人類の末裔 一
ようやく朝となった。吉迪恩は、矢で射抜かれた左肩の痛みも忘れて、頭上の空間に向かって叫び続けた。文を地面に書き付けもした。先ほど、あれほどの力の顕現をしながら、なぜ今は現れてくれないのだろうか。迪恩が奮起できたのは、そばにいてくれているはずの神の御使が姿を現してくれたからだった。しばらくして、迪恩は姿の見えない何か冷たい手により腕を引かれ、人気のない城塞の上へと導かれた。周りを見渡すと遠くに敵陣地が見えた。周りには誰もいなかった。そこへ、愛香は力場を展開しながら現れた。愛香は、残存放射能から愛香自身を守るためにトラリオンを広げて上半身と下半身とを覆い、残る二枚で浮揚シールドも展開していた。迪恩の目には、急に愛香が現れたようにみえ、愛香の周りにトラリオンの六つの力場が光を反射して煌めく。彼は思わず地面にひれ伏した。迪恩は、愛香の冷えた柔らかな手が彼の射抜かれた肩に触れ、痛みが癒されたことを感じていた。
「立ち上がってください。」
愛香から迪恩へ上手く会話が成り立つかどうか分からない。やはり彼はひれ伏したまま頭を上げなかった。
「我らの創造主は、畏れ多くも光なるアダニーをして徳の内に我らを創造したまい、創造の前より我らを選びて共に歩まれる神。御尊顔を拝することなど滅相もなき事なれば、このまま平に。」
彼の答えからすると、彼は「創造主」を信仰しているらしい。しかし、愛香を相手にこの姿勢を示されると、どの様に対すれば良いか。これから話す言葉が彼と彼女の関係を定める極めて重要なポイントだった。
「私は愛香。私達は貴方達と同じく仕える者です。」
これを言うことは彼等と愛香達とが味方であることになる。しかし、特定の勢力の味方になることは、この地の実情や秘密を探ろうとする際に難しい局面ももたらすと予想された。しかし地球現地の人間達に入り込むには、他に良い手段も見当たらなかった。
さて、立ち上がった迪恩は戦士の長らしかった。彼は愛香を仲間達に紹介したいというそぶりを示した。しかし、愛香は、今、あまり姿を晒したくなかった。
「今は私を皆に晒したくはありません。ただ、皆の様子を見せてください。貴方の後ろをついていきます。姿が消えても、心配しないで。」
迪恩は愛香にそう告げられ、後ろからついてくる愛香の方を、訝しげに見ながら内城壁内を歩き回った。血と汗の匂いがたち籠る城内には、戦士の十四から十九歳と思しき十数人の男たちの他は、幼い子供たちとやはり幼い母親たちの二百家族ほどがいた。彼等は先程祈りの時を終え、それぞれの持ち場に戻って着る途中だった。外の戦いの厳しさを知らされたはずだが、何かを確信しているのか、騒がずに淡々としている。
また、この他には、瀕死の一人の二十代後半の導師と呼ばれる男が居るということだった。
一通り巡り終わると、昼となっていた。愛香は迪恩の自室に案内され、愛香は姿を現した。迪恩は部屋の外に控えている少年と少女に食事の準備を指示した。
愛香に出されたものは一握り程度の木の実と干し肉二枚だった。木の実はアクがつよく、干し肉は燻した煙の臭いがきつく、少々噛んだだけでは柔らかくならなかった。愛香は思わず顔をしかめている。ようやく食べ終えたところで愛香は尋ねた。
「導師と呼ばれた方はどんな方なのですか。」
「愛香様。それには、私どもの帝国を説明する必要があります。私どもの古い先祖は、はるか南の大陸から元の地へ戻ってきたと教えられています。その後に、西大陸の西の果てからやって来た者達が、徳の治と自由を愛する教えを植え付け、帝国が始まったとされています。私どもの帝国の版図は東は海に面し、西は砂漠に面する境、北は氷の領域に面した領域、徳の治により自由の民となっている者達の領域です。ここは南の煬との国境となります。煬は南の方から徐々にこの国の領域を侵し、今では我らの大都に近づく勢いです。そのため、わが皇帝陛下はこの地に防衛のための導師とその一族を派遣したのです。しかし、導師は先の圧倒的な呪術の雷に対抗できずに至近打撃を受け、瀕死の状態です。我々は最後まで戦いますが、打ち破られるでしょう。」
「煬軍の最後の攻勢があれば、我々は最後の突撃をするつもりです。そのあとは、女子供も殺され、いずれは帝国も滅びるでしょう。しかし、神があなたを遣わされた今は、我々は最後まで精神の自由を侵されないために戦い抜ける確信が得られたのです。」
愛香は精神の自由という言葉の響きに、愛香たちが月で大切にしていた心を思い出していた。
「私達に助けを求めないのですか?」
「なぜさらに助けを求めることが必要なのですか?。私達はいつも神に祈りを捧げています。神は私達に必要なものは祈る前から全てご存知です。ですから愛香様がお姿を見せてくださったのでしょう。先ほどの微動だにしないその御臨在の御前にあって、さらに何を求めるでしょうか。神は私達に必要なものを既に下さっています。私達が滅びることが御心ならば、そのままに受け入れます。御心ならば、助けていただけるでしょう。」
愛香は閃きと共に驚きを禁じ得なかった。彼女たちはこの地上でこのような考えの持ち主に会うとは思っていなかった。
「そ、それならば今は突撃をお待ちなさい。時を待つのです。」
「戦うこと、努力を止めよと言われるのですか?。しかし、私達は、このままでは、死んだ私たちの妻たちの亡骸に顔向けできません。彼女らはしばらく前に殺されて居るのですよ!」
迪恩は初めて激情を示した。迪恩は愛香の腕を取り、城内の墓地に連れて行った。そこは地下の冷たく冷やされた倉庫のようなところだった。
「愛香様、先ほどは失礼申し上げました。お許し下さい。情念に惑わされてしまいました。情念は人を神から引き離すものでしたから……。さて、あれは一ヶ月前のことでした。子供らとともに野原で採取をして居た彼女達に煬軍の強行偵察部隊が突然襲いかかりました。私達はやっとの思いで亡骸を取り戻して、この墓地に埋葬したのです。」
迪恩が指し示した生前の姿は、十代の女の子と呼べるような若い姿だった。迪恩は涙を流している。
「彼女は良い母親でした。私の三人の子をよく育てていました。」
「貴方には子供がいたのですか?」
愛香は驚いていた。
「貴方は今何歳ですか。」
「私は十七歳です。」
「子供さんの年齢は?」
「長男のオリエは三歳、残りは一歳と乳児の女の子です。今は母親仲間の一人に他の子供達とともに保護されています。しかし、次に攻めてこられたら彼等も長くはないでしょう。」
愛香は驚いてさらに聞いた。
「それなら導師はおいくつなのですか。」
「彼は二十九歳です。実は彼は私の父吉李恩で、蒙諾諾和族の吉家の族長です。今、彼は重体で危ない状態ですが、既にもういつ死んでも不思議ではない年齢になってはいるのです。」
迪恩の元に若い少年伝令がきた。導師が死にそうだということだった。




