出されることで、周りに溢れる自然放射や放射性物質からの特定の放射線を集める仕組みなのだろうか。恐らくは様々な波長の電磁波を増幅しパルスレーザーのようにして閃光衝撃とするのであろう。
看病をしている医者だろうか。彼は迪恩の顔を見るなり首を横に振る。迪恩はショックを受けたように李恩に駆け寄った。李恩はおもむろに目を開け、最期の言葉を迪恩に告げ始めた。
「我が子よ。私は先祖の辿った道を行く…。私は授けるべきことをお前やオリエ、それぞれの相応しい者達に渡してきた。お前もいまは十分な働きをしておる……。」
「我が師よ。私達はもう打つ手を全て打ちましたが、煬軍は圧倒的に強く、我々一族はもはや潰滅しようとしています。しかし、この方を神は我々に示し、神が私達を見守ってくださっていることが分かります。我々の神が御臨在の御前にある今、生きるも滅ぶも御心のままに進むだけです。ただ、慈愛と精神の自由とを賜った我々一族の他に、神を賛美申し上げる者達が居なくなった今、我々までがこの世から絶たれることが残念です。私のしてきたことは、私が愚かであったがため、全てが無駄でした。全ては私の無能さがもたらした事態です。だから特に私は戒めとして、妻を失いあなたも失おうとしているのだと思います。」
「我が子よ。お前がしてきたことが全て無駄に終わるはずなきことを、お前は知っているはず。」
「しかし、我が師よ。いや、父上。おろかな私はどうしたら良いか、わからなくなりました。もはや、突撃することしか考えられません。」
「我が子よ…。感情に動かされるな。情念は我らを神から引き離し、滅びに至るものぞ。」
こうして導師は息を引きとった。外では、電磁重力シールドで赤味を増した太陽が地平線に近づき、暗闇が街をふたたび覆い始めていた。
愛香はことの重要性を直感した。この民達は非常な短命であることがうかがわれた。導師と呼ばれる長ならば比較的に長く生きられるようだ。しかし、外で活動する者達は、戦いで命を落とすか強い残留放射線かで、軒並み二十歳前後で亡くなっていることがうかがわれた。彼らにとって待つという気の長い選択肢はあり得ないと知るべきだった。また、迪恩がこの城内の一族の指導的立場にあることはある程度わかってはいたが、導師という父までが指導者として来て居たのだった。そして彼等が大切にしている価値観が自由と神への委任であることは、見捨ててはならない者たちであることを意味していた。
愛香はコミュニケーターを通じて事態をイボー達に報告した。すると、イボーから報告があった。
「愛香。夜になって煬軍が動き出した。彼等は四十万の軍勢で押し出し始めているよ。」
煬軍の四十万は各々松明を手に既に隊列を整えていた。彼らはまず、略奪を終えた外延地域を含めた町全体を、攻城機と電撃で殲滅する構えだった。愛香達はやっとの思いで迪恩達の突撃を思いとどまらせている。
「今は待ってください。」
愛香は多数の荷車を用意させ、それを活用しようとしたが、それでも安全な山向こうにある洞窟と城内との間を三往復させる必要があった。愛香は時間を稼ぐために、迪恩を一人伴って敵陣へ交渉に出向くことにした。若さと管理された皮膚や体調には自信があったものの、出向く前に大気内スーツや自らの顔を姿見の鏡で念を入れて確認しておくのは、やはり女心であろうか。
交渉の旗を示しつつ、迪恩は愛香の先立ちとなって案内した。暗がりの中で松明に照らされた敵陣の人間達も、非常に若い年齢層だった。おそらく、十四〜十九歳辺りだろうか。愛香達が近づいて行くと、敵陣には迪恩の姿を見てどよめきが起こった。威嚇の声を上げる敵陣の中を二人は奥へと導かれて行った。
「吉迪恩よ。よく来た。降伏に来たのか?。」
敵将は横柄な口の聞き方をした。敵将達は、おそらく二十歳〜二十五歳の辺りであろうか。
「ヤルカ将軍。ちがうぞ。我々は協議に来ただけだ。」
「そちらは、もう滅ぼされるだけだろ。今更交渉してもこちらに利益はない。」
「人の道として、非戦闘員は外へ逃がしたい。」
「人の道?。それはなんだ?。我らに豊かな恩恵を賜るわが神々の中に、そんな教えはないぞ。それに此方の攻め方を知られて、そのまま逃がすわけがなかろう。」
愛香は横から口を出した。
「ひれ伏してお願いしても?」
「お前は迪恩の女だな。今の段階になって、降伏か?。それもありえない。」
「私があなた方に演舞を披露してもか?」
「演舞?。それなら、今やってみせろよ。」
愛香はスーツの透明度を上げ、力場を微妙に変化させた。彼女はその感触を確かめながら黒く長い髪を輝く力場の中で妖しくなびかせ、体のラインをあらわにしながら舞を踊った。迪恩は驚きと戸惑いの態度で顔を伏せて愛香の体のラインを見ないようにしているが、敵将達は魅了されている。愛香は舞を踊りながら、付近の足元を観察し、また内城壁からの脱出の時間を稼ぐために、周囲に広がりつつ動いた。
突然に敵将から声が出た。
「もういい。見飽きた。」
此処までかと思いながら、作業状況を確認した。あと少し。
愛香は敵将をにらみながら言葉を返した。
「それなら、どうして私達を受け入れたのか?。」
「多分私の気まぐれであったのだろう。しかし、迪恩の顔も見たし、お前の卑しい踊りも見た。もうお前達を生かしておく利益は何もない。」
愛香は卑しいと言われた恥ずかしさと、我慢して舞を披露した自分の姿の恥ずかしさとで、顔が赤黒くなった。次第に怒りが増している。
「あまり私達を怒らせない方が良いいわよ。」
敵将達はその警告を無視した。迪恩と愛香はそのまま拘束されて、戦場の真ん中に縛り付けられている。多分見せしめなのだろう。迪恩は、離れた敵陣の松明と、対する街の火とに薄暗く照らされた顔を愛香に向けて、申し訳なさそうな目をしている。愛香はその目に笑顔で答えた。コミュニケーターの知らせではこの時間になってやっと脱出は終えられた様子だった。
「もう、脱出は終わった様子ですね。」
「そうですか、それならもう思い残すことはないです。愛香様、此処までしていただき、ありがとうございます。」
「まだ、その言葉は早いですよ。」
そんな言葉をやりとりしているところへ、電撃が襲って来た。それを見た愛香は、流れて来た電撃を曲げて二人の拘束ロープを焼き切らせた。
「ついてきて」
電撃が集中する中を力場で切り開きながら、愛香は迪恩を従えて敵の陣へ再び進み始めた。今回は迪恩に迪恩達の国の旗印を高く掲げさせている。電撃は愛香の展開する力場を七色に輝かせたが、愛香達の前進を留めることは出来ず、敵陣の中は騒然とし始めた。
「最大呪術が役に立たないぞ。」
次第に近づく愛香達の前に、電撃が止んだ。それとともに、敵将のその参謀達は逃げ出し、四十万の軍勢は八方に逃げ出し始めた。




