地球へ 三
ペードリアンは愛香をそばに置くようになってから、私的な時間を過ごす愛香の性格にほだされた。また、愛香の方も、ぺードリアンが愛香を決して厳しく見ることのなくなったことに、亡き父親のまなざしを重ねていた。
作戦決行の前日、林愛香達候補生は、月首脳部の前で、艦隊司令長官から命令を受ける為、出頭して居た。 その日になって、ペードリアンは愛香の頼りなさげなスーツ姿に動揺して居た。そのせいであろうか、月文明上層部の閣議で、愚かにもペードリアンは艦隊司令長官にまた食い下がっていた。
「やはり、愛香は作戦の司令をさせる方が得策だ。」
周りの職員達は、今まで数十年ペードリアンが見せたことのない愚かな態度を見て、驚いていた。
「何を今更。どうしたんだ?。重力電磁場障壁の下に行かないと、通信ができないことは明らかだ。つまり、不確定要素ばかりのこの作戦で、特に文献とその体系化に才能のある林君が現地で臨機応変に方針を立てるしかないことは明らかだろうが。……それとも、林候補生が君の唯一の家族だからそのようなことを言うのか?」
彼らは議論をしたまま首脳部のテーブル近くで立ち止まっていた。やはり、と思いながら愛香は席を外し後ろから目立たぬように近づいて、ペードリアンの左手を握って引いた。
「お、おじいちゃん…いえ、閣下、おやめ下さい。」
ペードリアンが見おろした愛香の目には複雑な表情があった。それを見たペードリアンは、我に返って黙らざるを得なかった。
月の北極領域では恒星間航行艦船の発着場が広がる。その隅の一画に、小規模の個人艦船の停泊場があった。愛香ら五人の候補生とその警護部隊は、ここから二枚貝のような耐圧快速艇で、地球へ向かうことになって居る。彼らの装備は酸化イットリウム安定化ジルコニアとジルコニアニッケルサ ーメ ットそれにストロンチウムカルシウム添加マンガン酸ランタンのペ ロブスカイ ト型酸化物が配置され、ガーネットメタマテリアル結晶が散りばめられたスーツ、そしてエナジーパックという見た目は簡単なものだ。だが、地球への接近は隠密なもの。地上を長距離スキャン出来ない現状では、壁を少しづつ削って穴をあけるような慎重な行動が必要だ。
一行は月から飛び出して、地球へ接近していく。重力電磁障壁に近づき、障壁の中立化を図りつつ艦体を濃密な大気に沈めると、もう月との通信は途絶えてしまった。
目指すところは、自滅したという帝国の一つ、その首都だったユーラシア大陸の東の都。いまはもう廃墟さえ残って居ない虞もあった。とにかく、そこに行くには、黄海から上陸を試すのが一番良いと思われた。
深夜の闇に塗れて、艦艇は目標から東方300キロほどの海岸地域に着水した。そこから陸上を観察すると、大きな寺院の伽藍のような建物が見えた。地上にはすでに文明が再生している、と言えるようだった。しかし、照明と呼べるものは、松明か何かのともしび程度しか見えなかった。
「地上には動きは見られません。こちらに気づいた様子も観察されません。気温は二十八度。天候は初夏の晴れ。やはり残存放射能があります。」
しかし、海岸線に近づくと、どのように気づいたのか、暗闇の中にこちらを見て身構えている集団がスキャン装置の上で見て取れた。伽藍のある街を取り囲んで陣を構えている大軍だった。
「上陸を悟られている。危険だ。」
そういうと同時に、陣地から何かが投擲の様に投げられ、その少し後に雷のような電光が上空から艦に向けて発せられた。電撃は中和されたが、確かに電撃だった。
「急速潜航。」
そこを離れざるを得なかった。水の中に没すると同時に二度目の電撃が襲って来た。
士官の間で声が錯綜する。
「今の攻撃の特徴を分析して!」
「海岸線に沿った陣営の上空からの電撃。電圧は八百万ボルト。」
「水中に向けて電撃がありましたが、中和の必要もありません。水の中では威力がありません。つまり、電子による衝撃であったと見ることができます。」
「上空と発信者との間に生じた高電圧を利用した電撃と見られます。電撃の経路は明らかに制御されて居ます。つまり電子の流れやすい場を人為的に作り出してこの艦体に命中させて居ます。」
艇長が愛香達にアドバイスをもとめてきた。
「ここの住人達は、電気設備を持って居ない、少なくとも照明設備を持たないと思います。」
「しかし、あの電撃は、電磁場用の送受電設備、強電設備がないと不可能に思えます。それにしては、配電設備は見当たらなかったと思います。」
「また、何故私たちに気づいたのでしょうか。」
「私たちの常識とは異なる技術体系があるとしか考えられません。一体何があるのでしょう。」
「このままこの艦艇で接近することが得策かもしれません。大概の力場や物理攻撃であれば、耐えられます。」
「それでは、大げさな反撃という歓迎の中で接近することになり、隠密行動などとは程遠いものになりますよ。」
愛香、フリオ−ハルデイ、権淑姫、淑香の姉妹、イボー−オブジェべ 達は議論を引き取った。
「まず、相手は伽藍のある街をかこんで陣営を設けているのですから、正面から当たると敵と認識されてしまうでしょう。かといって今回の接近方法はまた探知されるでしょう。多分、この艦艇の大きさが探知されてしまう、もしくは怪物と認識されているのかもしれません。個人単位のシールドで隠れながら陣営へ潜入して見てはいかがでしょう。」
夜の間に、その陣営にはイボーと下士官三人とが潜入することとなった。量子振動遅延効果遮蔽を作動させながら彼らは潜入を開始した。残った愛香達は、イボーがコミュニケータで伝える三次元映像を見ながら、固唾を飲んで観察している。三万ほどの軍勢で鶴翼の陣を敷いているのは、イボー達より幾分背の高い浅黒い肌の人間達だった。
彼等の軍旗には煬という文字が書かれた旗がはためいている。しかし、照明は松明のみで電磁力を利用した物はない。彼等が持つ武器も盾と矛、剣と弓しか見当たらない。
中へ入り込んで観察を続けると、彼らは大規模な軍勢であるにもかかわらず、浮き足立つそぶりを示し、口々に「ジディエン」「ジディエン」とつぶやきながら、時々顔を見合わせている。他方、彼らの長たちも、街に攻め込む軍議の中で「吉迪恩」と書かれた板を挟んで「ジディエンをどうするか」と呟き悩んでいる様子だった。
古代の人々が地上で相争っていた時代の文献を参考にすれば、この現象は弓矢と剣による戦闘が必ずしも規模ではなく戦術によって決することを示している。おそらく吉迪恩という戦士が伽藍の街にいるのであろうか。
さらに最前線に行くと、明らかに様々な神々に捧げられた祭壇が戦線に沿って伽藍の街に向かって並べられていた。夜が更け、その前でなにがしかの棒を振り回し始めた背の小さな男ヤルカがいた。その棒の合図とともに、投擲機から敵陣と思われる方角に何かが上空へ投げられ、まばゆい光とともに大きな爆発音が下方へと投げかけられている。電源装置は周りに見当たらない。生身の人間ならば人が存在した痕跡さえ残さぬほどの雷が、どのようにして繰り返し繰り返し繰り出せるのであろうか。着弾の様子を見に前に進んでいくと、背後の陣営内部から鬨の声が上がった。
「突撃が始まりました。彼等は伽藍の街へ突っ込んで行きます。我々は姿を消したまま傍へ退いた方が良いと考えます。」
「わかりました。」
イボー達は遮蔽を作動させたままその場を離れた。大軍は攻勢に出ていた。伽藍の街の城壁は堅牢に見えたが、投石機により崩壊している。街が攻め込まれるのは時間の問題だった。近距離で見ると、逃げ遅れた子供までが殺されている。こんな時に介入するかどうかの判断が難しい。イボーは愛香達に介入するかどうかアドバイスを求めてきた。
「攻め込まれている街の構造はどんなものなの?。」
「まだ内側に城壁があり、その内側には子供達の教育施設がある。そこの中には子供達が逃げ込んで過密状態だね。」
「教育施設?どんなところなの?。安全なの?。子供たちは不安そうではないの?」
「そこまではわからない。愛香が降りてきて判断した方が良い様だ。」
「了解。」
愛香は士官に伝えた。
「戦闘中の今なら艦艇を街の上空に持って行っても、騒がれないでしょう。上空から内壁側に降りて見ます。」
愛香達は力場を展開しながら艦艇の外へ、そして城壁上に降り立った。愛香たちは、遮蔽シールドの他に、残存放射能から自身を守るためにトラリオンを広げて上の二枚で上半身を、下の二枚で下半身をそれぞれ覆い、残る二枚で浮揚シールドも展開していた。しかし、放射線源フィルタを経た空気であっても血の匂いが湿気の多い暑苦しい風に吹き上げられて内城壁の上にも届いていた。愛香はそのまま教育施設と思われる建物を歩き回った。図書室には歴史や理科の教科書らしい冊子が多数あった。
「これは貴重なものですね。回収して調べたいけど……。」
「無理ですよ。」
「子供達にも質問できれば。」
「そのためには子供達を助ける?。わかりました。それでこの者たちに味方する理由になりますね。内側の城壁防衛を分からぬように援助します。」
その検討が終わるや否や、街の城壁のあちこちから攻め込まれ始め、街の防御陣は総崩れとなった。
「兵士たちが内城壁の中まで撤退しているらしい。最終防衛ラインが突破され、総崩れだ。
艦艇より各班へ。電撃が城内へ放たれている。内城壁まで崩されかねないと思われます。」
愛香は観察を切り上げ、城壁の上に立った。愛香が電撃の源に攻撃を加える必要があるなと考えた時、電撃が愛香の近くに落ちた。雷特有のマイナスイオンが臭う。電撃が量子波動を乱し、愛香の姿が電撃の光の中に浮かび上がっていた。すると、電撃の矛先が愛香に向き集中的に降りかかった。突然の攻撃だったが、愛香は力場の中和システムに守られて微動だにしなかった。内城壁に逃げ込んだ街の兵士には、急に愛香が現れたようにみえ、愛香の周りにトラリオンの六つの力場が電撃の光を反射して煌めいて見えた。愛香の姿は再び消えたが、愛香の近くにいた者達には明白だった。
特に撤退する兵士のしんがりを務めていた髪の短い若い戦士は、矢で左肩を射抜かれても愛香の姿を見て奮起し、扉がほぼ閉じられた後も闘い続けている。犠牲になる覚悟に見えた。攻め手からは「ジディエンだ」という声が上がった。彼等は一瞬怯んだのだろう、その隙にその若い戦士は内城壁の中に逃げ込み、扉が閉められた。それとともに、内城壁の外では電撃が止み、戦う相手がいなくなった兵士たちの声は静まって、異様な静けさが広がっている。電撃がやんだのは、イボー達の工作がなされたのだろう。しかし、攻撃側の兵士たちが静かなのは不気味だった。彼等は街の中を漁り始めていた。夜が明けつつあった。
愛香に付き添う士官達は内城壁の上から外の様子を見てひと息ついている。しばらくは攻め手も休んでいるはずだ。愛香は再び施設に入り込もうと考え、戻りかけた。すると内城壁の下の方から声が聞こえる。先ほどまで扉の外で矢で撃たれつつも奮闘していた若い戦士が愛香に呼びかけている。姿を表せとでもいっているのだろうと思われた。
これについて、艦艇の中では議論が戦わされた。
「今はまだ接触するのは早い。」
「準備が整ってからでも遅くないのではないか。」
しかし、若い戦士が短剣で地面に文字を書き始めた。
「我是蒙諾諾和的吉迪恩」
これらの文字は、敵陣でも用いられていた。この世界での共通の文字なのだろうか。
「吉迪恩?」ふと、愛香は閃きのように古代伝説のひとつを思い出し、彼が重要人物であると直感した。愛香は士官達に伝えた。
「私が単独で接触してみます。」




